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BURLESQUE  作者: 微倫
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絵崎解一―エサキカイチ― ①



「到着しましたよ。起きて下さい。江國(えくに)さん」


 紀尾井坂に黒のレクサスを駐車し、助手席で寝ている江國陽菜乃(ひなの)警部の肩を優しく揺する。フロントガラスから覗く殺風景な曲道。喰違見附へと至る全長二百メートルはある区間の中心で、俺は長い溜息を吐く。隣で江國さんがはっと目を覚ます。「江國さんが涎を垂らして気持ちよさそうに寝ている間に着きましたよ」と皮肉を言えば、「絵崎(えさき)の運転は最高だね。この仕事辞めたらタクシードライバーにでも転職すれば?」と嫌味で返された。


 俺がエンジンを切り終える前に、江國さんは車から飛び降りた。俺も続いてドアを開く。革靴がアスファルトを叩き、吹き抜ける春風がネクタイをさらった。視線の先には緩やかなカーブと、快晴の空へと天高く伸びる上奏(じょうそう)大学の立派な学舎があった。車道の脇には手入れのされた樹木が立ち並び、緑が俺の鼻腔をくすぐっている。


 東京都千代田区、江戸城喰違橋門跡周辺。背後には東京メトロ南北線が走るこの地で、ちょうど一週間前に車両火災が発生した。大量の黒煙が立ち上り、それを発見した通行人が110番をした。消防によって一五分以内に消火活動が完了した為、辺りに引火等の被害はなかった。発火した乗用車はほぼ全焼。運転席からは一人の焼死体が見つかった。身元は不明。そんな物騒な事件が起きたとは思えぬほど、今この場所は、長閑な顔をしている。


「本当に、ここで彼が」


「そうよ。彼は死んだの」


 この車両火災は、メディアでも大々的に報道された。事件性、話題性ともにアリと見做したマスコミが獲物を捕らえたかのように群がったのだ。しかし、世間に拡散される情報は最小限に留められている。千代田区の車両火災について、警視庁上層部が報道規制を早急に取り付けたからだ。


 ──喰違見附付近で発生した車両火災。赤坂署によると、遺体は運転席に座った状態で発見された。外部の焼損が激しく、性別や年齢は不明。外傷の判別も付かない状態にある。現在は遺体の身元確認を急ぎ、司法解剖等を通して死因を調べている段階。


 これが世の中へ流れた最低限の報道。嘘はないが、大事な部分をひた隠しにした価値の無いものである。


「私達、また一からか」


 江國さんが肩を落とし、嘆息を漏らす。俺達が追っていた男が、突然死。無理もない。


「でも、これで俺達がやっていること、他課の人間から嘲られずにすみますよ」


「そうね。まあ、ここまで厄介なヤマになることは、ちょっと想定外だけど」白いワイシャツの上から腕を組み替えた江國さんが、顎を引いて俺を見た。「絵崎、情報の整理」


「はい」俺はポケットからメモ帳を取り出し、江國さんの隣で必要な情報を淡々と述べる。「基本的な内容は報道された情報と一致しています。東京都千代田区、喰違見附で起きた車両火災。発火した白のカローラはほぼ全焼。車のナンバープレートが外された形での発見だったので、車両の手配先の確認は難航しています。Nシステム等を利用しながら逆引きの形で車両を追っている状態です」


「そこらへんは、まずいいよ。ガイシャについてをお願い」


「はい。損傷が激しく身元が分からなくなっていた遺体ですが、鑑定処分許可状が降り、司法解剖が行われました。やはり、俺達の予想通りでした。被害者は詩乃宮結季(しのみやゆうき)。男性、推定二五~三十歳。年齢は、こちらで確認した二十九歳で間違いないかと。被害者の首の軟骨が折れていたことから、何者かにかなり強く首を絞められた可能性があります。それと、微量ですが、睡眠薬の成分も確認できたそうです。鑑識の結果、火災発生原因は爆弾とのことです。使用された爆薬は小型のプラスチック爆弾でした。予測されるのは、簡易型のC4かと」


「他殺、か」吐き捨てるように、江國さんは言った。


「他殺だと決めつけるのは早いかと。俺は自殺の線もあると思います」


「首の軟骨が折れていたのに?」


「俺は、詩乃宮なら自分でやりかねないかと」


 俺の発言に、江國さんが肩を竦めてふっと笑う。


「まあ、詩乃宮が突飛な男であることに違いはない。ただ無理よ、さすがに。自殺の可能性は薄い。シャブ漬けだったというならまだしも、あの詩乃宮が自ら苦しんで死ぬ理由がわからない。車内で練炭焚いて死にましたって話なら、私も納得するんだけどね。C4爆弾って。私らが追っていた詩乃宮の死に方にしては、少々雑な気もする」


「言いたいことは、なんとなくわかります」


 詩乃宮結季、通称『S』。俺はこの男を深く知っている。江國さんと俺は、ここ一年間、ある特異体質(・・・・)について捜査を続けていた。その特異体質を所有している人物の一人が、詩乃宮結季だったのだ。


「私らが死に物狂いで掴んだホシの尻尾、こんな形で逃げられちゃうなんて、びっくりよ」


 江國さんを見た。本当に驚いているようには見えなかった。「ですね」



 俺自身、このSにまつわる事件に初めて触れたのは、約三年半前の話になる。


 二〇一四年は、変革の一年だった。


 その時分、俺は検察庁にいた。この精神から溢れ出る正義感を買ってくれた刑事課長の森田(もりた)さんは、公訴待ちになっていた事件の担当検事を俺へ回した。


 当時、女子中学生の行方不明者が東京二十三区内で多発していた。保護者の数名が告訴し、警視庁から検察庁へと仕事が舞い込んでくる。少女誘拐の容疑をかけられていた男、元臨床心理士、現在は無職四十二歳、戸田兆冶(とだちょうじ)の取り調べを俺は引き受けた。立証責任と己の正義感にかけ、俺は粘り強く戸田を追い詰め、警察協力の下、証拠をかき集めた。


 結局、事件は最悪な形で幕を下ろした。二〇一四年八月。そのニュースは日本国民全員を震撼させることになった。東京都目黒区築五年の高級マンションで、女子中学生六名の遺体をノコギリで切断し、ワイヤーで縫合した猟奇殺人。その犯人が、戸田兆治だった。検察と警察が手を組んで、大掛かりな公開捜査と証拠集めを行い何とか事件解決にまでもっていくことはできた。しかし、事件があったマンションから発見された一本のビデオテープが、警察、検察内部で波紋を呼んだ。


 戸田が住んでいたマンションの部屋の様子を天井から小型カメラで盗撮したビデオだった。映像には、縒れたTシャツとジーンズ姿を纏った戸田兆治が映っている。戸田がソファに寝転びながら携帯を弄っていると、そこへ誘拐されていた少女の一人が近寄ってきた。戸田に何かを耳打ちした後、少女は自発的に衣類を脱ぎ始め、そのまま戸田の肛門を弄り、愛撫を始めた。そそりたった戸田の性器によって少女はその後、激しく犯された。


 戸田の不清潔な天然パーマの髪と無精髭が、幼い少女の細く白い素肌を舐め回していた。何十分かその映像が続き、別の少女が現れた。恐ろしいのはここからだった。戸田と激しく求めあっていた少女を、新しくやってきた少女が殴り倒したのだ。二人の少女は戸田が見つめる先で、拳を頬にぶつけ合い始める。かなり小さな音声だったが、少女は確実に「兆治さんは私の!」と片一方の少女へ怒鳴りつけていた。中肉中背の、不細工な戸田が裸の状態で歪んだ微笑みを浮かべていた。そして戸田が手を鳴らすと、誘拐されていた残りの少女も部屋に集まり、そのまま六人の少女が戸田を囲んでセックスを始めた。未成熟な少女の下腹部からは痛々しいほどの鮮血が流れていたが、嫌な顔、苦しそうな顔を見せる少女の姿はそこに一つも無かった。


 映像を見終えた俺は、取り調べの時に戸田が言っていたことを思い出した。「『ソリロクイ症候群』って、知ってっか?」俺はその病名も、症状も知らない。問いただすと、「最悪の病気だよ。俺はそれを、女に処方できるんだ。簡単に言えば、俺はどんな女でも支配できるってわけ。JKやモデル、風俗嬢に人妻。興味はねえけど、ババアや女子小学生ですら、その気になりゃ俺のもんさ。どうだ、最高だろ。羨ましいだろ。男だったら一度は想像するよなぁ、あんたみたいな男前でも」と不敵に戸田は笑った。


 ソリロクイ症候群。インターネット検索にかけると、それらしきものが一件だけヒットした。匿名の公開論文『ソリロクイ症候群とその処方源となる特殊個体』。内容は、要約するとこうだ。



 ───「フロイトは人間の精神構造を『エス』『自我』『超自我』という三つに分類し、その相互作用こそが精神への伝達結果であると捉えた。誕生してすぐ、人間は『エス』に精神領域の全てを独占された状態にある。『エス』とは、人間の本能的な欲求、生理的な衝動を貯蓄している部分であり、そこに善悪の判断は伴わず、より本能に忠実な快楽原則に従う特性がある。生後の人間は『エス』に翻弄された状態にある為、子どもの不適応な行動は、『エス』に由来する。しかし、ここに『エス』と対をなす『超自我スーパーエゴ』が作用する。この『超自我』はルールや道徳観、理性を司り、その中で善悪を基準に倫理的な判断を己へ下す。この『エス』と『超自我』を『自我』が調整することで、人間の精神構造は基本、安定を保つことが出来ている。『エス』に独占されぬよう、『超自我』が対立するバランス。それを崩し、『エス』を増大させ、『超自我』もしくは『自我』を崩壊させるのが本論で述べる『ソリロクイ症候群』である。『ソリロクイ症候群』を発症すると、無意識化にある『エス』の心的領域が増大し、『超自我』と『自我』を消滅させていく。患った者は自身の生理的な衝動、欲求、または本能を制御することが困難となってしまう。そして、この『ソリロクイ症候群』の発症には、人間の『エス』を刺激し、誤作動を誘発させることのできる特殊個体、仮称『S』と呼ばれる人間が少なからず存在し、関与していることが確認されている」。



 俺は生唾を飲んでその匿名論文を読み進めた。当時の事務官に読ませても「こんなの、ほとんど妄想論文ですよ。ソースが無さすぎる」と一蹴されてしまった。しかし、戸田の起こした事件と取調中にあいつが残した発言が、どうしてもS体質と重なった。


 俺の正義感は、善人を護る為、そして、悪人を裁く為にある。戸田に関する捜査、立証が一段落しても、俺はソリロクイ症候群とSについて調べ続けた。だがしかし、あの論文に並ぶほどの有益な情報は見当たらなかった。そんな最中、誘拐、強制性交、殺人などの罪に問われた戸田の裁判委員裁判判決公判が東京地裁で開かれた。起案書作成後は、公判部へ戸田の案件は引き継ぐ予定だったが、俺の希望で公判まで全て自分でこなすことにした。


 未発達な少女の身体をバラバラに切断し、更には縫合し新たな肉体を構築するという凄惨な事件。その非道徳な残忍さから、相手の弁護士からは裁判に臨む気迫もさして感じられなかった。その為、公判は手間を取らないと考えていたが、争点となったのは、「少女たちには戸田を求める意思があった」という部分だった。被告人である戸田は自らの過ちを一度も謝罪することはなく、「彼女らは俺を求めてた。だから連れ去ってやったし、抱いてやったし、一人を選んでと五月蠅く喚くから、一人にしてやった」と笑いながら言っていた。


 気を緩めることなく、一人の検察官として、俺は戸田を死刑求刑まで法廷で追い込んだ。極刑を受けた戸田に物怖じする様子などはなく、「俺は神だ。死んでからが始まりだ」と意味の分からないことを喚き散らし、戸田の裁判は閉廷した。


 もし仮に戸田の言っていたことが本当で、戸田がSという特殊個体で、少女たちにソリロクイ症候群を処方したのだとすれば、この凄惨な事件は、これからも別の場所で繰り返される危険があった。戸田以外にも、Sがいるとすれば──。俺は任された仕事をそっちのけで、この事件に深くのめり込んだ。愛想を尽かす上司や同期、法曹仲間を置き去りにした俺は、検察官としての地位とキャリアを剥奪された。「お前のやっていることは正義じゃない。究明した事件に何かの可能性を見出し、新たな事件の抑止を行うのは警察の仕事だ。法の精神の下に、国家の秩序を安定へ導くのが俺達検事の仕事だぞ。はき違えるんじゃない。お前は、自惚れ過ぎた」最後の上司の言葉を、未だによく覚えている。


 事件を追うには、検察組織の情報網では無理があった。戸田に関する情報が、ある一定の時期から守秘レベルを上げたのだ。外部から何か有益な情報を手に入れることは不可能に近いと判断した俺は、潔く検察庁から離れた。検察官を辞し、すぐさま都道府県警察の採用を受け、難無くパスした。


 異例の行動に周囲は絶句していたが、刑事課長の森田さんと捜査一課の村政(むらまさ)警視正が知らぬ仲ではないこと、彼ら二人が手を回してくれたこともあり、俺は警察学校卒業後、希望通りソリロクイ症候群に関する情報を扱っている公安部特別捜査二係第四課に配属された。


 そこで出逢ったのが、江國陽菜乃警部だった。戸田の事件発生の当時、彼女は公安部の外事課にいたらしい。彼女もまた別軸でソリロクイ症候群に辿り着いて、外事課から異動を志願。二係へ異動した彼女は、キャリアを活用しそのまま緊急で第四課を設置した。







「どうして犯人は、この場所を選んだんですかね」


 隣を瞥見すると、俺より一回り小柄な江國さんが空を見上げていた。眉間に皺が寄っている。今日もほぼノーメイクだが、ルックスがそもそも良い故に綺麗な横顔をしている。三十七歳。二つ上だが、かなり若々しい印象がある。


「さあ。この車両火災による被害は詩乃宮結季だけだった。だから、ホシは無秩序に人を殺すようなタマでは無いのかもね。あるでしょ。無秩序型と秩序型の犯罪者って話。明確な殺意を以て、対象を消した。ちゃんとこの犯行現場にも、探せば意味が染み付いている可能性が高い。ただね、目的は詩乃宮結季の殺害だけじゃないと私は思う。殺すことだけに特化するなら、わざわざ車に爆弾なんか仕掛けるわけがない。ホシは、私たち警察組織、もしくは世の中に何かを伝えようとしているのかもしれない」


「何らかの声明を含む事件だと。ソリロクイが関わっている以上、そう考えるのが妥当ですね。ただ俺には疑問が残ります。何かを伝える為に人を殺す必要があるとするなら、それは真に伝えるべきことではないと思います」


「絵崎は法曹時代の正義が抜けきってないね」


「俺はただ……」


「わかるよ。それがあんたの良さだ。ただ、ここは検察庁じゃない。白バッチを外したあんたが今持つべき視点は、ホシと同じ思想だ。人を殺し、何かを訴える。そうでもしなくちゃこの国は変わらない。その、何か、を探るのが私らの仕事なの。切り替えなさい。とりあえず写真。後は事務所に戻って、車と爆弾の出何処を確認するよ」


「承知しました」


 それから俺は江國さんに言われるがまま、現場の写真を何枚か撮った。こんなものが、捜査の参考になるのかと思うほど、ただの風景写ばかりが携帯の画像フォルダに保存された。




 路上駐車していた車に戻る。鍵を差し、俺はドリンクホルダーに置いていたアイスコーヒーの残りをストローで啜った。ずずず、と下品な音を立てるプラカップ越しの珈琲。ストローの先に氷が張り付いている。


「ほんと、よくそんなの常飲できるよね」江國さんは特定保健用食品のお茶を飲みながら、呆れた眼差しを俺に向ける。「ザ・糖尿病予備軍」


「今日はこれでも控え気味ですよ。ガムシロップ四個しか入れていませんから」


 ペットボトルから唇を離した江國さんが「げっ」と顔を歪め、「それで太らないのがずるい」とこちらを睨んだ。


「俺ぐらい頭使うようになると、この量の糖分は必要最低量なんですよ。江國さんは、砂糖一舐めで一日動けるから、コスパ良いですよね」


「うるせえ。糖分過多で死ね」


 日常茶飯となった掛け合いを行い、俺はキーを差したエンジンを回す。「腹減ったな。コンビニで何か買って行こ」健啖家の口癖に耳を傾けながら、俺は桜田門へ車を走らせた。




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