散々利用してから捨てておいて今更やり直したいってどういうことですか?
ステラ王立学園での卒業式を終え、アマリア・ロッセリーニ伯爵令嬢は教室に向かっていた。
既に日は暮れかかっている。夕日の差し込む廊下に、彼女以外の生徒は見当たらなかった。
アマリアは卒業式の後、婚約者から呼び出されていた。そこで彼から言われたことを、色々と整理するのに時間を要したため、こんな時間になってしまった。
今思い出しても、それは耳を疑うような事柄だった。
教室に入ろうとすると誰かの気配がした。思わず足を止める。身長からして男子生徒のようだ。
恐る恐るその顔を確認して、思わず目を見開く。
もう当分、ひょっとしたら二度と会うことは無いだろうと思っていた人物と、随分早く再会することになったからだ。
「ポール、様」
スラリと高い背に、整った顔立ち。そこに居たポール・ヴァルシエ子爵令息はアマリアの婚約者……いや、「元」婚約者だった。
「アマリアじゃないか。どうしてここに?」
ポールはいつもの人好きのする笑顔をアマリアに向けた。あんな理由で婚約破棄をしておいて、普段と全く態度を変えない彼に一抹の恐怖を覚える。
***
アマリアがポールに呼び出されたのは、卒業式が終わって直ぐのことだった。その場にはポールと、彼に腕を絡める一人の令嬢がいた。
彼女……イレーネ・サンタルチア侯爵令嬢は元々アマリアと交友関係のある人物だった。普段からすれ違えば挨拶はするし、親同士も面識があるため、入学以前にも何度か顔を合わせていた。
首を傾げるアマリアに対し、彼はいきなり眉を吊り上げてアマリアを非難し始めた。
そして「イレーネを集団でイジメていた」「嫌がらせをしていた」という身に覚えのない罪を被せられ、婚約者に相応しくないという理由から、一方的に婚約破棄を宣告されたのだった。
しかも彼はイレーネと婚約をし直すとまで言った。何と既に、彼女の両親とも顔合わせもしているというのだ。
何故イレーネを選んだのか話を聞くと、彼女の方がアマリアより心が清らかで、一人の女性として尊敬できるからだという。
***
「……私は、忘れ物を取りに来ました。ポール様は?」
自分の心の内を悟られないよう、アマリアは笑顔で言った。
「僕はついさっきまで先生たちと話していて遅くなってしまったんだ。で、最後に教室を見ておこうと思ってここに来た」
喋りながらポールは廊下に出た。
「それじゃあ」
ポールは軽く手を上げ、遠ざかっていく。
アマリアは逡巡した。声をかけるべきか、やめるべきか。
いや、聞くだけ聞いてみよう。
「ポール様、一つだけ教えて下さい」
アマリアは震える声で語りかけた。
「何だい?」
ポールが振り返る。彼の声は優しげだ。この容姿に声では、婚約者を裏切るような男だと見抜ける人は殆ど居ないだろう。
「もしかして、私にイレーネ嬢を紹介して欲しいと言ったのは、最初から……」
アマリアは言葉を切った。
ポールとイレーネを引き合わせてしまったのは自分だった。ポールに「紹介してくれ」と強く頼まれ、断れなかったのだ。
二人の仲は、アマリアの居ないところで急速に進展していたようだ。まるで最初から、こうなることを計画していたかのように。
「いえ、何でもありません。失礼します」
アマリアは頭を下げ、辞去しようとした。今更事実を知ったところで、もう元には戻らないのだ。聞くだけ無駄だと思い直した。
「そうだよ。僕はイレーネと出会うために君を利用させてもらった」
アマリアは足を止める。
「今、何と仰いましたか?」
アマリアは笑顔でポールに聞き返した。彼女は普段から寡黙だが、人と話すときは笑顔でいることを心掛けている。しかしその笑顔も、今は歪になっていたかもしれない。
ポールは面倒くさそうに頭を掻いた。
彼の纏う雰囲気が変わっている。
いつもの爽やかで人好きする表情ではない。夕日の陰りに内面の黒さが滲んでいるようだった。
「だから、イレーネと仲良くなるために君を利用したと言ったんだ」
アマリアは目を大きく開いた。イレーネは明るく社交的な女子だ。外見にも花があり、男子からも人気がある。それに彼女の実家であるサンタルチア侯爵家はロッセリーニ伯爵家より家格も上で、裕福でもあった。国へも多額の融資を行っている。
彼の言葉は、自分より良い相手を見つけたから、乗り換えたと言っているに等しい。
沈黙を続ける彼女にポールは続ける。
「それだけじゃない。この王立学園に入る時だってそうだ」
このステラ王立学園は代々王族の通う、由緒正しい学校だ。
それ故、基本的に伯爵家以上の貴族を優先的に受け入れている。それ以下の爵位の子供でも、超難問といわれる筆記試験を突破すれば入れるのだが、応募者が集中するため狭き門だ。
ポールは成績自体はそこまで悪くないが、入試を突破できるほどではなかった。
しかしそんな格式高い学校にも抜け道はある。もし入学時に婚約していて、その相手が伯爵家以上の家格ならば、男爵家だろうが騎士爵だろうが、何なら平民であっても入学が可能になるのだ。
「ポール様、それではまるで、最初からこの学園に入るために私と婚約したと言っているようなものではないですか」
「そうだよ」
彼は躊躇なく肯定した。
「そもそも僕は伯爵家に婿入りするだけで終わる男になるつもりはなかった」
アマリアは唖然とした。何度も瞬きを繰り返す。
「……最初から私と結婚する気など無かったということですか?」
「ああ。何なら絶対に願い下げだと思っていたよ。いつもヘラヘラしてるだけで、パッとしない地味女なんて」
いつの間にか、アマリアの顔から笑顔が抜け落ちていた。両親や同級生から褒められる笑顔。それがよりによって、結婚目前だった男性に貶されたのだ。
「しかし家格の不十分な君でも、十分に僕の役には立ってくれたよ。何よりアレクシス王子を始めとした、自治会の上級貴族の皆様とコネクションを作ることが出来たしね」
ステラ王立学園の自治会は、学園長直轄の準公的組織であり、未来の統治者を育てるための実践の場である。
成績優秀者の他、王族や、王室に縁のある貴族が選出されやすく、その性格上、国の中枢で職務に就く貴族の子供たちも多数在籍していた。
要は上澄みの中の上澄みが集まっているのだ。
アレクシス・アルトヴァイ第三王子もアマリアたちの同級生であり、自治会メンバーの一人だった。
王子は成績優秀で面倒見も良く、その驕ったところのない親しみやすさと天性の美貌で、生徒たちから人気があった。
実はアマリアも書記として、一年生の頃から自治会に入っていた。学年で最優秀の成績を収め続けていたため、教師から推薦を受けていたのだ。
そのアマリアに会うという名目で、ポールはよく自治会に足を運んだ。外交的な彼は王子や、他の執行部のメンバーともよく会話を交わし、仕事も手伝っていた。それらは、彼の言葉を借りればコネクションを作るのが目的だったのだ。
アマリアを使って――。
「うちの実家が貿易商をやっているのは知っているだろう? その一部は、イレーネと結婚してサンタルチア侯爵家に婿入りしても引き継ごうと思っているんだ」
ポールは両手を広げながら言った。確かにヴァルシエ子爵家は貿易商を生業としている。ポールには商才もあり、既に仕事に携わっているとも聞いていた。
「そして王子とのコネクションで関税の免除や、物品の独占権を貰う。ビジネスは更に強くなるだろう。それだけじゃない。侯爵の家格を得て、王子や彼の取り巻きたちとのコネクションが出来た今、新しいビジネスを始めて彼らに売り込めば莫大な利益を得られる。王国議会議員への道も開かれたに等しい。将来的には僕の子供が王族と縁を結ぶこともあるだろう。そうすれば、僕は晴れて王族だ」
アマリアは言葉を発することが出来なかった。彼が野心の強い人物だということは知っていた。だが、まさかここまでとは思っていなかったのだ。
「どうして……どうして今、そんなことを言うのですか?」
アマリアの声は小さくなっていた。この3年間、婚約者として、出来るだけのことはやってきたつもりだ。無礼も働いていない。
彼女の実家からも二人への援助という名目で多額の金が渡っている。
アマリアはその金銭に一切手を付けなかったが、ポールは使い込んでいた。あれは両親が、全寮制で生活する自分たちの身を案じて用意してくれたものだった。そうした両親の善意さえ、利用され、踏みつけられたというのだろうか。
「何でだろう。何故か言いたくなったんだ」
「私が、このことを他人に話すとは考えなかったのですか?」
「もしかして僕を告発する気かい?」
ポールは眉を上げた。得意げでさえあった。
「まあ君の両親は君の味方をするだろうけれど……それは婚約破棄するんだからどうでも良い。でも自治会執行部の人も、他の生徒たちも、君が告発して回ったところで、どっちを信じるだろうね」
「自治会執務室の端っこでいつも喋らない地味女と、積極的にみんなの手伝いをしていた僕」
「……!」
ポールは外面だけはかなり良い。快活で明るく親切で、そして『一見』婚約者を大切にしていた。
それに引き換え、てアマリアは普段も、自治会の中でも積極的に話す方ではない。
その彼女が、卒業式の後、急に饒舌になってポールの告発を行うことは難しかった。既に殆どのメンバーも、何なら卒業生も帰ってしまっている。
ポールはそれを見越して、こうして勝ち誇っているのだ。絶対に反撃を受けないタイミングである、最後の最後に。
「じゃあね。僕の『婚約者』が待っているんだ。君は良い踏み台だったよ。もう会うことも無いだろう」
そう言って、ポールは背を向けて去って行った。
アマリアは小さくなっていく背中をじっと見つめていた。が、やがて彼女も背を向けた。
彼女に差出人不明の手紙が届いたのは、この日から3年を過ぎた頃だった。
*****
アマリアは小さな修道院の礼拝堂に来ていた。規模は小さいが、歴史が古く、市民から親しまれている。
彼女が座る最前列の足元には、ステンドグラスの光が色鮮やかに差し込んできている。
手紙の送り主に呼び出された場所がここだった。
手紙が届いたのは実家だった。
既に嫁ぎ先に引っ越していた彼女に、家族が手紙を郵送してくれたのだ。
筆跡は乱れ、紙は汚れていた。しかし彼女にはおおよそ差出人の目星が付いている。
後ろから石床を叩く足音が聞こえてきた。どこか足を引きずるようだ。
やがて自分の目の前に現れた人物を見て、アマリアはいつもそうするように笑った。誰にでも向ける笑顔で。
髪も髭も伸び、コートは洗いざらしているのか色が薄く、よれている。その人物はどこに出しても恥ずかしくない浮浪者だった。明らかに、この神秘的な雰囲気の場所に相応しくはない。
3年前の彼からは想像も出来ない姿だ。
「久しぶりだね、アマリア」
浮浪者風の男は笑った。声にも、笑った顔にも、あの頃の面影があった。
「お久しぶりです、ポール様。あの手紙の主はあなただったのですね」
その男はポールだった。
彼はあれからサンタルチア侯爵家に婿入りし、尚且つ学生時代に作ったコネクションを使って商売に勤しみ、社交界でもそれなりの地位を築いてるはずだ。
彼の、本来の計画からすれば。
「それにその格好……何があったのですか?」
突然、ポールの顔が歪んだかと思うと、跪いた。そのまま上体を倒して土下座の姿勢を取る。
「まあ」
アマリアは左手で口を覆った。
「頼む、僕と……僕とやり直して貰えないか」
彼の声は二人しかいない教会でよく響いた。
「都合の良いことを言っているのは分かっている。だけど、僕と一緒になれば君にとってもメリットがあるんだ。例えば……」
「どうして、私とやり直したいと? あなたは侯爵家に婿入りしたはずでしょう」
アマリアはポールの言葉を遮る。彼女の笑顔とは裏腹に、何の感情も籠っていない声質だった。
ポールは頭を下げたままだったが、やがて顔を上げ、ぽつぽつと語り始めた。
先ず彼が直面したのは、勝手に婚約破棄をしたことで課せられた、賠償金の支払いだった。アマリアの実家であるロッセリーニ伯爵家は、この婚約のためにかなりの資金を使ってきた。
それを急に反故にされたのだから、たまったものではない。娘の時間は返ってこないが、金だけは絶対に弁償させると決めていた。
一方、ポールの実家であるヴァルシエ子爵家でも大問題になった。家格的にもそうだが、この婚約に対して子爵家は、完全にお願いする立場だった。ポールを婿入りさせるために、あらゆる犠牲を払わなければならなかったのだ。
それを一方的な婚約破棄をしておいて、許されるわけがない。
アマリアがイレーネをイジメていたという不確定な情報よりも、直前で婚約破棄をしたという事実の方が重視された。
賠償金の半分は何とか子爵家で払ったが「残りはお前が払え」と言い放たれ、ポールは絶縁された。
ただそこまではポールも考えていた。最初から何のペナルティもなく婚約破棄できるとは思っていなかった。それでも彼の商才と、学生時代に培ってきたコネクションがあれば容易に挽回できると考えていたのだ。
しかしサンタルチア侯爵家に婿入りしてからは予想外の事態が続く。
先ずサンタルチア家が社交界で総スカンを喰らった。それまで仲良くしていた貴族たちが、示し合わせたように茶会に呼んでも来なくなり、夜会でも社交辞令的な挨拶だけ済ませて去って行く。
それだけではない。サンタルチア家では国に多額の金を貸しており、その利子は侯爵家の重要な財源の一つだった。
それがある日、唐突に国から借金の「赦免」を宣告された。つまり公的に踏み倒されたのだ。
他にも王国に融資していた貴族は多くいた。なのにサンタルチア家だけである。嫌がらせであることは明白だった。
これにより侯爵家の財政は悪化していく。
それでもポールはまだ自信を失っていなかった。彼は婿入りしてから新しいビジネス……宝石商を始めるため、着々と準備していた。
鉱山での採掘から販売まで、流通の全てに関わって、良いものだけを提供してブランド力を付ける。
提供先は、彼が学生時代に培ったコネで開拓した王族や上流貴族たち。
彼らの間で有名になれば、流通量は増え、とてつもない利益を上げられるというのが、彼の計画だった。
ポールはイレーネの両親を説得し、仕事を始めるための資金を初期投資して貰った。そして流通の体勢が整い、いざ学生時代に関係のあった貴族たちのところに赴いたのだが……。
門前払いされた。それも、全ての友人からである。
意味が分からなかった。
まるで他人のような、それどころか貴族としてさえ見られていないような、無礼な扱いを受けたのだ。
ポールは必死になって宝石を売り歩いた。しかし何とか売れたものでさえ、「偽物」という根拠の無い噂が広まった。借金だけが山のように大きくなっていく。
加えて、妻イレーネとの不和。
当然と言えば当然だった。人を利用することしか考えていない男と、人のものを取ることしか考えていない女。最初から上手くいく筈がない。
結局、事業で作った借金を抱えたまま、彼は離婚された。そしてどうにもならず元婚約者であるアマリアに泣きついてきたということだ。
「頼む。どうかもう一度、僕にチャンスをくれないか」
「また私を利用するつもりですか?」
アマリアは笑顔で見下ろす。
「ち、違う! 僕は今になって、本当に愛しているのは君だと気付いただけなんだ!」
「あなたが三年前、最後に私に言った言葉、忘れたわけじゃないですよね?」
「それは……」
ポールは目を白黒させている。
「『君は良い踏み台だったよ』でしたっけ」
「あ、あれは、あの時だけ、どうかしていただけなんだ」
いつも饒舌なポールだが、あの言葉を覆すのは難しいようだった。
「でも良いんです。許します」
アマリアの笑顔を見て、ポールの顔もパッと明るくなる。
「だって私、あなたが浮気していたの、途中から気付いていましたから。あなたが私を利用していた宣言をしていた時の反応も、半分は演技です」
彼の顔から笑顔が萎む。アマリアは笑顔で続ける。
「それだけではありません。あなたが私を使って、王子たちと仲良くなろうとしていることも。伯爵令嬢と婚約している事で学園で受けられる様々な恩恵を、吸い尽くせるだけ吸い尽くして、体よく私を捨てるつもりだったことも」
ポールの口が大きく開かれた。
「ど、どうして……」
「最初は浮気の調査をするつもりで、密偵にあなたを調べさせていたんです。そしたら出るわ出るわ。まるで人の醜い部分を抽出したかのような、あなたの人間性が」
アマリアは長い黒髪を撫でつけて続ける。
「気付いていたのは私だけではありませんよ。執行部のメンバーも全員あなたの本性に気付いていました」
「まさか、君が言ったのか?」
ポールは眉根を寄せ、疑いの目をアマリアに向けた。
「いいえ、彼らは最初から気付いていました」
ポールは執行部に出入りし続けていた。
それが一度や二度なら許されただろう。しかし例え執行部の婚約者だからといって、成績が際立って優秀というわけでもなく、子爵家の令息でしかない生徒が執行部に入り浸っていたら、どう考えても邪魔である。
加えて上流貴族の彼らは、幼少の頃から人を見る目を養わされている。人選びを誤れば死活問題になるからだ。
そんな人の悪意に敏感な彼らが、野心丸出しのポールに気付かないわけがなかった。全員、アマリアも含めて、それとなく「もう来るな」と助言していた。それなのに自分の目的に酔っていたポールは全く気付かなかったのだ。
「そうやってあなたは、卒業までコツコツとヘイトを溜め続けていたというわけです。国の中枢をなす貴族の令息、令嬢、そして王族に対して」
ポールは頭を抱えた。今頃自分の愚かな行動に気付いたのだ。彼がやっていたのはコネづくりではなく、自分を破滅へと導く土台作りだった。
王子も徐々にポールに対し、関心を持つようになった。勿論良い意味ではない。珍獣を観察するような心持だったようだ。
だからアマリアに、空気の読めない婚約者のことを色々と尋ねるようになった。
彼女は正直に話した。ポールがどういう人間性で、何をしようとしているのかについて。
それは執行部の中で話題となり、噂はトップダウン方式で、彼らが卒業する時には殆どの生徒が知るようなものとなっていた。
自分が優秀だと信じて疑わない、頭お花畑な彼の耳に入ることはなかったようだが。
ポールはがっくりと手を付き、項垂れた。
侯爵家は総スカンを喰らい、自分の商売も上手くいかないわけだ。学校に通っていた令息、令嬢を通して彼らの悪評は国中の貴族に広まっている。
誰も彼らと関わりたいなどとは思わなかっただろう。
「私はあなたを許したと言いました。それが何故か分かりますか?」
ゆっくり顔を上げたポールの表情は不審感に満ちていた。
「分からない。どういうことだ?」
「私は最近、アレクシス王子と結婚したのです」
まるで石になってしまったかのように、ポールは静止した。
「あら、ご存知なかったのですか。といっても彼は王室を出たので、もう王子ではないのですけれど」
アレクシス王子は公爵の爵位を得て、王都に近い場所に領地を持っている。
王子はアマリアからポールの話を聞くたび、彼女に同情した。親切な彼は、同じ執行部メンバーである彼女の力になろうとしてくれた。
皮肉なことに、アマリアたちの話す機会はポールの話題によって増え、親密度が増していくのだった。
と言っても、彼らが互いを異性として意識し始めたのは、卒業してからのことだったのだが。
「私も結果的にあなたを利用することになってしまいました。あなたを批難する権利は私にありません。だから、あなたを許したと言ったのです」
依然として固まっていたポールの表情が、急に怒りに燃えた。サンタルチア侯爵家が急に国への貸付金を反故にされたのも、アレクシス王子の差し金だったのだと気付いた。
しかし、それよりも、彼を駆り立たせたものがあった。
「お前、僕を利用したのか?」
聞いた事のない低い声だった。
アマリアはため息をつく。彼の中では自分が他人を利用するのは良いが、他人に利用されるのは絶対に我慢出来ないらしい。
ポールは立ち上がり、詰め寄って来た。両の拳を握っている。
「ああそうそう。私はあなたを許しますけれど……」
アマリアが手を叩くと、礼拝堂の入口から大量に兵士たちが雪崩れ込んできた。
「動くんじゃねえ!」
「このクソ野郎!」
「お嬢様に一歩でも触れてみろ。貴様の首をへし折るぞ!」
絶対教会では言ってはならないであろう汚い言葉を大量に吐き捨てながら、兵士たちはポールを無理やり拘束した。
「や、やめろ! 離せ!」
「黙れ!」
兵士の一人がポールを殴る。乾いた音が礼拝堂に反響した。頭骨に衝撃が届いた音だ。
「止めなさい。神の御前ですよ」
ようやく兵士たちは落ち着きを取り戻し始めた。アマリアの一言が無ければ、ポールを袋叩きにしていてもおかしくない殺気立ち方をしていた。
「言葉を続けますね。私は許しましたが、私の実家は借金を踏み倒されたままなので、全くあなたを許していません。今からあなたは裁判にかけられます。そしてどんな方法を使ってでも借金は返して貰います」
「そ、そんな! 助けて、助けてくれアマリア!」
ポールは泣き叫ぶ。身体を振りほどこうともがくが、屈強な兵士たちの前では無意味だった。
「それに、学生時代に僕のやろうとしていることに気付いていたんなら、どうしてその時言ってくれなかったんだ! そうすれば、少なくともこんなことには……!」
「『こんなこと』に、なって欲しかったから、です」
アマリアは笑った。三年前にも見ていた、いつもの笑顔だった。それがポールにとって一番の恐怖だった。
彼女は待っていた。ポールが不幸になっていくのを。より深い奈落に落ちていく、この時を。
いつものように、笑いながら。
彼の顔は死人のように青ざめていた。自分がとんでもない悪意を向けられ続けていたことを、今更気付いたのだ。
やがて兵士がポールを連れ去り、教会の中に静寂が満ちた。
彼の行く末は分からない。
けれど顔は悪くないので、恐らく金持ちの変態に買われて、死ぬまで調教されることになるのではないだろうか、と、アマリアは神像を眺めながら思った。
おわり




