ハッピーハロウィンバイゲート
首についた大きな鍵が、氷のように冷たい。十月上旬までは、秋とは思えないほど蒸し暑かったのに、中旬から急激に温度が下がり、今では真冬のように寒い。城壁の中は絨毯のように、冷たい空気が敷き詰められている。
ふわぁ。欠伸をひとつして、すとん、と巨大な門の前に降り立つ。今日はパーティーだ。退屈な毎日を彩る、一年に数えるほどしかない、楽しい一日がもうすぐ始まる。緩んだ口元もそのままに、息を吸って、いつものように大声で叫んだ。
「開門~! おはようございまァ~す、朝だよォ」
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この国をぐるりと囲む城壁の側面は、オレンジ色のリボンが張り巡らされ、リボンの間には、ジャック・オ・ランタンと、金や銀のクーゲルが揺れている。城壁と同じように、街中の家もリボンとクーゲルできれいに飾りつけられていた。
この国の象徴であるリーグ・ユートピアの直方体の建物は、リボンでプレゼントボックスのように十文字掛けにラッピングされ、頂きには巨大なシャギーボウが花開いている。
城塞都市シェルドラントは、デコレーションケーキのように、オレンジ色に彩られ、煌めいていた。
この国の唯一の出入り口である巨大な門の上には、大きなかぼちゃを被った門番の姿があった。顔は隠れて見えないが、片手にお菓子のたっぷり入ったバスケットを抱え、門の上を駆けまわっているのを見る限り、今日のこの日を楽しんでいるのだろう。シェルドラントを一夜にしてラッピングしたのも、彼の仕業だった。
「さァさァ、今日はハロウィンだよォ! 門番から、お菓子のプレゼントだァ! イベントに大人も子どもも、国籍も国境も関係ない。ほら、持って行きなァ!」
のこぎり型ツィンネの上を、上ったり下りたり、ぴょんぴょん跳ねまわりながら、かぼちゃ頭の門番がお菓子をばら撒く。荷馬車を引く御者も、たまたま通りがかった旅人も、お菓子を受け取ってにこにこと嬉しそうだ。
門の内側。ちらと視界の端に映った、見慣れた顔に声をかける。
「おやァ、お嬢さん。今日は林檎売りの少女に仮装かい?」
赤いフードから覗く黄色と桃色の長い髪が揺れる。右手には、林檎のたくさん入ったバスケットが握られていた。
「あら、門番さん。あなたまでそんなことをおっしゃるの? 違いましてよ、これは赤ずきんですの」
「これは失礼。お嬢さん、ハッピーハロウィン。今日という日を楽しんで」
「あなたも、毎日の平和をありがとう」
お菓子の入った小さな袋を投げれば、真っ赤な林檎が返ってくる。林檎を齧っては、また壁の上を跳ね始めた。
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一通りお菓子を配り終えると、朝の開門の声と同じように大きな声で、
「ハッピーハロウィン! 今からゲームを始めるよォ!」
時間を告げる鐘の音のように、彼の中性的な声が響き渡った。
「ルールは簡単。街の中に小さなかぼちゃを、白、黄色、オレンジの三種類、隠してあるよォ! それをいくつでもいい、探して持っておいで。見つけた数とかぼちゃの色次第では、いいものあげるよォ!」
おっと、ケンカはしちゃダメだぜ。そう言い終わると、すっかり静まり返っていた街は、やがてまた、喧騒に包まれた。
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街中を探し回る子どもたちの姿を、ツィンネに座って見守る。初めにお菓子をねだりに来るのは誰だろうか。
「もんばんさぁん! かぼちゃもってきた!」
下を見れば、小さな男の子と女の子が、両手いっぱいにかぼちゃを抱え、こちらを見てにこにこと笑っている。
「よく集めたねェ~。ちょっと待ってなァ」
門から飛び降り、子どもたちの前に着地する。
「そうだねェ、いーち、にーい……。キミは白いかぼちゃが三つに黄色が二つねェ。で、キミは……白が一つと黄色が四つ。よォく集めたねェ。白が一ポイントで、黄色が五ポイントだからァ、坊やが十三点でお嬢ちゃんが二一点だ!」
やったぁ! と、女の子が言う傍ら、男の子は少し残念そうだ。
「まァ、落ち込みなさんな。ほら、景品だよォ。二人で仲良く食べなァ」
大きな袋を一つずつ渡すと、きらきらと笑顔が輝く。門番さんありがとー! と、子どもたちが去っていくと同時に、先程とは別の見慣れた顔が現れた。
「こんにちは。今年も華やかだね~」
「こんにちはァ。今日も買い物かい? ユートピアのお母さん。イベントは楽しまないとねェ」
「お母さんって、やめてよー、僕は男なんだから」
「子どもたちがやんちゃだと大変だろォ?」
「そうそう、食費がねぇ……って、もう、ゲートくん!」
「はは、やっぱり、お母さんじゃないかァ」
「違うってば、もう。……それはそうと、お買いものしてたらかぼちゃ見つけちゃって。僕みたいな大人でも貰っていいの?」
「いいよォ。イベントに大人も子どもも関係なしさァ。あんたに比べりゃ出来は悪いが、パンプキンパイだよォ。みんなで分けてねェ」
「わぁ! 美味しそう! ありがとうね!」
手を振りながら帰るその後ろ姿はやはり、この国の憧れを支える、立派な母親のそれに似ていた。
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早いもので、太陽がもう山の向こうに沈もうとしている。山のように用意したお菓子も、もう底を尽きそうだ。
「今日はもうおしまいかねェ」
後片付けを始めようとした時、住宅の影に隠れる少年を見つけた。
「おやァ、ユートピアの期待の新星じゃないかァ」
そう言うと、少年は肩をびくっと震わせ、
「……その呼び方やめてよ」
ぼそっと呟いた。普段は堂々としているのに、今日は何故かびくびくとしている。まだ年端も行かぬ子どもだが、過酷な生活を送ってきたのだという。しかしそれは彼がこの国に来る前で、今では幸せに暮らしていると聞いたが、何かあったのかもしれない。
「どうしたァ坊や。門番でよけりゃ話を聞くよォ」
どうせもうすぐ門も閉める。下に降りて、彼に近づいた。
「その……これ、見つけたんだけど……」
しばらく言い澱んだ末、少年が、ずい、と右手を突き出す。その手に握られていたのは、オレンジ色のかぼちゃだった。
「あっははは! そのかぼちゃ、見つけたのかい!」
普段は歳の割に大人びた顔つきをしているのに、子どもらしくかわいいところもあるもんだ、と思わず笑った。
「わ、笑わないでよ! いいよ、帰るっ」
「あっはは、待ちなァ、坊や!」
「やだ!」
「燿ィ」
名前を呼んでやれば、少年は簡単に立ち止まる。彼は名前を呼ばれるのに弱い。大切な名前なのだろう、彼によく似合う名だと、そう思う。
「それ、今日のゲームで一つしかない、一等いいかぼちゃだよォ。よく見つけたねェ。ほら、受け取りなァ。城の奴らとも仲良くするんだよォ」
「なっ、仲良くなんてしたくないよ。……ありがとう」
もらった袋を抱きしめて帰る彼は、悪態をついてはいるがどこか嬉しそうで、やはりちゃんと、歳相応に子どもなのだ。
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少年の影が見えなくなったところで、さて、と呟く。
「そろそろおしまいかねェ。じゃ、今日もいきますかァ」
すう、と息を吸い、
「閉門~! おやすみィ。夜更かしはするもんじゃないよォ」
中指と親指を擦り合わせ、ぱちんと音を鳴らせば、飾りつけられたリボンがするすると解けていく。街が元に戻ったのを見届けて門の中に融け込んだ。
かちゃり、と鍵の閉まる音がする。明日からまた始まるであろう退屈で平穏な日々が、この国で生きる民にとって幸せな日々であれば、と願いながら、眠りについた。