騎士マルクス、殉職する。
「なーんか、護衛ってドキドキしますね。」
荷馬車の荷物を確認しながら、新兵のルベンが笑みを浮かべる。私は呆れながら「貴族の狩猟遊びではないのだぞ。警戒を怠るな。」と咎めると、ルベンは眉尻を下げて小さな声で「ごめんなさい。」と謝った。
我々スクイン王国騎士団は、隣国のヨバリヤ共和国との貿易会談の事前協議の為、騎士団から選抜した10名で使節団の護衛任務に当たっている。
とはいえ、その実態は事前協議とは名ばかりの観光である。両国は昔より交易が盛んに行われ、ヨバリヤが君主制から共和国制に移行してからも、相変わらず平穏な関係を保っており、事前協議も半日さえあれば終わってしまう。
常に国王の機嫌を伺いながら使命を果たす、使節団を構成する役人達にとっては、束の間の夏季休暇と言ったところだろうか。役人共には良い事なのだろうが、護衛を担当する騎士団にとっては「休みたい」だの「ドキドキワクワクする」などと申す腑抜けどもが増えて非常に困る。先程も愚痴をこぼした衛兵に、騎士道精神が何たるかを左手で“教えてあげた”ところだ。
「まぁまぁ副団長。まだまだ17歳のガキですぜ?そんなに怒らんでも…。」
馬上から、エルセスがニヤニヤしながらこちらに割って入る。整った顔付きに、人懐っこくお調子者な彼は、騎士団の中でも魔術適性がある貴重な人材、『魔術剣士』である。剣術はそれほどでもない上に、剣士のくせに剣術ではなく魔術に重きを置いて戦う姿勢が、私としてはどうにもいけ好かない。
オマケに彼が3年前に騎士団に入団してからというもの、婦女子からの色恋沙汰や恋愛関係の不祥事が絶えず、訓練場に30人もの婦女子達が「エルセスを呼び出せ」と乱入してきた事例もあった。
そして先日、とうとう婦女に暴力を働いたとする報告が部下から上がってきたのだ。
「エルセスッ!貴様にはヨバリヤに到着次第、根掘り葉掘り山ほど聞きたいことがある!」
「ええっと、何でございましょうか副団長殿ぉ…?」
「それは貴様が一番分かっているだろう。胸に手を当て考えおくのだな。」
「うへぇ…。」
そう私が言うと、彼は目を泳がせながら俯いた。出国前にエルセスの件について報告はしているが、この男の腐った騎士道精神諸共、ヨバリヤの訓練施設にて私が直々に叩き直してやろうと考えている。心無しか、それが少し楽しみな私がいる。
エルセスの怯えた表情を鼻で笑ったところで、騎兵が馬から降りて駆け寄ってきた。
「副団長。この先にある例の橋ですが、いかがされますか?」
「事前の打ち合わせ通りだ。私はルベンと最後尾に移る。エルセスと騎兵は最前列に行け。」
この先には、スクイン王国と当時のヨバリヤ王国が、交易の為に多くの資金と人材を用いて共同で大河に架けたアーチ橋がある。普段は多くの人通りがあるアーチ橋だが、今朝は先程まで降り続いた大雨で人通りが無く、濃霧が橋の周囲に立ち込めており見通しが悪い。
またスクイン王国側には、数年前の落雷による火災で廃墟となった住宅がいくつか放置されている。この手の廃墟は手頃な遮蔽物となる上に、更に対岸からも伏兵を置いて橋上で挟撃すれば袋叩きにできるために、盗賊の奇襲による強盗被害が度々報告されている。
そこで私は、最後尾で盗賊をできる限り食い止め、エルセスの風力魔術と騎兵の機動力で包囲を強行突破する戦術を立案した。出国前の作戦会議では騎士団員一同から「単純明快な案で素晴らしいです!」と絶賛されたが、エルセスからは「単細胞過ぎるぞオッサン」と言われた。もちろん、エルセスに鉄拳をお見舞いしたのは言うまでもない。
「各員、気を引き締めろぉ!」
私が衛兵達に喝を入れると、それに応えるかのように各員が「スクイン王国の為に!」と叫んだ。
使節団の役人と、エルセスを除いて。
〜〜〜
状況は上手く行っている。いや、上手く行き過ぎていると、私は感じていた。
想定通り、使節団が濃霧に包まれたアーチ橋の中間辺りに差し掛かった途端に、背後から10名ほどの盗賊に襲撃された。私は身を翻しつつ、右手に装備したバックラーで盗賊の顎を砕くと、ルベンが間髪入れずに相手の胴をサーベルで切り裂いたのが、戦闘開始の合図となった。
先頭でも同じ様に盗賊が現れたのだろう。打ち合わせ通りに荷馬車の車列の速度が上がり、時折だが衝突音と断末魔の叫びが聞こえる。
その叫びを聞いて安心した私は、ルベンと連携して6人を瞬く間に屠った。2年前まで農民だったとは思えないほどの剣捌きで、刀身を迷い無く盗賊の身体へ滑り込ませる程に、騎士として成長を果たしたルベンを見て、私は猛烈に感動していた。それと同時に、盗賊共に疑念を抱いていた。
『いくらなんでも弱過ぎる。』
スクイン王国騎士団の中で選りすぐりの兵を集めたといえど、盗賊があまりにも弱い。事前の調査では、長剣の扱いに優れた傭兵くずれの盗賊が出没する事が多いと聞いていたが、目前にいるのは構えすら“なっていない”素人の様に見える。武装も短剣や農具であり、不思議な事に盗賊から獣の様な匂いが一切感じられないのだ。
「貴様ら、よもや盗賊ではあるまいな?」
ブロードソードに付着した血を払いながら、及び腰の盗賊達に声をかけると、図星であるかのように動きが止まった。「どういう事ですか?」とルベンが問いかけてきたが、私は表情を変えずにハンドサインを送ると、少し不満げな顔をしつつも、頬に付いた血を袖で拭いながら素直に対岸へと駆け出して行った。
ルベンが濃霧へと吸い込まれていくのを見届けると、私はブロードソードを納刀し話を続ける。
「恐らく、金に釣られて雇われた平民だな?奴隷にしては体臭もなく、肉付きも良い。一攫千金を狙えると誰かに誘われ、脅されているのだろう。宮殿内でも噂になっているぞ。“宵闇の稼ぎ”とな。」
一昨年に起きた凶作の影響と、隣国のヨバリヤが君主の高齢化等の理由で平和的に共和国制に移行。周辺国の交易の活性化等により変化しつつあるスクイン王国内の情勢の中で、現在蔓延りつつあるのが、特殊な理由で召集された盗賊達による強盗だ。
軽作業や短時間の労働で多額の給与を支払うと誘われ、断ろうとすれば家族や土地等の財産を質に取り、善良な平民を悪の道へと引きずり込む裏稼業。誰が呼んだか、宵闇の稼ぎ。
スクイン王国に限らず隣国のヨバリヤはおろか、周辺国でも類似事件が多数報告されている。噂には聞いていたが、騎士に平民を斬らせようと仕向けるなんぞ、なんと卑劣な手口であろうか。
そして今回の盗賊の奇襲は、我々スクイン王国騎士団の実力を調査する為でもあるのだろう。ちょうど一月後には、この道を国王陛下の車列が通過するからだ。
「剣を握り続けるならば、私も全力で相手をしてやろう。そうでなければ、国へ帰れ。」
少し脅すように剣の柄に手をかけながら声をかけると、盗賊達は武器をその場に投げ捨て一目散に逃げ出して行った。ただ、一人を残して。
「聞こえなかったのか、それとも度胸があるのか…。」
愚痴をこぼす様に、一人だけ残った盗賊に語りかけるが、何も反応は無い。
嫌な予感がした。そして、嫌な予感は見事に的中することとなった。
「すべては、神の意志のために!」
盗賊が上着を脱ぎ捨てると、右手の短剣の刃を首筋へと滑らせた。刀身を舐めるように流れた血が、柄を伝って橋へと滴り落ちると、足元に幾何学模様が浮かびあがった。
「なんと…!劣化呪術か!?」
この世には、決して後世へと伝えてはならない魔術、その名も“呪術”というものがある。それは『永遠の命を約束するもの』や『災害を引き起こすもの』、はたまた『死者を蘇生するもの』など世界の均衡を崩しかねない魔術ばかりだ。ほとんどの呪術は歴史の闇に葬られたと聞いたが、やはり嘘だったようだ。
幾何学模様の魔法陣へ血が注がれた事を確認した盗賊は、こちらに目線を戻すと意を決した様に刀身を首筋へと深く沈めた。
この盗賊が行おうと企んでいる劣化呪術は、魔術師の血を用いて『対象物を著しく劣化させる』呪術である。そして呪術と名のつく術には、ある共通点がある。
『注がれる血が多ければ多いほど、呪術の効果が高まる。』
華が咲くように紅い飛沫が飛び散るや否や、足元に広がった魔法陣がみるみると大きくなっていく。まるで岩に亀裂が入るように。
崩壊までに間に合うだろうか。盗賊が前のめりに倒れる様子を確認した私は、鎧を騒がしく鳴らしながら対岸を目指して全速力で橋の上を駆け抜ける。今回は徒歩の移動が多いと思い、軽歩兵用の甲冑を身に着けてきたのが幸いだった。これなら何とかなるだろう。
「マルクスさぁーん!大丈夫ですかぁーっ!?」
濃霧の中からルベンの声が聞こえた。対岸は近い。脚力に更に力を入れた刹那、背後から落雷の様な音が向かってくるのが分かった。空気が震え、腹の底に響く重低音を奏でながら、アーチ橋の崩壊が始まった。
振動で脚が正確に踏み下ろせずに、時折千鳥脚の様になりながらも身体を前へ進ませるが、崩壊速度が想像以上に速いと感じた。既に水面を無数の石材が叩く音も聞こえ始めたと思えば、いつの間にか2秒前に足を置いていた足場が大河へと落下していく。
「副団長ぉー!くたばるなよぉ!あんたが死んだら、誰が俺のケツ叩いてくれるんだよぉー!」
エルセスの呼びかけも聞こえてきた。もうすぐ対岸にたどり着く。右脚で崩壊しかけた足場を踏み抜き、立ち込めている土煙と濃霧を切り裂く様に私は跳んだ。
「マルクスさぁぁぁん!」
「副団長ぉぉぉー!」
途端に視界が開け、二人が叫びながら手を伸ばす姿が見えた。私も両手で空をかきながら手を伸ばした。
「届けぇぇぇ!!!」
しかしながら、伸ばした4つの手が繋がれることは無かった。踏み抜きが足りなかったのだろうか。それとも度胸が足りなかったのだろうか。失速した身体は、重力に従って落下していく。
「こんのクソったれ!!!」
驚愕の表情をする2人を見上げながら、己の不甲斐なさに腹が立った私は、身体を捩らせ腰に付けていた巾着袋を渾身の力で2人へ投げつけた。
「副団長…。世話になりました!」
巾着袋をエルセスが上手く掴み取ると、今まで見たことも無い程に真剣な表情で、死にゆく私へ感謝の意を叫んだ。投げつけた袋の中には金貨と、私の名が刻まれたスクイン王国騎士団の証である紋章が入っている。この瓦礫に呑まれて遺体は残らないだろうが、私が殉職した事実は、スクイン王国へと伝えられるだろう。
「スクイン王国に、栄光あれ!」
祖国と2人への思いを叫びながら、私の意識は瓦礫と共に沈んでいった。