空っぽの掌
「すいぶんと絞られたようだな、ユーリ」
コウダイはさっきの恨みからか、小一時間イズミに叱られヘトヘトになっている俺をニヤついた顔で眺めていた。
それにしても理不尽だ。今回の一件に関して俺に落ち度なんて微塵もないのに、なぜ俺が怒られなければならないんだ? 確かにあの状況では、俺がか弱い女の子の服を引っぺがして(自主規制)しているように見えないこともないが、実際はそうじゃないことくらいイズミだって分かっているはずだ。なのに、どうして俺がこんな目に……。
「まあそう機嫌を悪くしなさんな。イズミだって、大好きなユーリが危うくキズものにされるところだったんだ、興奮して冷静な判断力を失うのも無理はないさ」
キズものって、あんた……。
「別に冗談で言っている訳じゃないぞ。女の子にとって、初めてというのはそれぐらい意味があるものなんだ。自分の初めての相手も初めてであって欲しいと思うのは、少しも変なことじゃないと私は思うぞ」
「……そんなもんなのかねぇ。ってか俺の初めてのことを心配してくれてるみたいだが、そんなことわざわざ誰かに心配される必要はないぞ。俺はイズミともミナトとも付き合ってなんていないんだからな」
俺は若干ムキになって言った。
「何を言っているんだ。君は曲がりなりにもイズミとは婚姻関係を結んでいるんだぞ? 無関係である訳がないだろう。君は勢いであの場でああ言ったのかもしれないが、彼女にとっては大きな問題だ。ハーレムを築くのは君の勝手だが、もう少し、君を真剣に想ってくれている子たちの気持ちを考えてやってもいいんじゃないのか?」
「な、なんだよ? 今日はやけに説教くさいんだな……?」
俺はジト目でコウダイを見つめる。
コウダイはそんな俺に対し、少し慌てた様子で言った。
「これは失敬。イズミはアイカの妹なんでね、つい熱くなってしまったようだ。気を悪くしたのなら謝ろう」
「い、いいって……。実際、そんなつもりはなくても、今の俺はフラフラしているように見えるんだろう? それがイズミを傷つけているってのなら、少しは反省するよ……」
コウダイに当たっても仕方ないことなので、俺は一応頭を下げておくことにした。
キャンプを抜けだし、まだまだ明けない夜の草原を2人で歩く。
コウダイと俺の手にはランタン。フラフラ揺れる頼りない炎だけが、俺たちの道筋を明るく照らしていた。
そう言えば、コウダイと2人で行動するというのはあまり覚えがない。
イズミは、コウダイはいずれ軍の中枢にいく人間だと言っていた。これまでの戦いぶりを見て、それは確かに間違いないと俺自身も思っている。
だが、俺にはどうしても拭いきれない違和感があった。
いや、実際はそう大したことじゃない。本当に少し、ほんのちょっぴり気になる程度のことだ。
彼は仲間といる時は、いつも分け隔てなくざっくばらんに隊員と接している。どんなに末端の者に対しても偉ぶることはなく、仲間がピンチの時はその身の危険を顧みず助けに行く。
違和感の正体は簡単なことだ。
彼は、自分の命を軽んじているように思えてならない、ということだ。
この前の戦いだってそうだ。コウダイはミナトが危機に陥った時、一目散にミナトを助けに向かった。あれだけ敵に囲まれても、少しも動じることなく彼女を目指した。
上司が部下の心配をするのは当然のことだ。だが、彼の場合は度が過ぎている。もっと自分の心配もするべきなんだ。自分の身の安全を確保することは恥ずかしいことではない。ましてや彼は師団長だ。一個師団を率いる彼が団員一人一人を命を懸けて守ろうとするなんて、常識的に考えてやはり少しおかしいのではなかろうか?
「何か私に聞きたいことでも?」
ジロジロ見ていたせいだろう。彼は俺にそう問いかけた。
「あんた、自分の心配とかしたことある?」
「なんだ藪から棒に?」
「いいから、答えろよ」
俺の声のトーンが少しマジだったせいか、コウダイは笑顔を消し、真面目くさった表情で答えた。
「自分の心配か……。そう言えば、あまり気になったことはないかもしれんな」
「……なんで?」
「なんでと言われてもなぁ……」
コウダイはあからさまに混乱する。だが俺は引かない。くだらない話に聞こえるかもしれないが、俺にとっては大切なことだ。
「自殺願望が、ある訳じゃないよな……?」
普段の彼を見ていてそう思い当たる節は特にないが、俺は聞かずにはいられなかった。しかし、それに対してコウダイは、
「ははは! 何を言い出すんだユーリ! 私にそんなものあるわけがないだろ! 冗談キツイぞ、ユーリ!」
俺の問いを一笑に付した。
「お、俺は真面目に聞いてんだよ! あーもー、心配して損した! はいそうですか! 毎日団員に隠れてアイカといちゃついてるお前が自殺なんてするわけないな! 昨日の夜も地鳴りがするほどお熱かったようですね!」
「そ、そんなことあるわけないだろ! 私とアイカは、こう、もっと慎ましやかにだなぁ……。って違うだろ! 悪かったよユーリ、折角心配してくれたのに、ふざけた答えをしてしまって……」
コウダイは心の底から申し訳なさそうに言う。ホントに、謝罪がうまいやつだよ。そんな顔されたら怒ってるこっちがバカらしくなるじゃないか……。
「それで? どうして急に私の心配なんて?」
「別に、なんとなくだよ。なんとなく、お前の生き方が、危なっかしく見えただけだ」
「ふふ、いくら勇者といえども、私よりも年下の君にそんなことを言われるとはな」
「なんだよ! またバカにしてんのか!?」
「すまんすまん、別にバカにした訳じゃない。だから、まぁそう怒りなさるな」
「ガルルルルルルル……」
「ユーリ、キャラが違うぞ……」
コウダイがコホンと咳払いする。
そして少し表情を引き締めて言った。
「確かに私も、時折自分が無鉄砲だなと思う時はある。だがそれを悪いことだとは思っていない。私は、この世界と、この国の人達が大好きだから、自分が傷付いてでも彼らを助けようと思えるんだ」
「どうして、そこまで尽くせるんだ?」
少なくとも俺にはできない。俺には、この身を賭してまで救いたい世界などないからな。
「この世界は、私にとっての全てであり、この世界の人々は1人残らず私の恩人だからだ。記憶喪失の私を、ここまで育ててくれたのだからな」
「記憶喪失?」
失礼な言い方かもしれないが、電脳世界で生きるデータたる彼が記憶喪失とは、なにやらおかしな話だ。それはデータが壊れているとか、そういうことじゃないのだろうか?
「そう、記憶喪失だ。私には、5年より前の記憶がないんだ」
5年で思いつくことは、この世界、アルカディアが「フジノ」によって発見されたのも確か、5年前だということくらいだ。
その頃俺はまだ小学生のガキだった。まあ、その辺のガキよりはかなり厳しい環境に晒されてはいたのだが……。
「私は何も持っていなかったんだ。他の人が持っていて然るべき物を、何一つ持っていなかった……。私の掌は、見事なまでに空っぽだったんだ……」
コウダイは右手で空を掴む。ランタンの光に照らし出された彼の顔は、とても寂しげだった。
「医者にはかかったのか?」
「ああ、もちろん。だが駄目だった。どんな療法でも、私の記憶は戻って来なかった。私は名前も、生まれ故郷も、自分自身が何者なのかも、何一つ思い出せなかった」
「それは、大変だな……。そんな状態で、よくここまで上り詰めたもんだ」
俺は素直に感心して言った。
「私だけでは、恐らく無理だっただろう。だが、私は運が良かった。彼が、私を助けてくれたんだ。そして彼女が、私をここまで支えてくれたんだ……」
彼は訥々と、自身の過去を語りだした。