絵崎解一―エサキカイチ― ⑤
六丸の聴取、SNS写真家「マリ」の聴取を別々に終えた俺と江國さんは、総仕上げとして、宇井渚が勤務しているというイタリアン系のファミリーレストランで合流することになった。江國さんが到着する一時間前に店に着いた俺は、すぐさま店長らしき人物に宇井渚の出勤を確認するも、本日は欠勤だった。
ドリンクバーとシナモンのかかったフォッカチオを注文し、江國さんを待つ。その間に、六丸の発言を脳内で反復し、おかしな点が無かったかを振り返る。
詩乃宮殺害の推定時刻四月七日の午後四時頃、六丸は自宅で映画を鑑賞していたと言った。六丸の聴取を終えた後、再び挨拶に来た学園長に無理を言って、六丸の住所が記載された書類を用意させた。少し荒いやり方だったが、警察に完全に怯えている学園長だったおかげで、すんなりと情報を提供してくれた。
その後、確認した住所から近いレンタルビデオ屋二件を調べ、俺は学園から二十分ほど車を飛ばした。二件目に寄った店で、四月七日の午後一時半に『タイタニック』の貸出記録が残っていることが判明した。
六丸にはアリバイがあった。被疑者としての線は薄くなったが、やはり、彼が最後に残した言葉がどうにも引っかかっている。
「詩乃宮麻衣、彼の姉が、彼を殺しました」
「姉? しかし、詩乃宮の実姉は既に……」
「死んだと思われていました。でも、生きていたんですよ。姉が。彼が殺される数週間前から、彼の元に姉を名乗る者から殺害予告が届いていたそうなんです。その相談をボクも受けていました。詩乃宮麻衣が詩乃宮結季を殺したというのは、そのような相談を受けていたボクの憶測でしかありません。それでも、何かの手がかりにはなるんじゃないですかね」
詩乃宮麻衣は、詩乃宮結季が十二歳の時に亡くなっている。自宅火災が発生し、そこで詩乃宮結季以外の家族は全員亡くなった。はずだ。しかし、仮に詩乃宮麻衣が生きていたとするなら、どうして彼女は実の弟を殺そうとするのだろうか。その手紙が本物かすらも怪しい。捜査を錯乱させる為に、六丸が俺に罠を仕掛けたという見解もできる。
「難しい顔だ。糖分足りてないんじゃ無い?」
頭を抱える俺の前に、江國さんが現われた。席に着いてすぐにベルを鳴らし、「ミラノ風ドリア半熟卵トッピングと、パンチェッタのピザ、あと小エビのサラダをお願いします」と店員に伝えた。相変わらずの大食らいだ。
「かしこまりました。以上でよろしいでしょうか。注文確認させていただきます。ミラノ風ドリア……」
店員と目が合った。焦茶色をした内巻きのミディアムヘア。無意識に、俺はそのネームプレートを確認する。上原。ウエハラ?
数分後、サラダとピザ、それにドリアが到着し、江國さんは脂質まみれのそれをほとんど噛まずに胃の中へ落とし込んでいた。
気持ちの良い食いっぷりの正面で、俺は今日の話を整理し、ストーリーを組み立てていく。ただ、情報が増えすぎて、脳が焼けるように痛む。ドリンクバーでアイスコーヒーを淹れた俺は、隣でオレンジジュースを注ぐ少年に見つめられながら、ガムシロップを七個、一つのグラスの中へ流し込んだ。「おじさん太るよ」子どもが去り際に俺へメタボを警告した。「余計なお世話だよ」少年に俺の声は届いていないようだった。
「じゃあ、私と成果は同じだ」
「ですね」
そそくさと空腹を満たした江國さんと俺は用済みになったファミレスを出た。宇井渚に会えなかった時点で、あの店に居座る必要は無い。助手席に江國さんを乗せて、車を発進させる。帰路についた俺達は、一旦事務所へと二人で戻ることにした。
「そっちはどうだった。まあ、事務所着いてからまた詳しく聞くけど」
「俺が接触した六丸真緒は、離柘榴のことを知っていました。しかし、自分は教徒ではなく、詩乃宮に連れられて何度か会合に参加しただけだと述べていました」
「嘘っぽかった?」
「いや、本当でしょう。離柘榴の会合に参加している時点で、教徒かそうではないかは、さして重要ではありません。そこで嘘をつく理由も分からない」
「それもそうだね。私が会ったインスタの『マリ』、本名尾藤唯香も離柘榴のことを知っていた。こっちはがっつり信者で、詩乃宮は神様だって言っていたよ。車両火災があった喰違見附跡付近にある上奏大学心理学部卒業生で、今はジャーナリストをやっているらしい。詩乃宮とは、SNSを通じて知り合って、関係を詰めたら『カメラマンと被写体』とか言っていたな」
「なるほど。詩乃宮の死を伝えた時のリアクションは?」
「取り乱してた。けど、何か納得している感じもあったな。そっちは?」
「六丸は至って平気そうでした」
「ほう。気になるね」
「ただ、六丸が平静を保てた理由として、ソリロクイ症候群では無い、もしくは詩乃宮の死を予め知っていたの二択が予想されます。前者について、俺は否定的です。ソリロクイの特徴上、性自認という枠組みで異性個体に処方された場合にのみ発症という説があります。六丸が男であっても、詩乃宮の傍にいた人間だとすれば、詩乃宮は六丸の性的少数を見抜き、接触を図り続けていた可能性があります」
持って回った言い方をしていた俺に、江國さんが言葉を選ばず反応を示す。「つまり、六丸はセクシャルマイノリティだと?」
「そう考えた方が、辻褄が合うかと。本人の口からもそのように認める発言がありましたし。俺が六丸の前で詩乃宮を否定した時のリアクションが、離坂しえりのものとよく似ていたのも重要な点かと。冗談でそんなことを言うメリットもありませんし」
「なるほどねえ。絵崎のその未練たらたらな勘には、説得力があるな。さすがに外れてなさそうだ。それで?」
「煩いですよ。それで、後者の、詩乃宮の死について予め知っているということですが、それについては六丸から言質を取ることができました。これを」
そう言いながら、俺は胸ポケットからボイスレコーダーとイヤホンを取り出し、録音した荒い音声を江國さんの耳へ流した。六丸が述べた詩乃宮麻衣の存在についてを共有する。詩乃宮殺害の全貌を把握しているとまではいかずとも、殺害される可能性を予測できていた六丸には、尾藤には無かったある種の覚悟があったのかもしれない。
「ねえ、絵崎」
「はい」
「もし仮に詩乃宮麻衣が生きていたとすれば、私たちはこれから、詩乃宮麻衣を追わなくちゃいけない。でも、彼女が死んでいたら、考えられるのは一つだよね」
「はい。誰かが詩乃宮麻衣になりすましている」
「急いで事務所に戻ろう。公安データベースの死亡者一覧と、詩乃宮結季が十二歳の時に発生した自宅火災事件の資料を漁る。それで詩乃宮麻衣の安否は一瞬で判明するから」
「ですね、急ぎましょう」
庁舎に戻った俺と江國さんは、早急にデータベースを立ち上げ、詩乃宮麻衣に関する情報を重点的に洗った。
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「やっぱり、詩乃宮麻衣は死んでるよ、ほら」
江國さんがパソコンの画面をこちらに向ける。二〇〇〇年に起きた一家心中の自宅火災。生存したのは詩乃宮結季だけで、父・明、母・多恵子、姉麻衣は炎に包まれて死亡している。一階に居た麻衣と結季は救急隊員によって身柄を救出され、病院へ搬送されたようだが、酷い火傷に耐えきれず麻衣の方は息を引き取ったとの記載。公安データベースの情報とも一致した。八王子にある総合病院に念のため確認はとるが、詩乃宮麻衣の死亡は揺るがないものとなった。
「じゃあ、誰かが、詩乃宮麻衣になりすましている……。絵崎は、離坂しえり、六丸真緒、尾藤唯香、宇井渚の中に、詩乃宮殺しの犯人はいると思う?」
しえりの顔が浮かんだ。「殺しちゃう」と物騒な言葉を使うしえりが。しかし、あれは何かの冗談だと自分に言い聞かせた。次に浮かぶのは、直接話した六丸。六丸は詩乃宮麻衣が生きているとこちらに情報を投げた。妥当に考えれば、怪しいのは六丸だ。しかし、何か引っかかる点がある。六丸は詩乃宮麻衣の安否までは知らない様子だった。仮にも自分が疑われている状態で、こちらがその気になればすぐに安否確認ができる人物による殺害を、犯人自ら仄めかすメリットはあるのだろうか。擦り付けていると思われれば、不都合なのは六丸の方である。
上手いストーリーが見えない。検察時代、パーツを集め、それを組み立てる能力は人より優れていたはずだ。過去の功績から生まれる自負が、俺をフラットから引き剥がしている。一度真っ白になれ。そして、本当に重要な部分だけをそこへ書き写せ。
そんな思いで、ホワイトボードを熟視する。複数人の名前が様々な方向に矢印を伸ばしている。詩乃宮結季を中心に……。詩乃宮結季を中心に? 俺は、詩乃宮結季を取り囲む人物達の間に生まれた空白を見つめた。ホワイトボードの、真っ白い部分。何かがいる。そんな気がする。
吸い込まれるように【詩乃宮結季(29)】という文字の隣の空白を注視していると、その何かが俺の脳裏を刺した。あの、ファミレスだ。記憶が煮え滾り、しえりがシェイカーを振る音が響く。
もしかすると、彼女が────。
「それだ」
「どうした? 絵崎」江國さんが椅子を回転させこちらを見る。
「可能性の話です。ただ、捨てきれない可能性だ。この中にいない人物が、詩乃宮殺しの犯人かもしれません。この物語の空白部分に、一人、ちゃんと刻まれている」
「空白部分?」
「そうです。俺はまず、詩乃宮を殺す犯人の動機を考えました。独占欲を支配され、衝動的になったからといって、自分が詩乃宮を独占するために殺すというのは合理的な動機ではないような気がするんです。ソリロクイという病の性質上、八方美人の詩乃宮に対し、逆恨みによる殺人というのが俺達の固定観念に少なからずあった。しかし、殺意の根源は別にある気がする。詩乃宮が離柘榴を作って何をしようとしたのか。戸田のような殺人狂まで利用して、この国に何を訴えようとしたのか。そして、それを拒む者の存在が無いと言い切れるのか──」
「勿体ぶるな。誰だ」
四年前の記憶。しえりが働いていたバーの常連客の顔。
二時間前の記憶。江國さんのオーダーを取った店員の顔。
「江國さんがファミレスでオーダーをとって貰った女性の顔、覚えていますか」
「薄っすらとなら。女の人だよね、二十代くらいの」
「そうです。名は上原。俺は彼女を、知っています」
「え?」
「上原麻奈美。しえりが、離坂が勤務しているバーの常連客です。俺が知っている情報はこれぐらいですが、一度離坂しえりの店で酒を飲んだ時に、上原と離坂が楽しそうに会話をしている様子を見ました。薄暗い店内でしたが、顔は脳内で一致しました。離坂から、上原の話はよく聞かされました。面白い、漫画家志望の客がいると」
「でも、その上原がどうして被疑者なんだ」
「不自然にもほどがありませんか。宇井渚の働いているファミレスで勤務し、離坂しえりの勤務しているバーの常連客。六丸や尾藤との関係性は定かではありませんが、上原麻奈美を調べ上げれば何か見つかるかも知れない」
「絵崎、データベース」
俺は入力スペースに【上原麻奈美】とタイピングした。同姓同名の、何十件の人間が出てくる中、カーソルをスクロールし、あの顔を探す。
「あった」
クリックし、彼女の経歴情報一覧を参照する。そして、俺達は言葉を失う。
「上奏大学心理学部七十九期卒業生……?」
「絵崎、次【尾藤唯香】も調べて」
「はい」
こちらは上原麻奈美よりもヒット件数が少ない。俺より先に、数時間前に顔を見た江國さんがデスクトップに反応した。
「その女、クリック」
「はい」
再び表示される【上奏大学心理学部七十九期卒業生】の文字。
「クロだ」江國さんが呟く。さすがに俺も頷くしかなかった。
膠着しかけていた事件の糸口を掴んだ。胸が弾けるように鳴り、江國さんと顔を見合わせる。「やること増えたぞ、一気に」「ですね」俺達は焦燥に駆られながら、上原麻奈美の情報、彼女と離柘榴教徒の接点を探すのに数時間を費やした。




