七/ただひたすらに
夏休みが明けて一週間。
長期休暇という毒に犯されていた身体が、ようやく学校という真面目な環境に馴染み始めた頃。
「今日のホームルームは席替えすんぞー」
という死の宣告が、佐々木先生の口から放たれた。
不死原を紹介する時と同じような盛り上がりを見せるクラスだったが、僕はそんな気分じゃない。
馬鹿な。馬鹿な馬鹿な早すぎる。せめて次のテストが終わってから席替えをするものだと腹を括っていたが、まさか一週間で手を打ってくるとは。そこまで僕を危険視しているというのか佐々木先生……!
ふと、先生の表情を窺うと、『計画通り』とばかりに先生は黒い笑みを浮かべていた。
「……くそっ」
権力という名の暴力の前では、僕のような一般生徒はただそれを受け入れるしかない。
悔しさのあまり机に拳をぶつけるが、痛いだけで現状は何も変わらない。鈍い痛みが虚しく沁みる。
「どうしたの、机なんか殴って?」
そう声をかけてきたのは……なんと不死原だった。
この一週間、僕から話しかける事はあっても彼女から話しかけてくる事は無かったので、これには素直に驚いた。
「おョぇ?」
驚きすぎて、変な声が出た。
「あ、ああいや……もう席替えするのかーって思って……」
「残念そうね。席替えって普通、喜ぶものじゃない?」
ふむ、その意見は賛否両論分かれそうだ。
不死原は席替えは喜ぶものと言ったが、ならば席替えの一体どこに喜ぶ要素があるのだろう。
思うに、席替えとは席が替わるという事を喜んでいるのではなく、席替えというイベントそのものに喜びを――細かく言えば楽しみを感じるものなのかもしれない。ただ単に席が替わるまでの過程を。くじを引いてどの席になるのかというスリルを。誰が自分の席の隣に来るのかという高揚感を。単純にその場のノリで楽しんでいるだけにすぎない。それが席替えだと僕は思う。
「それなら僕は普通じゃないって事だろうね」
「……でしょうね」
クス、と口に手を当てて微笑む不死原。何だこの可愛い生き物は。
逮捕覚悟で抱きつきたい衝動に駆られるが、僕の理性がそれを何とか抑えた。
しかし『でしょうね』とは何やら意味深な言い方だなと思ったが、僕はそれ以上追及する事は無かった。
誰かが絶望しようとも変わらず世界が回り続けるように、僕の絶望をよそに席替えが完了してしまった。
「うん……まあ、良い感じにバラけたな」
新しくなった席順を見渡して、佐々木先生はうんうんと納得したように頷いた。
ちょっと待て――否、めっちゃ待て。ナニ納得してるんですか。民の意見を聞けよ暴君教師。
いや、これは別に先生の職権乱用とかではなく普通に僕の運の所為なのだけれど……それでもこれはナイ。
僕の新しい席は窓際の一番後ろ。右に月見里、前には大志という布陣である。そして不死原の席は僕の丁度対角線上。つまり廊下側の一番前だ。何がどうなったらこんな席順になるのか、知ってる奴がいるなら教えて欲しい。
これじゃあ話す機会が減るどころか、話す事すらできないじゃないか。
窓際の一番後ろと、廊下側の一番前。僕にはこの距離が果てしなく、途方も無い遠さに思えた。
「とりあえず、次のテストが終わるまでこの席で行くからなー」
ホームルーム終わりっ、と先生は言い残して教室をあとにした。
朝のホームルームでわざわざ席替えをするなんて、随分と思い切ったものだ。
まあ、ちゃんと一限目に間に合ってる辺り、曲りなりにも(と言うと殴られそうだが)佐々木先生には仕事をこなす能力が備わっている事がわかる。
「いやーそれにしても窓際は暑いなぁコウヘイ。全っ然クーラーの風当たらんやん」
「真上にエアコンがあるから仕方無いさ。真ん中の席が一番風当たり良さそうだね」
新しい席に不満を抱いているのは、何も僕だけではなかった。不満のレヴェルは違うけれど。
月見里はセーラー服の裾をパタパタとさせて、暑さを凌いでいた。時折、お腹やへそが見えてしまっているが彼女は気付いているのだろうか。別にパンツや胸を見せているわけじゃないから気にしていないのか。
「涼しいっちゃあ涼しいけど、やっぱダイレクトに風に当たりたいよなあ。何だろうな、この欲求的な?」
今の今まで前を向いていたのに、僕と月見里の会話を聞きつけた途端にくるりと身体の向きを変え、話に入り込んでくる大志。月見里の表情を窺うと、ほんの僅かだがピクリと眉が動いた。
「直接風に当たるとあまり健康によくないぞ」
「いやだからこそじゃねえか。よくないとわかってても手を出しちまう……人間のサガだな」
「はんっ、アンタみたいなアホは一生風に当たっといたらええねん。ほんで風邪ひいてこじらせとけボケ」
「何だよその陰湿な悪口! それに自慢じゃねえが俺は今まで風邪なんてひいた事ねえんだよ!」
「あぁ~はいはい、バカは何とかをひかないってよう言うしなあ。凄いやん、感心するわぁ☆」
完全に大志を馬鹿にしたような口調で月見里は煽る煽る。当然、大志は単純なので、
「誰がバカだ誰が! お前、俺と成績たいして変わんねえじゃねえか!」
こういう対応しかできない。そんなんだからバカと言われるという事にいい加減気付け友よ。
というか「バカは何とかをひかないってフツー逆だろ!」というツッコミは無いのか。それとも余裕が無いだけか。
何にせよ、教室でも常に賑やかになるのは正直面倒だ。
……悪い気はしないけれど。
「――右の頬をぶたれたら左の頬を差し出しなさいとか、それなんつーマゾ理論だよって話だよなあ」
三限目の歴史の時間に、唐突に大志がそんな事を言い出した。
席が後ろの方になったからといって、無駄話をしていれば怒られるのは当然。
そう思った僕は「まあそうだね」とテキトーな返事をした。すると隣の月見里が、
「てゆーか、何で右からぶたれたんやろな」
と、限り無くどうでもいいが少し気になるようなそうでもないような疑問を吐き出した。
まあ結局は気になって、授業より会話の方に意識が傾いてしまうのだが。
「ふむ、確かにどうして右からぶたれたんだろう……別に左でも同じ事を言えるのに」
左の頬をぶたれたら右の頬を差し出しなさい。逆になっても意味は変わらない。
「つーかそもそも、これってぶたれる側の視点だよなあ。だとしたら何か変じゃねえか? 右の頬をぶたれるって事は、ぶつ奴は左手でぶってるって事だろ。人を殴る時って普通、右手じゃね?」
「あー……確かにせやな」
あれ、何か大志が頭良さそうな事を言っているぞ。白昼夢にしてはえらくハッキリとしているな。
それはさておき、確かに殆どの人間が右利きである世の中で、この言葉はどこかひっかかるものがある。
当時は左利きの方が多かったとか、上手いこと左手でぶったんだろうとか、細かいことはいいんだよ気にするなとか、そういう事を言われてしまうとそれまでなのだが。
いや待てよ。何も人をぶつ時は手のひらや握り拳とは限らない。つまり、
「……裏拳、とか?」
そうポツリと呟くと、大志と月見里は「それだ!」とばかりに目を見開いていた。
「裏拳か! ああ確かにそれなら右手でも相手の右頬をぶつ事ができるな!」
「え、でもそれはそれでええとして、何でわざわざ裏拳してまで右頬をぶちたかったんやろ?」
「ハッ、この際もうこまけぇこたぁいいんだよ、気にするな月見里!」
あ。
大志が『そういう事』を言ってしまったので、この話題はこれまでとなってしまった。
「にしても、自分から左の頬を差し出すなんてすげーよな。俺なら右の頬をぶたれたら、ぶった奴をぶち返すけどな」
「殴られたから殴り返すなんて、殴った奴と同類じゃないか。僕なら右の頬をぶたれたら警察を呼ぶよ」
「そもそも殴られるような事してるからアカンねん。ちゃんと生きとったら殴られる事なんてまず無いやろ」
「「お、おう……」」
うん、正論。僕と大志は殴られる前提で話をしていたのに対して、月見里は一歩下がって考えていた。
やはり男と女とでは視点が違うのだろうか。
「コラそこ。無駄口叩く暇あったらノートを書きなさい」
歴史担当の壮年男性教師――富良野御伽の喝が入り、これにて談話終了。
気付けば、黒板には更に文字が書き加えられており、写すのには少し時間がかかりそうである。
よし、と授業に集中しようと思った矢先、不意に窓の外に視線が行った。
何やら雲行きが怪しくなっていた。そういえば、天気予報では午後から雨が降るって言っていたな。
そんなこんなで、昼休みである。
弁当を持参していない僕はそそくさと食堂へ向かおうとするのだが、
「あぁーーーーっ!!」
という、月見里の驚愕というか悲愴な大声に、僕は思わず足を止めてしまった。
「どうかしたのか、月見里?」
「どぉしよ……弁当、家に忘れてきてもうた……」
今にも泣き出しそうな顔で彼女はそう言った。何もそこまで悲観的にならなくてもいいだろう。
しかし僕としても、月見里が弁当を忘れるという事態には少なからず驚きを感じていた。彼女は四月から昨日まで一日も欠かさず自分で作った弁当を持参していたのだから。忘れた、と言っているのだから作ってはいるが持ってくるのを忘れたのだろう。短い付き合いだが、月見里は勉強面はさっぱりだがこういう生活面ではしっかり者なのは僕でもわかる。そんな彼女が忘れ物をするなんて……何かあったのだろうか。
「じゃあ、一緒に食堂でお昼食べようか。僕、今から行こうとしてたし」
「えっ、ホンマに!?」
さっきまでこの世の終わりみたいな表情だった月見里だが、僕がそう誘いをかけた途端に顔色は良くなり、この世の始まりみたいな表情に早変わり。本当に表情変化がカラフルで、見ていて飽きない。
白状すると、僕は一人で静かに食事をするのが好きなのだけれど、この際仕方あるまい。
つくづく、僕は甘い人間だ。
「おっ、お前ら食堂行くのか? 俺も俺も!」
弁当をモゴモゴと食べながら大志はこちらに振り向いた。口に物を入れながら喋るな汚い。
「俺もって……君、弁当持ってきてるじゃないか。ついてくる意味あるのか?」
「食堂でこの弁当を食うんだよ。それに、ついていく意味は大アリだ。メシは皆で食った方が美味いからな」
そう言いながら、彼は今の今まで食べていた弁当に蓋をして、片付けを始める。
メシは皆で食った方が美味い、か。恐らく僕には一生を費やしても理解できない事なのだろうな。
だって、美味しい料理は一人で食べても美味しいし、皆で食べて美味しくなるなんて、奇妙極まりない怪現象じゃないか。
女性趣味だけでなく、こういうところも大志とは噛み合わないのかもしれない。
「さいですか。ま、僕は別に構わないけれど、月見里は?」
薄々わかっていた事だが、月見里の表情はこれまた露骨に嫌そうなものに染まっていた。
しかしここで『イヤや』なんて言うほど彼女が非情な人間ではない事も、僕は知っている。
「べ、別にウチもかまへんけど……ッ」
「よっし決まりだな! んじゃ行こうぜー」
こうして僕と大志と月見里の三人は、食堂で昼食を取る運びとなった。
教室を出ようとしたその時、僕は不死原の席に不死原自身がいない事に気付いた。
彼女も食堂にいるのだろうか? そんな思いを巡らせながら、僕は食堂へ向かう。
北日常高校の食堂のメニューは、和洋中と幅広くカバーしており味も保障されている。
僕は洋食が好きなので、ここに来ると大抵はカルボナーラやボロネーゼを注文する。ちなみにたらこスパゲッティは日本生まれのメニューだそうで、スパゲッティ専門の老舗の店主が海苔茶漬けをヒントに考案したものらしい。そう考えるとたらこスパゲッティは和食なのか洋食なのかという疑問が浮かぶが、まあ元はスパゲッティなわけだし、洋食に分類されるのだろう。
しかし今日も今日とて食堂は大賑わい。人ごみが苦手な僕にとっては食堂に来る度に修行をしている気持ちになる。
「そういえばウチ、ここの食堂くんの初めてやわ」
食堂の壁に張り出されたメニューを興味深そうに、そのくりっとした瞳で見ながら、月見里はそう言った。
それもそうだ、欠かさず弁当を持参していたという事は食堂のお世話になった事が無いという事なのだから。
「食券じゃないから、口頭で注文しないといけないぞ」
と、僕はささやかなアドバイス(?)を送った。
「そうなんや。う~ん、何にしよ……」
初めて来ただけあって、かなり悩んでいるようだ。その間に僕も何を食べるか決めるとしよう。
「なあ公平。お前さ、カレー味のうんことうんこ味のカレーだったらどっち食べる?」
僕がメニューを見ている後ろから、悪友がそんなクソみたいな質問を投げかけてきた。ああいや洒落ではなく。
まだ食事前だから良いけど、これがもし食事中だったら戦争勃発は避けられない。
「今、その質問する必要あるのか?」
「いやあ、カレーのメニューが目に入ったからさ」
じゃあ何か、君はカレーを食べている人がいたら同じ質問を投げかけるのか? 軽く犯罪だぞ。
どういう罪かはわからないけれど、とにかく大罪のような気がする。
「……生憎、僕はカレーはあまり好きじゃないし、うんこなんて言うまでもない」
「はぐらかすなよ面白くねえなあ」
そう言いつつも、特に追求するつもりは無さそうだった。
「なぁなぁ、この『手抜きうどん』ってなんやろ?」
ぽんぽんと僕の肩を叩いてそう尋ねてきた月見里。
「手抜きうどん? 手打ちうどんの間違いじゃないのか」
確か手打ちうどんはメニューにあった筈だ。和食を頼まないからうろ覚えだが。
半信半疑で月見里が見ていたメニューに目を向けると――あった。ハッキリと『手抜きうどん』と書かれている。
「って、本当だな……何だこれ」
傍らには『新メニュー』と控えめに記されている。なるほど、新メニューなら聞いた覚えが無いのも納得できる。
しかし、よくよく考えてみると『手抜きうどん』って商品名はどうなんだ?
「それだったら手の込んだ手打ちうどんを頼んだ方が良いだろ」
当たり前だが、大志の言うとおりである。同じ食堂に『手打ちうどん』と『手抜きうどん』、二つのメニューが同時に存在するのならば、僕も前者を選ぶ。後者だと一体どんな物体が出てくるかわからないからな……。
「まあ、おばちゃんに訊いてみようか」
気になった僕は今後の為にも食堂のおばちゃんに手抜きうどんとやらの詳細を訊く事にした。
カウンターに行き、僕は声を張り上げる。
「おばちゃーん、新メニューの手抜きうどんってどんなの?」
「ああ、手抜きうどんかい。手抜きうどんは……」
と、おばちゃんはおもむろに近くにあった段ボール箱に手を突っ込み、何かを取り出した。
大志と月見里も気になったのか、いつの間にか僕の両隣にいた。
おばちゃんはこちらに向かってきて、段ボールから取り出した『何か』を僕らに見せてくれた。
「これだよ」
それは、
「「「インスタント……?」」」
見事に声が同調した。
おばちゃんが持ってきたのは、その辺で売っているようなインスタントラーメン――否、インスタントうどんだった。
「お湯はそこの湯沸かし器で入れておくれ」
ああ――確かにこれは手抜きうどんだ。これなら『新メニュー』の文字が控えめなのも頷ける。その辺で買えるものを堂々と新メニューと称して売るのは何かアレだ。というか、新メニューというよりは新商品だろコレ。いや、でも普段食べてる奴からすれば新商品でも何でも無いわけで。
「どうする、月見里?」
「あー……」
月見里は少々引きつった顔で、
「……手打ちうどん一つ」
と、無難な方を選んだ。
まあそうなるだろうな、と思いつつ僕は彼女に続いてカルボナーラを注文した。
――注文した料理も来て、僕達は適当な席に座った。
席についてから思い出したが、飲み物が無いではないか。これでは喉に詰まってしまう。
「僕、飲み物買ってくるよ。君達は何かいる? ついでに買ってくるけど」
「おおマジか! 公平の奢りとあっちゃあ甘えないわけにはいかねえな!」
「誰も奢りとは一言も言ってないぞ」
「ですよねー。じゃあ、俺はレモンティーで」
「わかった。月見里は?」
「ウチはカルピスー♪」
「オッケイ、じゃあ買ってくる」
よろしくーという二人の声を背に受けて、僕は食堂の外にある自販機コーナーへと向かう。
向かった先で、僕は彼女に――不死原三途に会った。
「……!」
不死原は自販機コーナーの傍らに設置されたベンチに座って、何か本を読んでいた。
転校初日の自己紹介で、趣味は読書と言っていたのを思い出す。だからといって何もこんなところで読まなくても……そりゃあ教室や食堂よりは静かかもしれないが、もっと静かな場所は幾らでもあるというのに。
辺りには他に誰の気配も無いので話しかける絶好のチャンス。
「やあ」
僕は不死原に近付いて、声をかけた。
本に向けられていたドライアイスみたいな視線は、声に反応してゆっくりと僕の方を向いて制止した。
「特等席ってやつだね、不死原」
咄嗟に出た言葉がこれだった。うむむ、もう少し気の利いた台詞は出ないものか。
彼女は読んでいたページに栞を挟んだかと思うと、ぱたりと本を閉じた。
「別に、そうでもないわ。晴れてる日は暑いし」
「だろうね」
と、僕は小さく苦笑して、それから次の話題を切り出す。
「学校はもう慣れた?」
「正直、あまり。前の学校が女子校だったから、男子が普通にいっぱいいると何か、ドキドキするっていうか」
「ふうん。そういうものなのか」
これまで共学の学校にしか通った事の無い僕には欠片も理解できない心情だ。
「……」
「……」
くそっ、会話が途切れた。向こうはどう思っているか知らないが、僕は気まずさに圧し潰されそうだ。
何か、何か話題を。何でもいいんだ。
「……そういえば不死原って読書が趣味だったよね。どんな本を読んでいるんだい?」
「ボーイズラブよ」
「えっ」
ちょっ……と待て。今、この眼鏡少女はなんて言ったのだろうか。
「あら、発音が悪かったかしら。Boys Loveよ」
「ぉおう……あ、いや発音の問題じゃなく!」
あまりに綺麗な発音だったので聞き蕩れてしまった。
なんて事だ。僕は今、不死原の意外すぎるほど意外な趣味を掘り当ててしまったようだ。
実は妹の鋭利がそういう趣味をお持ちなので、僕にも多少の知識が備わっているのである。
しかし備わっているだけで理解するつもりは毛頭無い。男同士が絡み合っている様を見て何が面白いのか。
待てよ、不死原にはもう一つ趣味がある。人間観察という趣味が。
まさかとは思うが、二次元のみならず三次元の男同士の絡みもいけるクチなのだろうか……?
「そういえば一之瀬くんって、矛ヶ盾くんと仲良いわよね。その……見ていて飽きないわ」
どぅわーいけるクチだったー。そして観察対象になっていた上に大志とのカップリングかよ!
男子が普通にいっぱいいるとドキドキするってそういう事か。そりゃそうだ、観察対象が沢山いるんだから。
だがここで引いてはいけない――退いてはいけないんだ。
「ま、まあ中学からの腐れ縁ってやつだし」
「腐れ縁……!?」
キラン、と彼女の眼鏡が怪しく光ったような気がした。
しまった、墓穴♂を掘ってしまった。何でこういう時に限って『悪友』と言えないんだ僕の口は。
「まさに少年よ大志を抱けというわけね」
ドヤ顔で上手い事いったつもりなのが目に見えてわかるのがどこかイライラするけれど、それを差し置いてもやはり彼女は――可愛い、どうしようもなく好きだ。何だろう、うざ可愛いというべきか。
「はは……そんな感じかな。って、そうだ。ジュースを買いに来たんだった僕」
おつかいを頼まれていたのをすっかり忘れていた。
えーと確か月見里がカルピスで、大志が……何だっけ。ジンジャーエールだっけ。まあ何でもいい、あの男が文句を言うような器ではない事は僕もよく知っている。間違っていたら謝れば済む話だ。
そう結論付けて、僕は続けざまにカルピスとジンジャーエールとお茶を自販機で購入した。
「よいしょ、っと。じゃあ、また……」
「ええ、また」
味気の無い挨拶で、僕は不死原と別れた。
振り返る事はしなかった。恐らく、彼女はBL本の続きを読んでいるに違いない。
食堂へ戻ると案の定、二人から怒られた(本気ではないが)。そしてどうやら大志に頼まれたのはレモンティーだったようで、ジンジャーエールではなかった。その事については若干マジで怒られた。僕は何度か謝ってから、少しぬるくなったカルボナーラを口に運んだのであった。
下校時刻となった。
「よーっしオマエらァ、最近あっついけど明日も休むんじゃねぇぞー。そんじゃ、かいさーんっ!」
「うぃーっす」「おつかれー」「じゃあねー」「ばいばーい」「До свидания」「ほんじゃー」
佐々木先生の号令の後、ぞろぞろと教室から出ていく二年三組一同。部活がある者は学校に残り、それ以外は校内から退散。
『それ以外』である僕は、自宅に向かって真っ直ぐ帰るという選択肢しかない。
そもそも真っ直ぐ家に帰るという表現はいかがなものか。本当に真っ直ぐ直線ストレートに帰り道を行くとなると、必ず建物や壁にぶつかるだろうし。そう考えると、本当の意味で「今日は真っ直ぐ帰るわ」と言える人は存在するのだろうか。学校や勤務先から家までの経路が本当に一直線な人……。
「今日は俺、真っ直ぐ帰るわ公平」
まあ、いるんですけどね。
矛ヶ盾大志がまさにそれである。最初に聞いた時は耳を疑ったものだ。
あまりにも信じられなくて確かめにいったら、本当に真っ直ぐ帰れる事が確認できた時は脱帽した。
「それ、どっちの意味さ。寄り道しないで帰るっていう意味なのか、文字通りの意味なのか」
「ん? あー、今回は文字通りの意味。用事があるからよ、いったん帰るんだ」
「そうか。じゃあ、また明日な」
「おう、じゃーな」
手短に別れを済ませると、大志は足早に教室から出ていった。
しかし、用事とは何だろう。九つ目の自転車盗難防止用のわっかでも買いに行くのかだろうか。
まあ僕が気にするほどの事ではない。僕は帰宅部の活動で忙しいのだ(忙しくない)。