離坂しえり—リサカシエリ― ⑥
「五十九点」の私が「八十九点」へ上り詰めるまでには、約半年ほどの歳月を費やしました。私はその期間、常に詩乃宮結季へ依存し続けました。彼から貰ったプレゼントは様々でしたが、何よりあの人の「美への執着心」が、私を焚き付け続けました。
今夜もまた、詩乃宮結季に会います。家を出る前に鏡を覗きます。私は今日、とうとう「百点」の自己評価を与えました。彼に言われた部分を直していくと、私は見違えるように美しくなりました。
極端な美への過剰意識故に、半年前の私は拒食症に陥っていました。詩乃宮結季は、デートの度に私を食事へ連れて行きました。敷居の高いフレンチ、海鮮の美味しい料亭のような高級店から、焼き肉食べ放題、ジャンクなファストフードまで、とにかく私と食を楽しみました。「美しさの秘訣は、無理をしないことだよ。細身と窶れを一緒にしないこと」彼と取るランチもディナーも実に美味しく楽しいものでした。おかげで体重は半年で四キロも増えましたが、今思えば、このぐらいの肉と肌のハリは必要だったのかもしれません。
そして、一緒に様々な芸術品を観に行きました。博物館や美術館、作品展に通い、私の内なる教養を活性化させてくれたのです。詩乃宮結季とは、そのへんのうまがとことんあいます。有意義な時間を幾度となく過ごしてくれた。彼が須田国太郎の『書斎』の原画を見つめる横顔は、儚くも、美しかったのを鮮明に覚えています。
詩乃宮結季にとって、衣類や化粧品は二の次でした。彼は私の、私が持つ根本の美的な部分を伸ばし、そのご褒美として服やコスメ、稀に花をくれました。彼の言いなりになっているだけで、私は段々と磨かれていくのでした。極めつけは、性行為です。彼とセックスを重ねる度に、私の女性的な部分が溢れ出し、必然として女性ホルモンの分泌量も上がりました。
そんな半年間で、ようやくたどり着いた「百点」の自己評価。
夜、待ち合わせ場所で、私を見つけた詩乃宮結季の顔が歪んでいました。いつものような上手な口説き文句はなく、言葉をただ失っているみたいに見える顔です。私は、ようやくこの人に認められたのかもしれない。そう思いながら、紫のドレスを羽織った私は詩乃宮結季の腕に絡みつき、繁華街を抜けて行きます。
詩乃宮結季は私を褒める時、語彙を豊かに、節約せずに使ってくれます。
「僕、お世辞が言えないんだ」口癖の如く、詩乃宮結季は言います。だからこそ、彼の賛美には価値がある。嘘偽りのない言葉で、私を評価し続けている。
ああ、その頃にはもう、カイちゃんとは終わっていました。とうの昔に、カイちゃんは私なんか見えていないようでしたし、仕方ないことだと割り切っています。
仕事、仕事、仕事。半年でデートはたったの一度。カイちゃんの仕事終わりに夕食を二人で取っただけでした。なんだか、大きな仕事を抱えてしまったみたいで、あの時のカイちゃんは相当苦しそうでした。私の変化に目をくれている暇なんてないみたいな、そんな顔で、カイちゃんはビールを飲んでいました。
忙しいのは承知しています。それでも、たまには。そう思うことも、私からは消えていきました。私は命を削って、一人で美しさを追究しました。知らない男のペニスを舐めてまで、お金を貯え、私は。でも、詩乃宮結季と出逢ってから、そんなことはどうでもよくなりました。私は詩乃宮結季に言われた通り、ピンサロで働くのを辞めました。精神衛生状態がよくなりました。お金を無駄に散財せずとも、綺麗になる術を教えて貰いました。段々と詩乃宮結季に靡いていく心。私は、どれだけ取り繕っても、所詮は尻尾を振る女なのです。その真実に気づいたタイミングで、私からカイちゃんに別れ話を切り出しました。何とも言えぬ顔で謝罪を重ねるカイちゃんは、見るに耐えないものでした。
「今日は一段と綺麗だよ、しえり」
何も言ってくれない、私に関心のない恋人より、私の傍で私を見守ってくれる友人の方が愛しく想える。私は、そんな普通の女です。
自分を花に例えてしまうほど、学も謙遜もないわけではありませんが、今は例えたい。私が一輪の薔薇だとして、カイちゃんは私を花瓶に生けてこう言います。
「花が美しいから、花瓶もより高いやつがいいな」
そんなカイちゃんが好きでした。歳上だから、輝いて見えました。
対して詩乃宮結季は、私を花瓶に生けたりなどはしないでしょう。彼は、私を数多の薔薇が咲き占める薔薇園の土の中へ埋める。そして、
「大衆の薔薇の中で唯一の輝きを見せる美しさを、君は持っているから、僕はそうする」
どちらがいいかなんて、人の好みだと思います。
詩乃宮結季は、私のことを理解しているだけです。
詩乃宮結季。その全てが可憐で、儚く、物憂げな表情がよく似合う。私の心臓を掴んで離そうとしない。いつしか変わった私の目的。カイちゃんからの「愛している」ではなく、詩乃宮結季からの「百点」。
ホテルに入ってすぐ、今夜もまた文句の付けようがないセックスを終えました。私は「何点ですか」と恐る恐る詩乃宮結季に問います。これが最後のような気がしました。詩乃宮結季から、今日こそは「百点」が貰える気がしたから。従順なペットのように、ベッドの上で膝を畳みながら、私は評価を待ちます。貴方が育てた私。貴方無しではここまで来られなかった私。共依存が生み上げた美の作品である私。
詩乃宮結季はその指先で私の頬を撫で、「九十九点」と言いました。




