詩乃宮結季—シノミヤユウキ― ③
三月の中旬。教師生活も三年目突入間近の春先。週末に、僕は一人で皇居内を散策していた。桜の島と呼ばれる皇居東御苑を歩いていると、様々な品種の桜をお目に掛かることができた。ソメイヨシノが美しいのは知っていたが、個人的にはアマギヨシノの基部が淡紅紫色の妖艶さに惹かれた。
休日の皇居は思いのほか人で溢れている。芝生の上で写真を撮る恋人同士。世間話に花を咲かせながら賑やかに歩く婦人一行。天守閣跡から一眼レフを三脚付きで構えるカメラマン。皆が自由に、そして穏やかに過ごすこの時間と場所が好きだった。誰も皇居内で馬鹿みたいに騒ごうとする者はいないだろう。日本人という国民性がうかがえた。
散歩はいつだって、僕の頭を整理させてくれた。あと少しで、僕の新しい担当学級が発表される。二週間前に二年間を共に過ごした四組の生徒達を見送ったばかりだが、気持ちと教育意欲は常に前を向いていた。次は何年生を受け持つことになるのだろうか。期待と不安で、毎年この時期は胸がいっぱいになる。
木陰に隠れ、芝生に腰を下ろした。辺り一面に長さの揃った黄緑色の床が広がっている。スキニーパンツの汚れは気にならないほど清潔な芝生だった。僕はそこで、徐に本を開く。太宰の『人間失格』だ。もう何度も意味返したせいか、表紙の角が削れ、中の紙は弱りきっていた。小説を読む時間は好きだ。活字を追っていると無心になれるし、登場人物の人生を追体験できる。僕の尊敬する教育思想家ヘルバルトは、教育は経験の拡充だと言った。読書はまさにその行為を体現しており、限られた時間の中で経験を多く積むのに、読書は最適だった。
大庭葉蔵の忌憚なき戯れ言に夢中になっていると、一人の女性に声をかけられた。スケッチブックとペンを握り、大きなリュックサックを背負った彼女は、「あの、読書の邪魔しないんで、似顔絵描いてもいいですか」と言った。突然のことで、僕は栞を挟む前に本を閉じた。そして、当然のことのように断った。人と触れ合うことは避けたかった。それも女性。彼女がどういう意図で僕に声をかけたのか判明しない時点で、そのスケッチブックとペンすらも、僕には手段の為の道具のようにしか見えなかった。
彼女は食い下がらなかった。「絵になる顔をしてる。勿体ない。数分だけ、お願いします」と。僕は従った。彼女の瞳に嘘は描かれていなかった。再び本を開く。栞なんて無くとも、何処で本を閉じたか内容で思い出せる。堀木の罵詈雑言がツネ子に飛ばされるシーンだった。彼女は僕の正面に座った。日射しが当たっていた。僕と彼女、日陰と陽向ではっきりとした区切りが生まれていた。小説のページを捲る度に、彼女のスケッチブックに鉛筆の擦れる音が鳴った。彼女の表情は真剣そのもので、僕の何かを必死に捉えようと手を動かしているみたいだった。
鉛が集合して、紙上に僕の輪郭が浮き上がる。本当に十数分ほどで完成した絵は素晴らしいクオリティだった。何が素晴らしいかと言えば、僕は無表情に本を読んでいただけなのに、スケッチブック上に描かれた僕は、あろう事か泣きながら怒っている顔をしていた。彼女には才能があると確信した。表現者というものは、ある種の抜きん出た洞察力の上に作品を生み出す人間であると僕は考える。彼女は僕を見抜いた。僕ですら見抜けない、深い場所に眠る、僕を。
あの足音が響く。こつんこつん。思わず僕は、彼女の名を訊ねた。「上原です。あ、上原麻奈美です」描き終えた絵にばかり意識を向け、僕には素っ気ない返事を彼女はした。




