詩乃宮結季—シノミヤユウキ― ②
「おはようございます~先生」
「おはようございます」
「おっはよざいまーっす」
「おはようございます」
「あ、詩乃宮先生今日挨拶当番なんだ! おはよ!」
「そうですよ。朝から元気で良いですね。おはよう」
午前七時半過ぎ。正門前で、昇降口へと吸い込まれる生徒達に挨拶を届ける時間。元気溌剌な生徒。未だ寝ぼけ眼を拭い切れていない生徒。無愛想な生徒。僕を見つけて喜ぶ生徒。見知らぬ生徒。僕のクラスの生徒。様々な顔が、一つの校舎に流れていく。
あれから僕は教師になった。高校生の時分、担任に進路を問われた時、僕も「先生」と呼ばれる仕事に就きたいと言った。戸田先生の影響が大きいのは確かだ。戸田先生のように、人の為になれる人間になりたいと願った。
「医者」は不可能だった。そこまでの資金も、学も持ち合わせてはいない。なら「作家」はどうだ。それも無理だ。文才や発想力は、僕が一番乏しい部分である。だとすると「教師」か。消去法ではあったものの、僕は受験勉強に精を出し、教員採用試験の突破率が優秀な大学への指定校推薦枠を獲得した。
大学入学後、勤勉と娯楽をバランス良く謳歌しながら、高校の教職免許状を取得した。同時に、隙間の時間を縫って学校図書館の司書教諭免許も取得した。本が好きだったから。免許取得に費用がさほどかからないから。理由はそれだけだった。
大学四年次に受けた教員採用試験。何とか通過した僕は、すぐさま結果を戸田先生へ報告した。いつだってそうだ。僕が「先生」になりたいと決心した時も、大学に合格した時も、真っ先に伝えに行ったのは戸田先生の元だ。僕が「教師」になったことを、戸田先生は大いに喜んだ。先生も四十手前。昔よりも顔がやつれてはいたけれど、あの優しい、笑った時に生まれる濃い目尻の皺は健在だった。「合格と完治、本当におめでとう、詩乃宮くん。少し寂しいけれど、俺ともお別れだ」
教職に就いて、僕の人生は再出発の兆しを見せていた。日々のうのうと生きていた僕にできた生徒という名の護るべき存在。彼らと真摯に向き合うことで、僕は僕を形成することができる。「詩乃宮先生」彼らにとって、僕は先生なのだ。何かを教え、間違いを叱り、正しさに導く。悪の誘惑から引き剥がし、自然の赦すまま、善として生きる手助けをする。それが、僕にできる唯一の行いなのだから。
先生という職務は僕によく合っていた。生徒と先生、越えてはならぬ明確な線引きの上に立つ関係性。それが、人間関係が不得意な僕には適したものだった。僕は、よく距離感が掴めなくなる。友人はできた。しかし、望んでもいないのに、友人以上を求められた。異性に。どうしてそうなる。僕は何をしでかしている? 疑問が浮かぶ度に、あの足音がこつんこつんと近寄ってきた。何かを思い出しそうになって、そのまま曖昧模糊に沈む。面倒な女性関係は全て切った。僕が求めたのは、僕を縛る為の友人では無い。例えるなら、独占欲や承認欲求が服を着て歩いているような女性ばかりが、僕の周りには群れていたから。
厄介事に巻き込まれる回数が増えるにつれ、僕は女性に不信感を抱き始めた。僕の前で、女性はよく涙を流した。理由は様々だったが、全ては好意の元に帰結する涙だった。
先生になってから、多忙に追われ、プライベートは磨り減った。おかげでそんなことに巻き込まれる回数も激減し、まあまず生徒からそのようなアプローチを仕掛けられることもなく、毎日毎日、授業と生徒相談を繰り返し、有意義な日々を堪能した。
しかし、僕と一人の女性の出逢いが、僕の全てを狂わした。
あれほどまでに儚くも、清く美しい女性を、僕は人生で他に見たことがない。




