白馬と金髪とヨーグルト
6時限目が終わり、放課後と言われる時間帯。
今日も俺は長い長いB棟の廊下を歩いていた。
その間、昼休みのことを思い出す。
委員長氏に差し出された弁当は一人で食べるには多く感じられた。
この前の小さな弁当ではなく2段になっているのが、一層不自然さを増していた。
最近小食が続いている俺としては食べきれるか不安だったが、くれるというのなら貰っておこうという考えの基箸をつけてみると、おかずに限らず白飯までもが美味く一気に完食してしまった。
その時委員長氏の顔には満足そうな笑みが広がっていたが、あれはどういう意味だったのだろうか。
気がつけば部室の前。
もはや脳を働かせずとも目的地に着けるほど、体が馴染んでいるらしい。
いつものように扉を開く。
そこに広がるのは快適空間。
床一面には水色のウール絨毯、中央には大理石のテーブル、そのテーブルを囲うように三人掛けのブラウンの牛革製ソファーが四つ。
1週間前、喫茶店事件の次の日には既にこうなっていた。
それまで他の教室と見分けがつかない平凡な空間だとは思えないだろう。
なぜこんな風になっているのかというと、実行犯の行動によりまるで嵐のようだったという被害者の証言がこの事実を物語っている。
実行犯は会長、被害者はACこと姶良・C・クレメンティーナである。
ACに泣きつかれたときは何事かと思ったが、結果このような素晴らしい空間になったのであれば無駄ではない。
時には犠牲も必要なのだと俺は彼女に諭したのだ。
俺は鞄からDSPを取り出すと、牛革製のソファーにどかりと腰を下ろした。
ウレタン素材の座面がゆっくりと体重を吸収し、背面のクッションも柔らかく包みんでくれる。
教室の椅子よりも非常にリラックスできる状態でゲームが可能であり、まさに快適空間と言えよう。
それからしばらくDSPの画面と向き合っていたが、やがてガラガラと扉の開く音が聞こえた。
視界の端に艶やかな金髪が映るが、わざわざ顔を向ける必要もないため再び画面に意を注ぐ。
「あら? グアンだけですの?」
その問いに無反応でいると、金髪の主はドタドタと荒々しく俺の元へ近寄りゲーム機を――――。
「あら?」
取ろうとした手は空をつかむだけだった。
ゲームをスリープモードにして鞄にしまう。
「俺に同じ策は二度も通用しない」
憤怒の表情を浮かべる金髪少女、ACにしたり顔で告げる。
「気づいていらしたのなら、返事くらいしたらどうですの?」
なんで俺の周りにいる女は強引なやつばかりなのだろうか。
「はあ……」
「そのため息はどういう意味ですこと?」
全く、面倒だ。
それに見下ろされるのも面白くない。
「いつまで立ってるつもりだ?」
言って顎でくいっと左隣を指す。
「全て私が持ってきた物なのですけど……」
不服そうに呟きながらゆっくりと腰を下ろす。
ふわりと何か高級そうな香りが鼻孔をくすぐり、一瞬意識を持って行かれそうになった。
嫌いな香りではないが、長時間嗅ぎ続けると頭がおかしくなりそうだ。
思わず溜め息を吐きそうになり、すんでのところで思い止まる。
二回目となれば何を言われるか解ったものではない。
空気を入れ替えたい気分だったとき、右の方からヒヒンと白馬の嘶きが聞こえた。
三つあるうちの中央の扉の向こうに会長の白馬が居る。
「馬が餌くれって言ってるぞ。行ってこいよ」
「餌なんて知りませんわ」
「そこにあるじゃないか」
何の迷いもなくACに視線を投げる。
「私は餌ではありませんわ!」
激高するACを眺めくつくつと笑う。
「何だ違うのか。じゃあ冷蔵庫から食えそうな物やったらいいんじゃないか?」
ACは俺をきっと睨みつけると、入り口左側にあるシルバーの6ドア冷蔵庫へ向かい、ごそごそと中を漁り始めた。
ちなみにこの冷蔵庫もACの家から持ってきた物である。
「ん~~~どれにしましょう? 白馬ってヨーグルト食べるかしら?」
「食わないんじゃね? ていうか、それ会長のだろ」
「ここにあるのは全て私が用意した物ですし、少しくらい貰っても罰は当たりませんわ」
奥にしまってあった会長のヨーグルトの蓋を開けると、馬にはあげず自分で食べ始めた。
「美味ですわ~」
大層ご満悦のようだ。
「俺は知らないからな」
爆発の可能性がある爆弾は早め切り離しておく。
「パンがないですわ。お菓子にしようかしら?」
冷蔵庫にパンは入れないだろ。
聞きたいこともあるが止めておくことにする。
「好きにすればいいんじゃないか?」
相手をするのも面倒になったため、ゲームを再開することにする。
「これなんかどうかしら?」
ちらりと様子を覗うと、ACの手には白菜が掴まれていた。
誰持ってきたんだ?
「はい、シャルルご飯ですわよう」
そういえばそんな名前だったなと思いながら見ていると、シャルルは白菜を食べ始めた。
「いい子ですわねえ」
言ってACが頭を撫でようと手を伸ばした瞬間だった。
バクッ!
「いやーーーーー!! 腕が! 腕が食べられましたわーーーーー!!」
いや食われたのは手までであって、腕までは食われてない。
「放して! 放してくださいまし!!」
食べかけの白菜でボンボンと白馬の頭を叩くが、一向に放す気はない。
「AC! ヨーグルトだ。主人のヨーグルトを食ったからシャルルが怒って、今あんたを襲ってるんだ!」
「申し訳ありませんでしたわーーーーー! お願いですから、もうしませんからーーーーーー!!」
金髪少女の目にはきらりと光る雫が浮かんでいる。
「シャルル様ーーーー!」
何度目かの懇願により、ACの手はようやく解放された。
「はあ、はあ、はあ……」
深呼吸、深呼吸、とりあえず息を落ち着かせよう。
優しい男であればそう言うのだろうが、あいにく俺は優しくない。
もう大丈夫だろうと思った時、すくっとACが立ち上がった。
「ん? どうした?」
俺の問いには答えず数秒立ち尽くした次の瞬間。
「いやーーーーーーーーー!!」
叫び声を上げて部室を全速力で出て行った。
「な、なんだったんだ?」
しばらくの間部室の扉をただ呆然と見ていた。




