表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
BURLESQUE  作者: 微倫
44/44

旧条紀香—キュウジョウノリカ― ⑥



 そして現在。二〇一七年。


「初めまして、旧条准教授。警視庁の江國(えくに)と申します。彼は部下の絵崎(えさき)です。本日はお忙しい中、お時間を頂きありがとうございます」


 研究室のドアにぶら下がる外札を【不在】に切り替え、カーテンを降ろし二人を迎え入れた。短い髪の婦警と、体躯の良い男。男の方には見覚えがあった。私は二人に珈琲を淹れた。


 研究室内が、ブラックの香りに包まれる。ソファに並んで座る二人の前に、お揃いのマグカップを並べて置いた。湯気を立たせるそれに先に口を付けたのは江國警部の方だった。絵崎捜査官は、小さな泡が表面に残る珈琲を見つめていた。猫舌なのだろうか。そう勘ぐっていると、江國警部の方から「すみません。お砂糖ありますか」と声をかけられた。絵崎捜査官が恥ずかしそうに江國警部の肩を小突いていた。なるほど。そういう意外性もある男なのか。私は小瓶に入った角砂糖をテーブルに置いた。彼はそれを遠慮気味に四つほど珈琲の中へ落とし、美味しそうに湯気ごと啜った。


「それで、用件は電話で言っていた通りでしょう」


「はい。尾藤唯香(びとうゆいか)と、上原麻奈美についてを」基本的に、私と話すのは江國警部の方らしい。彼女らとは、これから何らかの取引があるはずだ。今一度、気を引き締める。


「麻奈美ちゃんと、唯香ちゃん。懐かしいわね。でも、二人について訊きたがるってことは、ソリロクイとSについて、警察側が何かを追っていたりするのかしら」


 先手を打ったのは、こちらのペースに乗せる為。


「以前から、ソリロクイについてご存じであると?」江國警部に問われる。彼女の目は、真っ直ぐに私を見つめている。その目は、昔の私の目によく似ていた。必死に真実へ辿り着こうと足掻き、手段を選ばなくなった女の目。艶やかさを失い、男勝りになる眼光。渇望が覗けて見えるようだった。


「勿論よ。昔、ネットに落ちていた匿名論文は読んだかしら」


「はい。『ソリロクイ症候群とその処方源となる特殊個体』ですよね」


「そう。嬉しいわ。誰かの目に留まって、それがオカルトに終わってしまわず、警察が私の元に話を訊きに来てくれるなんて」


「というと、つまり」


「ええ。あの匿名論文を書いたのは、私よ」


 あの日の衝動が、こうして捜査線に繋がりを持たせた。私と警察組織を繋ぐ匿名論文は、今は何者かによって削除されてしまった。このソリロクイ症候群には、裏がある。刑事でもない私が疑るほど、強い圧によって情報が規制されている気がする。


「ぜひ、旧条准教授が確認されている情報を、可能な限り提供願いたい」


 はっきりとした捜査協力依頼。その隣で、絵崎捜査官がメモを開いている。


「やめておいた方がいいわよ」


「それは、何故」


「いや、あなた方がどのような経緯でソリロクイ症候群について追っているのかは知らないけれど、きっと捜査の先にある結末は混沌に近いものよ。あなた達が望むような、そんな結末は用意されていないから」


「それでも、自分たちはやりますよ」私の語尾に食らいつくように発言をしたのは、絵崎捜査官。「我々は正義の奉仕者であり、この国を護る義務がある」


 彼の持つ目は、数多くの出逢いの中でも一際鋭いものだった。


 声の張り方で思い出した。どういういきさつがあってそうなったのかまでは検討もつかないが、彼は戸田くんの裁判で、検事側に立っていた男だ。


「そうです。絵崎の言うとおり、我々は既にその混沌へ足を踏み入れた。今更戻る気はありません。そして、混沌をかき分けていくうちに、旧条准教授へと辿り着いた。我々に捜査協力をする義務はありません。あくまで今も、任意の上です。しかし、同じ混沌の身を投げた者同士、真実を語り合うのは最適解だと思うのですが、いかがでしょう」


 士気の高い刑事が持つ威圧。江國警部は、優秀で信頼できる刑事なのがよくわかる。


「それもそうね。逃げ延びる言い訳も見当たらないわ」


「良かったです」安堵を浮かべる江國警部。年若く見えるが、皺から見て三十半ばだろう。


「それで、江國さん達は何処まで知っているのかしら。順を追って話をさせて貰いたいから、二人がこの調査に向き合うことになった経緯と、私に辿り着くまでの過程を教えて貰えるかしら」


「捜査協力者だからと言って、警察内部の情報を全てをお話することはできません。その点については、予めご了承を」


「話せるところだけで良いわよ。私はあくまで一般人だもの。ただ、こちらに対して下手な詮索と嘘はやめて頂けるかしら。そうでもしなければ、この時間の生産性が薄れてしまうからね。ウィンウィンでいきましょう」


「ぜひ、ウィンウィンで」



 私は、二人がソリロクイを追い始めたきっかけと、これまでの捜査経過を聞いた。この問題が彼女らに触れたのは三年前の戸田くんの少女猟奇殺人事件が発端だった。現在と変わらず警視庁で勤務していた江國警部と、当時検察庁の刑事部で検察官をやっていた絵崎元検事は、東京都二十三区で起きた少女連続誘拐事件の捜査をしていた。被疑者として最有力だった戸田の自供を絵崎元検事が割り、誘拐された少女達の居場所を特定したものの、少女らは既に殺害されていた。大きくニュースにもなり、複数人の少女を切断し、縫合したあの事件は、ここ数年でも一番の凄惨な事件だとマスコミが騒ぎ立てた。


 事件解明後、戸田兆治の残した不審な発言に引っかかった絵崎元検事は、組織とは無関係な部分で戸田兆治の事件を更に深く追った。そこで絵崎元検事は私の論文に出逢い、ソリロクイ症候群にアクセスした。しかし、検察庁に流れてくる情報では限界があると判断し、検事を辞め警察組織へ異動した。その先で、江國警部と出逢ったそうだ。


 私へ辿りついたのは、先日千代田区で起きた車両火災がきっかけだったらしい。被害者の身元がS体質を持つ詩乃宮結季(しのみやゆうき)という男であり、現在はその男を殺害した犯人を追っているそうだ。詩乃宮結季を調べていくうちに浮き彫りになった女性達の中に、この大学の卒業生、尾藤唯香と上原麻奈美の存在があったらしい。江國警部が電話越しに二人の名前を挙げた時、さすがに驚いた。もうそこまで辿りついているとは、やはり日本の警察は優秀なのだ。


「これが、今、旧条准教授にお話できる情報の限りです。展開、協力次第ではこちらも更なる情報の開示が可能です。どうか、前向きなご検討を」


「十分よ。何となく、いや、しっかりと理解したわ。それで、麻奈美ちゃんと、唯香ちゃんについてを訊きたいんでしょう」


「お願いします」


 私は本棚から二〇十五年の卒業論文集を取り出し、彼らに差し出した。ページを捲ってすぐに、当時のゼミメンバーの集合写真が現われる。ゼミ生は計八人の中規模なゼミだった。上原麻奈美の隣で尾藤唯香が笑っている。女性陣は振り袖、男性陣がスーツを着こなしている。卒業式の日に撮った一枚だった。


「その右端にいる女の子が唯香ちゃんで、隣が麻奈美ちゃん。まあ、見ればわかると思うけど。私のゼミの中でも彼女らは良い子だったわ。卒業論文の出来も、二人はかなり良作だったわね」


「拝見します」


 写真を手に取った江國警部が、学生一人一人の顔を舐めるように見つめていた。


「この、上原麻奈美という学生は、どんな人物でしたか」


「変わってる子だったわよ。彼女もまたSで、その相談をよく私にしてきたわ。彼女の実体験から派生して、あの匿名論文は生まれたといっても過言ではない。漫画家を目指しているらしく、卒業する時も正規の雇用先は見つかってないみたいだった。今は連絡を取っていないから何も把握はしていないけれど、連絡先ならまだ残っているはずよ。彼女が番号を変えたりしていなければ」


 私が話した内容を、絵崎捜査官がメモへ書き留めている。珈琲は既に空だった。お代わりを訊ねると、「お願いします。あと砂糖も」と頭を下げられた。

 再び給湯器でお湯を沸かし直す。江國警部の質疑は続く。


「その上原麻奈美と接触をしたいのですが、可能ですか」


「ええ、平気だと思うわ。詩乃宮結季の事件に、麻奈美ちゃんが被疑者として上がっている状態なの?」


「いえ、断言はしかねます。ただ、詩乃宮周辺を調べていくと、彼がソリロクイを発症させた女性の大半が、上原麻奈美と何かしらの接点を持っていることが明らかになりました。尾藤唯香もその一人です。詩乃宮結季の目的は掴めていませんが、何か裏があるのではないかとこちらは考えています」


「なるほどね、麻奈美ちゃんが」


 私が俯いて頬杖をついていると、江國警部が「何か、思い当たる点でも」と訊ねてきた。


「逆よ。麻奈美ちゃん、そういう面倒ごと嫌いな印象があったから。もし、殺人事件の犯人だとすれば、そこには彼女らしい動機があるような気がする。ごめんなさいね、刑事さんに、素人が口出しなんかして」


「旧条准教授は、私らよりもソリロクイに詳しく、歴が長い。そういう意味では、刑事とはいえ、あなたのお考えの方が捜査の進度を上げることができます。それに、上原麻奈美の恩師であるあなたは、彼女をよく知っているはずです。忌憚なき考えを、どうぞご自由に」


「ありがとう」湯が沸いて、インスタント珈琲と砂糖を落としたマグカップにお湯を注ぎながら話す。「麻奈美ちゃんね、優しい子なのよ。変わっているって言ったけど、素直で、自分がしっかりとある。だから、もし詩乃宮結季を手にかけたとすれば、その理由も、優しい理由になるんじゃないかと思う。例えば、Sである者同士、苦しみを理解した故に、解放してあげようと思って殺した、とか」


「なるほど、面白い」江國警部が笑った。


「ただ、なんども言わせて貰うけれど、これはあくまで私の憶測の範疇を過ぎないわ。麻奈美ちゃんも人間よ。詩乃宮結季という男が麻奈美ちゃんを何らかの理由で獲得するために、彼女の周りを包囲する形でソリロクイを処方していたと仮定するなら、麻奈美ちゃんの逆鱗に触れ、それこそ衝動で殺害した、そういう話だってあり得る。まあどちらも、麻奈美ちゃんが犯人だという想定の上だから、私からしたらちょっと現実味に欠けるわね」


「上原麻奈美が、Sに対してどういう考え方をお持ちだったが、旧条准教授はご存じでしょうか」


「何にも無かったと思うわ。恨みも喜びも、何も。彼女、私に相談する時も、口癖のように言うのよ。『私は空っぽなので、苦しんでるフリでもしないと、人間じゃいられなくなる』って。そういう部分も含めて、上手く掴めない、風のような子だったわ」


 上原麻奈美にあるのは、きっと虚だ。人は誰しも虚を抱えている。それは突発的に自分を飲み込むだけの虚で、平常時には姿を見せない。虚は鬱や怒、哀や苦とも違う。何も無いということなのだ。彼女は、自分に何もないことを自覚してしまった。彼女の空っぽは、正真正銘、空っぽなのだろう。



 私と江國警部、そして絵崎捜査官は、捜査状況、集まっている証拠やアリバイ、互いの被疑者に対する見解を引き続き話した。それらが一段落すると、江國警部は何やら改まって、私を見つめて今後の協力方針の提案をしてきた。


「旧条准教授は私たちにとって貴重な存在になります。これからも、ソリロクイ症候群の究明と、それにまつわる犯罪の抑止として、我々に協力していただけると幸いです」


「協力ねえ」


 私が反復すると、二人は押し黙ったまま私を見つめた。


「江國さん、これは任意でしょう。私が何か面倒事に巻き込まれたくないと言い出したら、捜査協力は打ち切りになるけど、それでもいいかしら」


「自ら単独でソリロクイについて研究されている旧条准教授から、そのようなお言葉を聴ける機会は今後無いものだと勝手に考えています」


「あんまりよ。勝手過ぎる。でもその通り。江國さん、私あなたのこと気に入ったわ。世の中の秩序と平和を守るためにお力添えをって言われたら、私も首を横には振れないものね。でも、私からも一つ条件があるの。その条件をパスしてくれたら、これからこちらの研究結果は全て、そちらへ提出させていただくわ」


「条件、と言いますと」


「戸田兆冶に、会わせて貰いたい」


 二人が見つめ合い、今度は絵崎捜査官が先に「どうして、戸田に」と私に問う。


 私は、彼と友人であることを告白し、彼が私にソリロクイ症候群という言葉を教えてくれた人物である事実も明かす。「やはり戸田が」重苦しい表情の絵崎捜査官。その苦虫を噛みつぶすような目は、戸田の友人である私に対する気まずさなどからはきていなかった。あるのは、憎悪に満ちた目。彼はきっと、戸田くんのことを赦してはいないのだろう。


「なるほど」話を聞き終えた江國警部が頷く。「事情は理解しました。しかし、戸田兆冶は、既にあなたが知っているような人間ではありません。それに、彼が何かあなたに精神面への害的な作用を与えないとも言い切れない。そういう意味では、我々は旧条准教授を守り切れませんが、それでも会いたいですか」


「ええ。話したいわけじゃないの。一目みたい。彼がどう変わったのか。あなた方が戸田兆冶に接触する機会があるなら、そこに少し顔を出させていただければ、それで」


「はい。我々は明後日の正午に、戸田との面会を取り付けてあります。今回の事件に、少なからず戸田は関与しています。その話の調書を取りに伺おうかと。ご都合は」


「優先的に空けるわよ、もちろん」




 二人が研究室を出た後、私は江國さんの指示通り、尾藤唯香と上原麻奈美に連絡を取った。上原麻奈美に関しては、容易にアポイントが取れたものの、尾藤唯香は捜査協力に否定的な考えを表すメールが返ってきた。その長文を読み進めていくにつれ、現われる一つの疑い。


 私は携帯の画面を閉じ、ブラインドを引き上げて窓の外に広がるキャンパスを見つめた。彼女らがこの学舎を出て早二年。私はただ、教え子の安泰を祈りつつ、淹れ直した珈琲に口をつけた。





 ****





 私は刑事二人に隠れる形で、東京拘置所へ脚を踏み入れた。入所手続きは身分証の提示だけで終わった。きっと、警察官による面会ということで、大方の手続きがパスされたのだ。



 拘置所内を歩く時、私と江國警部は隣を歩いた。先導するのは絵崎捜査官。いや、絵崎元検事、といった方が適切だろうか。「今日は彼の時間だから。私はお手伝いみたいなものですよ」と後ろを歩く江國警部。私はその声を耳に挟みながら、彼の大きく、そしてたくましい背広越しの背中を見つめていた。


 自分が公判で死刑を求刑した男に会う前とは、一体どういう心持ちなのだろうか。よく戸田くんも面会を承認したと思う。私だったら、自分を死へ追いやる為に躍起になっていた人物の顔など、出来れば死ぬまで見たくは無い。戸田くんは死刑囚だ。刑務所へ入り、更正の余地があると見做されなかった、死を待つ人。彼が捜査に協力する理由は何だ。考えても無駄なことばかりが漠然と頭に浮かんでいると、留置担当官とやらに連れられ、面会室へ到着した。


「4931はもういるか」絵崎捜査官の問いに、担当官が頷く。「なら、まずは俺が入ります。そして、その後に江國さんは旧条准教授とゆっくり入ってきてください。旧条准教授、口煩く言いますが、こちらからの私語は無しでお願いします。戸田と会話をするのは原則俺だけにしておきます。あいつは頭のネジが飛んでいますから」


「はい」彼は私と戸田くんが友人であることなど、すっかり忘れているような物言いをした。



 絵崎捜査官が面会室のドアを越える。すると、外まで響く音量で「おぉぉ! 男前の悪魔! 久しぶりじゃないかぁ!」と聞き覚えのある声が賑やかに喋った。


「黙れ。興奮するな。入ってきてください」


 絵崎捜査官に呼ばれ、私は江國警部に続く形で面会室へと入室する。ドアが閉まり、担当官がドアを閉めながら部屋を出て行く。鎖に繋がれた戸田くんが、アクリル板越しに居た。隣で別の担当官が手綱を握っている。久しぶりに外部の人間と話すのか、彼の表情は紅潮している。


 戸田くんは私を一瞥したが、別に大きなリアクションは見せなかった。というより、私のことなど既に忘れてしまったかのように、他人の表情と視線を私へ送った。「誰だ此奴」そんな目で、私を見た。敬遠の態度は微塵も見受けられない。


「今日は女性二人も連れちゃって、男前自慢かぇ?」


「相も変わらず五月蠅いやつだ。死刑が決まって、少しは落ち着きを取り戻したかと思ったがな。しかし、痩せたな。どうだ、拘置所で執行日を待つ毎日は」


「いやはや、退屈で早く死にたいよ。本が無けりゃ自殺してるわな。まあ、味のうっすい飯食わされてるおかげで、脂はどんどん落ちてこけちまったよ」


「肥満体型の頃よりはマシだ。年相応の衰退ぐらいはしておけ。死刑囚らしくな」


「へいへい」


 戸田くんに対し、絵崎捜査官はかなり高圧的な言葉を使っている。しかし、戸田くんはそれに動じない。まるで絵崎捜査官が、そういう人間だと理解しているような素振りを見せている。それだけ、検事だった頃の絵崎解一という男が恐ろしかったのだろう。あの二人を見ていると、そちらの方が、久しぶりに会った悪友という印象を覚えるぐらい、分け隔て無い会話が続いていた。


「それで、今日は何のご用で」


「詩乃宮結季と、ソリロクイ症候群、それと離柘榴の会について、お前が知っている情報を全て吐け」


「あらあら。ついに警察はそこまで届いたかぁ」


「どうした? 嬉しそうな顔をして」


「いやいや。俺の起こした事件が、ちゃんと身になってるなって。それに、俺の隣に居る担当さんが言っていたけど、今じゃお前『絵崎刑事』なんだってな。どういう出世をしたらそうなるんだ? いや、出向か? 俺をあそこまで追い込んだ伝説の検事が、今は警察ねえ。どういう風の吹き回しだ? 俺に死刑を求刑したことで、お前の検事生活は最終回でも迎えたのか?」


「逆だな。お前のような人間がいることを知り、俺は検事を辞めざるを得なくなっただけだ」


「俺のせいかぁ。すまんすまん。それで、今は警察組織でそれらの類いを洗ってるってわけか。物好きだねえ、お前も」


「理解が早くて助かるよ」


「馬鹿にゃ何人も殺せねえよ」



 戸田くんは、そこには居なかった。私の知っている、誰かを支えようとする彼はこの世にはもういない。戸田くんはS体質だった。私の息子もS体質だった。息子は、クスリに手を出し、自殺をした。戸田くんはそうじゃなかった。でも、人を殺めた。もし、息子が生きていたら、戸田くんのようになってしまっていたのではないか。自分を赦すことで、辛さから逃げる。あの戸田くんをここまで壊すSという特異体質。そのものが、病なのではないかと思えてくるほどだ。


「単刀直入に言おう。お前が所属していた離柘榴の会は、既に崩壊寸前だ」


「おいおい」戸田くんが頭を抱え、不敵に笑いを溢す。「お前はもう検事じゃないんだろ? そういうわけのわからない脅し、やめてくれよ。なあ」


「脅しじゃない。離柘榴の会最高教祖、詩乃宮結季が死んだ」


「は?」


「殺されたんだ。何者かに」


「おい!」椅子を引き立ち上がろうとする戸田くんを、担当官がぐっと押さえつけた。「それは本当なのか? 詩乃宮くんが、死んだってのは」


「本当だ。犯人は未だ捕まっていないが、詩乃宮が死んだことで、離柘榴の計画は白紙に戻されたと言っても過言では無い。お前が悠々と語っていた革命も、振り出しに戻ったんだ」


「あぁ……ちくしょう……」ここに来て初めて、戸田くんの弱い声を聞いた。涙を堪えているような、苦しみを帯びた声。「なんでだよ……俺は詩乃宮くんに賭けてたんだ……彼ならって思ってよぉ……。おい、事件の概要を詳しく聞かせてくれよ。俺には知る権利がある。お前が本気で調べてんなら、俺と詩乃宮くんの関係性だってわかるはずだ。なあ、どんな殺され方だったんだ。詩乃宮くんは、一体」


 絵崎捜査官が、報道された内容に、情報を付け加えて戸田くんへ話した。戸田くんは絶句し、空いた口を塞ごうともせず、ただ拳を握りしめ震えていた。


「俺は悔しいよ、男前」


「伝わる」


「詩乃宮結季は、死んでいい人間じゃあなかった」


「どういう意味だ」


 戸田くんがアクリル板にぐっと身体を近づける。彼が何かを話す度、その熱がアクリル板に靄をかけた。瞳孔を開き、早口で語る戸田くんの姿は、まさに教徒そのものだった。


「離柘榴の会発足に、俺は関与してたんだ。詩乃宮くんは、絶望がよく似合う男でね。姉に放火で殺されかけた過去が精神に尋常じゃ無い影響を及ぼし、PTSDになった。俺はその担当カウンセラーとして、彼が中学の時に出逢ったんだ。良い子だったよ。頭も切れて、人に優しい。少し怯え症だけどな。ただ、本質は見えない子だった。誰に素を見せればいいか悩んでいるような子だった。はっきりしない、ぼやけた人間だよ。

 でも、一人の女との出逢いをきっかけに、自分の過去を思い出して、それからははっきりとした男に成長した。意志を持って、自分が思う正しさに突き進む。その道が茨であろうと間違っていようと関係無い。彼に着いていけば、幸せになれるんじゃないかって、Sである俺は思わされた。そんな魅力が、詩乃宮くんにあったんだよ。本当、神様みたいな男だった。そんな男が、熱意を胸に宗教団体作って社会に反旗を翻そうって言うんだ。俺の中にあった渇きを刺激されたよ。それで、俺は革命の第一打として、Sを利用した特殊な犯罪を起こした」


「なぜ、そこまでする?」


「わからねえよ。でも、俺が考えた一番非道な犯罪がアレだ。もちろん、俺がロリコンな自覚は多少あった。それでも、俺はそれを制御出来る側の人間だった。性癖は人様に見せるもんじゃねえ。俺は、その人様との間にあった柵を取っ払う理由を、詩乃宮くんの革命って言葉にこじつけた。そしたら意外と簡単に罪を犯せちまったんだ」


 当時の様子を述懐する戸田くんの貧乏揺すりが早まる。そんな癖はなかった。二十三年前の彼には。


「自覚があるなら問題ないな。お前の性根は腐っている。それを詩乃宮に擦り付ける形で犯行を起こした。それが全てだろ」


「半分正解で半分不正解だよ。擦り付けるって表現が×だ。俺は本当に、革命を起こしてやりたかった。どんな求刑も飲める覚悟はあったんだよ。だからお前が必死こいて裁判で俺を崩そうとしてる姿は滑稽だったよ。んなことしなくても、死んでやるって思ってたからな。熱くなってたよなぁ、男前が鬼みてえな顔してよ」


「黙れ」


「恐いねえ。男前を見てると、なんでか詩乃宮くんが浮かぶんだ。どちらも正しさに生きてる人間同士かもしれないが、お前には心が無い。詩乃宮結季にはあった、心がな」


「犯罪者と俺を同じ土俵に上げるな」


「犯罪者? 詩乃宮くんは何もしてねえよな。殺人幇助も自殺教唆もないぞ? 彼は導く人間だ。離柘榴の会は新宗教だ。宗教の本質はいつだって反社会性にあるもんだ。それを全うしようとしただけだよ、詩乃宮くんは。離柘榴のロゴ見たことあんだろ? アスモデウスと柘榴が描かれた柄。アレ、意味あんだよ。アスモデウスは旧約の『トビト記』に出てくる色欲を司る悪魔だ。自分の特異体質を、アスモデウスに見立てる詩乃宮くんのセンスには脱帽だよ」


「知っているさ、その程度なら。アスモデウスはサラという少女に取り付き、サラが結婚をする度に夫を絞め殺したそうじゃないか」


「物知りだねえ。そうだよ。俺達Sはそいつに取り付き、そいつらを支配できる。そういうニュアンス含みでアスモデウスなんだろうけどな。大事なことだから一度しか言わねえよ。アスモデウスは、乗っ取ったサラだけは襲わなかったんだ。そこに、詩乃宮くんの流儀を俺は感じるんだぜ。彼は秩序的な人間だ。ソロモンにも一矢報いることができる存在。それを失ったこの世界は、また虚像の安寧に満ちるだろうなぁ。哀しいよ、俺はさ」


「お前の信仰心はよくわかった。ただ、Sであるお前が犯罪を起こしたことが、Sという特殊個体への警戒値を上げたことを忘れるな。罪を正当化などさせない」


「わーってるよ。お前と話すの、やっぱり楽しくねえなぁ」


「お互い様だ」


 すとんと、背もたれに寄り掛かった戸田くんが首を鳴らす。


「それで、詩乃宮殺しをするとしたら、お前は誰による犯行だと思う?」


「そんなん知るか。俺が逮捕されてから、離柘榴がどんな形になったのか知らねえもんでな。あ、でもあれだな。さっき俺が言った、詩乃宮くんに記憶を取り戻させた女が怪しいと俺は睨むよ」


「理由は」


「ないね。その女の方は洗ってんのか?」


「これからだ。まずはお前と話をして、有益な情報をお前があの世へ行く前に搾り取ろうと思っていたからな」


「おおこわいこわい。本当に男前はあれだよな、東京地検刑事部だとは思えないやり方と言い方をしやがる。俺はあの頃、お前のことを特捜部だと思ってたぐらいだ。ストーリーテラーとしてお前は優秀過ぎた。覚えてるぜ、俺が取り逃がした日焼け少女の話。あん時の恐怖感、右に出るものはねえなぁ。責めすぎなんだよ、悪魔に魂売るギリギリにお前は立ってる」


「悪魔に魂を売り切った奴の相手をしていたからだろうな。今はしがない警官だ」


「なら良かった。溺れるなよ、エゴの正義に」


「忠告は受け取っておくよ。調書で二十日間を共にした仲に免じて」


「ハハハ、ありがとさん」




 それから、戸田くんが知っている情報の隅々までを隈無く探った絵崎捜査官は、早々に席を立ち、私たちを連れて面会室から出ようとした。絵崎捜査官が出て、江國警部が続く。私は戸田くんに目も合わせずに背を向けた。すると、


「旧条、がんばれよ」


 私と担当官にだけ聴こえるような小さな声で、彼は確実にそう呟いた。私はおもむろに振り返る。ドアが閉まる直前、戸田くんは私の知っている顔で微笑んでいた。目の際に皺が寄る、あの顔で。






 ****






「ああ、気分悪い。ちょっと頭冷やしてくる」


 先にダウンしたのは意外にも江國警部の方だった。無理もない。戸田くんと友人だった私や、検事として取調を行い続けた絵崎捜査官と違い、彼に対する免役が彼女には備わっていない。すたすたと足早に拘置所内を後にする江國警部を見つめながら、私は顎に指を置いて何かに思い悩んでいる絵崎捜査官へ声をかけた。


「ありがとう」


「はい?」絵崎捜査官がハッと意識をこちらに戻し、何が? と問いたげな眼差しを私へ向ける。


「いや、戸田くんがどういう人間だったのか、今回ではっきりとしたから」


「ならよかったです。戸田から旧条准教授に対し、個人的な接触も見られなかったので、俺も安心しています」


「そうね」


 絵崎捜査官の中にいる戸田くんに、善人の側面は少しも残されていないのだろう。人を殺した。何人も。彼は裁きを受けなくてはいけない人間だ。ただ、公にされず、法に触れないことを引き合いに、罪を隠蔽し続けている私は、善人であると言えるだろうか。無論、不可能だ。息子を殺したのはどう考えても私の弱さで、病のせいになどはしたくない。私に、戸田くんを責める資格など、これっぽっちもないのだ。


「絵崎さんって、常に難しい顔をしているのね。何か思い詰めることでも?」


「いえ。上原麻奈美について、少し謎が深まったという印象で」


 腕を組み、人差し指で上腕をとんとんと叩く絵崎捜査官。戸田くんは彼を悪魔だと罵ったけれど、何となくその意味は分かる。絵崎解一は、優秀過ぎる。決して戸田くんのように、心がないとまでは思わないけれど、彼の正義は常に平等性の元に保たれており、エゴや情などは一切関与してこないのだろう。



 この話は、捜査を進めていく上で重要な事実になり得る話だ。しかし、私はそれを彼に話すべきか迷っていた。錯乱させてしまうのではないか、と。私の良心や、道徳的な判断力が真実に制限をかけていた。


 ただ、それは間違いであると、絵崎捜査官を見ていると気づかされる。彼は、どんな手段を用いても真実を追う。正義という曖昧な鎧。それを纏う彼には、敵も味方も居ない。孤独に、あるがままを世に曝す。その姿は、悪人からすれば悪魔のように映るのだろう。正義がこちらに猪突猛進してくるのだから、怯えるほかない。


「絵崎さんに、話しておかなければならないことがある」


 良くも悪くも、人間ではない彼にだから、私は全てを包み隠さず伝えるべきだと判断した。


「はい。何でしょう」


「これは、江國さんの耳には入らないようにして貰いたい。きっと、話を聞き終われば、あなた自身もそうするだろうから、心配はいらないのだけど」


「一体、何を」


「一昨日、これからの捜査方針について私の研究室で話し合った際に、麻奈美ちゃんと唯香ちゃんに連絡を取っといて欲しいと江國さんに頼まれたわ」


「ええ」


「それで、双方に連絡したのよ。あの後すぐに。どちらもちゃんと連絡先は繋がって、麻奈美ちゃんはすんなりと受けてくれた。ただ、唯香ちゃんは任意であれば捜査協力は二度としないと言っていた」


「どうして」


「『これ以上、危ない橋を渡りたくない』そうよ。あの子、以前に江國さんから一度接触を図られたそうじゃない。それは確かかしら?」


「ええ。その時点では、SNS写真家のマリという女性に会う名目でしたが、結果的に尾藤唯香であることが後々判明しました」


「そういうことね。まあ、詳しい内容は現物の文面を見て貰った方が早そうね。これ、唯香ちゃんからの返信よ。事実かどうかは、あなたが見極めなさい。私はお手上げよ」



 ゆっくりと私の手から携帯を抜いて、画面に指を重ねながら長文を確認する絵崎捜査官。その顔色が段々と悪くなり、眉間に歪みがうまれていくのが見えた。





【…………私が言いたいことは、旧条先生にも気を付けて貰いたいということです。捜査協力という形で警察と深く繋がるのは控えた方がいい。特に、江國という刑事には細心の注意を払ってください。三十後半の婦警です。私は一度、彼女とSNSを通して接触し、千代田区の車両火災と詩乃宮結季についての聴取を受けました。しかし、その時の態度は酷く横暴でした。撮影会という名目でのマッチだったので、事情聴取はラブホテルで行いました。密室だったのもあると思いますが、江國はいかれています。荒々しい口調、脅すような台詞。私をまるで容疑者に引き立てようと必死な素振り。うんざりです。もうあんな思いはしたくない。だから、いつ化けの皮が剥がれるかわかりません。旧条先生にだって、いつそのような態度を取るかわかりませんから。それで、ここからは余談です。今、記者をやっているよしみで、私はあのあと、江國という女について少しだけ調べました。江國陽菜乃は、公安部の刑事です。彼女、公安部の中じゃかなりのエリートらしくて、外事課というキャリア揃い踏みの部署に所属していて、そこで幾度となく功績を重ねていたそうです。麻薬、銃器等の輸入摘発検挙数は年間第一位を記録したとの話もあります。公安部長とも、知らぬ仲では無さそうです。そんな彼女は今、外事課に席を置いていません。今は特別捜査二係第四課という部署の係長をやっています。その部署はどうにも、江國自身が設置した部署らしく、何か特別な内容の捜査を行う課であると聞きました。先生、おかしいと思いませんか。疑問ではありませんか。江國はどうして、出世を捨ててまで新しい課を作ったのか。警視庁内部の意向は知りませんが、私はどうしても腑に落ちません。江國は何かと繋がっている可能性があります。実際、確証は得られませんが、銃器等摘発の裏には、優秀なブローカーとの取引もあったとか…………】







 メールを読み終え、携帯を私に返した絵崎捜査官。その表情は、何かに気づき、背筋を酷く凍らせているように見えた。


「銃器等の摘発、ブローカー……」


 ぼそぼそと独り言を溢す彼に、私は個人的な可能性を付け足す。この可能性が事実に関連するなら、それはとても恐ろしいものだと言える。


「あと、これは戯れ言として聞いて欲しい。私は、彼女の年齢に引っかかる」


「年齢?」


「そう。江國さんは今おいくつ?」把握しているが、あえて絵崎捜査官に訊ねた。


「三十七です」


「そう。三十七。あくまで偶然かもしれないけれど、詩乃宮結季の亡くなった姉は弟よりも八つ上。つまり、生きていれば現在三十七歳。江國さんとは同い年になる」


 小さな舌打ちが鳴った。絵崎捜査官だった。


「彼女はソリロクイについての捜査意欲が絵崎さん同様にかなり強い。けれど、絵崎さんと違うのは、どうしてそこまでソリロクイに固執するのか理由が分からないという点。絵崎さんには検事時代の、戸田兆冶の事件という因縁がある。しかし、江國さんには? 私は何も知らない。ただ『許せない』だけで、そこまで人は動けるかしら。あるのは、執念。そして、執念となり得る動機があるとすれば、S体質者によって、何か大切な人を失っていたとすれば……。そう、詩乃宮麻衣を彼女が予め知っていたとすると」


 絵崎捜査官の鋭い眼力が私を見て、思わず気圧されそうになった。背中に力を入れる。


「旧条准教授、俺からも一つ、戯れ言があります」


「なにかしら」


「彼女の身体には、火傷の痕がありました」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ