第2話
奥の部屋へ行くと、椅子に座ってジリアンが頭を垂れていた。ジリアンの正面には、結婚式で着る予定のドレスがハンガーにかけてある。そして、被る予定のヴェールはジリアンが握りしめていて、・・・びりびりに破かれていた。
「な、お姉ちゃん!どうしたの、それ!」
ミルカが大声を上げると、ジリアンはぴくりと肩をふるわせて振り向いた。泣きはらし、目や鼻を真っ赤に腫れ上がらせて。
「隣村のエルサだよ。あの子がうちに忍び込んでびりびりに破いちまったのさ」
「な、なんで?!」
「エルサはカルが好きだったらしいんだよ」
はあ、と母親はため息をついた。
「だから、ジリアンとカルが結婚するのが許せなかったんだろうね。ドレスとヴェールを切り裂いてやるつもりだったらしいよ。たまたま、ドレスの上にヴェールがかかってたからヴェールから破きはじめたらしくて、ドレスにかかるまえにあたしが帰ってきたから・・・辛うじてドレスは無事だったんだけど」
「そんな・・・」
エルサは騒ぎで駆けつけた近所の人たちに、村長のところへ連れて行かれたらしい。すぐに隣村からエルサの両親が駆けつけてきて謝罪してはくれたのだが。
「明日の朝までにヴェールを用意するのは、無理だねえ」
「そんな・・・お姉ちゃん、あのヴェールつけるの、すごく楽しみにしてたじゃない」
「大丈夫よ・・・ミルカ」
泣き続けていたジリアンが小さな枯れた声で言った。
「ヴェールがなければ結婚できないわけじゃないもの。大丈夫、よ」
無理しているのが見え見えで、ミルカは喉の奥に重たい鉛を押し込まれたようになにも言えなくなってしまった。
それでもなんとかジリアンの横にしゃがんで、手に持っていた箱をジリアンの手に握らせた。
「・・・これは?ミルカ」
「お姉ちゃんに・・・結婚の、贈り物、したくて」
ミルカの言葉にジリアンは目を見開いて妹を見た。心配そうな瞳で自分を見上げながらも、必死に笑おうとしている。
「ミルカ・・・ありがとう」
ジリアンはなんとか口の端をあげて笑顔を作りながら、ミルカから渡された紙の箱を開けた。
「これ・・・これは」
「春の市でお姉ちゃんが欲しがってたスカーフは高くてお金が足りなかったの。お店の人が、私のお金で買えるスカーフを作ってくれたんだよ」
ジリアンはミルカが一生懸命おこづかいを貯めているのを知っていた。なんの心境の変化かとしらんふりをしてみていたのだが、それが自分のためだったと気がついて、またしても涙腺が緩んでしまった。
「ありがと・・・ミルカ、ありがと。」
びりびりのヴェールを手放して、妹をぎゅっと抱きしめて、ジリアンはお礼をいいつづけた。それからミルカを離すと、プレゼントのスカーフをそっと頭にかけた。ヴェールと違って肩ぐらいまでの長さしかないが、純白のレースや縁飾りが綺麗なラインを描いている。
「このスカーフ、ヴェールのかわりにして出ようかな、結婚式」
「え!みっともないよ!」
この国では、結婚式の時は長いヴェールをつけるのが一般的。どうみてもスカーフはヴェールのかわりにはならない。
「ミルカの気持ちがこもったスカーフだよ?ぜんぜんみっともなくないよ」
そういってジリアンはもう一度ミルカを抱きしめた。
*****
その夜。
ミルカはそっと家を出て、月明かりの中を一本杉のところまで来た。
一本杉の根元にある大岩が、ミルカのお気に入りの場所。その上にそっと膝を立てて座った。
見上げると一本杉の葉の間から、青白い月がきんと冴えて輝いている。月の光はミルカの目を通して胸の中まで届きそうだ。
・・・自分の、いやな気持ちを綺麗に浄化してくれないだろうか。
ジリアンの心遣いはうれしかった。ミルカのスカーフをヴェールに、といってくれた。
でも、ヴェールが破かれた事件のショックと、姉のひどく泣いている顔、そしてそんなどん底の気持ちの中で自分のことを気遣ってくれた優しい姉のことを思い出すと、自然と目頭が熱くなってしまう。
ジリアンはエルサを赦すと言った。カルを好きな気持ちは一緒だから、やられたことはショックだけど、嫌な気持ちのまま結婚式を迎えるのはいやだから、と。
なのにミルカはエルサを赦せない。なにしろ、大切な姉をあんなに泣かせたのだから。けれど、姉が赦すといったものを、部外者の自分が文句を言うのは筋違いというものだ。そうわかっていても、ミルカは悔しかった。悲しかった。
そして、そんなふうに考える自分も嫌だった。
「お姉ちゃんが…かわいそう」
そう思って月を見上げていると、だんだんいたたまれなくなってきて、立てた膝に顔を埋めた。ふう、っと大きな音を立ててゆっくりと息を吐く。それでも、目頭が熱くなっていくのを押さえられない。
「・・・うっ、ううっ」
押さえきれずに漏れ出した嗚咽。それをきっかけにしたように、涙がとめどなくあふれていく。
それでもなんとか大声で泣きわめくことはせず、肩をふるわせて静かに一人で顔を伏せていた。
・・・と。
「ミルカ?」
急に名を呼ばれて、ミルカは驚いて泣きはらした顔をあげた。
月の光の中に立っていたのは、夜空の闇のようなつややかな漆黒の髪をもつ、ケイト。
「ケ・・・ケイト・・・さ・・・」
ひっく、としゃくりあげる。
「どうしたの?泣いてたの?」
岩の背が高いので、ケイトはミルカを見上げる格好になる。ミルカが答えられないでいると、ケイトが岩を登ってきてミルカの隣に座った。斜めがけにしていた革製のポシェットから縁飾りのついたハンカチを取り出して、そっとミルカの涙を拭う。
何とか泣き止んで、ミルカはことの顛末をケイトに話して聞かせた。泣きじゃくって内面が混乱していた上に、子どもながらの言葉足らずでうまく説明はできなかったが、ケイトは時折質問を挟みながら辛抱強く最後まで聞いてくれた。
「だから、お姉ちゃんがかわいそうなのと、エルサに怒ってるのと・・・」
「それで悲しくなったんだね」
柔らかいケイトの言葉は、ミルカの心にしみこんでいくように広がって、とげとげした気持ちが収まっていくような感じがする。そうすると、後に残るのは、純粋な悲しみ。
「お姉ちゃんは、ケイトさんが作ってくれたあのスカーフをヴェールにする、って言ってくれたの。うれしかったけど、花嫁さんは床まで届く長いヴェールを被るのが習わしでしょ?だから、お姉ちゃんの夢見てた花嫁姿が叶えられなくて・・・」
「うん。そうだね」
ケイトがそっと頭をなでてくれた。そうしたら、またちょっと涙がこぼれた。
ケイトはぎゅっとミルカを抱きしめ、小さくつぶやいた。
「ミルカ、お手伝いさせてもらっても、いい?」
「・・・え?」
ミルカは顔を上げた。ほんのりと青白く月光に照らし出されたケイトは、やさしく微笑んでミルカを見ている。とりたてて美人、というわけではないが、たまらなくきれいだ、とミルカは思った。
「約束してほしいの。これから私のすることは、絶対に人に話さないこと。いい?」
「いいけど・・・何をするの?」
「おねえちゃんのヴェールを作るのよ」
「え?!」
結婚式はもう明日、おまけに式の始まるのは午前中。もう何時間もない。
それに。
「作るって・・・そ、それに、私あのスカーフでお小遣い全部使っちゃったし、ケイトさんに払えないよ」
「お金より、すこし分けてほしいものがあるの。だから、大丈夫。・・・じゃあ、約束だよ?もしも人に話したら、私は行かなきゃいけなくなるから」
話してしまったら、なにがしかのペナルティーがあることを理解して、真剣な顔でミルカは頷いた。それにケイトも頷き返して、岩の上で起ちあがった。