良家の狂気な使用人
眼前に佇み俺の口腔にナイフを突き入れているメイド。
彼女から浴びせられる鋭い視線には、敵意が込められているような冷たさを感じる。
俺は焦燥感に駆られるも、記憶を探りながら一歩後退った。
最近メイドに関わったのは委員長氏絡みだ。そこから辿れば自ずと答えは導き出される。
委員長氏のバイト先であるメイドカフェ、そこにこんな危険な人は居なかった。
俺が決死の思いで委員長氏の秘密を守り、『ゆないとどりんく』を飲み干して倒れたあの日。
店を出た後、俺と諏訪部とACは誰に会った?
誰かに呼ばれACがピクリと反応し、諏訪部が呼吸するように綺麗だと言っていた。
その時の光景が脳内で鮮明に蘇る。
「姶良・C・クレメンティーナの使用人」
再びナイフを突き入れようと前方に踏み込んだ使用人は、俺の言葉を耳で捕らえた瞬間に動きを止めた。
俺は対面する彼女の瞳を覗き込むようにして、更に続ける。
名前は確か……。
「ソノラって言ったかな」
使用人は眉をピクリと僅かに動かすと、冷たい視線を崩さず銀色に輝くナイフを懐にしまい込んだ。
彼女は両の瞳をふっと閉じ顔を俺から少し逸らし、数分間黙していた口を再び開いた。
「どこぞの馬の骨がお嬢様に近寄ったのかと思いましたが、この短時間でワタシのことを思い出すとは存外只者ではないようですね」
今の発言から俺に対してあまり良い印象を持っていないらしい。
「随分なご挨拶だな」
使用人は再び目を開けると、その澄んだ藍色の瞳で俺を見据える。
「一応名乗っておきましょうか。ワタシの名はソノラ・フローレス。クレメンティーナお嬢様に仕えお守りする、ただ一人の使用人です。以後お見知りおきを」
その言葉と同時に目礼するソノラ。
辺りに漂うのは微妙な空気とシナモンのような甘い香り。
“ただ一人の使用人”という単語が気になったが、今は鼻腔をくすぐる甘い香りを放っておくわけにはいかなかった。
「なんだ?」
その問いに答えたのは部室の奥、冷蔵庫の方から現れたACこと、姶良・C・クレメンティーナだった。
「ソノラ、ストルゥーデルが焼き上がりましたわよ。グアンもどうぞお召し上がりくださいまし」
頭の中で“この部室にオーブンなんてあっただろうか”なんて思いながら部室の向かって右側のソファーにどかりと座り腕を組んだ。
正面に行儀良くACが、その隣にメイドが腰を下ろす。
「お嬢様の手を煩わせてしまい申し訳ありません。本来ならワタシが作らなければいけませんのに」
「いいのですよソノラ。これは私が好きでやっていることですわ」
恐縮です、と頭を垂れる使用人。だが再び頭を上げた彼女は、鬼ようなの形相でこちらを睨んでいた。
「だからと言って、お嬢様を前にこのような偉そうな態度をとる男にまで、料理を作る必要などありません」
「それだと料理が一つ余ってしまいますわ」
「ご心配なく。お嬢様がお作りになったものであれば、たとえ鉄の塊でも食してみせます」
「私はそんな物作りませんわ」
若干ツッコミどころがずれている気がしないでもないが、そこには触れず一つの疑問を解消しておくことにした。
「なあ、“ストルゥーデル”ってなんだ?」
俺の発言に使用人が目を剝く。
「あなた、まさか知らないのですか? ストルゥーデルも知らない輩にこの料理を食す資格はありません。お嬢様、ワタシにご命令を。ただ一言、“殺せ”と言っていただければ直ぐにでもこの男の首をはねます」
「ソ、ソノラお待ちくださいまし。彼は私の大事な友人です。間違ってもそんなことは言えませんわ!」
金髪のお嬢様はすくっと立ち上がり、豊かな胸を張って堂々と言い放つ。
「料理の意見も聞きたいですし、グアンにも私の作ったストルゥーデルを召しあがっていただきます」
「お嬢様がそこまで仰るなら……」
主の毅然とした態度にしぶしぶといった様子で折れるメイド。
静寂が室内を満たす。
俺は一度軽く息を吐き先ほどの疑問を再び口にする。
「それで“ストルゥーデル”ってなんなんだ?」
「ストルゥーデルというのはイタリアに伝わる郷土料理で簡単に言えばアップルパイですが、このように筒状に包まれているのが特徴なのですわ」
日本人とイタリア人のハーフであるACは、淡い笑みを浮かべ解説する。
その隣で沈黙を貫きつつこちらを睨む従者。
無言の圧力から逃げるように「いただきます」と言って甘美な香りを漂わすイタリアの郷土料理“ストルゥーデル”を口にする。
「……これは」
サクッと音を立て抵抗なく歯が沈む。口の中いっぱいに広がるのは林檎とシナモンによって生み出される独特な甘み。目を閉じるとイタリアの町並みが浮かぶ。
ゆっくりと噛み締め、ずっと味わっていたくなる美味しさ。気づけば口の中には何一つなくなっていた。
「……うまいな」
その俺の一言に姶良・C・クレメンティーナは不安そうな面持ちから一変、満面の笑みを浮かべ「ありがとう」と告げた。




