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BURLESQUE  作者: 微倫
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絵崎解一—エサキカイチ― ②



 事務所へ戻った俺と江國さんは、デスクにコンビニで買った昼食を広げながら、詩乃宮結季の事件について整理を始めた。警視庁舎の地下にあるこの退屈な会議事務所は、セキュリティロックの都合上、俺と江國さん、公安部長の(みね)警視監しか立ち入ることができない仕組みになっている。窓もなく、外部との接触を一切遮断された空間は、既に江國さんの第二の家のような状態にある。ソファや冷蔵庫、電気ケトルなどは、全て江國さんが持ち込んだものだ。


 江國さんがカップ焼きそばを貪る横で、俺は買い足したアイスコーヒーを飲む。


「この事件、捜一にはひとまず自殺で処理させた」


 麺を啜る音が二人きりの室内に響く。過去、俺が公安部特別捜査二係第四課に異動してきた初期は、江國さん以外に二名ほど、外事課繋がりで捜査員がいたはずだが、すぐにこの事件から手を引くように彼らは異動を志願し、事務所からは消えていった。オカルト課、妄想課、そう言われるのに嫌気がさした。もしくは、江國さんの悪態に耐えられなかったのかもしれない。


 髪を短く切り整えている江國さんは、遠巻きに見てもやはり綺麗だった。大きく円らな瞳は、眦に浮き出る多少の皺に目を瞑れば、それは引き寄せられてしまうほどの魅力があった。強かで、知性に満ちた大人の女性。少しガサツな部分が傷だが、彼女もまた、公安で係長を務めることが出来るほどの優秀な捜査官。それもそうだ。公安部の中でもエリート揃いの外事課、それも三課で国際テロにまつわる仕事をしていたぐらいだ。才色兼備な上に、虎視眈々とした性格。真相究明の為に手段を択ばないところが、キャリアを気にしない俺と商に合う。


 それに、俺は歳上の女性の方が好みだ。……そう自分に言い訳をすることで、歳下の恋人にフラれた事実を払拭しようとする自分が情けなくて仕方ない。


「何見てるの? なんかついてる?」自分の口周りを触り、不安そうに俺を見た。少しだけ青のりが付いているが、面白いから言わないでおくことにする。


「別に。俺達はこれから、何をすべきなんでしょうね」


 割り箸を折って、ごみ箱へ投げ捨てる江國さんが言った。「何をって、一つでしょ。詩乃宮結季を殺したホシを見つけ出す。それ以外にやることなんてあるの?」


「いや、そうなんですけどね。二係四課の目的ってソリロクイ症候群の究明とSの調査ですよね。詩乃宮殺しは、捜査一課に任せてもいいんじゃないかと」


「捜一には面倒ごとだけ任せて、この事件から完全に手を引かせたの。どうしてかわかる?下手にホシを突いて、余計なことをされたくなかったからね。ホシを捉えたら、きっと私らの目的であるソリロクイ症候群にまつわる話が聞けるかも知れない。それこそ、公開捜査なんかやって自殺でもされてみな。全部おじゃんになる」


「そうですけど」


「それに、詩乃宮を殺したということは、ホシは『離柘榴(はなれざくろ)』にも繋がりがあるかもしれないでしょ。あの未完成な新宗教を跡形も残さず消すのも、私らの仕事なんだから。必ず叩く。秘密裏に、徹底しろって部長にも口酸っぱく言われたばかりじゃない」


 捜査を続けていく中で、一つのカルト的新興宗教『離柘榴の会』という存在に俺達は辿り着いた。勿論、この国に蔓延している有象無象の新宗教に他ならないのは確かであり、国が危険視するほどの大規模テロを行う組織では無かった。はずだった。


 離柘榴の会がこの国にとって脅威である可能性が浮上した一件は、戸田兆冶の事件に紐付くものだった。戸田は離柘榴の会に所属しており、教祖の人間と親しい仲にあったことが判明した。その教祖というのが、詩乃宮結季である。


 離柘榴の会がこれまで団体による国家への謀略的な行動に出たことはない。強い理念の下、幸福を追い求めるだけのシンプルな新興宗教だ。戸田曰く、自身の犯した罪に離柘榴の教祖の意志は関与していないとも言っていた。教徒数も判明しない弱小団体であるが、彼らがSの人間含みで構成される組織なのだとすれば、放っておくわけにはいかない。


 詩乃宮が教祖である以上、部外者にソリロクイ症候群を処方し、これからも爆発的に教徒数を増員していくことが予想される。人手が集まったタイミングで、団体による大型なテロを起こされては、俺達が未然に捜査している意味も無くなってしまう。「必ず叩く」力強く覚悟を決めた江國さんの言葉が脳裏を走った。


「離柘榴は今、教祖を失ってどんな状態なんでしょうかね」


「弱小新宗教とはいえ、一団体だからね。さすがに教祖の補佐やっていたような人間、もしくは幹部が引き継いでいるでしょう。ただそれも、詩乃宮が既に死んだ情報を既に手に入れていたら、の話だけど」


「そう思うと、やっぱり離柘榴内部の人間による犯行の線が大きいと俺は思います。教徒に圧倒的な恨みを抱いていた何者かが、教団を手に入れる為に殺害。もしくは、ソリロクイ症候群を発症した教徒が、その独占欲に任せ詩乃宮を……みたいなシナリオが浮かびます」


「そうね。悪くない。ただ、それはあくまで絵崎が描いたシナリオに過ぎない。詩乃宮に接触する目的で動いていた私らは、また別の線から、離柘榴を追わなきゃいけない。かなりの遠回りを強いられることになったの。詩乃宮が死んだせいでね」


「はあ」頭の中で、ただ漠然と浮かぶ正義。俺が裁こうとしていた人間が、何者かによって裁かれてしまった。逃げようのない倦怠感と脱力が俺を襲い、久しぶりに弱音が零れる。「詩乃宮はSで、離柘榴の教祖。様々な犠牲や、俺達が身を粉にして掴んだ情報と捜査の進度が、先日の車両火災で一斉に燃え尽きたみたいですね、本当」


「絵崎が身を粉にしてって言っているのは、元恋人からの情報提供のことでしょ」


 江國さんが俺をこけにして笑った。図星過ぎて、返す言葉も見つからない。


「そんなたいそうなもんじゃありませんけどね。別れ話が、結果的にそうなっただけで」



 元恋人、離坂(りさか)しえりとの出逢いは、合コンだった。俺が検事試験を終えた頃、大学時代の法曹仲間が開いた四対四の飲みの席。いい歳をして、有名女子大とのマッチということで仲間達は恥ずかしげもなく乗り気だったが、俺はあくまで人数あわせの為に参加した。もとより、そこまで恋愛に興味は無かったし、恋人が欲しくて堪らないというわけでもなかった。


 会場は古風な個室居酒屋だった。俺は必死に笑い話を語る仲間を目の端に置きながら、刺身をつまんでビールを飲んだ。その対面で、俺と同じく退屈そうな顔をしている女がいた。それが、しえりだった。


 しえりはとても綺麗だった。彼女は当時二十一歳。俺より七つも下だが、そんなことを忘れさせてくれる大人びた風貌と品が備わっていた。しえりが俺に恋をして、俺も段々としえりに惹かれていった。


あのコンパで、俺としえり、幹事を務めていた(かつら)とその夜一番人気だったミユちゃんが結ばれることになった。俺の合コンに対する印象を一八〇度捻ってくれた桂には、今でも感謝している。


 しえりは、俺の正義を評価した。クラスメイトが行う万引き一つ許せなかった幼少期。「チクり虫」と虐められた過去もあったが、俺は真実を先生へ伝える行為を何一つ悪いものだとは思わなかった。


 正義は、執行されなければ偽善。俺はどんなことであろうと、それが秩序の上に成り立たず、法の下に違反するのであれば、制裁を下し、世の中を平和に導きたいと考えた。俺が検察官を志した理由は、わかりやすく、そんなところだった。


 法科大学院での課程を修了し、司法試験を一発合格。桂も同じく一発合格だった。それから一年司法修習を受け、二回試験、検事採用試験をこなした俺は検察官になった。ちなみに桂は弁護士になった。


 自覚はあった。検察官の仕事は実にやりがいがあり、恋人を放置してしまう自分には後ろめたさすら覚えた。しかし、しえりの「仕事が一番、私は二番」という言葉に甘え続けた挙句、俺は彼女と破局した。


 しえりに「別れよう」と言われた時、俺は何も言えなくなってしまった。ちょうど戸田の事件の担当検事に抜擢され、庁舎では俺を認める声も耳に挟むようになった。しかし、プライベートは崩壊寸前。その結果、恋人に愛想を尽かされる始末。


 俺がソリロクイについて考え続けている間に、しえりは更に美しさを増していた。久しぶりに会う恋人は、俺を安らぎには連れていってはくれなかった。愛しさが胸を占め、俺は情けない台詞を吐きかけたが、強い意志で踏みとどまった。


 堪えたのはいいものの、その後も、何一つとして適切な言葉が浮かばなかった。そして一言、「どうしてだ」と、理不尽な質問だけをしえりに向けた。


「私ね、カイちゃんのこと、本当に好きだった」


「なら、どうして」


「浮気したんだ。私」


「そうか」


「そうか、って。嫌だとか、最悪だとか、無いの?」


「悪い」


「でもね、カイちゃん。私、これで良かったと思うの」


「俺は、思えない」


「カイちゃんには仕事がある。でも、私には何もなかった。そんな私はカイちゃんに依存して、負担をかけて、冷められてしまった。でも、私にもできたんだ。生きる理由。百点を貰いたい人がいるの。綺麗だよって、言って貰いたい人がいるの」


「それは、どんな男なんだ」


「カイちゃんとは正反対の人だよ。悪い人だよ」


「悪い人に、しえりを奪われたくはない」


「もう無理だよ。私じゃどうにもできない。私ね、頭がおかしくなっちゃったのかもしれない。覚えてる? 二人で恋愛映画を観た帰りに、浮気って最悪だねって話をしたの」


「覚えてる」


「そしたらカイちゃん、心が離れなければいい。って言ったよね。私、素敵だなと思った。その寛大さがカイちゃんの魅力だと思って、私も真似したんだ。私の心はずっとカイちゃんから離れないから、浮気なんてありえないと思ってた。そうなるぐらいなら、死んでやるって思ってたのに。私、もうどうしようもないの。その人のことが好きで好きで、その人が他の女性に綺麗だとか、好きだとか言ってたら、私、許せない。殺しちゃうかもしれないぐらい、好きなの」


「冗談でも、殺すなんて言うもんじゃない」


「冗談じゃなければいいの?」


 一瞬の沈黙。空気を裂く、しえりの潤んだ声。


「私の神様なの。彼は」


 脳が弾けるように痛んだ。目の前にいるしえりが、あの戸田の盗撮カメラに映る殺害された少女と重なった。戸田は自分を「神」と名乗った。違和感があって、そのあとに嫌な予感が遮った。


「おい、しえり」


「うん?」


「その男は、きっと罪を犯す。傍にいれば巻き込まれる。それに、他の女にもそういうことを言っている可能性だってある。しえりを大切になんて、するはずが……」


 頬を平手で弾かれた。目の前でしえりが泣いている。しえりが俺に手をあげるのは初めてだ。そして、憎き相手を睨み殺すかの如く俺を見た。「最低、カイちゃん」


 直感する。しえりの侵された瞳。俺の知らない瞳。正義が唸った。戸田は脳内で何度も殺した。死刑執行をすぐに行うべきだと、訴えがあった。繰り返さない為に、俺は。切断された少女の遺体を思い出す。しえりの細い腕を、俺が護らなければ。


「しえりの、浮気相手の名前を教えてくれ」


「……詩乃宮結季。カイちゃんより若い人」その名前を口に出した時の、あの恍惚とした表情を、俺は一生忘れないだろう。「貴方がくれなかったもの、全てくれる人の名前。忘れないで」


「ああ、忘れない」


 恋人がソリロクイを発症したことで、俺は境界線を越えた。


 しえりと別れ話をした後に見る庁舎には、何の思い入れも感じはしなかった。




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