第1話
この田舎の村にも、年に数回、大きな市が立つ。
いつもは村人が持ち寄って野菜やらを売る市が、このときは遠くから来た行商隊のおかげでまるでお祭りのように賑やかになってしまう。
ミルカは賑わう市場を一人であるいていた。
年は11、働き手としては重宝がられているが、母や姉には子供扱いされる、中途半端なお年頃だ。
けれど、女の子としては、きれいなものや身だしなみを気にする頃になっている。
家の手伝いをして貯めたわずかな銅貨が入った財布を握りしめ、目的の店を探してキョロキョロと見回していたが、やがてふとその足を止めた。
ミルカの視線の先にあるのは、小さなテント。
細やかなレース細工や、暖かそうなニットのセーターや帽子も飾ってある。季節は秋の入り口、まだ毛糸の帽子には早いが、次に行商隊が来るのは冬の半ばなので、冬が始まる前に用意したいひとのために品揃えしているのだろう。
けれど、ミルカがじっと見つめているのは、レース細工だ。
白いレースの縁飾りがついたスカーフを、穴の開くほど見つめていた。
「あのっ、」
ミルカは思いきったように店番に声をかけた。
店番をしているのは、16、7才くらいの女の子だ。まっすぐな黒髪をゆるいおさげに結って、肩から大きなバッグを下げたまま椅子がわりなのか、大きなトランクに腰掛けて編み物をしていた。
店番の女の子は声をかけられて、顔をあげてミルカを見ると、にっこりと穏やかな笑みを浮かべた。
ミルカはほっとして話しかけた。
「その、スカーフ、いくらですか?」
「はい、このレースのね。これは、銀貨一枚です」
「…」
いまのミルカの手持ちは、大体その半分をちょっと越えたくらいだ。
見るからにがっくりとうなだれてしまったミルカに、店番の女の子が笑いかけた。
「レースがお好きなら、こっちのハンカチはどう?これなら銅貨40枚ですよ」
「うーん…」
それなら手持ちでも足りる。
でも。
「どうしても、スカーフがいいの」
「ちょっとお嬢さんには地味な気がするけどねえ」
店番の女の子はそういって首を少しかしげた。
「違うの、プレゼントしたいの。…お姉ちゃん、お嫁にいくから」
ミルカの姉のジリアンは18歳。同じ村の幼なじみのカルのところに10日後に嫁いでいく。
このくらいの年齢で嫁ぐのは、この村ではごく普通のことだ。
ミルカは姉に結婚のお祝いをあげたくて、ずっとおこづかいを貯めていた。春のはじめに立った行商隊の市でみかけたレースのスカーフを姉がうっとりと眺めていたのを覚えていて、それをプレゼントしようと半年弱頑張ってきたのだ。
すっかり沈んでしまった表情のミルカをみて、店番の女の子は手に持っていた編み物を置き、トランクから立ち上がった。
「いくらまでなら出せる?」
「銅貨…58枚」
「がんばって貯めたんだね」
女の子は自分より背の低いミルカを覗き込むように少し前屈みになる。
「このスカーフは人から頼まれて店に置いているものだからまけてあげられないけど、これと同じようなのをその値段で私がつくってあげる。どう?」
「え?」
ミルカは彼女をまじまじと見つめた。優しそうな、温かい色を湛えた瞳。見た目よりも落ち着いて見えるたたずまい。
「あ、そうだよね、そういわれても私の腕がわからないよね。…ほらこれ、私の作品。」
そういって見せてくれたのは、レース編みの襟。普通の襟に重ねてあわせると、ブラウスがひときわ豪華になりそうだ。きっちりと編み目の揃ったその仕事は、繊細で丁寧だ。
ミルカは大きく頷いた。
「お願いできますか?」
「もちろん。お姉さんの結婚式は10日後っていったわよね?前の日には必ず仕上げるから、とりにきてくれる?お代は、その時でいいわ」
「本当!ありがとう、お姉さん」
「がんばって作るからね。えーと…お名前は?」
「わたし、ミルカ」
「よろしくミルカ、私はケイト」
ケイトはにっこり微笑んでミルカと握手した。
それから、ミルカは家の手伝いのないときはケイトの店へ顔を出すようになった。事情は母親だけには話してある。心配した母親が一度ケイトの店に顔を出し、すっかりケイトのことを気に入ってしまったので、文句を言われることもない。
店へ行っては、スカーフのレースが編まれていくのを食い入るように見つめる。ケイトの手は、細い金属製の鉤針を操ってくるくると動く。ミルカはそれをダンスをしているようだと思っている。鉤針と糸が踊るたびに、美しいレースが編み上がっていく。
3日目には、ミルカはケイトから使っていない鉤針を借りて、編み物を教えてもらうようになった。
鎖編み、こま編み、長編みはすぐに覚え、2日ほどで小さなモチーフを編めるようになっていた。
「ミルカは覚えるのか早いね」
ケイトに誉められて、ミルカは上機嫌だ。
「ケイトさんは小さな頃から編み物をやってたからそんなに上手なの?」
「そうね、好きだったわよ。よく、いまミルカがやってるみたいにモチーフを編んだりしてた」
その間にも、複雑なレースはどんどん形を成していき、ミルカはついつい見いってしまう。
やがて日が陰り始める頃合いに、ミルカは家に帰る。これは、母親との約束だ。
「じゃあね、ミルカ、また明日」
ケイトがそういって、少し首をかしげてにっこり笑う。
(明日も来ていいんだ)
ミルカはにこにこしながら家路についた。
9日目、ミルカは同じモチーフを色を変えて18枚編み上げた。
「上手になったねー」
ケイトがしげしげとモチーフを検分する。ミルカはなんとなくドキドキ緊張して小さく縮こまってしまう。
「折角編んだんだから、小さなマフラーとかに仕立ててあげるね」
「え!でも、この毛糸、ケイトさんの…」
「どれも中途半端に残ってたものばかりだから大丈夫」
とにかく、そういうことで、と強引にケイトに押しきられてしまった。
「それで、ね、お姉さんのスカーフ、できたわよ。」
「本当!」
きれいな紙の箱に入れられたスカーフを取り出して、ミルカはあまりの美しさにうっとりとしてしまった。
白い薄いリネンの生地。縁飾り、というよりは布地よりレースの部分が多いくらい。肝心のレースは、繊細で、花の意匠が凝らされていて、所々ビーズが編み込まれている。
「すごい!きれい…ありがとう、ケイトさん!」
ミルカは有頂天になって約束の代金を支払うと、大事にスカーフの箱を抱えて市場を後にした。
帰り道、ミルカは考え込んでいた。
ケイトになにかお礼をしたいと思っていたのだ。
ケイトは市がたっている間しか村にいない。あと、ほんの数日だ。
そうだ、お菓子でも焼いて持っていこうか。クッキーやケーキには結構自信がある。
頭のなかで、数種類のお菓子のレシピを考えつつ、家の扉をあけた。
「ただい…ま?」
いつも賑やかなはずの家の中。
明かりはついているけど、しいんと静まりかえっていて、ミルカはなんとなくぞくっとした。
「おかあさん?」
小さな声で呼んでみると、すぐに台所から足音がして母親が飛び出してきた。
「ミルカ!おかえり」
「ねえ、どうしたの?なにかあったの?」
「ああ、うん。・・・実はね」