元天才への挑戦
「俺の名前は枕崎麟、あんたも知っての通りロールプレイングゲーマーだ。自己紹介といっても現在のことはあまり話す気はない。なら何を話すかって? 現在でないとするなら過去のことしかないだろ」
一拍置いて相手の様子を窺う。
余裕な態度は未だ変わっていない。
「今から九年前、俺がまだ小学三年生だった頃に誘拐されたことがある」
俺は作っていた笑顔から表情を削ぎ落とし告げる。
「知ってるよ」
やはりか。元天才のことだからおそらく知っているだろうと思ったが予想通りだな。
「それから二年半の間暗く狭いどこかの倉庫に監禁され、必要最低限の生活を強要された。ギリギリの状態で死ぬことはなかったが、あれを生きているかと問われれば頷くことはできなかった」
目の前の女は両目を閉じ黙って俺の話を聞いている。先ほどまで変わらなかった表情から笑みが消えていた。
「時間も天気も季節も知ることを許されないまま月日は流れ、なんのために生かされているのか? 何故殺さないのか?明日には殺されるのではないか? 明日さえ来ないのではないか? ……孤独の中答えの出ない問答を何十、何百と繰り返し果てにはその行為すら無駄な体力を使うだけだと悟り、思考を停止させた。それでも俺が自分を失わなかったのは母親である枕崎静恵が居たからだ。父親は家に戻ることが極端に少なかったため、母親に育てられたようなものだった。友達もいない俺にとって唯一の話相手であり、心の寄りどころだった。俺は母に親孝行がしたかった。だがそれは叶わなかった」
「君が戻ってきたときには既に彼女は、帰らぬ人となっていたからね」
そうなのだ。だからこそ、俺は……。
「さすがのわたしでも死者を蘇らせることは出来ないよ」
今のは本気で俺がそういうと思ったのだろうか? だとすれば元天才とて読み違いはあるもんなんだな。
「違う。俺が知りたいのは母さんが死んだ理由、死因を知りたいんだ」
「病気だよ。残念だけど前から彼女は癌を患っていたらしい。あの人でも癌には勝てなかった」
母を語る女の目の動きを追う。この元天才はどうやら母さんを知っているらしいが、俺のことはまだまだ知識が不足しているようだ。
「それは違うな」
この一言に女はピクリと反応する。
「へぇ、それはどういう意味だい?」
こいつもまだ認めないのか。
「母さんは病気、ましてや癌なんかではなかった」
「どうして言い切れるのか聞かせてもらおうかな?」
俺を試しているのか、細められた彼女の双眸は鋭い光を孕んでいた。
そういうことなら試されてやるまでだ。
「枕崎静恵は家で主婦を行いながらも定期的に健康診断に行っていたのを記憶している。健康診断から帰ってきた彼女は決まってこう口にする。“健康診断って無駄に長いわよねぇ、私は健康体だって言うのに”と」
「なるほど……だから病気ではないと言えるってこと?」
俺は無言で首肯する。
「枕崎静恵が嘘をついていた可能性だってあるだろう? ミュージカルや舞台の仕事をやっていたのだから、そのくらいは朝飯前だったんじゃないかな?」
仕事上いくらでも可能だっただろう。だが母さんは俺の前ではそうせずに素の自分でいた。
それは俺が一番解っている。だがそのことを熱弁を奮って伝えようとしても、この元天才はおそらく信じないだろう。であれば……。
「信じないなら証拠を見せるしかないな」
言って俺は箪笥の中から一枚の紙を取り出し、二人目の母親に渡すーーというよりは乱暴に差し出す。
「これは……」
「言わなくても見れば解るだろ。健康診断の結果表だ」
健康診断の結果表。各項目にはこう書かれている、“異常無し”と。さしもの元天才と言えど今回ばかりはーー。
「ここには異常無しと書いてある。だが、これが本物の結果表であるという証拠は存在しないだろ?」
なっ!? この結果表が偽物だって言うのか? この女は一体何故そこまで食い下がってくるんだ? 解らない、ただ解ることがあるとすれば目の前にいる元天才に証拠を提示しなければ、認められないということだけだ。
どうすればいい……どうすれば……この結果表が本物であると証明するには……。




