鳥篭の少女
「感じる。確かにあそこが、この魔力の発信源だと思う」
ミナトが睨む先にあるのは、スコピエルの守り神、スコピエの像。
「すると、あの城壁の中にアイカが……」
「恐らく……」
1ヶ月前、俺とコウダイはスコピエルの街中で激突し、アイカは世界改変の魔術を発動させた。
あれ以降初めて訪れたスコピエルは以前以上に荒れ果て、城壁も紅い雨のせいで所々が崩れ落ちていた。
街には人っ子一人いる様子がない。
あの時殺された住民の死体も、俺たちの仲間、騎士団のメンバーの姿も残っていなかった。
「城壁一帯に恐ろしいほど強固な防御結界が張り巡らされています。見た目よりも遥かに頑丈で、わたし1人ではどうにもなりませんでした……」
イズミは悔しそうに唇を噛む。
イズミは開拓者フジノとして名を馳せているように、かなりの魔力量を誇る魔導師として知られている。しかし、実際彼女が使える魔術としては治癒術が主であり、攻撃の方はあまり得意とはしていない。しかも彼女はこの世界にいる際、不自由な自身の足を動かすためにかなりの魔力を割いており、実際彼女が使用できる余裕魔力量はそこまで多くはないのである。
「足を動かすだけでも大変なことなんだろ? それにイズミは、散々ヒーラーとして活躍してくれたじゃないか。気を落とすことなんてないさ」
「そ、そうです。あなたにわたしは命を救われたんです。だから、お兄ちゃんが言う様に、あなたは、あまり気にする必要ないと思います」
俺と一緒にミナトがイズミを励ます。俺はその光景が嬉しかった。やはり仲間同士は仲良くしてほしいものだから。
「す、すみません、2人とも! 落ち込んでいる場合ではありませんでした。反省は、この作戦が上手くいったあとにします!」
イズミはぺこりと頭を下げた後、笑顔でそう言った。
「確かに強力な結界ね。でもあれだけの死線を潜り抜けてきた私とユーリなら、これぐらい突破できると思う。ねえ、ユーリ?」
アスカが俺に問う。
アスカが俺に瞳を向けると、俺は時折セツナだった時のことを思い出す。
沢山の夜を二人で越えた。今日死ぬかもしれない日々を、2人で励まし合って生き抜いた。
世界でたった2人の勇者として、日々を命がけで駆け抜けた。
不意に、胸が痛む。ふっ切ったはずの心が、ギリギリと音を立てる。
「ユーリ様? 大丈夫ですか?」
「……え?」
イズミの声で我に帰る。何をやっている! 俺が引きずってどうするんだ!
俺はもうアスカの元へは戻らない。そう誓った。もうそんなことで悩んでいる場合ではないんだ!
俺は動揺を悟られないよう答えた。
「あ、ああ、そうだな。俺たちは、このためにここまでやって来た。今さらできないなんて、言えないからな」
「うん!」
アスカが頷く。
「行くぜ、アスカ。準備はいいか?」
俺はテオドゥルフを引き抜き、アスカに問う。
「いつでもオッケーよ、ユーリ!」
それに対し、アスカも力いっぱい応えてくれた。
俺はテオドゥルフを、アスカはフェロニカを構え、先端に魔力を込める。
あの時から、お互いの立場は変わってしまった。恋心も遥か彼方に捨て去った。だが戦いの最中の俺たちは、あの時と何も変わっちゃいない。
俺はアスカを信じ、アスカは俺を信じている。
それ以外、今の俺たちには何も必要ない。
信じなければ、何物も打ち砕くことはできないのだから。
互いに目を閉じ、瞑想する。
想像するのは、最も強固な破壊の力。
全てを突破する、進撃の魔術。
世界に散らばる魔力の結晶が収束していく。
壁を砕けと、俺たちの背中を押してくれる。
力はおよそ、90%充填された。ここまでくれば、後は、気合で押し切るのみ!
「うおおおおおお!」
「はああああああ!」
俺たちは互いに雄たけびを上げる。俺たちの内側から、ありったけの魔力を剣に装填していく。
「す、凄い力が収束しています!」
「アスカさんも、お、お兄ちゃんも、頑張って!」
2人の声援を受け、俺たちは更に魔力を強固にしていく。
テオドゥルフとフェロニカが光り輝く。
そしてついに、魔力は極限へと登り詰めた!
「アスカ!」
「ユーリ!」
互いに名前を呼び息を合わせ、剣をクロスさせる。すると俺たちの目の前で、新たなる剣が誕生した!
「こ、これは!?」
「手を出せアスカ! これは俺たちの、勇者に与えられし剣だ!」
「う、うん!」
俺たちは生まれた新たなる剣を互いに握り、
「「ダブル・ブレイブ・ブレイカーッッ!!」」
渾身の一撃を放った!
強力な2色の光が照射される。闇と光。黒と白。相反する属性を持つはずの魔力が、俺たちの想いに応えて結集し、全てを貫く刃と化す。そして、
「「いっけえええええええ!!」」
俺たちの魔術は、ついに最後の扉をこじ開けたのだった!
「よし! 行くぞ!」
壁を破壊した俺たちは走りだす。疲れなど感じている余裕はない。
俺たちは、全速力で根源の元へと向かった。
「反応が近いです! 皆さん、今一度気を引き締めて……」
そう言いかけてイズミが黙る。
「どうしたイズミ? 根源を、アイカを見つけたのか?」
「い、いえ、そうではなく、なにやら聞き覚えのある声を、聞いたような……」
「なに?」
俺たちは耳を凝らす。
「こ、この声は……?」
城壁の中に入った俺たちは、そこであるはずのない声を聞いた。
「そんなまさか、あの人が、生きている訳……」
そうだ、生きている訳がない。あの時俺は、確かにあいつの首を切り落とした。
「まさか、首を破壊しなかったから、復活してしまったの?」
「いいえ! あの時、わたしはあの人の魔力が消失したのを確認しました! 姉が、いえ、アイカが世界改変の魔術を使用した時、力に耐えきれず、崩壊を起こしたのだと思います! だから、あの人が生きているはずがありません!」
アスカの問いに対し、イズミが必死に首を横に振る。だが、それが正しいのなら、今感じられるあいつの魔力と、聞き間違えるはずのないあいつの声は、どう説明したらいいんだ?
「どこだ!? 姿を現せ!」
ミナトが声の主に対し声を荒げる。
すると瘴気の向こうから、今度ははっきりと声が響き渡った。
「私からの忠告だ。ここから去れ! この世界は、否定されるべき世界だ。そう彼女が望んだんだ。だから、二度とここへ近づくな! 世界が滅びるのを、黙って待て!」
そして、ついに声の主が姿を現した。
そこにいたのは、
「本当に、お前なのか……コウダイ?」
あの時と変わらぬ姿の、敬愛すべき戦友の姿だった。
「久しぶりだなユーリ。だがのんびりここで会話をしている暇はない。ユーリ、君のいるべき世界はここではないはずだろう? ミナトも、本来いるべき世界は違うはずだ。ならば、早くここから去れ。これが最終通告だ。ここは、滅びるべき世界だ。こんな世界、早く見捨てて元いた世界へ帰れ!」
変わらず端正な顔立ちのコウダイが俺を睨んでそう言った。
「師団長が、生きていたなんて……!」
ミナトがたじろぐ。恐らく、殺されかけた記憶が彼女の行動にブレーキをかけているのだろう。
「コウダイさん……」
イズミは複雑そうな表情で彼を見つめている。
それにしても、彼は本当に生きているのだろうか?
目の前にいるのだから生きているに決まっている、という意見は当然出てくると思うが、一度冷静に考えて欲しい。
死人は蘇らない。これは自然の摂理だ。だが、彼は人間ではない。一度息絶えた後、再び蘇った可能性はある。もしくは、世紀の大魔導師であった、彼女が蘇らせたという可能性も、決してゼロでない……。
しかし俺にはどうも、コウダイが蘇ったとは思えなかった。
確かにウイルスとして覚醒したコウダイは、人々を殺し、アルカディアを破滅させるべく行動を起こした。だが、最後の最後で、彼はウイルスである自分に打ち勝った。自らを殺させることで、世界の破滅を防いだんだ。
あの涙を、あの言葉を、俺は忘れない……。
元来コウダイは、世界の平和と人々の繁栄を祈っていた。だから、世界を否定するような言動を、もう彼がするはずがないんだ。例え蘇ったとしても、もう彼は自分に負けるはずがない。少なくとも俺はそう確信している。
だから俺は足を一歩、前へと踏み出した。
共に旅をした仲間を俺は信じている。最後に、あんな別れ方をしてしまったとしても、それでも俺は彼を信じる。
「やめろ! 最後通告だと言ったはずだ! これ以上近づくな! これ以上、彼女に近づくな!」
コウダイの姿をした者が凄む。
しかし俺は前進をやめない。
俺は更に一歩、踏み出す。
「やめろと言うのが、分からないか!」
彼は必死に俺を止めようとする。
それでも、俺は踏み出す。
そして、ついに、
「ユーリ!」
痺れを切らしたコウダイが、自らの剣を振り下ろした。
――ガキッ!
だが、その刃が俺に届くことはなかった。
「な、なに……!?」
砕け散る刃。俺が砕いたのは、ジークフリートではなかった。
コウダイは、もうジークフリートを持っていなかった。あれは俺が砕いた。今のこいつに、それを創り出す力はない。死者は、何も創造することはできない。
やはり、彼は蘇ってはいなかった。
これはただの妄想。コウダイという、彼女が託した夢の欠片。
ここは彼女が逃げ込んだ、強固な檻。
そしてそれは、破壊すべき、雁字搦めの鳥篭。
「もう、偽物は消えろ」
俺は無防備の彼目がけ、思いきり拳をブチ込んだ!
吹き飛ぶコウダイ。その瞬間、俺はついに捉えた。
「そこか!」
俺は瞬間的に手を伸ばした。空間の中に、俺の手が侵入していく!
「強固な魔力反応あり! そこが、根源です!」
イズミが言う。そうだ。分かっているさ。そのために、俺はここまで来た。全てを終わらせるために、俺はあいつをここから引きずり出すためにここまで来たんだ!
「やめろ! それは彼女が望んでいない! この世界に存在することなど、彼女は望んでなんて、」
地面に突っ伏しても尚コウダイが俺に手を伸ばす。そこに、
「お兄ちゃんの邪魔をするなああ!」
ミナトのシャリオヴァルトが容赦なくコウダイに炸裂した。
またしても吹き飛ぶコウダイ。もう、彼に俺たちは止められない!
『やめて!』
声がしたのは、まさにその時だった。その声もまた、俺には十二分に聞き覚えがあった。
「やめねえ!」
『お願い! あたしを、ここから出さないで! コウダイのいない世界に、あたしを連れて行かないで!』
彼女は必死で叫ぶ。だが、それは聞けない相談だ!
そして俺は、ついに掴んだ!
世界を否定し、妄想に逃げ込んだあの少女の腕を!
「逃避の時間は終いだ。お前に、現実を見せてやるよ」
俺は彼女に、そう告げたのだった。




