宇井渚—ウイナギサ— ①
生きていくって、なんだろうか。
道徳の授業で「いのち」を題材に扱った日から、私はずっと考えている。「いのち」は「あかり」に例えられたりする。今も世界中のどこかで、いのちが誕生しては、失われてく。ぱちぱちと、まるで部屋の電気をつけるみたいに。簡単で、当たり前だ。
「いのち」は「あかり」と同じで、スイッチによって操作されていると私は考えている。
親の都合で勝手に点灯し、病や悪意が意図を持ちながらその「あかり」を消してく。人が何の理由もなく、個人で消灯を選ぶことはあり得ない。つまり、この世界にある自殺は全て、自殺ではない。
そう、今の私が「本当は生きていたかったはずなのに、死を選ぶ方がマシかな」と思わされているように、人の「いのち」は、常に別の何かに握られ続けているんだ。
私の通う私立高校は、昼食時と放課後に屋上を限定解放している、珍しい高校だった。
昼休みには、学年やクラスを問わず、様々な生徒が屋上へ集まる。屋上は、日々、縁日会場のような活気で満ち溢れていて、私にとっては、開放感のある屋上ですら、何の逃げ場所にもならないのだ。
私の唯一の逃げ場所は女子トイレ。それも、C棟最上階にある多目的の個室トイレだった。半年前にC棟の改修工事が行われ、トイレの清潔感は校内でもトップクラス。そもそもC棟には学年全体で一クラスしかない文理コースの教室や家庭科室、技術室があるぐらいで、生徒が立ち入ること自体が少ない。最上階は仏教法人校である名残の修養室が用意されているのみで、人気のないスポットがちゃんとこの監獄内にも確立されている。
私はここで、昼を過ごす。長い長い四十五分を、息を潜めて過ごすのだ。
母が作ってくれた弁当を開く。二段弁当で、一段目には色鮮やかなおかず。二段目にはぎっしり詰まった白米。私は白米の上にのりたまをふりかけて、一口食べた。
いつの日か、便所飯を笑ったクラスメイトがいた。私がここで便所飯をしている事実とは関係していないところで、たまたまその話題で盛り上がっていた。
「本当にそんな奴いんのかな」と言っていたクラスメイトに、内心、「いるんだよ、ここに」と反論をおくる。もちろん、クラスメイトには届かない。
私も、便所飯を好き好んでしているわけじゃない。仮に、私の教室から一番近いA棟二階の個室で便所飯をしろと言われたら、私は断固拒否する。アンモニアや排便、芳香剤や使用済みナプキンの香りが薄らと漂う中で、さすがの私も食事はとれない。ここは改修工事のおかげで、匂いはほぼ無臭だ。トイレの中とはいえ清潔感が保たれているし、窓を開ければ、三階という好立地条件によって心地良い風が広い個室に流れ込んでくる。
紺色のスカートの上におかずの入った弁長箱を乗せ、左手に白米、右手に箸、トイレットペーパー棚の上に水筒を置いて食事を進める。こんな状況だけど、大型の多目的トイレを私が独占していることには常に引け目を感じていた。トイレで食事と言う用途にあわない行為をしてることに何だか罪悪感を覚える。しかし、ここはC棟三階。多目的トイレでなければいけない生徒が用を足を伸ばすには少し面倒だ。と、都合のいい理由を揃えながら、私はタコさんウインナーを口へ放った。
C棟三階に人気がないのなら、わざわざトイレで食べる必要はあるのか、そう疑問に思われそうだけど、この、万が一すらも遮断した完全隔離の鍵付き個室が、私を安心へと導くから、ここは譲れない。
だし巻き卵の甘じょっぱさが、不意に涙を誘う。母が早起きしてくれて作った弁当をトイレで食べるなんて、なんて親不孝な娘だと、私は毎日思う。小柄な私の為に、栄養バランスを考えて量も多めにしてくれる母。若くて綺麗なお母さんというわけではないけど、誰よりも温かく、優しい母。「ごめんなさい」ごちそうさまの代わりに、私はいつも、手を合わせてそう唱えるのだ。
きっちりと昼食をとり終えた私は、何事もなかったかのように便座から腰を上げる。トイレを出るのは決まって授業開始十分前で、別にお花を摘んだわけではなくとも、なんとなく水は流す。
教室へ戻る時間が何よりも億劫だった。この階段も廊下も永遠に続いていて、もうあの教室なんかに戻れなくなってしまえばいいとさえ思う。
私はいつも、下を向いて歩く。赤色に染まった上履きの爪先が、私にとっては誰よりも仲の良い存在だった。そんなことをしているから、必然的に猫背になる。暗い印象を纏う。歩くスピードも遅くなる。自分に自信がなくなる。周りが、見えなくなる。
結局全て、自分のせいなのかもしれない。やはり死は私の隣にしっかりと居座ってて、その場所から逃げ出すことを許さないでいるのだった。
俯きながら、二年三組の教室があるA棟二階へ足を進めていた私は、渡り廊下の曲がり角で急いでいた誰かとぶつかった。
「きゃっ」の後に、尋常じゃない速度で「ごめんなさい」を二回早口で付け足す。
恐る恐る目線を上げる。グレーのスーツ姿で、手には現代文の教科書とノート。その美白的な肌の色ですぐに誰だかわかった。顔を覗き込む。私よりかなり背が高い、身長推定百七十七センチのイケメン。現代文担当の、詩乃宮先生だった。
先生は私の肩に手を添え、「こちらこそ、急いでいて。けがはありませんか?」と訊ねてくる。私は焦って「全然大丈夫です」と答える。
「良かった。あ、宇井さん。読みましたか? 『人間失格』」
「あ、はい。読みました」私の顔を見た瞬間に、私との簡単な口約束を思い出してくれる。先生は、ちゃんと先生をやっている。立派だ。その一言に尽きる。
「そうでしたか。感想をじっくり聞きたいけれど、次は授業が入っていましてね。放課後、もし時間があったら図書室へ顔を出してくれませんか。是非、生まれたての感想が知りたいもので」
「はい。わかりました」
詩乃宮先生は、太宰治を敬愛していることで私の中では有名だった。
その片鱗が、現代文の授業を受けていると、隅々に散りばめられているのに気づく。でも、それはきっと、私が太宰治を嫌うから、よりいっそうその部分が際立っているのかもしれない。「全弱者への救済」と詩乃宮先生が力説していて興味が沸いたから読んだ『人間失格』の私の所感は、大庭葉蔵は実に贅沢な男だというチープなものだった。




