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BURLESQUE  作者: 微倫
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詩乃宮結季—シノミヤユウキ― ④



 上原麻奈美は上奏(じょうそう)大学に通う女子大生だった。個人的な用事を済ませ、その脚で皇居内をスケッチしに来たのだと言った。


 僕は彼女に興味が沸いた。僕ですら思い出せない、足音の持ち主を、彼女は知っているようだったから。きっと、これは僕のトラウマだった。戸田先生が必死に押さえつけ、封じ込めた記憶。それを自ら再び開こうとするのは、先生に申し訳なかった。しかし、安寧を手に入れてしまった僕は、ついに好奇心に負けた。


 僕は麻奈美を連れ、KITTEの屋上庭園へ上がり、東京駅を見下ろしながらお互いの話をした。彼女は不思議な女性だった。僕と会話をしているというのに、東京駅を模写する手を止めようとはしなかった。作業のバッグミュージックとでも言わんばかりに僕の話を聞き流す。そんなことをされたのは初めてで、腹立たしくはなく、新鮮さが打ち勝った。


「将来は、画家になりたいの?」


 僕が訊ねると彼女は首を横に振って、「そんな立派なもんじゃない」と笑った。


「じゃあ、何?」


結季(ゆうき)くんって、漫画読む人?」


「漫画?」麻奈美は僕が自己紹介をした時から、僕のことを「くん付け」で読んだ。年齢も言ったはずだったが。気にはしていない。「読むよ、たまに」


「何読むの?」


「何だろう。最近読んだのはGANTZかな」


「センスいいね。面白かった?」


「うん。世界観が良かったし、玄野と加藤の関係性が好きだった」


 彼女の傍で、スケッチブックに描かれた東京駅を覗き込む。柔らかい鉛筆を使っているせいか、全体的に、模写にしては線がはっきりとしていない。東京駅というより、夢に出てきた東京駅を描いているみたいだ。絵心があることに変わりはないけれど。


「結季くん、私が今描いてる漫画の主人公っぽいんだよね。雰囲気とかがさ」


 麻奈美が何気なくそんなことを言った。主人公。その響きは、誰しも多少は嬉しいものだろう。安直で幼い喜びを悟られぬように、「どんなキャラクターなの?」と訊ねる。


「根暗で気が弱そうで、だけどイケメン。常に何かを思い詰めてる表情をしていて、ミステリアスって言えば聞こえはいいけど、もっと重たい雰囲気の人。作品自体は、SFアクションなんだけどね」


「あらすじが知りたいな」


「うーんと、かなり飛んだ設定なんだけどね、自分では制御出来ない『他人を支配する力』を持ってしまった主人公が、無自覚に他者を洗脳してしまうんだけど、それに反旗を翻す勢力と戦争するって話。他人の支配を不可抗力で行ってしまうことで悪人扱いされちゃう可哀想な主人公なんだ。だからさっきの似顔絵も、私が描いてる漫画と勝手に連動しちゃって、若干怒った顔になっちゃったのかもしれない」




 あらすじを聞き終えた僕は、稲妻が落ちたみたいに身体をがくりと震わせた。急激に襲いかかる悪寒。そして、瞬く間に追いつくのは、あの足音と記憶。こつんこつん。音が段々と大きくなっていき、暗い影の中から僕に手を伸ばす一人の女性の姿が見える。未だぼやけている。しかし、そこにいる。


 震えが止まらなくなった。脈拍が上昇し、呼吸が浅くなった。僕は麻奈美に、「もっと詳しく」と言った。彼女は不思議な顔をして、あらすじの続きを語る。世に出ていない未公開漫画の内容が隣で語られるにつれ、僕の人生が種明かしを受けていく。記憶の欠片が繋がり出した途端、目眩がして、刹那のブラックアウトに落ちた。意識を取り戻すと、屋上庭園から覗く数多のビルが歪んで見えた。想起される、十二歳の僕の記憶。網膜の裏に張り付いた、焼ける自宅と、姉の姿。




 全てを思い出した。僕の人生のプロローグ(・・・・・)が、そこにはあった。




 温かな微笑みを持つ母と、厳格さの奥に優しさを秘めた父の間に、僕は産まれた。大切に育てられた幼少期。本が好きだった僕へ、一人では読み切れないほどの文庫本を買い与えてくれた両親は、僕が小学校六年生の時に、自宅と共に灰になって死んだ。



 脳裏に映るのは、家の中でガソリンを撒き散らし、僕の腹を蹴り上げる姉の姿だった。姉は、僕と家族、いや自分までもまとめて殺そうと考え、家の中に火を灯した。一家心中という言葉を知らなかった当時の僕は、姉の奇行を形容することができないままだった。


 僕は、一体何を間違えたのだろうか。きっと前世で、大罪を犯してしまったのかもしれない。そうだと考えなければ、救いがない。姉が壊れたのは紛れもなく僕自身のせいであり、僕の体質のせいで、家族は皆、死んだ。


 幸い、とは言い難いが、僕は生き残った。救助されてから、今の今まで僕はこんな大切なことを忘れていた。記憶が欠落することで、孤独が開いていく感覚があった。そのせいで、何も考えることはできなかった。惰性の毎日。僕の人生は突然、大穴に落ちた。空を見上げても、灼熱の日射しが僕を襲うばかりだった。渇きが、唯一の理性を蒸発させていった。怒りが熱を帯びていく。当然の如く僕から全てを奪った姉を憎んだ。じりじりと沸き上がる憤怒が、僕の温度を上げていく。父と母の顔が過ぎった。そして、再び想像の中でそれらが焼き焦がされていった。








「どうしたの?」


 汗だくになった僕を見かねて、麻奈美が心配そうに声をかけた。僕は隣を向いて、麻奈美の両肩をがっしりと掴んだ。目と目が合う。麻奈美は疑問符を浮かべる。彼女は表現者としての才能がある。僕の中に眠る怒りと哀しみを、一目で全てを紙上へと写したのだから。更に、この出逢いには運命がある。彼女の漫画が、僕の人生を描いていた。


「ねえ、その物語、着想はどこから?」


「え? そんなの、何となくだよ」


「はぐらかさないで。ほら、どうしてその、不可抗力で他人を支配してしまう力という設定に辿りついたのか、教えて欲しいんだ」


 僕の必死さが響いたのか、麻奈美は目をぎょろりと動かした。


「冗談半分で聞いてくれるなら」


「わかった」こくりと頷いてみるが、平静を装えている自信はない。


「この話、私の実話なの。支配の能力も、私の力なんだよね。おかげさまで、なりたくもない悪女になったわけだけどさ」


「悪女?」


「そ。悪女。私の高校時代の綽名。あと、泥棒猫、ヤリマン、陰キャビッチとかもあった。私からしたら全然ピンとこないんだけどね」


 麻奈美が無造作に跳ねた髪の毛をかきむしった。甘いヘアバームがふわりと香る。彼女が挙げた名前はどれも、男性と深く、それに多方面へゆかりのある人間を侮蔑的に扱う綽名たちだった。彼女は確かに、一見すると分からないが、じっくり見てみるとこの歳の女性の中ではダントツに美人だった。自分自身がそれに気づいていないからか、服装や化粧にこだわりをもたぬせいで、美しさは霞んでいる。


「どうしてそんな酷い呼ばれ方をしていたんだ」


「私ね、男を虜にする世紀のモテ女なんだ。意外でしょ、こんな陰キャなのに。不思議なんだけどね。最初は、私なんかに告白してくる人もいるんだーぐらいだったんだけどさ、いつの間にか、私を女王様みたいに崇め始める男達がいて。昔からこんな大雑把な性格だから、男友達は多かったんだけど。ある時を境に、男の私への束縛心や独占欲が強くなった気がしたんだ。それで、私が右を向けば右を向くようになって、私が男を支配するのは簡単なんだって思った。わかりやすいトリガー、法則性に気づいてからはね」


「法則?」彼女の昔話が、僕の人生に情報の補填を行う。やはり似ている、僕と。


「私も法則に早く気づいてたら、男なんかと仲良くしたり、話を聞いたりしなかったんだけどね。男友達からよく相談を受けてたの。彼女と上手くいかないとか、進路がどうとか。でもいつだって真剣に未来を悩んだり、誰かとの人生を考えてる友達は素直に尊敬できたから、私は彼らを励ましたんだ。男ってさ、弱い部分を見せるのは二番の女だけなんだろうね。恋人の前で泣いたことすらない男が、私の前ではよく泣いた。でも、法則はそれだった。私は、男を泣かせると、泣いた男を支配することができるようになる。おかしいでしょ」


 僕の周りで女がよく泣く理由と繋がった。


「でも手遅れだったよ。支配するというより、男達は私への忠誠を誓って、勝手に独占欲を持ち始めた。私は呆れてたし、これが何か可笑しなことが起こってるなって思うぐらいだったけど、周りの女性達はそうじゃなかった。私は淫乱やらなんやら散々言われたよ。男友達に指一本も触れてないのにね。厄介なだけだと思って、私はこれを漫画にしようと思ったんだ。色々調べたいから、精神構造の勉強が学べる心理学部にも入学したってわけだ」


「君は、僕と同じだ」


「え? 笑ってよ、そこは」


「笑わない」街の喧騒や風の音は、既に世界から消えていた。この瞬間、世界には僕と麻奈美だけが存在している感覚に酔った。「僕は麻奈美のように、虐げられたりはしてこなかった。でもそうなんだ。泣くと狂う。女達は、僕の前でよく泣き、よく狂った。全部そうだ。君の力を、僕も持っているんだ。そして、この力のせいで、僕は一度殺されそうになった。実の姉に。今、思い出した。君の話が引き金になって、全て思い出したんだ。姉も両親も、もうこの世にはいない。理由が分からなかった。周りも事実を僕にひた隠し、凄惨な過去から僕の未来を遠ざけようと必死だったから。でも、姉が全員焼き殺した。それが真実だ。僕だけが生き残ったせいで、姉の計画は失敗した。ねえ、この力を持つ人間は、無条件にも家族に命を狙われなくちゃいけないのか? 君は僕の話を聞いて、どう思った?」


「漫画だね、結季くんの人生は」


 麻奈美は、人が殺されそうになった話をしているというのに、どこか興味もなく、飄々と笑ってみせた。胸が熱くなって、頭に血が上った。僕の苦しみを掘り起こした麻奈美が、僕に同情も共感も見せないのがひたすら気に食わなかった。君と出逢わなければ。理不尽な逆上が僕を満たす。


 その時の僕は、まさしく壊れていたのだろう。冷静な判断かできなくなっていた。周囲に人がいるかろくに確認もせず、僕は麻奈美の首を絞めた。咄嗟に、泣け、そう思った。苦しみや痛みで涙を流せ。そのまま僕に支配されろ。君が教えてくれたんだ。支配の法則。その表情ごと、全部壊して──。



「いっしょ、に、しぬ、?」



 顔を真っ赤に染め上げた麻奈美が、途切れ途切れにそう呟いた。僕の両手は力を失い、麻奈美の首から離れた。心を溶かすような温度に触れ、僕の両目からは必然として涙が溢れた。ああ、泣いている。泣くのなんて何年ぶりだろうか。麻奈美の顔を見る。「大丈夫。大丈夫だよ」麻奈美が呼吸を整えながら微笑む。その手が、僕の頭を優しく撫でる。「私たち、この力を持つ者同士じゃ、支配は作用しないからさ」僕の心は、至って普通に麻奈美を見つめていた。


「どうして、僕を咎めない」


「なんでよ。何か君が今悪いことでもした?」麻奈美の首が少し腫れている。僕のせいだ。


「僕は今、君の首を絞めて、泣かせて、支配しようとした。最悪の場合、殺してしまうかもしれなかったんだ。それなのに、君は」


 立ち上がった麻奈美は、手すりに身体を預け、僕に背を向けた。衝動に身を任せ、透き通った硝子を飛び越えれば、このまま地面に叩き付けられるだけで全てが終わってくれる。そんな誘惑に唆されながら、彼女の言葉に耳を傾ける。


「疲れるよね、この世界ってさ。私は、結季くんの衝動をよく理解してるよ。ずっと忘れてたんだ。虐げられる辛さも、不自由さも。世間はさ、私たちを羨ましく思うかもしれない。泣かせたら洗脳できるんでしょ、みたいな考え方でね。でも、私たちはいつだって無自覚に誰かを支配し、それを悪用する気がなくとも、悪だと罵られる。勝手に持たれた独占欲という刃を向けられ、切っ先が心を抉ってくる。勝手に近づいて、勝手に干渉して、勝手に惚れて、勝手に泣いて、勝手に支配されてく。勝手だよね、皆。そんな世界で、私と結季くんは笑って生きていけるかな」


 選択肢は一つしかない。「無理だよ、僕らには」


「でしょ。だから、今は絶好の死ぬチャンスだと思ったんだ。私を殺してくれるのは、私と同じ苦しみを知る人だけ。結季くん、こういうの、運命って言うんじゃないかな。私はこの出逢い、とっても物語的でうきうきしてるよ、今」


「……じゃあ僕達は、最初から産まれなきゃ良かったってことじゃないか」


 屈辱が歯ぎしりと共に口から漏れ出す。垂れそうになった鼻水を啜って、座っていたベンチを拳で殴った。


「そうだね。そうかもしれない」


「僕の姉は、僕の危険性に気づいていた。幼い、まだ十二歳の僕の腹を蹴り飛ばして、僕の家族に火をつけて殺した! なんでだ! 僕は何一つだって悪いことはしてないだろ! 許せない! 僕なんかより、僕に危害を加える人間が死ぬべきなんだ! どんな理由があろうと、人を殺す理由にはならないだろ!」


「落ち着きなよ。記憶障害だったんでしょ。何か薬とか持ってないの」


 麻奈美がリュックから取り出したミネラルウォーターを僕は受け取り、久しぶりに精神安定剤を服用した。気休めだが、麻奈美が背中をさすってくれるおかげで、激情的な姿勢は落ち着きを取り戻す。


「辛かったね、とか、もう私がついてるから、とか、そんなこと、私は言ってあげられない。これからも不自由は続くし、それを理解し、認めてくれる人間なんて現われないだろうから。でも、忘れていたよりマシじゃないかな。結季くんの人生が、虚像だけで終わることがないのであれば、その方がいい。真実は残酷だったとしても、真実を知らない残酷さよりは救いがあると、私は思うな」




 麻奈美は大人だ。僕より大人だ。その達観が、僕には魅力的に映った。だからこそ、麻奈美に突飛な話を提案したくなったのだろう。立ち上がり、東京駅沿いを歩く人を見下ろす。多様性など、この世界に未だ実在はしていない。手を握り合い、道を歩く恋人を見つけ、そんな気持ちになった。


「ねえ、麻奈美」


「なーに」


「復讐とかって、どうかな」


「復讐?」反応を示す麻奈美の声は冷たい。


「今、決めたんだ。僕は復讐してみるよ」


「誰にするの。お姉さんは、もう亡くなってるんでしょ」


「麻奈美が描いている漫画と同じさ。戦争だ。僕らを否定する全てと、対立し、戦争する」


「意味あるの? それ」


「ある。あるさ。僕らは力を持っている。すなわちそれは、特別ってことだ。例外ってことだ。ならば、その異質性を見せつけるべきじゃないか。何もせずにいれば、埋もれてしまうけれど、僕は教師をやっているんだ。人を導く職業だ。方法を変えるみたいに、機転を利かすんだ。支配から生まれる幸福があったっていいじゃないか。知らしめるべきなんだ。僕らはきっと──」


「結季くん、やっぱりそれは漫画の世界の話だよ」馬鹿だなあ、と麻奈美は笑う。


「漫画じゃない、僕は現実に……」


「私たちの力はさ、人を支配する力かもしれないけど、本当の意味で人の心を動かせる教職に就いてる結季くんが、そんなくだらない能力に頼るなんて私は間違ってると思うな。凄惨な過去があった。虐げられて生きていた時代があった。でも、全部過去の話だよ。今は教師なんでしょ。君の手腕は、教壇に立って発揮されるんじゃないかな。教壇こそが、君の居場所なんじゃないかな」



 その言葉を皮切りに、僕は押し黙った。続く適切が見当たらなかったからだ。麻奈美とは、帰りに喫茶店でお茶をし、連絡先だけ交換してその日は別れた。






 夜は、あまり寝付けなかった。麻奈美に諭されてしまったことよりも、やはり記憶の奥底に埋もれていたあの映像が鮮明さを取り戻したことが原因だろう。僕の怒りは、薬と時間に寄って制御し、沈められていた。しかし、あの頃の僕では無い。倫理も教養も道徳もわきまえた大人の自分が、正しさを持って、過去の痛みに復讐を捧げる。姉はいない。詩乃宮麻衣(まい)は死んだ。詩乃宮(あきら)も、詩乃宮多恵子(たえこ)も死んでいる。だからこその、手向けだろう。




 僕は翌日、戸田先生に会うことを決めた。全てを思い出したことで、戸田先生の努力は水の泡になってしまった。それでも、先生ならきっと受け入れてくれる。あの笑顔を思い出そうとしたが、上手くできなかった。無理もない。三年前にクリニックへ顔を出し、「完治」という言葉を貰ってから、一度も連絡すらとっていなかった。連絡先は残っていた。今も同じクリニックに務めているか分からなかった。戸田先生に、「お久しぶりです。詩乃宮です。明日、お時間ありますか」とショートメッセージを入れた。「久しぶりだね。明日は休みだから、いつでも。どうかしたかな」僕は明日の正午に、戸田先生と会う約束を取り付けた。



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