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BURLESQUE  作者: 微倫
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離坂しえり—リサカシエリ― ②



「テクマクマヤコォォォン!」私の入室に合わせ、客が滾って犬のように吠えます。黒いレースのセクシーランジェリーを纏った私を見て、既に下腹部は恥ずかしげもなく反り起っているようでした。


「ふふふぅ。はぁーい。じゃあ九十分、たぁーっぷり楽しみましょうねぇ」


 私は一体、何処から声を出しているのでしょうか。少し鼻の詰まったくどい甘声を、これ見よがしに馬鹿面で発声します。その際、今一度脳内でオプション内容を思い返します。ああ、そういえばこの人は、射精回数が多いんだった。嫌なことを思い出し、苦味として残った記憶が口内に広がります。九十分で最低射精五回。さすがに私が持たないので、ゴム有本番中は一回までにしてあります。私はこの人を、絶倫くんという名前で記憶しています。


 シャワーを浴び終えても、客の身体からは年季の入った加齢臭が漂いました。皮脂の匂いはきついけれど、精神を殺せばどうにでもなります。ベッドに腰を下ろす絶倫くんの隣に座り、バスローブをゆっくりと脱がしてあげます。毛や痣、皺に疣。その汚れた肉体が、肥えた脂肪にまとわりついている様子が露わになりました。


「あの、あの」絶倫くんの声は酷くしゃがれています。私の手を握る爪の親指が紫色に潰れています。確か工場勤務と言っていました。怪我でもしたのでしょうか。


「なあに」絶倫くんは、とことん甘やかされたいタイプです。「どしたぁの」


「す、すきです、俺!」私の鎖骨に唾が散布します。別に気にはしません。


「ふふふぅ。あたしも好きだよぉ」


 絶倫くんの首に私の腕を回し、抱きしめた状態でギシギシに傷んだ髪を撫でます。


 腕の中に包まれるこの肉塊は、獣のように鼻息を荒げ、もう我慢の限界に達していそうでした。絶倫くんは早漏くんでもあります。この人は一度、初手で射精させてあげないと、乱暴に私を扱いたがるからちょっと迷惑なんです。厄介さを回避するために、私は早々に絶倫くんのペニスへ手を伸ばします。


 仕事中、客が自分の世界に没頭し始めたら、私は基本的に別のことを考えさせてもらうことにしていました。客が第一に欲しいのは私の身体で、次に他愛もない言葉です。その程度であれば、私の論理的思考に影響を及ぼすことなく貸出ができる。だから、私にとって九十分はあっという間でした。ペニスを包んだ手を上下に移動させます。「うっ」絶倫くんの白濁の涙が、早くも激しく宙を舞っていました。



 まずは、今週末にカイちゃんと行く予定のクロード・モネ作品展のことです。国立近代美術館で三か月間開催されるそれにどうしても行きたいと電話でねだったら、カイちゃんは休みをこじつけてくれました。最近、仕事ばかりでろくなデートも出来ていない私達からすれば、約四か月ぶりのデートです。


 モネの作品が好きです。印象派の画家の中でもひときわ有名な存在で、モネの名前すら知らない人間はいないことでしょう。私は彼の『戸外の人物習作――左向きの日傘の女――』が何よりも好きです。モデルの顔をヴェールで覆い、輪郭のみで構成することで、その奥ゆかしさ、当時のモネの心情、つまりは亡くなった妻カミーユへの想いが作品には込められているようでした。


 芸術は、私を操作します。一方でカイちゃんは、作品に張り付く私をよそに、何か欠伸でも零しながら、また仕事のことで頭を一杯にしているのでしょう。プライベートまで仕事に侵食されているカイちゃんと、仕事中にプライベートで脳を埋める私、実に正反対で少し笑えます。





「つ、次、おっぱいで挟んでくれるかい?」


「えーっ。私ので挟めるかなぁ?」


「大丈夫大丈夫! ほら! 擦り付けるみたいに!」


「わかったぁ。やってみるねっ」






 次は、先日読み終わった教育書についてです。


 大学時代、私は教育学を専攻しておりました。その名残か、卒業後もたまに教育哲学についての書籍に触れたくなる時があります。


 国立国会図書館で借りることのできた、ヨハン・フリードリヒ・ヘルバルトの『一般教育学』は、学生時代にも一読していましたが、今、こうして読み返してみるとなかなかに奥が深いものでした。


 ヘルバルトは言う。「私は、教授の無い教育などというものの存在を認めないし、また、逆に、教育しない如何なる教授も認めない」と。紛れもなく、教育の真理をついた一行といえます。教授という前提条件の上で、我らの語る教育は便宜上成り立つ。しかし、その教授を忘れた人間の大半が、そつなく教員採用試験を突破し、現場に立っている。その使命も責任もプライドも忘れ、夢だったから、や、子供が好きだという理由で現場に立っている。私は、そういう人間への理解が浅いのです。そして、私もまた、何ら教授を持ちえない人間でした。そもそも教授など持ち得ていたら、今頃知らない男のペニスを舐めたりはしていないのでしょうが。教育の道を外れたことで、就職活動が周りよりもやりずらい――教育学部特有の、アレだ――ということも、私が正規雇用に縁がなかったことに多少は由来するのかもしれません。まあ、言い訳に過ぎないけれど。






「うっ、俺、入れたい、もう我慢できないっ」


「はぁーい。じゃあ、ゴムちゃーんとつけましょうねぇ」


「…………たまには、こっそり生とか……」


「うん? 何か言ったぁ?」


「なんも言ってないよ! つけます! ゴム!」






 そう思うと、私は周りより怠惰な人間なのかもしれません。カイちゃんのおかげで、美を磨くという目的は持ててはいますが、カイちゃんがいなければ今頃私は何をしていたのでしょう。私に、向上心はありませんでした。夏目漱石も『こころ』の中で、「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」と言っています。今の美しくあろうと向上へ進む私は、カイちゃんあり気なのです。出逢いは人間を変える。これからの人生、どうなるかは、全て出逢いに委ねられているのかもしれない。これも私の場合、ですが。


 カイちゃんに会いたい。カイちゃんはこの手の話を苦手がるけれど、いつか、二人でゆっくり芸術品や、哲学思想、そして文豪の遺作について語り合いたい。カイちゃんも頭は良い人だから、それができます。その野望を叶える為には、私はカイちゃんを取り戻さなければならないのです。仕事すら放りだしたくなるほど、もっと、激しい美的体験をカイちゃんへ捧げたいのです。





「イクぅぅぅうううううう!」


「いっぱい出たねぇ」





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