変わらない日常など存在しない
ここから第二章です。
喫茶店強盗事件から一週間後。今日も俺は一人で登校している。
あの時はどうなるかと思ったが、こうしていつもと変わらぬ平和な日常を送れていることに心底安堵していた。
だが、変わらぬ日常など存在しないことをここ最近常々感じるようになっていた。
歩行者側の信号機が青に変わり、横断歩道を小走りで渡ってくる一人の少女。
「麟くん、おはよう!」
満面の笑みでそう挨拶してくるのは、その日常に変化を与えている一人委員長氏こと指宿柚奈だ。
あの事件の後、俺が”頼みごと”をしてから互いにファーストネームで呼び合うことになったのだが、いざそれを実行するとなると二の足を踏んでしまう。
「ああ、おはよう委員長氏」
俺の挨拶がお気に召さないのか、ジト目で顔を覗き込んでくる。
「俺の顔に何かついてるのか? それとも惚れたか?」
からかい気味に訊ねる。
「そ、そんなわけないでしょ! そうじゃなく、この前の約束、忘れたわけじゃないでしょうね」
顔を赤くして否定する委員長氏。だがすぐに話題を元に戻す。
「忘れたわけじゃないが、ああ……ほら、いつからとか、決めてないだろ」
約束を守らないのはどうかと思うが、それは仕方ないだろ?
「確かにそうかもしれないわね。……わかった、あなたはこれまで通りでいいわ。でも私は今更戻す気はないから」
委員長氏は視線を逸らし前を見る。少し機嫌を損ねたか?
しばらくの間無言のまま一緒に歩いていく。すると俺たちの横を何か白いものが駆け抜けていった。
「諸君、おはよう! 君たちも早くしないと遅刻するぞ」
何かと思ったら白馬に乗ったオーコ会長だった。
「馬って歩道走っていいのか?」
左隣を歩く委員長氏に質問を投げかける。
「どうだったかしら?」
困った様子で呟く。
先ほど俺たちを追い抜いた会長は信号に捕まっていた。
「君たちもう追いついたのか、流石は我がコスプレ同好会の2トップだな」
「誰が2トップですか! それに、追いついたのは先輩が信号で止まっているからですよ!」
的確なツッコミだな。委員長氏はそっちの才能があるのかもしれない。
「時に指宿君、なぜ君と枕崎君は一緒にいるんだね?」
「それはたまたま一緒になっただけです」
委員長氏は明後日の方向を見ながら云う。
そんな話をしている間に信号が青に変わる。
「そうなのか。ではまた放課後に会おう。はいやー!」
そう言って会長は白馬と共に学校へ向かった。風を切って走るその姿は実に勇ましい。
本当にぶれない人だ。俺もその辺は見習わないとな。
俺たちが再び歩き始めたとき、ぐにっと右腕を掴まれる感覚がした。誰だこんなことをするのは?
「麟、おはよ」
声のするほうに顔を向けると、両手で俺の右腕を握る制服姿の日置渚夏がいた。
「なんであんたが居るんだ?」
「途中で二人を見かけたから、走ってきた」
相変わらずの無表情。何を考えているのかさっぱり解らない。朝から疲労が蓄積する。
「理由はこの際置いておくとして、いつになったら俺の右腕は解放されるんだ?」
「学校に着くまで」
おかしい。この間まで平和な日常だったはずなのに、俺はどのタイミングで選択肢を誤った?
「引っ付くな」
「やだ」
珍しく引かない無表情娘。そんな俺たちのやりとりを見て何を思ったか、委員長氏が間に入ってきた。
「日置さん」
俺に引っ付いている少女は、表情を変えることなく委員長氏を見上げる。
「麟くんも困っているじゃない、それに過度な異性との接触はしないこと」
ビシッと指を突きつける委員長氏。その癖直さないのか?
ありがたい説法を聞いたはずの日置だったが、一向に両手の力を緩める気配はない。
「エースは私のパートナー」
「ちょっ!」
こいつはいきなり何を言い出すんだ!?
「パートナーって……」
あまりにも突然のことに委員長氏も続く言葉が見つからない。
「行こ、エース」
強引に腕を引っ張り歩かせようとする。
「だから俺のことは枕崎と呼べと言ったはずだ」
その発言に応答もなく。立ち尽くす委員長氏を無視して歩き始める。
仕方なく歩を進め横断歩道を渡り終える頃だった。先ほどまでフリーズしていた委員長氏が何か言っている。
「ふふ、ふふふふ、ふふふふふふふふ」
おい、何だ気持ち悪いぞ。このまま無視を決め込むわけにもいかず、恐る恐る後ろを振り向く。
「そう、そうだわ。日置さんだけなんて平等じゃないもの」
小さな声でぶつぶつと呟くと、さささっと俺に近寄り、日置がくっついている方とは逆の左腕を掴む。
「これで平等ね」
満面の笑み。先ほどの笑みとは違い非常に恐怖を感じる。両手に花とはよく言うが、この状況は警察に連行される殺人犯みたいではないか。
「非常に歩きにくいんだが」
「仕方ないじゃない、日置さんが離さないからよ」
「いいんちょが離せばいい」
まさかこのまま学校までいくのか。一人では味わうことのできない熱と甘ったるい女子特有の香りを左右から感じ、心臓はバクバクと鳴り止むことを知らない。笑顔と無表情の間に挟まれた俺は、冷や汗をたらたらと流し苦笑する外なかった。




