勇者の葛藤
「ホント、暑いわ……」
俺の後ろでは何度目か分からない不満が聞こえてくる。はっきり言って鬱陶しいことこの上ない。みんな装備はそれなりにしているんだ。その上この太陽なら暑いに決まっている。
「さっきから煩いぞアイカ。暑いって言ったらこの暑さが緩和されるとでも思ってんのか?」
俺は後ろも振り向かずに言った。
「う、煩いわね! そんなこと言ったって暑いものは暑いんだからしょうがないでしょう! もう、ホント一々腹が立つわね!」
「ま、まあアイカ、機嫌直して……。集団行動ではある程度我慢することも必要だよ。暑いのは分かるが、不満を言い続けることは士気の低下に繋がりかねない。ただでさえこんな状態なんだから、ユーリはこれ以上みんなのやる気を下げないために努力をしているんだよ」
コウダイは額に汗を滴らせながらアイカを諭している。多分あの汗に関しては暑さのためじゃなくて、冷や汗だろう。いくら許婚の頼みだとしても、わざわざ面倒事を背負い込む必要もないだろうに。
「わ、分かったわよ。コウダイがそう言うなら、あんまり不満は言わない様にするわ……」
アイカは渋々という様子で頷いている。
俺がチラッと様子を窺うと、「べー」と子供みたいに俺に舌を出して来やがった。
あの女マジでぶっ飛ばしてぇ……。
旅が始まって今日で五日目。
セオグラードを出発して、今のところ大きな戦いは回避できている。
ちょこちょこ魔物に出くわすこともあるが、大概は小柄で単体のため、俺やコウダイが戦えば簡単に倒すことが出来た。わざわざ部隊の人間の体力を消耗させる必要もない。
ただ、夏のこの暑さには参った。俺たちが行くのは広大な草原地帯だ。辺りに屋根などないし、背の高い木もロクにない。俺たちを真夏の直射日光が容赦なく照りつけた。
――バタリ
ついに部隊員が倒れた。明らかに熱中症だった。俺たちはやむを得ず、魔物がいなさそうなポイントを見つけ、そこで休息をとることにしたのだった。
「ユーリ、どうやらこの後天気は下り坂の様だ。夕方頃には雨が降るかもしれない」
「そうか。涼しくなるのはいいが、雨があんまり強いようだと困るな……」
「そうだな。まあ恐らくあと数時間したら雲が出てくるだろうから、それぐらいにはここを発てるようにしておこう」
「ああ、そうだな」
そして、時刻は四時を回った。
あれだけ綺麗だった青空に、徐々にグレーの雲が現れ始める。
どうやら予報通り天気は下り坂の様だ。まああまり雨が降るのもやめて欲しいところだが。
「ユーリ様」
声の方に振り返ると、そこにはツーサイドの髪型に、白のローブ姿のイズミの姿があった。イズミは俺に、何やら赤い木の実のようなものを差し出している。
「あちらに生っていたベロッサの実です。食べてみたらとても美味しかったので、ユーリ様もお一つどうぞ」
ベロッサというのは聞いたことがなかった。恐らく、この世界だけで採れる果物なんだろう。見た感じ、いちじくに似ている。瑞々しくて美味しそうだ。
「ああ、ありがとうイズミ」
俺はベロッサを受け取り、そのままかじってみる。見た目通り、甘くて瑞々しい。俺の様子を見て、イズミはニコッと笑った。ただ、その表情には少し疲労の色が見えていた。
「倒れた隊員の様子はどうだ?」
「すっかり元気になりましたよ。夕方の出発も問題ないと思います」
イズミは胸を張って言った。
「いや、このままだとまだ出発は出来ないな」
俺は残っていたベロッサを一気に口の中に放り込んだ。
「どうしてですか? わたしの治癒術で、皆さんの体調は万全なんですよ? なのに、どうして出発できないなんて……」
「皆さん、じゃないだろ。お前の体調はどうなんだよ?」
「…………あ……」
イズミはしまったとばかりに苦々しい表情になる。一生懸命なのはいいが、向う見ずなのは困る。自分の体調管理はしっかりやってもらわないといけない。一人前の魔導師になるにはそれくらいできて当然だからな。
俺はイズミの頭に手を置いて言った。
「出発までまだ時間はある。今は少しでも休んでおけ。スコピエルまではまだ五日以上はかかるし、魔物に遭遇する可能性もある。だから、休めるうちに休んでおけよ」
俺はイズミの頭をぐしゃぐしゃっと撫でた。でもイズミは嫌がる素振りも見せずに、
「ありがとうございます。でも大丈夫です。ユーリ様のお傍にいられるだけで、わたしの疲れなんて吹き飛んでしまいますから」
と、真顔でそんなことを言いやがった。
「そ、そうか。ならいいんだがな……」
俺はサッと踵を返すと、人がいなさそうな方へと向かった。
どうにもイズミには弱い。俺よりもずっと年下なのに、全部見透かされているような気がしてならない。
時折ぶっ飛んだ発言をすることもあるが、基本はとても優しい子だ。俺は今までここまでストレートな好意など体感したことがない。だから、彼女と一緒にいることは俺にとって非常に新鮮なことであった。
だが同時に、彼女の好意は俺にとって重荷でもあった。俺の目的は、あくまで明日香を連れ戻すことであってこの世界の住人を守ることじゃない。騎士団は俺にとってただの道具であって、辛苦を共にする仲間ではないのだ。
だから彼女も、俺にとってただの利用対象に過ぎない。そうであるはずの彼女からのまっすぐすぎる好意。それが俺にとって負担にならない訳がなかった。
良心の呵責などというくだらない感情は捨てなければ。そうしなければ、俺は明日香を捜すことなど到底できないだろうから……。
「勇者様、大丈夫ですか?」
「!? な、なんだ、ミナトか……」
いつの間にか俺の眼前には、ヒルデブラントの変わり種、ミナトの姿があった。
「大丈夫だ。ちょっと考え事をしていただけだ。って、どうかしたか? なんか言いたいことでもあるのか?」
ミナトは何か言いたそうにもじもじしていたが、俺が尋ねると、ようやく意を決したように口を開いた。
「あの、こんなこと、聞いていいのか、分からないのですが……」
「なんだ? 聞きたいことがあるなら言ってみろ」
「勇者様は、どうしてこのわたしを、ヒルデブラントに選んでくださったのですか……?」
「え? なぜって……」
彼女が群を抜いた変わり種であること。それが、俺が彼女を選んだ理由の1つだ。天才と狂人は紙一重だ。俺は彼女が天才であることに賭けた。もし彼女がそうならば、ヒルデブラントは大きな戦力を得ることになる。そうすれば、俺が目的を達成するのはより早くなるはずだ。
だが、正直な話をさせてもらうと、理由はそれだけではなかった。
「気分を悪くしないなら、言ってもいいが……」
「悪くしません。絶対に」
「そうか……。実は、」
唐突に、空気が変わったのが分かった。ミナトが真剣な眼差しで言った。
「勇者様、こちらから聞いておいて申し訳ないのですが、どうやらそれどころではなくなってしまったようです」
「ど、どうしてだ……?」
俺は思わず恐る恐る尋ねる。
「とても良くない空気が、辺りに漂い始めています……。死の汚れを撒く、不吉な、臭いが……」
「なんだと……?」
俺は魔力を込めて辺りの気配を探ってみる。だが、彼女の言うような不吉な気配は感じることが出来ない。
不意に、ミナトが魔力を発動させる。
その手には、魔力で形作られた大型で鋼鉄製のハンマー・シャリオヴァルトが握られていた。華奢で、優雅で、儚い彼女には似合いそうもない禍々しい武器。そのギャップが俺の心を揺さぶる。だがそんなことは億尾にも出さずに尋ねた。
「俺は何も感じないんだが、本当にそんな気配がしているのか?」
「真っすぐ、南西方面から何かが接近しています。先手を打たなければ、重大な被害が出る可能性があります」
「なに……?」
俺はもう一度魔力を込める。微細だが、今度は確かに危険な臭いを感じることができた。
だが、その距離は遥か遠い。これほどの遠距離の気配を簡単に感じることができるなんて、やはりこの子の魔力素養はかなりのものなのだろう。
「感心している場合じゃないな……。緊急事態だ! ミナト、早く来い! 戦闘態勢に入るぞ!」
俺はミナトの手を引き、一行が休息を取っている場所まで走る。
「ユーリ、どうしたんだそんなに慌てて? ……まさか、敵の襲来か!?」
「話が早くて助かるぜコウダイ。南西方面から魔物の軍勢が接近中! 総員戦闘配置だ!」
「りょ、了解!」
コウダイは手際よく隊員に事態の通知を行っていく。緊急事態でも慌てないのは、さすが歴戦の勇士といったところであろうか。
「さあ、みんな頼むぜ。俺を導いてくれよ……」
大軍勢は、すぐ間近に迫っていた。