委員長氏の恩返し③
落ち着くため一度ふう、と息を吐く。注文の品が運ばれてくるまでの間に、疑問を解消しておくことにした。
「さっきAセットは食べておいたほうがいいと言ってたが、委員長氏は何度か来たことがあるのか?この店」
「昔ね、お母さんに連れられて何回か来たことがあったのよ」
“お母さん”か。その言葉にズキリと胸が痛む。委員長氏の様子を見ても特に話しづらいというわけでもなさそうだ。俺とは違い共に暮らしているのだろう。
「どうかした?」
「あ、いや何でもない」
怪訝そうな顔をする委員長氏に片手で制する。
「それでね。私はあまり覚えてないのだけど、その時にもAセットを頼んだらしくて、当時小学生だった私でもペロリと完食しちゃったみたいなのよ」
母親との思い出を話す委員長はとても楽しそうだ。俺には母親の思い出どころか家族の思い出すら存在しない。笑いながら話す彼女を少しだけうらやましく思えた。
「なるほど。つまりその頃から委員長氏は大食いの素質があったと」
「その頃からってどういう意味よ!私は昔も今も大食いじゃないわって、そうじゃなく、それだけここのAセットが美味しかったってことよ!」
バン!とテーブルを両手で叩く委員長氏。客の中で一番近くに座っていた黒縁眼鏡の男性が、少し驚いたように両目を見開いていた。
「あまりバンバン叩くな、周りの人に迷惑だろ。それとあんまり叩くとテーブル壊れちゃうだろ」
「私はそんなに怪力じゃないわよ!」
ははは、と笑いながら真っ赤になって怒る委員長氏を堪能。チラリと横に目をやると、黒縁の男性客がコーヒーを飲む手を止め俺たちを見ている。
はあはあ、と委員長氏が荒い息を整えていると、先ほどのウエイトレスが料理を運んできた。
「Aセットをお持ち致しました」
俺と委員長氏の前に料理が置かれる。
「あ!きたきた!」
委員長氏は先ほど憤然としていたのが嘘のように、今は満面の笑みで料理を眺めている。
「ホットケーキ二段とアイスコーヒーだけかよ」
セットと言うからもう少し色々な料理がくると思っていたのだが、喫茶店に疎いからなのか意外に思えた。
「あとでアイスも出てくるわ。とりあえず今はこのホットケーキを食べましょ」
俺に話しかけてはいるが、視線はずっと目の前のホットケーキに釘付けだ。ナイフとフォークを右手と左手に持ち、瞳を爛々と輝かせている。
「あんたは子供か」
俺の声が聞こえているのかいないのか、いただきますと行儀よく呟くとホットケーキにナイフを入れた。
「まあいい。俺も食うか」
俺もナイフとフォークを持つ。その時、食べることに夢中だった委員長氏が訝しげにこっちを見た。
「その持ち方おかしくない?」
そう言われ左手を見るがフォークの持ち方におかしい点はないように思える。
「そっちじゃなくてナイフのほうよ」
ナイフ?右手を見て納得。その持ち方は昔を思い出す。
三年前、普通なら中学に通っているはずの頃。俺が小学生の時に誘拐されたこともあり、会社の社長だった父親に外出を禁じられ自宅での生活を強要されていた。勉強は家庭教師により行われたが、毎日それぞれの科目を同じカリキュラムでするものだから、飽きるなというほうが無理な話だ。
午後の三時まで勉強という名の地獄は続き、最後の英語の科目が終わったところでようやく解放される。それ以外の時間はゲームをすることが多かったが、それと同時にゲームのキャラに憧れを持つようにもなっていた。
基本父親は帰ってこないし家庭教師の居ない時間帯であれば、家の中での行動は自由だった。そうした理由もあり、空いた時間ゲームをするのも大事だったが、その他に台所にあるナイフを使って技術の習熟を行っていた。
とはいえそれほど広いスペースが家の中にはあるはずもなく、体を鍛えるほどの情熱もなかったため最終的には投げナイフの練習のみに落ち着いた。
そして今現在、俺のナイフを持つ手がその時のものになっていたのだ。
「ああ、昔の癖でな。ええと本来はこうだったか」
家庭教師との雑談で得た知識を掘り起こし、俺はナイフの刃の付け根部分に右手の人差し指を添えた。
「意外……知ってたの?」
委員長氏は俺がナイフのマナーを、知識として持っていることに心底驚いているようだ。
「テレビで見たときのをたまたま覚えていただけだ」
反射的に嘘をついていた。たぶん昔の事を他人に話したくなかったからだろう。
「あなたならテレビなんて見ないで、ゲームをやると思うんだけど」
「さて、どうだったかな?昔のことはあまり覚えていないんだ。悪いな」
委員長氏は釈然としない様子で俺にジト目を向けていたが、やがて諦めたらしくホットケーキに視線を戻した。
「さてと」
気を取り直してホットケーキを食べることにする。あつあつに焼けたケーキの上には正方形に切られたバター。既にそれはケーキに染み込み、絶妙なバランスを保った甘い香りが鼻腔をくすぐる。
ナイフに少し力を入れるだけで、ほとんど抵抗感なく刃が沈む。相当柔らかくなければこうはならないだろう。一口大に切り、口へと運ぶ。予想通り……いや、予想以上に柔らかい。そして美味い。噛むたびに溢れ出る甘みは、口全体に広がり自然と頬をゆるませてくれる。
「うまいな」
「でしょ!」
たまにはこういった緩やかな時間を過ごすのもいいかもしれない。
そう思った矢先だった。
バン!と大きな音を立てて入り口の扉が開かれる。そこには黒いスーツに黒いサングラスという出で立ちの、見るからに怪しい長身の男が立っていた。




