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BURLESQUE  作者: 微倫
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絵崎解一―エサキカイチ― ⑥



 データと捜査資料に向き合い続け、既にお互いの集中力は散漫としていた。時刻も午前四時を迎え、疲労感と睡魔が瞼をぐっと重くする。



 ひとまず明日、アポイントが取れ次第、江國さんと二人で尾藤唯香と上原麻奈美が在籍していた上奏大学心理学部のゼミナール教授、旧条紀香(きゅうじょうのりか)の研究室を訪ねることにした。尾藤と二日連続で会うより、その方が合理的に情報を得られると江國さんは言った。上原に直接仕掛ける提案もしたが、リスクが高いと拒否された。「まずは周辺人物から当たって、留意点を集める。それが基本的なやり方だ。焦ったらダメなんだよ。覚えとけ新人」たまには先輩刑事らしいことを言ってくれるのだと、俺は一人、感心する。



 俺が江國さんの私物であるソファに寝そべり頭の中を整理する一方、彼女は簡易冷蔵庫から缶ハイボールとチューハイを取り出していた。


「いつの間にそんなもの」


「絵崎は必ず帰るけど、私はここに籠もることもあるんだよ。庁舎内にはシャワーもあるしね。ほら、どっち」


「じゃあチューハイで」


 江國さんが適当なつまみを握って、何も躊躇せず俺の隣に腰を下ろした。二人で座るには少し狭いソファで、俺が退こうとすると、江國さんに腕を掴まれた。「水くさいな。たまには仲良しやろうよ、暗雲立ちこめる捜査に光が差した記念にさ。ほら乾杯」既にプルトップの空いたハイボールを見て、俺は再びソファに座り直し、チューハイのプルトップを弾いた。


「こういうの、事件が全部解決したらやるもんだと思っていました。お疲れ様です」


「それはもっと盛大にやるよ。ひとまずお疲れ、乾杯」


 江國さんとこうしてお酒を酌み交わすのは初めてだ。俺が朝、この事務所に顔を出すと、酒やつまみを食い散らかした形跡の隣で江國さんが寝ている姿はよく見かける。ずぼらなのだろうか、女を捨てたのか、彼女のだらしない姿には飽き飽きしていた。その整った容姿でリカバリーが効く範囲はとうに超えている。


「いやあ、酒がうまい」


「ですね。浸みます」


 柿の種のあらればかり食べる江國さんに合わせて、俺が横からピーナッツをつまむ。彼女の飲酒ペースは速かった。自ら酒飲みであると豪語しているだけはある。一缶目のハイボールを一気に飲み干した後は、冷蔵庫から冷やしたウイスキーとグラスとロックアイスを持ってきた。そんなに本気で晩酌するつもりがない俺は、多少面を食らってしまう。それに、頭痛が酷いと鎮痛剤を酒で流し込んだりもしていた。「酒と薬は最悪死にますよ」俺の忠告には耳を傾けず、平気だと暢気な顔を見せた。


「今、大事な時じゃ無いんですか。これで明日二日酔いとかだったら許しませんからね、俺」


「酔いはするけど、二日酔いにはならないよ、私。こうぐんと疲れた時は、酒に頼るんだ。がっと飲んで、ぐっすり寝る。そうしないと頭が冴えないんだよ。嫌なことばっかり思い浮かべちゃうから」


「江國さんって、そういうとこありますよね」


「どういう意味だよ」


「いや、意外と割り切れないタイプっていうか、あの司法解剖も、立ち会うの嫌がったじゃないですか。苦手だとか言って。優秀な公安刑事とは思えない理由でしたけどね」


「うっせ。色々あんだよ、私にも」



 それから、俺達は久しぶりに捜査に関係しない世間話に花を咲かせながら、だらだらと酒を飲み続けた。結局、俺が江國さんのペースに追いつくことはまず無理で、九%の酔いやすいチューハイのロング缶を三本さばくので精一杯だった。



「江國さん、飲み過ぎです」


「たまにはいいじゃんか、別に。あんらが飲まな過ぎなの」


 一時間もすると、江國さんの呂律は崩壊していた。無理もない。七五〇ミリリットルのウイスキーを一人で半分飲みきってしまった。それもロックで。何処にそんなアルコールが吸収されていくのだろうと疑問に思いつつ、俺は自分の下戸具合を少し恥じた。既に頬は熱く、視界がぼやけ眠気が襲う。


「絵崎って、わりとハンサムだよな」


 大きく欠伸を溢した俺を見て、彼女がそんなことを言った。ワイシャツの袖を捲った江國さんが、俺の頬を強く引っ張ってくる。痛みと共に、甘い女性の香りがふんわりと俺の鼻を包んだ。こうして女性と親しく酒を飲むのは久しぶりだからだろうか、悪い気分ではない。それに、江國さんは歳上だが、幼い言動のせいでそうは見えない。ましてや顔立ちが綺麗なもんだから、男にとってはたちが悪いタイプだ。


「馬鹿にしてるなら、普通に怒りますよ」


 この酒癖の悪さも、彼女の特徴なのかもしれない。疲労が溜まっているせいだろうか。可愛らしくも思えてくる。相当疲れているんだ、俺は。



「絵崎解一、三十五歳」



 俺にポッキーの尖端が向けられた。「何ですか」くるくると回るそれを無視して、自分でつまんだポッキーを口に運ぶ。


「早稲田大学法学部を卒業後、法科大学院へ進み法曹を学んだ後、司法試験に一発合格。司法修生時代から成績は抜群に優秀で、孝試も難無くパス。検事採用面接すら、能力・適正・人格・識見どれもトップクラスで通過。そしてA庁検事を終え、多くの被疑者から自供を取った期待のルーキー。東京地検特捜部も、刑事部に置いておくには惜しいと言ってたらしいじゃんか。エリートの絵崎解一くんは、困ったことに筋骨隆々として、おまけに顔も良い」


「わざわざご丁寧にありがとうございます。筋トレ好きなんで」


 江國さんの瞳が俺をぎょろりと睨んだ。酒で多少充血した視線が、何か核心に触れようと刑事の目に変わったような気がした。


「そんな秀才検事が、どうして公安なんかに死に物狂いで異動してきたんだろうね。警視正の後ろ盾があったか知らないけど、わざわざ都道府県警察の試験なんか受けてさ。長い歳月をかけて掴んだ白バッジを捨ててまで、あんたがソリロクイに拘る理由って、何だろうね」


「昔、話しましたよね。俺は戸田の事件で……」


 俺が過去語りへ持っていこうと江國さんに水を向けるが、彼女は動じない。


「それは知ってる。でも、腑に落ちてない」


「江國さんが納得するかで、俺の立ち位置は変わるんですか」


「私と絵崎はバディだよ。どんなことがあっても、この未曾有の事件に立ち向かい続ける為の、互いが盾と矛になり得る関係。でも、私は公安刑事だ。そういう、信用の枠組みを一歩踏み越えて、誰かを疑い、事件を解決してきた」


「まさか、俺を疑って?」呆れ笑いで流そうとしたが、江國さんは語尾を尖らせて続けた。


「無いと言い切る気はない。絵崎は戸田を死刑にまで持っていた。法廷での華々しい活躍は耳にしたよ。それほどの執念、正義がそこにはあった。法を司る男に、戸田の行動は許せなかった。しかし、それがもし詩乃宮の指示だとしたら? 考えないわけにはいかない。あんたの殺意の動機。それに、詩乃宮はあんたの恋人にまで手を伸ばした。偶然も、殺意の理由にはなる。離坂しえりと別れてからだよね、あんたが警察内部に潜り込もうと検事辞めたのって。ねえ、絵崎。私は、あの車両火災が発生した時間に、あんたがどこで何をしていたか知らないんだ。私たちは別行動をしていたからね。だから疑う。背中を預けながらも、私はあんたを撃つ為の拳銃を突きつけておく。それが公安のやり方。法の下にいた人間にはわからないかもしれないけど」


「……俺は、そんなに器用じゃないですよ」


 それだけを言うと、江國さんは何も言い返してこなかった。


 流れる重い沈黙。それを打ち破るような缶の開封音を、江國さんは鳴らした。公安と検察。きっと、俺に合うのは──。深く考え始めると頭が痛んだ。しえりの顔が浮かんだ。俺にはどうすることもできなかったんだ。


「ごめん。嫌な話をしたけど、私はそれでも、絵崎の上司で相棒だよ」


 俺の右肩に江國さんの左肩が触れている。そうだ、彼女は俺の想像をも超える茨を、この身体一つで乗り越えてきたのだ。どんな考え方を向けられようと、それは俺を信頼していないわけではなく、それがこの場所のやり方だと叩き込まれてきたからなのだろう。


「俺にとっても、ですよ」


「どう? 惚れた?」


「そんなわけないでしょ」


「失礼な奴」


 江國さんがポッキーから煙草へとお口の相棒を乗り換える。彼女が喫煙者であることは知っていたが、実際に吸う姿は初めて見る。


「あんまジロジロ見ないで。なんか恥ずかしい」


「煙草、似合いますよ」


「人前で吸うの嫌なんだよね。なんとなくだけど。絵崎は吸わないんだっけ」


「俺はやめました」


「あ、そ」


 火のついた煙草を離し、深紅の唇の隙間から、細い煙がすっと吹き出る。綺麗だと思った。その横顔は、誰かに放っておかれるべきものではないと自然に思わされた。酒が進んで上機嫌な俺は「でも、江國さんって普通にしてれば綺麗な方ですよ。誰かいないんですか、相手とか」と口を滑らしてしまった。


「そういうのが一番無責任でデリカシーのない発言なんだよ。だからあんた、恋人にフラれるんだな」桂にも似たようなことを言われた。「本当、勿体ないね、絵崎って」


「デリカシーないのはどっちですか」


 ふふふと笑う江國さんは、煙草を挟んでいない方の手で、太股を台にして頬杖をつく。


「私、もう諦めたよ」


「何を」


「結婚」


「そんな。まだいけますよ」本当に、まだまだいけると思ったから言った。


「言ってくれるね。でももう三十七だよ、私。女の三十七と、男の三十五じゃ訳が違う。一人でいる時間が増えて、それが次第に当たり前になっていった。仕事人間の性っていうのかな。一人で生きていけることに気づいた頃には、もう三十を超えて、私自身、仕事を手放せない位置にいたの。だから、諦めたわ。戦略的撤退よ。このまま仕事を続ければ、結婚せずとも食いっぱぐれることは無いだろうし、ね。

 たださ、かっこ悪いけど、寂しくはなるの。こんな私でも、一人じゃ越えられない夜がある。女って、そういうもんなのかな。

 ねえ、絵崎、それが今夜かもって、言い出したら絵崎は私をどう思う?」



 俺の袖を掴んだ江國さんは、そのまま肩に頭を乗せてきた。いつも強い彼女だけを見てきた。警察組織の中で、女一人の力で上り詰めた彼女の勇敢さに、全て誤魔化されていた。江國さんの手を握ったのは、俺もきっと同じだからだ。寂しかったんだ。仕事ばかり。しえりの顔が浮かんでは消える。もう別れて四年は経とうとしているのに、俺は。


 俺もこれから先、この仕事と向き合い続ける限り、独りでいるのだろう。彼女の手は思いのほか小さかった。拳銃を握れるような強い手では無かった。


「江國さん」


「うん」


「俺も男ですよ。紳士でも、何でも無いただの男です。だから、そういうことをあまり言うもんじゃありません。特に仕事人間の、独り身の男には」


「それを承知の上で、言っているんだけど。仕事人間の、独り身の私が」


 身体が急激に熱くなる。俺もまだ若いなと思うし、江國さんだって本当に若い。ただ、若さを言い訳にするには少し遅すぎる。だから俺は、江國さんの頭をそっと撫でた。短い髪を指先の間で梳かす。


「それなら、もう言い訳はやめましょう。俺達も大人ですよ。別にそれが何かの後腐れになったりはしないでしょうから。二人で夜を越えて、明日にはまた事件を追う。できますよね、普通に」


「私より歳下のくせに」


「すみません」


「絵崎は、できる?」


「できなかったら、提案しない」


 俺から敬語が抜けた時、汽笛が鳴ったように江國さんがキスをした。







 ワイシャツのボタンを外すと、江國さんの小ぶりな胸が華やかなブラジャーに包まれていた。二段ホックに指をかける。恥ずかしそうにする彼女は、まるで少女のようだった。俺は唇を離さずにホックを外し、そして気づいた。彼女の腹部にかけてある大きな火傷痕。水ぶくれのような、そんな痕。


「これは」


「絵崎、女性の傷に関心を持つのは悪趣味だよ」


「でも、どうしたんですか」


「古傷よ。ずっと昔。小さな火傷だったけど、どうしてか残っちゃって。だから、詩乃宮の司法解剖は立ち会いたくなかったんだ。痛みを思い出しちゃいそうで」


 古傷と呼ぶには申し訳ないほど鮮明な傷痕。俺の中で、何かが鳴った。


「絵崎、そんなところばっかあんまり見てないで。こっち見てよ」


 潤んだ江國さんの瞳が、何よりも俺の性をそそった。


「どうかな、私。まだ平気そう?」


「最高ですよ、ほら、もう抑えがきかない」


 今だけは全てを忘れよう。そう思った刹那、江國さんの腕が俺の首に巻き付いて、あっという間に彼女の体内で俺は果てた。



 その後も、裸のまま身を寄せ合った。江國さんの胸に顔を埋め、今度は彼女の手のひらが俺の頭を撫でる。一定のリズムを刻む心音が聞こえる。「絵崎はやっぱりハンサムだよ」俺は形容しがたい罪悪感の中で、人知れず眠りについた。



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