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BURLESQUE  作者: 微倫
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宇井渚—ウイナギサ— ⑤



「いらっしゃいま」平日の夕刻、詩乃宮先生の入店をフロアで確認した私は、唖然として「せ」まで言い切れないで終わった。小走りで入店口へ駆け寄り、対応をしてくれていた先輩と変わった。


「宇井さん、ここでアルバイトをしていたんですね。というか、原則うちの高校はアルバイト禁止のはずですが……」


「いや、すみません。黙っていて貰えると助かります」高校からは少し距離がある店だったし、こんなことになるとは、想定もしていない。


「別に告げ口なんてしませんよ。規則の一つや二つ、破ってこその高校生活ですから」


「よかった。あ、おひとりさまですか」


「はい」


「では、お席までご案内いたします」


 私は安堵した。もし、おひとりさまではなかったら、指をピースサインのように二本立てられてしまったら、背後から綺麗な女性が現われてしまったら、私は独りでに落ち込む夜を過ごさなくちゃいけなくなっていたところだ。


 席へ着き、先生はたらこソースのスパゲッティと、小エビのサラダのハーフサイズ、そしてドリンクバーを注文した。あくまで仕事中の私はオーダーを取り終えると先生の席からは離れ、ホール業務へと戻った。勤務中、意識は全て先生に向けられたままだ。


「はい、たらこと小エビハーフ」


 厨房から渡された皿を私は先生の待つ席へ運ぶ。既にドリンクバーを汲みに行っており、意外にもメロンソーダを飲んでいた。可愛い。心の中で私が呟く。


 先生が上手にパスタを食べているのを横目で見る。あの四五〇円の安いパスタでも、先生がフォークで巻けば千五百円の一皿にも見えなくはない。品が、常に溢れ出ているのだ。


 早々にたらこのスパゲッティを平らげた先生は、食器を机の端に避けて、黒いリュックからノートパソコンを取り出した。袖を捲り、少しだけネクタイを緩める。私は他の従業員の視線に気を遣いながら、先生へと声をかける。


「お仕事ですか」


「ああ、迷惑でしたか」


「いやいや。全然です。お客さんも少ないので、ゆっくりしていってください」


 私は、できる限りゆっくりしていって欲しかったからそんなことを言った。残り三十分で、私の勤務は終了し、退勤時間が待っている。もし、それまで先生が作業に没頭して居残ってくれれば、私は先生の対面に座り、夕食を済ませて帰ろうと考えたのだ。


 好きな人と食事をする機会を、私は合法的に獲得したい。


「それでは、お言葉に甘えます」


 これは私の勘違いだと思われるが、先生は仕事中、たまにホールに目を配っていた。私と目が合う度に、何やら優し気に瞼を落とし、軽やかに微笑んでくれた。もし、あの時の言葉全て嘘偽りないものだとすれば、私は今、やはり誰よりも幸福なのだろう。


 私が退勤のスキャンを終えても尚、先生は未だパソコンの前で頭を抱えていた。私は自然な風を装って、先生の対面に腰を下ろした。グラスに注がれたドリンクは、ブラックのアイスコーヒーに変わっている。


「ああ、お疲れ様です。上がりですか」


 先生はすぐにパソコンを閉じ、私の方を見て言った。


「はい。ありがとうございます。あ、お仕事、続けて貰ってもかまわないですよ」


「いや、実はほとんど終わっていたんです。ずっと考え事をして待っていただけなので」


「待つ?」


「はい。宇井さんがアルバイトを終えるのを待っていたというと、素直すぎますかね」


 髪の毛のサイド部分をくしゃっと掴みながら、耳たぶを赤くしてそんなことを年頃の女の子に言ってはいけないのだ。先生は狡い人だ。狡くて、愛しい人だ。


「私のこと待ってくれるのなんて、先生と家族ぐらいですよ」


「そんなことは」


「あります。待つのって、大変なんです。だから、待てるということは、そこに少なからず愛があるということですよ」自分でもすらすらと恥ずかしい台詞が飛び出して、言い終わった後に、思わず両手で口を塞いだ。「私、何を」


「やめてくださいよ。生徒が教師をからかうなんて」


「すみません」


「でも、間違いではないですね、それ」


「はい?」


「いや、愛がなければ、待てない。宇井さんへの愛がなければ、私はこうして、今、宇井さんと向き合ってはいないかもしれませんからね」


 口説いているというよりも、思ったことを口に出している風だった。ずっと気になっていたけれど、あの屋上以来、私のことを「宇井さん」と呼ぶように戻ってしまった。私が癇癪を起こしたから、もう「渚」とは嘘でも呼んではくれないのだろうか。そう思うと、あの日の怒りをちょっぴり後悔した。


「ねえ、先生」


「どうしましたか」


「嬉しいです。先生に待ってもらえる私で」


「そう言ってもらえると、私も嬉しいですよ」


「でもね、先生。私は、先生のことずっとは待てないんです」


「それは、どういう」



 私は、自分が死にどれだけ近い場所に立っているかを、まだ他言してない。あと一押しで死。人差し指、もしくは私の爪先がそこに触れたら、あとはドミノのように続けて倒れ始め、全てが終わる。そんな状態がもう何か月も続いていることを、私は隠蔽したまま生きてる。


 果たしてそれは、本当に生きるという行為なのだろうかと疑問が浮かぶ。先生なら、答えを出してくれるだろうか。先生は、答えを知っているのだろうか。


 天井を見つめると、裸の天使がヴィーナスの近くで飛ぶ絵画と目が合った。賑やかでクラシカルなバッグミュージックの中で、私は先生に話そうと決めた。オーダーボタンを押し、先輩に「たらこスパと小エビのサラダのハーフ、お願いします」と言った。私が先生と全く同じ注文をしたせいか、先生と先輩は目を丸くして一瞬見つめ合っていた。話そう。話すんだ。私は料理が到着するまでの限られた時間で、自分の命に対する価値観を語り始めた。






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