スコピエルの魔物 その三
3
それは恐らく、二時間ほど前のこと。
「コウダイ!!」
スコピエルの守りを仲間に託し、俺たちは外に残した仲間たちの救出にやって来ていた。そこで俺たちは彼を見つけた。右手にジークフリートを持ち、むこうを向いたまま仁王立ちしている彼を。
彼が生きていたことを、俺は心の底から喜んだ。他の団員の生存が不明である今の段階で嬉しいと思うことは不謹慎かもしれなかったが、その時はひとまず大きな戦力である彼の生存は俺たちにとって吉報であったことは間違いなかった。
俺の呼びかけに対し、彼は反応を見せなかった。まさか立ったまま失神している訳ではあるまいな、と呑気な想像が頭をよぎった。だがしかし、俺の隣を走るミナトはそんな俺とは対照的に、緊張感のある表情を崩していなかった。
もしかしたら、その時彼女はすでに気付いていたのかもしれない。彼の身に起きた何かしらの変化を。
俺とミナトはコウダイから5メートルぐらい離れた所で立ち止まり、もう一度彼に声をかけた。
「コウダイ、大丈夫か?」
「ああ、ユーリか……」
予想外に、彼はしっかりとした反応を見せた。だが、その声にはあまりハリがない。疲労のせい、はたまたどこか負傷したせいかとも思った。
「お、おい、お前本当に大丈夫か? もしかして、魔物と交戦して負傷したんじゃないのか?」
その問いかけには彼は答えなかった。だが、その代わりにこんな言葉を俺たちに寄こした。
「ユーリ、ミナト、君たちはこの世界が愛おしいと思うか?」
その言葉の意味を、俺はすぐには理解出来なかった。どうして今、そんなことを聞く必要がある? あまりに場違いな問いかけに、俺は何と答えていいのか思い悩む。
「愛おしいです、とても」
何も答えない、いや答えられない俺の代わりにミナトが言う。その言葉には一切の淀みがなかった。きっとそれが彼女の心からの答だからだろう。
「そうか。ではユーリ、君はどうなんだ?」
「俺は……」
言い淀む俺の頭に、一瞬だけ、本当に一瞬だけ、誰かの姿がよぎった。
我ながらこんな時に何を想像しているんだと思った。俺はこんなことを考えるためにここに来たんじゃない。俺は明日香を、大切な幼馴染を捜しに来ただけだ。なのに、なんだって、『あの子』のことを考えてしまったのだろうか。
「答えるまでもないな。君はこの世界を愛している。自覚的でないにしろ、君はこの世界に想いがある。そして、君を大切に想っている人もこの世界にはいる」
「そ、それを言うなら、俺よりもお前の方がそうだろ? お前にはアイカもいるし、信頼も、地位も、名誉もお前は持っている。俺よりも、お前の方がずっとこの世界を愛おしく思っているだろ?」
もちろんだ。当たり前だ。言われるまでもない。そんな絶対的な肯定を俺は予想していた。彼は前に語った。「私はこの世界に貢献したい。私を愛してくれたこの世界の人々の役に立ちたいんだ」と。ならば、彼からは同じ答しか返って来ない。そんな当たり前のことを想像するのが普通だろう?
「思っていた。だが気が変わった。今はこの世界の全てが憎らしく思える。殺したいほどに。滅ぼしてやりたいほどに」
だから、俺は彼のその言葉が全く理解出来なかった。何を言ってやがるんだ? 憎らしい? 何が? 殺したい? 誰を? 滅ぼしてやりたい? どういう意味だ?
「こ、コウダ……」
一瞬のことで何が何だか分からなかった。俺が彼に声をかけようとしたその瞬間、ミナトの身体があの戦いと同じ様に跳ね飛んだのだ。彼女は何の抵抗もできないまま、地面に激突し意識を失っていた。
「な、何を……!?」
「君たちとやり合っているのは時間の無駄だ。君たちと殺し合って魔力を消費してしまっては私の目的を果たせられない」
「殺し合うって、お前、何言ってんだ……? どうして、俺たちがお前と殺し合わないといけないんだ? 変な冗談はよしてくれ。頭でも打ったのか? じゃなかったら、お前がそんなこと言うはずない……」
「冗談ではない。私は本気だよ。私の目的はね、君たちが愛おしく想うこの世界を滅亡させることなのさ。でも一度に全員を殺すことはできないから、まずは手始めにスコピエルの住人を皆殺しにすることに決めたんだ。でもそのためには君が邪魔だ。君と私の実力は伯仲している。だからここで大人しくしていてほしい。私の為に、是非ともお願いしたい」
あまりに饒舌に、彼は彼の口から出るはずもないことを口走っていた。世界を滅亡させる。住人を皆殺しにする。今どきチャチなアニメの悪役だってそんなことは言わない。少なくとも、17年間人と関わって来て、そんな台詞を吐いたやつを俺は知らない。それをよりにもよってこの男から聞くことになるとは。
正義感の塊、いや正義感を具現化させたような存在の彼が人を殺す? 馬鹿な! あり得ない! 冗談にしても性質が悪すぎる!
彼の綺麗な金髪が風にそよぐ。彼の優雅さは変わっていない。いけ好かないほど整ったかんばせにも変化がない。
どうしてお前はお前のままなんだ? そんな台詞を吐く人間が、これまでと同じでいいはずがない。
俺は何も言わず、テオドゥルフを引き抜いた。
恐らく、魔物に身体を乗っ取られたか、彼の振りをした何かと俺が喋っているか。そのどっちかしかない。それ以外、その時の俺には考えられなかったのだ。
「目を覚ませ、コウダイ……」
「目なら充分覚めているよユーリ。清々しいほど、私の意識は覚醒している」
「黙れ。勝手にコウダイの口を使って喋ってんじゃない魔物が」
「おっと、今度は私を魔物扱いか。君らしくないな。現実を直視できないほど、君は弱くないだろう?」
「うるさい! お前は俺がここで止める。市街地には行かせ、」
激しい剣と剣が交わる金属音。そして一瞬の内に絡め取られる俺の剣。俺は無様に飛んでいくそれを、情けなく見守ることしかできない。
「君が動揺していてくれてよかった。では私は行くよ。皆が私を待っているからね……」
やつの笑顔を俺は忘れない。
俺は何も出来ないまま、やつの前に敗れた。




