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BURLESQUE  作者: 微倫
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六丸真緒—ロクマルマオ― ②



 職員室を出て、一旦階段を降り、昇降口付近に設置されている自動販売機で無糖の缶珈琲を二本買った。それから、再び階段を上がり、ボクは屋上へと出た。


 錆びたドアを開くと、いつの時代かに不良生徒が不法投棄していったとされる白いベンチに寝っ転がりながら、何やら文庫本を開くシノの姿を眼鏡越しにキャッチした。先程まで、ここに宇井渚はいた。シノの疲れた表情から察するに、また面倒ごとに首を突っ込んでいるのは容易に想像ができた。


「お疲れ。どうだった? 自殺は食い止められそう?」


 缶珈琲をシノの腹部めがけて落とす。彼は文庫本を持たない方の手でキャッチし、ぐっと勢いよく身体を起き上がらせた。「渡し方雑だろ。さんきゅ」プルタブを弾いて、シノが缶珈琲を一気に飲み干す。ボクはその隣に腰を下ろし、並んで苦い汁で舌を濡らした。


「あの子はお前のクラスの生徒だろ。随分と他人事だよな」


「宇井はシノの方がお気に入りみたいだからさ。で、どうなの」


「あの子はもう自殺はしねえよ」


 鼻をふんと鳴らし、自信を含んだ眼差しでボクを見る。


「どうしてそう思うの?」


「ありゃ、俺を不安にさせたくて、まだ死にたいフリを続けてるって感じだな。いわゆるかまってちゃん。まあ、年頃の女子生徒ならよくある話だよ。可愛いもんだ」


「なんか、可哀想だ」


「何がだよ」こつんと、空になった缶の底でシノはボクの後頭部を小突いた。


「宇井はさ、きっとシノと自分が特別な関係になれたと思い込んでるわけでしょ」


「だろうな」シノは飄々と言いのける。実にあっけらかんとした横顔だ。


「でも、彼女はシノの教育方針の線上に乗っかっただけ。これから一生、どんなことがあっても、シノの本当の姿を拝むことは出来ない。宇井が見ているシノは、一人称が『私』の、超ストイック教師詩乃宮結季(しのみやゆうき)先生だけってことでしょ」


「それのどこがいけねえんだよ。俺と宇井渚は、教師と生徒だぞ。変に生徒と距離詰めて、慣れ親しんでるお前の方がよっぽど理解に苦しむんだよ、俺は」


「ボクら、本当に教育理念だけはそりが合わないね」


「でも、お前は俺のこと尊敬してんだろ?」


「もちろんだよ。二年前にここへやってきてシノと出逢ってから、ボクにとってシノは憧れの教師像だよ」


「なのに俺とお前は別の道を進む。まるで俺ら、ペスタロッチとヘルバルトだな」


 シノの口から教育哲学ギャグが飛び出して、ボクらは二人、空へ笑い声を投げた。


 詩乃宮結季。ボクにとって彼は、この職場で初めて出来た友人であり、教育現場の第一線で活躍する良き先輩でもある。教員採用試験の合格率が九割を越える東京の名門教育大学を卒業し、教職に就いたシノ。ボクがこの学園に就職する前までは、担任を持っていたようだが、ここ二年は専攻している現代文の授業を二学年五クラス分引き受け、それ以外の時間は学校資料図書館の管理業務に務めている。私立高校だから、そういうことも許されるのだろう。シノが担任を持たなくなった理由の詳細は知らないが、彼が資料図書館に手を加え始めてから、本の貸出数が飛躍的に伸び、予算が下りて貯蔵数も増えた。もとより、シノの人気故に、という点は大きく関係していると思う。


 それにしても、シノは変な奴だった。プライベードでシノと交流があるボクだけが知っている事実。それは、シノの教育的偽装二重人格。


 彼の教育理念には、他の追随を許さない確固たるものがあった。それは、生徒と教師の絶対的距離感の把握と確保。それを達成させるためには、教師になめた態度を取る生徒を生み出さない厳格さの他に、生徒を掌握する「教壇にあがるべき本来の教師像」をこの時代に提示し続けることが重要だとシノは語る。


 自己流教育方針の下、シノの日々は徹底されたものにあった。原則、生徒の目に留まる校内での一人称は「私」。私情は話さず、授業中も、内容に関する話題だけを掘り下げる。一見、規律を重んじ過ぎた退屈な教員に見えなくもないが、シノはそういう輩とも一線を画している。


 平たい聞こえにはなるが、シノの話は面白かった。あの、横道にわざとそれて、ウケを狙った無骨滑稽なボクの余談とは違う。シノの話には、興味を持ちたくなる引きの良さがある。話し方も上手で、それはシノの資質としか言いようがないとも思えた。それ故に、シノは生徒の間で密かに行われた人気教師ランキングでボクと並んでトップタイだった。ボクが日頃から生徒の奴隷になって必死にかき集めた票数とは違う。清く高貴な票数で一位の座に辿り着いたシノは、実質ボクよりも遙か高い場所にいる。ちなみに三位は二十四歳音楽科担当のアンナ先生。美人で若い。それだけでも票は入るのだろう。


 落ち着きがあって、大人で、イケメン。シノは思春期の女子高生の大事な部分をくすぶる全てを持っている。ボクのように、生徒の顔色を窺わないあたり、本当に格好いいのだ。そういう意味では、尊敬の先に別の道を貫こうとしたボクがヘルバルトで、シノはペスタロッチという例え話は理にかなっているのかもしれない。


「なあ、マル」詩乃宮だからシノで、六丸のボクはマル。


「なに?」


「なんで教育って、こんなに面白いんだろうな」


 口の端を親指で撫でながらシノは言った。その表情は、生徒を熱心に思いやる教師にも見えるが、生徒を利用し大型実験を試みようとするマッドサイエンティスト風にも見えなくはない。


「さあね。そんなにこの仕事を楽しみながらやれてるの、きっとシノだけだよ」


「そうか? 思春期の活発な心を、教壇の上からゆっくりと制御し、操作する感じ」シノは後者かもしれない。「たまらないだろ」


「変態だよね、ある種の」


「殺すぞ」次はグーで、ボクの後頭部を小突いた。「そんな下品なもんじゃねえ」


「でもさ、そんなに教師という仕事が楽しいのに、どうして担任を持たなくなったの?」


 ボクはシノが受け持つクラスというのを見たことがない。二年前に詩乃宮級の卒業生を送り出してからは、シノがホームルームを行ったことは一度もない。ただ、生徒達からは「詩乃宮クラスとかあったらいいな」という声をちらほらと聞くあたり、彼の運営するクラスは生徒からして期待値の高いものなのだろう。ボクもその気持ちは同じだ。


「あー。学校図書館を整備したいってのもあったんだけど、俺、実はやりたいことができてさ」


「何? また変なことやろうとしてるの?」


「まあまあ見とけよ。面白いことやっから」


 こうやって話をしていると、詩乃宮先生とシノはやはり別人のように思えた。気さくで陽気で、言葉遣いが荒くて自信家なのが、本当のシノなのだ。宇井がシノのこんな姿を見たら、一瞬で幻滅してしまうんじゃないかと思うほどに。


「面白いこと?」


「そう。革命、みたいな」


「また大袈裟だね」


 シノなら、本当にその革命とやらをやってのけそうだった。そう他者に思わせる魅力が彼にはあったし、自己有用性にぎらつく瞳は、やはりボクの憧れだった。


 青空を遮るように、一匹のジェット機が白い線を残しながらボクらの頭上を飛んだ。人工芝のグラウンドに、スポーツウェアを着こなし、サッカーボールを転がした生徒達が集まってくる。土曜日の午後は、サッカー部が練習に校庭を使うことを思い出した。武田は今、何処でバッドを振っているのだろう。


 ボクはランニング中のサッカー部が張り上げる声に紛れながら、シノを待つ間に職員室で起きた八十島先生の悪態をシノへ愚痴った。彼は隣でケタケタと笑い、「古い考えが捨てきれない人間は、新しい考えを否定してどうにか己を保とうとするんだよ。わかるだろ、八十島先生のあの肥えた腹見てればな。ありゃ言い訳続けて生きてきた何よりの証明だよ」と楽しそうに言った。






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