委員長氏の恩返し⑤
委員長氏の恩返し完結編です。
とりあえずここで区切りをつけます。
俺と委員長氏はアタッシュケースの中身を見て絶句していた。
「………」
「………」
それもそのはず、その中にあった物は先ほど委員長氏が冗談で言っていた札束だったのだから。この距離からでは真偽のほどは解らないが、おそらく本物だろう。今まで以上の静寂が店内を包む。この空間に居る誰もがその一点に視線と意識を集中していた。
「これが用意した金だ」
黒服が口を開く。しんと静まり返った店内に響く重々しい声。今ならあいつらの声がはっきりと聞こえる。
「偽札……ではないみたいだな」
黒縁がそう呟き、束となった札を手に取り一枚一枚確認していく。
「今まで一度もそんなことはなかっただろ?」
黒服がその発言に応じる。”今まで”ということは以前からこの二人は協力関係にあったということか。黒縁が製造会社の人間だとすると黒服は何者だ? だが考えても解るものではない。
札束を真剣な表情で識別する黒縁を見て思う。どうにも引っかかることがもう一つ。
なぜ二人は取引場所にこの喫茶店を選んだ? 少人数ではあるが人目に付く。隠密にことを成すなら他にうってつけの場所はいくらでもあるだろう。
「手はず通りに頼むぞ」
黒縁が札束を確認し終えたところで黒服がそう告げる。一体何をするつもりだ?
「ねえ? これってどういうこと?」
不安そうな委員長氏の問いに「わからない」と小声で呟く。正直俺にも解らない。
黒縁がおもむろに立ち上がると、なぜか俺たちのほうへ近寄ってくる。黒縁が上着の内ポケットに手を伸ばし、何かを掴んだ。
「委員長氏!」
叫んだときには遅かった。
「えっ?」
黒縁の持つ黒光りするそれ。委員長氏の後頭部に銃口が押し付けられていた。
「悪いな、お嬢さん」
申し訳なさなど微塵も感じられない声音。単なる仕事として実行しているのが、この男の目を見れば解る。委員長氏は顔を青ざめさせ、歯をガタガタと鳴らしている。”恐怖”。今彼女の心を支配しているのはそれだけに違いない。
俺は俯きながら歯噛みする。迂闊だった。もっと早く気付くべきだった。こんな状況にならないようにする方法なら、いくらでもあったはずだ。後悔の念が何度も何度も押し寄せる。
だが何度悔いたところで意味はない。今この状況をなんとかする術を考えろ。
「お前ら動くんじゃねえぞ!」
黒服がドスの効いた声で恫喝する。その一言で他の客は恐怖に怯え、ガタガタと身を震わせている。誰一人として逆らうなどという考えを持つ人間はいない。ただ一人俺を除いては。
だが委員長氏が人質に取られている以上下手な真似はできない。博打ではなく確実性のある方法でなければ……これはゲームではないのだから。
「あるだけの金をこの鞄に詰め込め! すぐにだ! 警察に連絡しようなんて考えるなよ。あの女の頭がどうなってもいいのなら別だがな」
委員長氏を指差しウエイトレスにそう詰め寄る黒服は、店内を見回しながら手際よくことを進めている。やはり只者ではない。店内にこの男が入ってきた時からそんな気はしていた。
「瀧。その女をこっちに連れて来い」
瀧と呼ばれた黒縁の男は無言で頷くと、恐怖によってまともに動けない委員長氏を無理やり立たせ、客に注意を払いながら黒服の元へ近寄る。
黒服はウエイトレスと共に奥へ消えたが、瀧はカウンターの前で委員長氏を人質に取っている。
委員長氏に危害を加えられないかという不安で押しつぶされそうになるものの、昔いろいろな経験を積んだためか全く動けないというほどではない。
さてどうする。委員長氏を助ける。それが俺にとっての最重要ミッションだ。
だがもし委員長氏を助けられても相手は二人。黒服と共に居るウエイトレスが次の人質にされる可能性もある。ならば委員長氏を助けた上で、どうにか瀧と黒服の動きを封じなければならない。
カウンターに居る瀧へ目を向ける。奴の持つ拳銃はシンプルなもので変に細工されているようには見えない。銃に関してはあまり詳しくないが、安全装置を外さなければ打てない仕様になっていると聞いたことがある。ならば銃を撃つまでにはどうしてもワンアクション必要ということだ。一瞬でも隙があるならなんとかなる。
二人の強盗を制圧する手順を頭の中で構築する。先ほど博打はしたくないと言ったが、正直うまくいく保障もない。成功する確率も低いだろう。だがやるしかない。俺の力で委員長氏を守ってみせる!
「なあ瀧さん、ちょっといいか?」
動揺や緊張を悟られてはいけない。少しでも綻びを見せれば、その瞬間から委員長氏を助けることは絶望的になるだろう。
「動くな。彼女さんが死んでもいいのか?」
瀧は拳銃を持つ右手に力を込める。俺もあるものを持つ右手に力を込める。
「それは困る。だがそうはならない。あんた、気付いてないようだから言っとくけど、拳銃は安全装置を外さないと撃てないぜ」
動揺により瀧が目を見開いた瞬間、俺は右手に持つホットケーキ用のナイフを投擲。男は額に汗を浮かばせ直ぐさま安全装置を外すが、既に遅い。俺の狙いは男ではなく男の持つ拳銃。ナイフは縦に何度も回転しながら、吸い込まれるように銃身へと飛んでいく。
「ゆな、伏せろ!」
それまで恐怖で硬直していた委員長氏は、その一言で床に伏せた。
次の瞬間、ナイフが銃身に当たり吹き飛ばされる。同時にバァン! という大きな炸裂音を立て拳銃が暴発。あまりの轟音に客が悲鳴を上げる。放たれた銃弾は運良く天井を打ち抜いたため、被害者は出ていない。
瀧は数秒間呆然としていたが、我に返ると床に落ちた拳銃を拾おうと手を伸ばす。だがその行為を許す俺ではない。委員長氏の使っていたナイフを持ち、全速力で男の元へ駆ける。この空間で動く者は二人だけだ。瀧の手が拳銃へ触れた時、既に俺は男の首元へ刃を突きつけていた。
「瀧さん、あんたの負けだ」
無音の空間で静かに告げる。その瞬間、瀧は脱力したように手から拳銃を落とした。
「どこかで聞いたことあると思ったんだ。俺の今の母親が話していたことがあった。石松電器の3代目社長、瀧慎次郎。この計画は失敗だ。もう一人の男にも伝えてくれ」
瀧は歯をギリギリと軋ませる。脱力した彼の口から蚊の鳴くような声が発せられた。
「まだだ。あいつならなんとかしてくれる」
やがて奥のほうから足音が聞こえてくる。先ほどより膨れ上がった革製の鞄。中には相当な額の金が入っているのだろう。
「おい瀧。これはどういうことだ?」
呼ばれた瀧は返事をするどころか、顔を向けようともせず俯いたままだ。
「たかが小僧一人にこのざまとは……悪いがお前とは手を切らせてもらう」
瀧は驚いたように顔を上げる。
「待ってくれ。俺にはまだやるべきことが――――」
「これはお前のミスだ。責任は己の身で取れ」
黒服はつまらないものでも見るような目で告げる。
「そんな……」
瀧は再び脱力し床に伏した。
この男はもう放っておいても大丈夫だろう。俺は瀧から黒服へと視線を変える。
「黒服さん、あんたの名前を教えてくれないか」
「小僧に名乗る気はねえ」
ドスの効いた声。改めて自分に向けられているとなると、今にも竦んでしまいそうになるが、なんとか自身を保ち相対する。
「この瀧って男は昔からあんたと繋がってたみたいだな。経歴を調べれば、あんたの正体が解るのも時間の問題だぜ」
「小僧如きに何ができる」
サングラスの向こう。俺を見る目は一体どんな目をしているのだろうか。
「それは解らない。だがあんたを逃がす気はない」
さてどうするか、と再び考えたとき遠くのほうから大きな音が聞こえてきた。
「ん? この音は?」
けたたましく鳴り響くサイレン。パトカーのサイレンだ。
「チッ、今回はお前の勝ちだ」
そう言い放つと、鞄を置いてカウンター側の窓を突き破り出て行った。
「なんとか……なったか」
疲労困憊とはこのことか。柄にもなく足を折ってへたり込んでしまう。
「委員長氏は大丈夫か?」
「ええ。銃が暴発したときは怖かったけど、あなたのおかげで怪我一つないわ。ありがとう」
そうか、と呟くのが精一杯だった。あとから「警察だ」と声が聞こえたときは既に俺は床に倒れていた。
◇ ◇ ◇
目を覚ますとベットの上だった。
「大丈夫?」
委員長氏が不安そうに顔を覗き込んでくる。
「大丈夫だ」
そういえば、あの後どうなったんだ? 委員長氏にそのことを聞いてみると。
「私とあなたと他のお客さんは皆この病院に運ばれたわ。瀧っていう人は警察署に連れてかれたみたいだけど」
ほっと安心する。とりあえず大丈夫みたいだな。
「黒服の男は?」
俺はあんなやつと対峙していたのかと思い出しただけでもぞっとする。
「足取りはまだ掴めてないみたい」
それはそうか。まあ後は警察に任せればいいだろう。
「そういえば警察に連絡入れたのって誰だったんだ?」
残る疑問。
「それが誰なのかわからないのよ。犯人がするはずもないし、あの状況で電話をかけられる人なんて誰もいなかったし」
じゃあ一体誰が……。
委員長氏は窓の近くへ寄り、景色を眺めて呟く。
「ごめんね」
「なにが?」
窓の外を見る彼女の目には憂いが含まれているような気がした。
「私が恩を返すはずだったのに、また助けられちゃった」
「あんたのせいじゃないだろ」
そうかもしれないわね、と呟く彼女からは未だに覇気を感じられない。
「でも、嬉しかった。本気で助けてくれたから。柚奈って呼んでくれたあの時もあなたはとてもかっこよかった」
天使のような笑顔。それだけで全て報われたような気がした。
「んじゃ今度から柚奈って呼んでやるか」
意地悪でそう言ったつもりだったのだが……。
「いいかも、しれないわね」
顔を赤くしながらそう言うもんだから、反応に困る。
「でもそうすると、平和にゲームをするあなたの日常に支障が出てしまうわよね」
「全く、ホントに真面目だな委員長氏は」
こんな俺でも一人の生徒として見ているとこがさ。
「よし、決めた」
「何?」
この状況を解決するたった一つの方法。
「まだ俺からの頼みごと言ってなかったよな?」
「頼みごと?」
人差し指をピンと立て話す。
「あんたの秘密を言わない代わりに、一つだけ俺からの頼みごとを聞いて欲しいって」
「そういえばまだ決めてなかったわね」
両目を閉じ死を宣告するかのように……。
「俺はあんたのことを柚奈と呼ぶ。だからあんたは俺のことを麟と呼べ」
「え?」
いきなり何を言ってるのか解らなかったのだろう。まあ、無理もないか。
「これからもよろしく頼むぜ、柚奈」
「こ、こちらこそよろしく麟くん」
そう呟く柚奈の顔は夕日のような朱に染まり、たまらなく可愛かった。




