日常
三時限目。俺がたまにからかって遊んでいる担任教師、加護菜々子。以前の俺の発言によりコスプレイヤー疑惑が浮上し、現在ではあらゆる生徒男女問わず質問攻めの毎日だ。
「ええと、じゃあここの文を……指宿さん読んでくれる?」
「はい、わかりました!」
委員長氏は元気良くそう返事すると、その場に立ち上がり教科書の音読を始める。
よし、チャンスだ。委員長氏が音読している今なら途中のゲームを再開できる。机の中のDSPを取り出し、スリープモードから復帰。先ほど洞窟をさ迷っていたところでチャイムがなってしまい、委員長氏も俺がゲームをしないか目を光らせていたため、緊急措置として机にしまったのだ。
せめてセーブポイントまで行きたい。音読の時間とてそう長くは無いため、菜々子先生が「そこまで」と言うまでが俺に与えられた猶予である。
セーブポイントに至るまでの宝箱は全て入手しているため、あとは目的地へ直行するだけだ。キャラを操作していると、独特の効果音と共に画面が切り替わり、魔物との戦闘に入った。
魔物の数は四体。敵全体対象の技や魔法を駆使すれば1ターン以内で葬ることはできるが、次のセーブポイントは青色の光を放つポイントである。触れるとHPMP共に全回複する緑色のポイントとは違い、触れても回複効果がなく記録の保存しかできない。ここでMPを消費すれば、後のボスモンスターとの戦闘で苦戦を強いられることになるだろう。
であるならばここは逃げの一手か。だが相手は四体だ。普通に<逃げる>のコマンドを使っても簡単に逃げ切れるとは思えない。もし逃走が失敗すれば敵モンスター四体から攻撃を受けるだけでなく、その分の時間がかかってしまう。確実に事を済ませるには、残る選択肢は一つだけだ。
俺は素早く十字キーを操作しカーソルを移動。アイテム欄の上から十列目、煙玉を選択し躊躇うことなく使用した。普段は全てのモンスターを一体残らず屠るため、使うことは滅多にないアイテム。だがその効果は期待を裏切らず、画面全体を白い煙が覆うと『逃走に成功しました。』というメッセージが現れ、フィールドの画面に戻ってきた。
教室に響き渡っている委員長氏のはきはきとした声。俺はその声を聞きながら再びゲームに意識を戻す。キャラを操作し、ようやく青色の光を放つポイントが見えてきた。
もうすぐだ。このままモンスターが出現しなければ、晴れてデータを保存することができる。手のひらに汗が滲んできたが、構わず俺は祈るように画面の一点を注視した。
「はーい、そこまで」
着いた。委員長氏が着席する音が聞こえるが、気づかれる前にすぐさまコマンドからセーブを選択。俺の勝ちだ。心の中でガッツポーズを決めるところだった。
「次、枕崎君お願いね」
なん……だと……。なんてことだ。勝利を確信していたというのに、逆転負けだと。俺は今まさかの事実に世界が終わったかのような驚愕の表情をを浮かべていることだろう。視界の端に映るゲーム画面、『セーブが完了しました。』の一文が記されている。
「枕崎君?」
委員長氏の視線を感じる。俺は机にDSPをしまい、のそりと立ち上がり敗北を噛み締めながら音読を始めた。
◇ ◇ ◇
三時限目と四時限目のことはあまり覚えていない。気づいたら昼休みになっていた。
屋上で少しだけ強い風を感じながら、もそもそと菓子パンを頬張る。いつもなら俺オンリーの昼食が、なぜか今日は二人になっていた。
「麟くん、どうかしたの?」
そう声をかけるのは、なぜか一緒にいる委員長氏だ。
「俺は……負けたんだ」
敗北宣言。今の俺には抵抗する気力など微塵もなかった。
「負けたって、何に?」
その口ぶりからするに、というか二人っきりになった時点で何も言われなかったため、薄々そうなんじゃないかと思っていたが、委員長氏は俺が授業中にゲームをしていたことに気づいていなかったのだ。それでも負けは負け。潔く認めるのが、戦士としての常識だろう。
「委員長氏は知る必要のないことだ」
小首を傾げ困り顔でまだ何か言おうとしていたが、俺の様子を見てなんと言っていいのか分からなかったのか、口を噤んだ。
そんな委員長氏を見ていると、いつまでもこうしてる訳にもいかないという気分になってくる。
「なあ、委員長氏。何であんたここに居るんだ?」
先ほどから感じていた疑問をぶつけてみる。
「そっ、それは……あなたのことが心配だったから」
突如一陣の風が吹き荒れる。
「なんて言ったんだ?」
俯き顔を赤くしながらの発言だったため、聞き取ることができなかった。
「な、なんでもないわよ!」
顔だけでなく耳まで真っ赤にし、なぜだか大声で叫ばれる。近距離での音波攻撃はやめてほしい。
両耳に手を当てていると、委員長氏がおずおずといった様子で何かを差し出してきた。
「なに、これ?」
「お弁当、食べていいわよ」
これ前にもなかったか?




