出来た理由と行きたい理由
内閣情報調査室直轄特殊現象観測班(通称:S.P.O.T.)とは、内閣情報調査室直轄の特務機関である。主に日本国内に来訪、または侵攻した異世界転生者や未確認生命体と接触を行い、場合により隠匿や処理等を迅速に行う事で日本国内の治安維持や世論の混乱を予め回避する、特殊事案に対して極めて重要な役割を担う組織である。
≪こちらデルタ、目標を視認。距離200。家畜を襲っていた個体、ゴブリンと思われる。オーバー。≫
「CP、ロジャー。周囲に熱源無し。交戦を許可する。アウト。」
また、異世界や生命体との接触の際に採取した未知の物質やデータ、異世界転生者が知り得る技術を尋問し、日本国の発展の為に関係省庁や企業へと“条件付き”で譲渡する役割も担っている。
「また特殊事案かよ。嘉手納からF15が三機もスクランブルだってよ。」
「もしかして台風12号の件ですか?今回も“風見鶏”ですかね?」
「いや、今回はストームワイバーンの群れっすよ。あの口が二つあるキモいやつ。今回は数も多いからって、フィリピンと中国とアメリカの空軍も加勢するみたいっすよ。」
「インデペンデンス・デイかよ。胸熱展開じゃん。」
内閣情報調査室直轄特殊現象観測班のルーツは、戦前まで遡る。第一次世界大戦以降に、世界各地で増加した未確認生命体や超常現象、未確認飛行物体など人類の存続を揺るがしかねない事案を『特殊事案』と呼称した国際異世界事象管理機構(通称:I.W.M.A.)の提案により、各国に特殊事案対応部隊が編成されることとなった。
当時の大日本帝国もI.W.M.A.の提案に準じ、国内でも確認された特殊事案に対応するべく、旧日本陸軍の宇治原陸軍中将に働きかけを行い、1920年4月に日本初の特殊事案対応部隊である旧日本陸軍所属特務機関「U機関」が設立された。
≪こちら飯田06、刀剣を所持したマル被の侍を確保。特事につきスポットのマル援求む。どうぞ。≫
≪こちらPS了解。なお通報内容から特事と判断し、5分前にスポットへ現急を要請済み。飯田06は対象の動向を注視し待機されたし。以上。≫
≪飯田06、了解。≫
戦後はGHQにより旧日本軍と同じ末路を辿ったが、1950年に警察予備隊が結成されたのを機に「特殊事案対応部隊」として改めて設立され、1998年に管轄が当時の防衛庁から内閣情報調査室へと移ると、武力的な表現を和らげる為に「特殊現象観測班」と改名され現在に至る。
「なあ、まーた“あの”のネーちゃんかよ?」
「なんかやったみたいよ。あの人って本当に懲りないわね。真面目で美人だけどねぇ。」
「腕っぷしは強いのにな。実働から後方への移動なんて異例だぞ。そら、お呼び出しだ。」
大型モニターがひしめき合う、息苦しい事案対応室。そこを横切る通路を見つめながら、日夜事案対応を行う職員たちが息抜きのコーヒーを啜りながら呟いた。通路にはスーツスタイルの金髪の女性が、凛とした姿勢で通路を通過していた。その通路の先には、飾り気のない支部長室の入口が鎮座している。「まるでランウェイだな」と一人が呟くと、力の無い笑い声が漏れ出した。
〜〜〜
100年もの歴史のある組織ではあるが、近年は異例中の異例な事態が我が組織に立て続けに起きている。
一つ目は、4年前の四月から「特殊事案対応技量向上」の名目のため、各国の特殊事案対応部隊や警察、そして正規軍の隊員を含めた30名が出向という形で来日し、国内での銃器使用の特例許可と共に監視部隊に所属することになったこと。
二つ目は、世界では3件目となる「ラジア語」という異世界言語を話す者が日本に転移したこと。
そして三つ目は、イギリス人の隊員が交戦規定を堂々と無視し、不祥事を起こしたこと。
長野県松本市にある陸上自衛隊松本駐屯地の、その地下10メートルにある「特殊現象観測班長野支部」の飾り気のない支部長室。
目を通した報告書をため息と共にデスクに投げ出すと、河野政信は頭を抱えていた。漏れだしそうな恨み節をペットボトルの水で胃袋へ流し込んだところで、河野政信は不安を練りこんだ「理由は把握できましたが、なぜ手を出したんです?」というセリフを、机の向かい側のソファに寝転ぶ人物に投げつけた。
「それはもちろん、あの殿方をボコボコにしたかったからです。そんな経験、支部長もお有りでしょう。」
「そんなわけあるか」と、河野政信は心の中で突っ込んだ。部屋に入ってからというもの、その艶かしい唇から“素っ頓狂な”言葉を流暢な日本語で打ち返してきているイギリス出身の彼女の名は、『ザラ・ワイズマン』という。年齢は40代程だが、相変わらず見た目以上に若く見える。
ザラは、まるで宝石の様な赤い瞳をこちらに向けつつ、白いブラウスと黒いパンツスーツに身を包んだ細くも筋肉質な身体を、来客用のソファに投げ込むように寝ころびながら言葉を返した。己の美しい金色の長髪に顔を埋め、猫の様に自由な振る舞いをする彼女に苛立ちつつも、乱されたペースを取り戻すべく河野政信は咳払いをしながら苦情を入れた。
「ザラ君には昔から世話になっていますがね、今回ばかりは知り合いの私でも庇いきれませんよ。我々人類とは“少し違う”マルクスに、隊員3名を不用意に近付けるなんて、何を考えていたのですか?」
「彼のくしゃみが止まりそうに無いので『くしゃみを止めてきなさい』と命令しましたよ。あまりにも可哀想ですし、日本には“くしゃみを百回すると死ぬ”という恐ろしい言い伝えがあると聞きました。対象を死なせる訳にはいきませんから、非常に苦渋な決断でしたよ。おかげさまで3分ほど食事が喉を通りませんでした。それと貴方とは知り合いではなく元夫婦の中ですよ。あれほど深く愛し合ったのに、もう忘れたんですか?でもつまらない男と感じたのは確かですし、私も貴方を玩具としか見てなかったのかもしれませんね。ごめんなさい。それに、あの3人はオンラインカジノに手を染めていましたから、組織の代わりに彼にお灸を添えてもらったんです。いい機会だからついでにやってもらおうと思いまして。」
大きな欠伸をしつつ、身体190センチのスレンダーな身体をソファの上で“無防備に”晒しながら彼女は淡々と答えた。ブラウスの裾が捲れ、彫刻のような腹筋が見え隠れしているが、相手が放つ色気よりもザラの放った余計な一言と隊員3名の不祥事を同時に知らされ、漠然としたやるせなさを感じた河野政信は、頭を抱えた。
他の組織よりも秘匿性の高い事案に対応するS.P.O.T.では、隊員や職員の不祥事が一つでも明るみに出てしまえば、組織の存続に関わる事態となる。事の次第では日本国で生まれ育った形跡すら削除される等、非常に重い処分が下される程に不祥事にはナイーブである。今回のオンラインカジノの件が上層部の耳に入れば、良くて除名、悪ければ国外追放や強制的な改名を行い別の人間として生かされる“戸籍改め”処分の可能性もあっただろう。それを彼女は、全治2週間程度の軽傷と一週間の謹慎処分で済ませてあげたということだろうか。根は慈悲深い彼女のことだろうから、自分自身の立場と引き換えてでも守りたかったのだろうか。
それにしても重大な報告を、言い訳と与太話のついでに伝えるのは止めて欲しいと、河野政信は改めて感じた。
「それと、もう戦うのは疲れたんです。イギリスに帰れば貴方と会えないですし、日本の田舎暮らしを楽しみたいんです。それに、この仕事にも飽きましたから。」
「飽きたって…。」
だから、空きが出来た長野県第三支援拠点への転属を狙って、今回の不祥事を起こしたのだろうか。だとしたら俺は見事に彼女の掌の上で踊らされていたというのか。上体を起こし、身なりを整えた彼女を見つめながら、河野政信は返事と共にため息をついた。
「イギリスへ転生して今年で80年ちょっとですからね。ずっと野郎共を殴り続けてきたのですから、いい加減飽きてしまいますよ。」
いたずらっぽく笑ったザラ・ワイズマンは、特徴的な尖った耳を見せつける様に、わざとらしく金髪を左手でかき上げた。




