想いのその先へ
「あ、明日香……?」
「嫌いな人のために、復讐なんかのために、私があんなことする訳ないじゃない! 馬鹿にしないでよ! どうして……どうしてそんなことが言えるの!? あなたを騙していたのは間違いないけど、私を好きだと言ってくれたあなたの言葉は、一から十まで全部ニセモノだったって言うの……?」
明日香はがばっと布団を蹴り飛ばすと、パジャマ姿のまま俺とイズミ目がけて飛びかかって来た。
「きゃっ!」
イズミを突き飛ばし、今度は俺の胸倉を掴む。明日香は見たこともない様な剣幕で俺を睨み、そのまま壁へと追い込む。だがその目は真っ赤で、頬を絶え間なく涙が伝っていた。
壁に身体がぶつかった衝撃で、机の上に積み重なっていた本が落ちる。
床には車椅子ごと倒れたイズミの姿。彼女は苦しそうに上体を起こそうとしている。
「お、おい、車椅子の子を突き飛ばすなんて、お前、やりすぎ、」
「煩い! 全部悠吏が悪いんだよ! あなたが、そんな風に見せつけるから……!」
「見せつけるって、どういうことだよ……?」
「好きな人が目の前で他の女とべたべたされて、悔しくない女がどこにいるのって言ってるの!」
「はあ!? お前今、なんて言って……?」
明日香が俺のことを好き? 馬鹿な! あり得ない! 明日香は俺のことをずっと疎ましく思ってきたんだ! だってそうだろ? 俺がどんなに話しかけても、あいつは俺に笑顔一つ向けてはくれなかったんだ。なのに、どうして、今さら俺のことが好きだなんて……!?
「明日香、冗談はやめろ! お前が俺のことを好きなはずがない! 俺はお前にとって目障りな存在だったはずだ!」
あれは、あの想いは俺のただの一方通行なんだ。だからそんな、そんなこと絶対にあり得ない!
だが明日香は俺の言葉に必死に首を横に振った。
「目障りだなんて思ったことないわ! ただ私は、あなたがとても遠く感じていただけよ……。立ち直ってこの世界で強く生きようとするあなたが、眩しく見えていただけなのよ……」
明日香はハッとしたように俺の胸ぐらから手を放し、俺の両肩へと移動させる。そして再び口を開く。
「確かに私はこれまで、あなたのことを邪険に扱ってきてしまったわ……。でもそれは別にあなたのことが疎ましかったからじゃない! 私はこの世界の全てが嫌だったの。だから逃げ出したの! でもこっちに来て気が付いたの。心に余裕ができて、あなたという存在がどれほど大切な存在だったか、気付かされたの!」
そう叫ぶ明日香の瞳からまたしても涙が溢れる。
「あなたに謝りたいと思ったの! これまでの全てのことに許しを請いたいと思ったの! そして、無理だと分かってても、ようやく気付かされたこの心を告げたいって思ったの! 好きだって、言いたかったの!」
俺は言葉を失う。明日香が俺のことを好きだと思ってくれていた? それじゃ、俺とあんなことをしたのは、彼女が心から望んでいたからだというのか?
明日香の優しい笑顔、言葉、仕草、体温が思い出される。
確かにあの時の明日香に演技らしい素振りはなかった。あの時の俺はセツナだったけど、セツナの記憶も感覚も全て俺の中に残っている。確かに、明日香は俺への当てつけであんなことをしたとは到底思えなかった。
でも、でもそれなら……
「それならどうして、俺を見つけた時に嘘を吹き込んだんだ!? 初めから、本当のことを言ってくれさえすれば……」
本当のことを言ってくれさえすれば、俺は悠吏として明日香の前に立てたはずなんだ。そうすれば、俺は俺なりの結論を出せたはずなのに……。
しかしそんな考えに対し、明日香はこう言い放った。
「言える訳ないじゃない! 私が今までどれほどあなたを傷つけてきたのか、あなたが一番よく知ってるじゃない!? 私は、あなたが私のことを嫌いなのは知ってたから、言えなかったのよ……。でも、私があなたを見つけた時、あなたは私に関する記憶を全て失っていた。だからその時思ったの。これはチャンスだって……」
ちょっと待ってくれ。俺がお前のことを嫌いだって? なぜ!? どうしてそうなる!? 俺はお前のこと、一度だって嫌ったことはなかったのに、どうしてそんなことになるんだよ!?
「あなたが私を覚えていないのなら、あなたは私のことを普通の女の子として扱ってくれるって思った。そうしたら、勝手に嘘が口から出ていた……。私ホント最低だよね。私、自分のためにあなたに嘘をついたの。自分がよく見られたいから、都合の良い嘘をついたの……。さっき散々偉そうなことを言ったけど、やっぱり私最低だね……。あなたの気持ちを捻じ曲げて、本当にどうしようもないよね……」
明日香が力なく崩れ落ちる。
彼女はもう泣いていなかった。自分は涙すら流す資格はないとでも言う様に、頬の水分を干上がらせてしまった。
「…………どうして」
どうして俺たちの心はこうまですれ違ってしまったんだ? 小さい時から一緒の時を過ごし、家族ぐるみの付き合いをしてきた。そして恋心に気付いた途端、何の前触れもなく家族が死んだ。
俺は世界でたった1人の同じ境遇の人間として、彼女を助けてあげなければ、彼女を好きな人間として、彼女の心を温めてあげなければ、そう思ってこれまで生きてきたんだ。
なのに、どうして互いの想いがこうも噛み合わないんだ? 俺たちはどれほど不器用であれば気が済むんだ? 明日香も大概だが、俺も酷いもんだ。もっとアプローチの仕方を変えていれば、ここまで破綻は起こさなかったかもしれないのに……。
その時俺は決意した。もう、すれ違うのはごめんだと。それなら、本当の想いを告げてやると。
「明日香、聞いて欲しいことがあるんだ……」
イズミがいる手前、本当はあまり言いたくはなかったが、もう隠しておくことはできない。
「俺がどうして、アルカディアに来たか、お前は分かるか……?」
しゃがみ込んでしまっている明日香と同じ目線で問いかける。
明日香はそれに対し、力なく頭を振った。
「分からないわ……。どうして、悠吏はアルカディアに来たの? あなたは、現実から逃避していなかったはずなのに……?」
明日香が問い返す。俺はふとイズミに視線を移す。イズミは地面に伏したまま、不安そうに俺のことを見つめていた。
だが、それでも俺は躊躇うことなくこう言った。
「俺がアルカディア行ったのは、アルカディアを救うためじゃない。お前のためだったんだ。アルカディアに消えたお前を捜すために、俺は勇者になったんだ」
あの日、俺はディスプレイの前で誓った。勇者になって、必ずお前を取り返してみせると。それこそが、俺のスタート地点だったんだ。
「わ、私を、捜すため……? そんな、どうして……?」
明日香は驚愕の表情を浮かべる。俺は彼女の目をしっかり見て、
「……そんなの、お前が大事だからに決まってんだろ! お前はさっき、俺がお前のことを嫌っているって言ったが、その逆だ! 俺はお前のことが大好きだったんだ! だから、いなくなってしまった後も、俺はお前のことが諦めきれなかった。そんな時、たまたま“フジノ”が勇者を募集していることを知った。俺はアルカディアの人間を利用し、お前を捜すために勇者になったんだ!」
そう、告白した。
明日香は驚きのあまり言葉が出ない。そしてイズミも、俺の裏切りにも似た告白を前に、何も言うことができないでいる。
しばしの沈黙の後、ようやくイズミが言った。
「ユーリ様、今の言葉は、本当なのですか……?」
絞り出す様なイズミの声。イズミは今の俺の告白で、俺のことを軽蔑したかもしれない。だが、もう何年にも渡る因縁を片付けるためにはどうしても避けられないことだ。
俺はもう、嘘はつかない。そう決めたんだ!
「本当だ、イズミ。俺の元々の目的は、アルカディアを救うことじゃない。極めて個人的で、自分勝手な理由からだったんだ。そして、明日香を無事見つけることができれば、さっさとあの世界を去るつもりだった……」
「そう、だったんですね……」
失望したようなイズミの声が俺の鼓膜を震わせる。それでも、すぐにでもイズミに駆け寄りたい気持ちをグッと抑え、俺はもう一度明日香に向き直る。
「明日香、確かにお前がしたことは卑怯なことだったと思う。だが、お前が俺を好きでいてくれて、あんなことをしたって言うなら、俺はこれ以上お前を責めることはできない……。セツナがお前を好きになったのは事実だし、俺自身が、お前のことを好きだったことも、また事実だからな……」
「悠吏……」
俺は明日香に手を差し伸べた。明日香は躊躇いがちに手を伸ばすと、ようやく意を決して俺の手を掴んだ。
忘れられない、温かな体温を俺はその時感じた。
そしてその時、俺は完全に踏ん切りがついた。
その体温を過去のものにできる、そう確信した。
俺は明日香の潤んだ瞳を見つめながら、こう告げた。
「ユーリとしてじゃなくて、セツナとしてだったけど、ほんの少しの間でも、お前と心が通じ合えて嬉しかった。これでようやく、俺は自分の心に蹴りを付けることができる……。お前に依存してきた俺から、新しい俺に変われる、そんな気がするんだ……」
「悠吏……」
明日香の目からまた涙が零れる。俺はその涙に背を向ける。俺の明日香への想いはこれで終わりだ……。じゃあな、俺の初恋……。
今度は俺はイズミの元に向かい、倒れた車椅子を元に戻す。そして、放心状態のイズミの身体を抱きかかえ、車椅子へと乗せた。
「ユーリ様、あなたは、アルカディアを救っては、くださらないのですね……?」
恨み事一つ言わず、彼女はただただアルカディアを案じている。偽りの勇者に、色々と言いたいこともあるだろうに、自分を騙し続けた俺を殴る権利だってあるだろうに、彼女は何一つ、俺に感情をぶつけることをしなかった。
やはり彼女こそ、俺が好きになった少女なんだと思った。
何があっても他人を恨んだりしない、純白な少女。
そうやって他人に恨み事を言わず抱え込んでしまう彼女を、俺は守りたいと思ったんだ。
今こうして、俺の当初の思いをブチまけてしまった今でも、その気持ちは変わらない。
俺が彼女を守る。そして、彼女が愛する世界を守る。それが、俺の勇者としての責務だ。例え彼女に嫌われたとしても、俺はそれを必ず果たしてみせる。
「イズミ、俺が誰だか、忘れたとは言わせないぞ」
きっかけこそ違った。正直、「勇者? スマンが他を当たってくれ」とでも言ってしまいそうなほど勇者なんてごめんだという気分だった。だが、今は違う。今の俺は、もうアルカディアを利用対象とは思っていない。
セオグラードの人々と出会い、市長と出会い、騎士団の仲間と出会い、ヒルデブラントの連中と出会い、ミナトと出会い、アイカと出会い……コウダイと出会い、そして、イズミと出会った。
俺はもう、この世界とは無関係ではない。この世界で出会った全ての人を幸せにする義務がある。
助けてやれなかったやつらの分まで、俺は戦わなければならない。
これはそのための力だ。世界を救う、勇者の力なんだ!
「ユーリ様?」
「俺は勇者だ。俺は必ずアルカディアを救ってみせる。不純な動機で始めたことだが、今の想いは本当だ。俺はお前の愛する世界を守る。お前が好きだから、お前の笑顔を見ていたいから、絶対にやり遂げてやる!」
「……信じて、いいのですか? わたしはあなたを、ずっと好きでいていいのですか……?」
「そんなの、むしろこっちからお願いしたいくらいだ。俺はお前を好きでいたいんだ。この気持ちを、お前は許してくれるだろうか?」
万感の思いを込めて頭を下げる。そんな俺を見て、彼女は答えた。
「……そんなの、当たり前じゃないですか! わたしはあなたの妻です! 妻が夫を信じるのは当然です! わたしは、どんな時でもあなたを信じます! だからあなたも、わたしを信じてください!」
彼女はそう、はっきりと俺に言ってくれた。
「ああ。絶対に信じるぜ!」
そう言い、俺はイズミを背負う。
「ゆ、ユーリ様!?」
「行くぞイズミ。これ以上休んでいる暇はない。世界を救いに行くぞ!」
「は、はいッッ!」
俺の言葉に、イズミは力強く頷いた。
その時だった。
「待って」
不意に、明日香が俺たちを止めた。
明日香は強い意志を込めた表情で言った。
「私も、連れて行って! 私だって、アルカディアを愛してる。フジノにその気持ちは負けないわ! だから私も連れて行って! 2人目の勇者として、必ずアルカディアを守ってみせるわ!」
明日香も負けじと、そう宣言した。
明日香と一緒に戦った俺なら分かる。アルカディアを救いたい彼女の気持ちは本物だ。
そして、彼女の並みはずれた戦闘力も俺は知っている。
想いの強さがアルカディアでは魔術の強さとなる。
彼女の強さは、彼女の想いの強さを十二分に体現していた。
だからこそ、彼女を連れて行かない理由はなかった。
「わかった。一緒にアルカディアを救おう。力を貸してくれ、アスカ!」
懐かしい響きで、俺は彼女の名前を呼んだ。
「セツナ……いや、ユーリ! 行きましょう!」
想いを断ち切るように、アスカはそう言ったのだった。
「お二人とも、それでは行きますよ! 衝撃に備えてください!」
イズミがPCの画面上にゲートを開く。
「分かった!」「オーケーよ!」
俺たちは力強く応えた。
こうして俺たちは、アルカディアへと戻る決意を固めた。
今度こそ、世界を救う。
俺たちは、再び次元の壁を越えたのだった。




