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テーブル席の、その子は形いい唇をすぼめ、ちうとストローを吸う。側に突っ立っている僕を上目使いに見るものだから思わず顔を逸らせてしまった。


玲聞れいもんさん、また遅刻」


つい忘れそうになるが、こいつは男だ。ぷうと両頬を膨らませた彼の名は、葵そら《あおいそら》。探偵事務所のアルバイトをしている。彼とは、ある事件をきっかけに知り合った。ちなみに、この子のお陰で、時々、妙な誤解を受けそうになるが、そこは断言しておく。あくまで、誤解だ。僕たちの関係は、実に健全なものである。


これでも、何とか早く仕事を切り上げてきたつもりだったが、“遅い”と、彼はぷんすか、店の中でジュースを啜って待っていた。僕が“悪い”と謝り、向かいに腰を落とせば、何のことはない。この子の気持ちは、もうすっかり切り替わっている。


「玲聞さん、今日は、前回の分も合わせて、ご馳走してもらいますからね」


女顔に相応しく、頼りない白い指先で、彼はテーブルの呼び出しボタンを押した。


「あぁ、好きなもの頼んでくれ(まあ、このチェーンの定食屋じゃ、知れているがな。)」


以前、葵くんにジュースを奢ると言って、自腹をきらせてしまったことがある。

今日は、その仕切り直しというわけ。


「ご注文を繰り返させていただきます」


対応したのは、高校生くらいの女の子だった。威勢は良いが、どこか、あぶなかしい。きっと、まだ入ったばかりなのだろう。店の制服が馴染んでいない。何度も注文を聞き返してから彼女は、厨房に駆けていった。店内は、そろそろ夕飯時を迎える。一人客が多いので、回転は早いと思ったが、店員の頭数が足りていないようだ。この分だと、料理が出てくるまで待たされるだろう。


「しをり先生、退職なさるそうですね」


張り詰めた空気が、一瞬にしてこの場を支配した。

葵くんは、グラスの滴る汗を追いかける。その目は、事件のからくりを知った時と同じ虚ろな色味を帯びていた。


あの逮捕劇から、三週間。彼女は、予定通り職場を去ることにした。


「その方がいいだろう。余計な詮索をされずに済む」

「うちのボスとの、その後、気になります?」


そのくるりとした瞳がこちらを向いた。ああ、彼が言いたかったのは、この事か。葵くんは、返事を待たずに続ける。


「心配入りませんよ」


向かいのその席には、いつもの葵くんの笑顔が戻っていた。

調子を取り戻して、彼は、座席に寝かせている紙袋を引っ張る。


「そうだ。玲聞さん、この後、シャロンちゃんの家に寄りますよね」

「ああ」

「これ返しておいてもらえませんか」


黄色い文具店の紙袋は、外見の割に重く、受けとると腕がぐっと沈み込んだ。空いた袋口から、読みごたえのありそうな書籍がみえる。


シャロンとは、有栖川シャロン《ありすがわしゃろん》と言って、僕の担当する生徒の一人だ。彼女は、所謂、問題児である。中学に登校しないばかりか、家から一歩も出ないときた。確かに、僕のサービス残業は増えるが、これだけなら、そう問題視されるほどの事はない。むしろ、職員の本音としては、街で暴れられるよりは良いといったところだろう。ただ、彼女の場合、大人しく引きこもってくれているわけではないというので、少々、厄介なのだ。


「実は、彼女に大学のレポートを手伝ってもらったんです」

「で、借りた参考文献がこれ?」


葵くんは、悪戯が見つかった子供のように、ばつを悪そうにした。


「はい、本当は、今日、ボクもお礼にいこうと思っていたんですけれど、これから事務所に寄ることになってしまって」


なるほど。有栖川なら、大学生のそれくらい出来てもおかしくはないだろう。僕が、何より驚いたのは、葵くんに協力したということだ。なかなか人に心を許すような娘ではないのに、葵くんも、相当なやり手だと伺える。


「玲聞さん、もしかして、焼きもちですか」


どっちに?違う違う違う。葵くんのペースに巻き込まれるところだ。


「大丈夫ですよ、シャロンちゃんの一番は、玲聞さんですから」


引きこもり少女の、あの仏頂面を思い出して、ぷっと吹いてしまう。


「はは。あいつの一番は、今も昔も変わってないよ」


そういえば、葵くんは、どこかあの人に似ているかもしれない。


僕は、中学校の新任教師、山田 玲聞。

あれは、まだ、僕が大学生だった頃の話だ。



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