それぞれの未来(あした)
エピローグです。
俺たちがセオグラードに帰還してから一ヶ月が経過した。
市長官邸から見上げる空は青い。
崩壊に向かっていた世界は、今でもなんとか形を保つことができている。
市場には新鮮な魚が出回り、武器屋もいつも通り兵士達の御用達となっている。
あの日、アイカは持てる力の全てをつくし、世界改変の魔術を無効化させる世界再生の魔術を発動させた。
しかし、ウイルス感染の後遺症からか、彼女の魔術出力は以前の3分の2程度に抑えられ、大魔術の使用は困難を極めた。
それでも彼女は全力を尽くした。彼の遺した想いを遂げるため、自身の全てを賭けて世界再生を試みた。
結果的に、紅い雨の呪いは去り、人々の記憶も元に戻すことができた。
だが、その間に蔓延った強力なウイルスを滅ぼすことまではできなかった。
アルカディア政府は事態を重く見て、セオグラードを覆う城壁の補強工事、並びにアルカディア騎士団の増員を決定した。
それは、アルカディアが更に理想郷から遠ざかってしまったことを意味していた。
一方、俺たちアルカディア騎士団第二師団はと言うと……
世界改変の呪いが解け、人々が記憶を取り戻すと、スコピエルで消えてしまったはずの住人や騎士団員がこの地に戻ってくるようになった。
騎士団員に話を聞くと、皆世界改変の影響により自身の役割を忘れ、当てもなく各地を彷徨っていたとのこと。
集まった騎士団員は全体の95名のうち、全部でたったの14名。死亡した者の大半は、魔物に殺害、またはコウダイに殺害された者たちで、数名は各地を彷徨っている最中に魔物に襲われ命を落としたとのことだった。
その中でも俺が選んだ精鋭部隊、ヒルデブラントの生き残りは、ミナト、カズホの2人だけ。残念ながら、こうして、事実上ヒルデブラントは壊滅したのだった。
スコピエル市民はというと、俺たちが到着する前に城壁内に残っていたのがおよそ2,500名、その内の300名がコウダイによって殺害され、スコピエルから脱出を試みた1,000名が魔物によって殺害、また世界改変後に800名が死亡または行方不明となっており、残った人間は僅かに約400名のみであった。
被害はあまりに甚大だった。
だが、俺は勇者として生き残った人々を安全にセオグラードに送り届ける義務があった。
大した物資も用意できなかったが、俺たちは彼らをセオグラードに送り届ける任務についたのだった。
ミナトの魔力探知をフルに活用し、俺たちは極力魔物と鉢合わせしないルートを選んだ。そして、幸いなことに俺たちは危険な魔物との遭遇を避けることができた。
しかし食糧不足は避けることができず、途中かなりの人間が飢餓状態になりかけてしまった。
だが、天は俺たちの味方をしてくれた。
俺たちの到着が遅いことを心配したアルカディア政府が、セオグラードの守護にあたっていた騎士団第一師団をこちらに寄こしてくれたんだ。
アルカディア騎士団第一師団師団長コウシロウはボロボロの俺たちを見て驚愕の表情を浮かべ、そして騎士団員並びにスコピエル市民のあまりの少なさに絶句していた。
第一師団が持って来てくれた物資により食糧不足は解決し、俺たちは再び行軍を開始した。
そして、スコピエルを出てから22日、俺たちはようやくセオグラードに帰還することができた。かかった時間は、行きの時間のおよそ二倍。結果的にスコピエルを出発した時から誰一人も欠けず、俺たちはセオグラードに帰って来ることができたのだった。
世界に起こった異変、その原因、そしてコウダイの反逆と、俺が報告しなければいけないことは山の様にあった。重要参考人である俺たち騎士団員の事情聴取が行われ、3日間拘束されるという憂き目にあった。
コウダイの反逆に関してだが、俺たちで口裏を合わせ、必ず以下のことを言う様に決めた。
「彼は魔物に身体を支配され、市民を殺害するように仕向けられたんです。ですが彼は、最後必死に抵抗し、自らを勇者に殺害させることにより事態の鎮静化を図りました。市民や騎士団員の殺害は彼の意思によるものではなく、あくまで魔物がさせたことです。そんな中文字通り身体を張って人々を守ろうとした彼の行動は称賛に値するものであり、決して罰せられるべきではないと考えます」
騎士団員13名が全て同じ証言をしたことにより、コウダイは魔物による身体操作の結果市民殺害に至ったとの判断が下り、彼に対する処分が下ることはなかった。
亡くなってもなお全員がこの様に証言したのは、彼自身の人柄がなせたことであると、俺はその時思ったのだった。
「お兄ちゃん、市長様がお呼びです。至急、市長室まで来てほしいとのことです」
「ああ、今行く」
黒のロングヘアーをリボンで束ね、キリッとした様子で俺を迎えに来たミナト。道中、彼女はコウダイ亡き後の俺のサポート役を担ってくれた。慣れない人々への声かけを必死に行い、この行軍を盛りたててくれた。彼女には感謝してもしきれない。
「どうしましたお兄ちゃん?」
「ん? いや、なんでもないよ。それよりも、今日の晩御飯はどうする? 食材が足りないのなら俺がまた買ってくるけど」
「お兄ちゃん、たまにはあの子の相手をしてあげた方がいいんじゃないですか? わたしたちはいつだって一緒にご飯は食べられるんですし、今日の夜くらい彼女と一緒に食べてあげたらどうです?」
ミナトがじとーっとした目を俺に向けてくる。ちなみに俺とミナトは今同じ家に住んでいる。ここに戻って来た後俺には一戸建てが与えられたのだが、仲間を失って1人になってしまったミナトを放っておくこともできず、俺が彼女をこの家に招いたのだ。
女性陣は随分と渋い顔をしていたが、俺はミナトを妹として認識しているし、ミナトだって俺のことはもう諦めている訳だから問題はないと言い切り、彼女を同居させるに至ったのだった。
「いや、だってイズミと飯を食べるってことは、市長と一緒に飯を食べるってことだろ? 俺あの雰囲気どうも耐えられないんだよなぁ……」
「そんなことでどうします。本来なら夫であるお兄ちゃんはイズミと暮らすべきなのに、どうして一緒に住まないのですか? わたしに気を使う必要はないんですよ」
「いや、別にそういう訳じゃ……。単純に、結婚するには俺たちまだ若すぎるかなぁなんて思ったり……。そ、それに、任務はまだ終わってないんだ。そういうのは、任務が全部終わった後でも遅くはないんじゃないか……?」
「う、うん、確かにそれもそうですね……」
そう言うミナトの表情は暗い。これからの任務はより困難を極めるはずだ。今度こそ命を落とすかもしれない。それを思うと、晴々した気分にはなれないのも当然だろう。
市長との会談を終え、帰路につく頃には空はオレンジ色に染まっていた。
そこへ、
「ユーリ、それにミナトちゃん、これから帰り?」
アスカがこちらに駆け寄って来た。
「ああ、ちょっと市長に呼ばれてな」
「そうなんだ。それってやっぱり、次回の遠征の話?」
「ああ、それもある。まあ、他にもあったんだが……」
俺が表情を曇らせると、アスカは詰まらなさそうに言った。
「あ、もしかしてイズミちゃんの話? いいじゃない、早く同棲しちゃえば」
「お前なあ、そんな簡単に言うなよ……」
「……その気がないなら、私もまだチャンスあるのかな……」
アスカは何やらボソッと呟く。
「え? なんだって?」
「あ、いや、何でもないわ! ほらこれ、今日市場に行ったらもらったの。このお魚とっても新鮮よ。お二人でどうぞ」
「あ、ああ、サンキュ、って多いな!?」
アスカは俺たちに両手に収まりきらないほどの魚を寄越した。ってかこんなに沢山の魚をくれるここの市場っていったい……。
「それじゃ、私は宿舎に戻るから」
「ちょ、ちょっと待てよ! こんなに沢山食えねえよ!」
「騎士団の皆でも呼んで振る舞ったら? 私もそんなに食べられないからもらっておいてよ」
「お、お気をつけて、アスカさん」
「ありがと、ミナトちゃん。ユーリもまたね」
「お、おいアスカ……!」
アスカが颯爽と走り去る。今彼女はアルカディア騎士団の宿舎で生活している。どうやら彼女は、騎士団に入るつもりらしいが、次の任務には同行するのだろうか?
いや、それよりもこの魚どうするよ……。
「これはまた、随分沢山のお魚ですね」
俺たちが来たのは、不本意ながら市長官邸だった。
「す、スマン、イズミ。アスカのやつが俺たちに押し付けやがったんだよ……。悪いんだけど、そっちで使ってもらえないか?」
「え、ええ、構いませんよ。そうだ、折角ですから今日は家でご飯を食べて行かれませんか? 父も喜ぶと思いますし」
イズミが笑顔でそう提案する。断りたい、そう思った時には、
「是非よろしくお願いします」
ミナトが玄関に上がり込んでいたとさ。こいつめ……。
「アイカの謹慎はいつ解けそうなんだ?」
だだっ広い廊下を歩きながら俺はイズミに尋ねた。
「まだ当分解けそうもありません……。あれほどの大損害を国に与えたとあれば、あの力を持つ姉を自由にするには慎重にならざるを得ないんだと思います……」
「そうか……。今日でもう3週間だろ? その間、ずっと自分の部屋にいるのか? そんなの気が滅入っちまうだろうに……」
この家なら嫌でもあいつとの思い出が蘇るはずだ。忘れるには、新しい出会いや刺激が必要なのに、あれからずっとこれじゃ精神衛生上良くないに決まっている……。
「できるだけわたしは毎日彼女の部屋に行くようにはしています。最初の週こそ大変でしたが、今はだいぶ落ち着いています。ユーリ様たちが行ってくだされば、気も紛れると思います」
「分かった。飯の前に顔を出すようにするよ」
その後、イズミとミナトは食事の支度を手伝うことになったので、俺は1人アイカの部屋を尋ねることにした。
アイカはいつもとは違い、白いカーディガンを羽織り、同じく白のロングスカートを履いていた。普段の露出度の高い服の時とは印象がだいぶ違い、随分とお淑やかな印象を受けた。
「気分はどうだ?」
「悪くないわ。旅の疲れも癒えたし、謹慎が解ければすぐにでも動き出すつもりよ」
それなりに身構えていったつもりだったが、アイカは予想以上に元気そうだった。この調子ならそれほど心配するほどでは……。
「お前、目の下……」
アイカの目の下には大きなクマがあったのだ。
「ちょ、ちょっと寝不足で……。大丈夫、薬は服用しているからいずれなんとかなると思うわ」
俺が甘かった。恋人を失って元気な人間がいる訳がない。イズミだって言っていたじゃないか。最初の週は大変だったって……。
恐らく、彼女はほとんど睡眠をとることができていないんだ。コウダイを失った悲しみ、多くの人間を死に追いやってしまった苦悩。あらゆるものが彼女の中を渦巻いているんだ。
予想以上に元気そうだって? 馬鹿か俺は!
彼女をあそこから連れだした人間として、彼女が目的を果たせるようになんとかしてやるのが俺の責任だ。絶対に彼女を絶望させやしない。なんとかかけあってみよう。俺が出来ることを、この子のためにしよう。俺はそう心に誓った。
「ちょっと、そんなに心配しないでよね! あ、あたしがこの程度でめげると思うの?」
「だけど、謹慎はきついだろ……」
「何言ってるの? 謹慎で済んだのが奇跡的なことよ。これだけの騒ぎを起こして、国に損害を出してしまった。沢山の人が亡くなった。皆が寄生型の魔物のせいだって話してくれたから、あたしは死刑にはならなかった。要は、生きていること自体が奇跡なのよ。それに、この時間だってとても大切なのよ。亡くなった人に祈りを捧げることができるからね」
アイカはそう言い、俺に微笑みかけた。やはりその笑顔には張りがないように俺には思えてならなかった。
「あたし、シスターになろうかと思っているの。亡くなってしまった人々の魂の安らぎ、そして今生きている人達の心の安寧に繋がることができればいいと思っているわ。コウダイはこの世界の平和を願っていたけど、シスターとして人と接することでも、それはできると思うのよ。だから、似合わないと思うけど、そっちの道に進もうかと思っているわ……」
「いや、似合うよ。シスター、俺は凄くいいと思うぞ」
俺は力強くそう言った。
「あ、ありがとう……。あんたなら、なんとなくそう言ってくれるんじゃないかと思ってたわ」
「別に、お世辞じゃねえからな。本気でお前には似合うと思ったまでだ。お前がそちらからあいつの想いを叶えるつもりなら、俺は戦うよ。魔物を、ウイルスを滅ぼして、人々をセオグラードまで導く。それが俺の使命であり、約束なんだ。方法は色々あった方がいい。お前は、頑張ってシスターを目指してくれよ」
俺はそう言うと、そのまま彼女の部屋を後にしようとする。そんな俺に対し、彼女は言った。
「やっぱり、あんたと旅ができて良かったわ。一緒に頑張りましょう。でも、あんたに負けるつもりはないからね」
まだまだ傷口は深い。だけど、一歩を踏み出すことはできる。俺は最後の彼女の言葉を聞いて、そう確信した。
官邸での若干息苦しい食事が終わり、俺はイズミと2人で初めて出会ったあの場所の近くまでやって来た。
「これだけ規制が厳しくても、やっぱり顔パスで通れるんですね」
「当たり前だろ。俺は勇者だ。勇者が門番に止められる訳ないだろ」
「最初は勇者なんてごめんだって思ってた方の台詞とは思えませんね」
「言ってろ」
城壁の外は、一面の星空だった。
あの時は夏真っ盛りだったから、連日連夜寝苦しかった覚えがある。
あれから3カ月近くが経過して、季節は段々と冬になろうとしていた。
「あの頃とは、随分と状況が変わっちまったな……」
コウダイがいて、ヒルデブラントがいて、騎士団の皆がいて……。とにかく沢山の仲間と、この街を旅立った。俺の力があれば、きっと何の問題もなく戻って来られると思っていた。
「でも、悪いことばかりでもありませんよ」
イズミが俺に微笑みかける。イズミの髪はすっかり伸びて、以前の長さとまではいかないが、それに近いほどに達していた。
「そうだな……。まさか俺たちが、こんな関係になるなんてな」
「こんな関係って、どんな関係ですか?」
イズミが悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「馬鹿、言わせんなよ……」
「言ってくれないとわかりませんよ」
「お前、たまにSだよな……?」
「ユーリ様はMなんだからいいじゃないですか」
「ば、ばっか! 別にMじゃねえよ! 確かに冷たくされるのはそんなに嫌いじゃないが、別にMって訳じゃ……」
「人はそれを、マゾヒストと言います」
「だーかーらー……!」
「冗談ですって! 機嫌直してくださいよ」
イズミはあははと呆れた様に笑う。俺はなにやら馬鹿にされた様な気がしてぷいとソッポを向いてしまう。
「ユーリ様ぁ……」
「話しかけんな! 勇者は機嫌を損ねた!」
「んもう、しょうがないですね……」
不意打ちだった。背中に彼女の柔らかな感触が伝わり、腕が俺の腰の辺りで交差される。そしてイズミは俺の背中に顔をうずめた。
「お、お前、それは反則、」
「ふぁんほふへはあひまへん」
「顔をうずめながら喋んなよ! 背中が凄くあったかいんだよ!」
「反則ではありません。これはユーリ様を籠絡する正当な手段です」
「本人に向かって籠絡って言っちゃうのはどうかと思うのですが……」
我ながらくだらないやり取りだと思う。しかもそれをこんな夜の城外という危険な所でやっているのだから尚更笑えてくる。
「俺たちって、相当アホだよな……」
「カップルなんてこんなもんです。それとも、アスカさんとはこういうことはされなかったのですか?」
「お前、もしかして根に持ってる?」
「いーえ、全然」
イズミはそう言って、俺から離れ付近を走りまわる。どうやら本当に根には持ってないらしい。むしろ女々しいのは俺の方かもしれない。だってまだ、あの時のアスカとの記憶を、俺は完全に忘れられた訳ではないのだから……。
「こうやって、ずうっと一緒にいられたらいいんですけどね」
「……そうだな。きっとあいつらも、そう思ってたんだろうな」
コウダイとアイカが楽しそうにじゃれあう姿を思い出す。俺はあいつみたいに、イズミを大事にしていけるだろうか?
「わたしたちは、幸せにならないといけませんね」
「ああ、そうだな……。なあ、イズミ……」
「なんですか?」
「他の地方の人々を助けて、この世界に平和を取り戻すことができたら、俺と……」
顔が真っ赤になる。俺は何を言おうとしているんだ!?
俺たちはまだ十代じゃねえか! なのに、それはいくらなんでも……
「もし平和になったら、わたしと結婚して下さい」
「ああ…………って、ええええ!? なんでお前が先に言う!?」
「ユーリ様が遅いからです。今は肉食系女子が流行っているんです。女だって待っているだけでは幸せは掴めないんですよ!」
言いたいことは分かるけど、そこは言わせてくれよぅ……。
「今は形式上の夫婦ですけど、わたしは身も心も全部あなたの妻になりたいんです。全てが終わったら、わたしの全てを、受入れてもらえますか……?」
強い意志の籠った瞳。そう言えば、最初から彼女はこうだった。当時は悩んだが、今はもう答えは決まっている。
「当たり前だろ。全部片付いたら、真っ先にお前を迎えに行く。だから今の内に花嫁修業でもしておけよ」
「はい。待ってますから…………ユーリ」
「あれ? もしかして今、俺のこと、呼び捨てに……」
「さ、さあ、もう行きましょう! 夜の城外は冷えますから」
「お、おい、待てって!」
俺は先に歩き出したイズミに並ぶ。
イズミは耳まで真っ赤になっていた。
夫婦だったら様付けはやめろと、いつか俺が言ったのを覚えていた様だ。
俺は彼女の頭を撫でてやる。
「大好きです。ユーリ様……」
彼女は最後に、そう囁いた。
最後までお付き合いいただきましてありがとうございました。
全てのことに決着がついた訳ではありませんが、この物語はひとまず終了です。
また機会があれば、続きを書いていきたいと思います。
それまでどうぞお元気で。




