白銀の車輪
キンコンと鳴るチャイムを俺は保健室のベッドの中で聞いていた。
「放課後か……」
教室であいつの下着姿を見てから脱走(といっても走れる状態ではなかったため歩きだったが)した後この保健室で精神の安定化を図っていた。
窓側の清潔なベッドに潜り込みカーテンを閉め、前もって枕の下に隠しておいた携帯ゲーム機――エックスドライブポータブル、通称XDP――を起動。
ソウルディスティニーを始めようと〇ボタンに指を添えるが、その指はそこから動かない。
精神の安定化を図るどころかこの状態でゲームをすれば最善の戦略を立てられなかったり、操作ミスをして敗北を喫することになりかねない。
そう判断した俺はXDPの電源を落とし枕の下にしまい込んだ。"ゲームをする"という選択を止めたため必然的にやることがなくなった。本来なら五時間目はここでゲームをしているはずが、あいつのせいで予定が狂った。
文句の一つでも言ってやりたくなってくるが、今の精神状態は未だに"普段の俺"からかけ離れている。それに今あいつに会えば先ほどの光景が脳内で鮮明に再生される可能性が高く、非常に危険な状態で対峙することになる。そんなことになれば恐らく、文句を言うはずだった口は機能を停止したかのように何の音も発さなくなるだろう。
だからこそ俺は先ほどからここにいるのだが、心拍数は未だに下がる気配を見せない。
目を閉じても全く眠れず、逆に白い肌と彼女の下着姿が脳内に焼き付いて離れず、実際に会わずともおぼろげながら頭の中に像が形成されていく。
目を開ければ現実に引き戻され自分の精神状態を実感すると同時にこれからのことを考えさせられ身体が重くなる。
そんなことを繰り返している間に時は過ぎ、現在に至る。
「放課後か……」
再び呟くも状況は変わらない。コスプレ同好会の部室に行くことになっているが、正直まだあいつと顔を合わせられるほど回復していない。
どうするか迷っていると突然携帯が震え出した。電話だったら無視しようと思っていたが、二回の振動で止まったためどうやらメールだったらしい。
「誰だ?」
このタイミングからして委員長氏かオーコ会長かと思ったが二人にはメルアドを教えていないし、そもそも俺のメルアドを知っている奴など片手で数えるくらいしかいない。
訝しげにディスプレイを覗きこむ。そこに書かれた名前は少々予想外のものだった。
「アリアンロッド?」
本名ではない、だろう。その名は俺が中学一年から二年の後半までプレイしていたネトゲでよく目にした名前だった。
MMORPGテオゴニアーオンライン(TO) で何度かパーティを組んだことがあった。
基本装備は俺はよく片手剣を使っていたがそいつは魔術書を装備していた。
テオゴニアーオンラインの攻撃手段には剣や斧、槍や弓などといったオーソドックスな武器による攻撃と魔術書や杖、水晶などによる魔法での攻撃が主な手段だ。
武器であればなんであれ、戦い敵を倒すことはできる。魔法も火、風、雷、水、土、氷などあらゆる属性それぞれに攻撃や補助、回復などの種類がある。
だがそいつアリアンロッドは攻撃手段が一切存在しない魔法――幻想魔法のみを使うプレイヤーだ。
パーティを組んだ場合必然的に俺が攻撃、アリアン(アリアンロッドのことを俺はアリアンと呼んでいる)が魔法での補助という形になる。相手の攻撃を阻害したり別の方向に意識を向けさせたりと便利な魔法を使ってはくれるが、本来二人で倒すべき敵を一人で蹴散らすのは中々に骨が折れる。
アリアンロッドに対しての第一印象は"変な奴"なのだが、そう思ったのは先述したことだけではない。第一印象というのは初めて会った、もしくは見た相手に対して抱く印象である。
つまり相手の見た目……まあ見た目とは言っても所詮はゲームの中での服装だ。かっこよさや可愛さなどのガチでオシャレな感じにキメてくるのが五割だとすれば、三割が防御力重視で残りの二割がウケ狙いのネタ装備。俺は三割の防御力重視だがアリアンを見たとき「こいつもウケ狙いか」と一度思ったのだ。
その姿というのが遊園地にいそうな二本足で立つクマの着ぐるみ。しかも茶色ではなくピンク。
だがそいつはネタで桃クマ装備をしているわけではなかった。顔が解らないため性別が不明なアバターネームにアリアンロッドと表記された"それ"は、装備の解説をしないどころか俺がその服装について問い質しても、何の変哲もない装備と同じような解答しか返ってこなかった。
それもおかしな話ではあるが更におかしいのが話し方だ。キャラ作りなのか一人称がオイラ、二人称がおまっさん、語尾にダス。こんな変人は今まででもアリアンロッドくらいだろう。
それともう一つこいつの解らないことがある。
俺は中学二年の後半からその世界にログインしていないのだが、たまにパーティを組んだり共に戦ったことのある連中とはそこだけの関係としているためパソコンで直接連絡を取り合ったりはしていない。
だからログインしなくなった後は一切誰とも連絡する気はなかった。
だがそこで予想外の出来事が起こる。
テオゴニアーオンラインから離れて一週間。日課になっていたネットサーフィンをしているといきなりポヨンという音がした。何だ?と思ってディスプレイの下にあるアイコン群を見てみると、このパソコンを買ったときに自動でインストールされたスカイプのアイコンの色が変わっている。背中にうすら寒いものを感じつつ訝しげにそれをダブルクリック。
誰かからメッセージが来ている。誰だ?ゆっくりと送信者の名前を見る。そこに書いてあったのは…………………………………………………『アリアンロッド』。




