第50話『王都の中心街でお買い物! のはずだったんだが……』
「ニャー! めちゃくちゃいい匂いがするにゃ!」
ニアが目を輝かせ、通りの向こうを指さした。
視線の先にあったのは、香ばしい煙を上げる肉串の屋台だ。
「いいよ。買っておいで」
そう言うと、ニアは一瞬きょとんとしたあと――
「ニャ!? 本当にいいのニャ!?」
ぱっと顔を輝かせ、弾かれるように屋台へと駆けていった。
今日は、王都の中心街に、みんなで買い物に来ている。
本来の目的は、僕がこれから通う学園の制服の採寸と、
その他の学用品を揃えることだった。
けれど、せっかく中心街まで足を運んだのだ。
用事だけ済ませて帰るのは、さすがにもったいない。
というわけで、予定を少し緩めて、
みんなで王都観光も兼ねることにした。
石畳の大通りには、人の波が絶えない。
行き交う人々の服装も様々で、商人、冒険者、職人、貴族の従者らしき姿まで入り混じっている。
屋台の呼び声に、どこかで誰かが奏でる笛の音。
焼き物や香辛料の匂いが入り混じり――
さすがは王都の中心街、と言うべき賑わいだった。
「おお……さすが王都だな。業物が揃っている」
通り沿いの武具店の前で、セラが足を止めていた。
店先に並ぶ剣や槍を前に、珍しく目を輝かせている。
普段はあまり感情を表に出さない彼女が、わずかに口元を緩めているのを見て、僕は思わず苦笑してしまった。
少し離れたところでは、プルメアとネーヴェさんが並んで店先を覗き込み、布地や小物を手に取りながら、静かに買い物を楽しんでいる。
王都に来てからというもの、みんな何かと働き詰めだった。
こうしてほんの少しでも、肩の力を抜ける時間になっているのなら、 街へ出てきた甲斐はあったのだろう。
一方で、街の人々がニアやネーヴェさんを見る目については、 正直なところ、少しばかり心配していた。
けれど、どうやらそれは思い過ごしだったらしい。
好奇の視線こそ向けられるものの、露骨な偏見や嫌悪を感じることはない。
よく見れば、この中心街でも獣人の姿は決して珍しくなく、数は多くないものの、通りを歩く獣人たちの姿がちらほらと見える。
その光景に胸の奥で小さく安堵しながら、
僕は再び、楽しそうに肉串を頬張るニアへと視線を戻した。
「ニアは、他に買い物はいいの?」
「あたしは、食べ物があればそれでいいニャ」
物欲より食欲。
実にニアらしい答えに、思わず苦笑が漏れた。
そんなわけで、皆がそれぞれの買い物を楽しんでいる間、
僕とニアは二人で、食べ歩きをしながら中心街をぶらつくことになった。
さすが王都の中心街だけあって、
大通りだけでなく、一本裏に入った細い路地にも店が並んでいる。
狭い道の両脇に、おしゃれな看板が肩を寄せ合うように立ち、人通りは少なめだが、どこか“知る人ぞ知る”雰囲気が漂っていた。
外から眺めているだけでも楽しく、
歩いているだけで妙に満たされた気分になる。
――そのまま、何気なく路地を進んでいった、その時だった。
少しずつ、違和感が混じり始める。
看板の色合いが、やけに派手だ。
装飾も、文字のフォントも、どこか主張が強い。
……気づけば、視界の端はピンク色ばかり。
「ご主人様には、ちょっと早いんじゃないかニャ?」
ニアが、ニッシッシと楽しそうに笑う。
その一言で、ようやく確信した。
――しまった。
路地を辿っていただけのつもりが、
いつの間にか歓楽街に足を踏み入れていたらしい。
「ち、違うよ! たまたま、たまたまここに来ちゃっただけだから!」
慌てて言い訳しながら踵を返し、
その場を離れようとした――その時だった。
ガタン、と鈍い物音が響く。
次の瞬間、曲がり角から少女が飛び出してきた。
「――っ!」
避ける間もなく、正面からぶつかる。
体勢を崩しながらも、反射的に腕を伸ばし、
少女をかばうようにして地面へ倒れ込んだ。
その直後だった。
「クソッ! 待て、この野郎!」
荒々しい怒声とともに、男が姿を現す。
モヒカン頭に険のある顔つき。
腰には短剣――どう見ても、穏やかな相手ではない。
人を見た目で判断してはいけない。
頭ではそう分かっていても、
幼い少女と、目の前の男。
どちらが悪者なのか、考えるまでもなかった。
ニアが、一瞬で前に出る。
僕と少女を背に庇い、低く身構える。
その鋭い動きに、男は露骨に舌打ちした。
そして、腰の短剣に手を伸ばしかけた――その瞬間。
「大丈夫か!」
聞き覚えのある声が、路地に響く。
駆けつけてきたのはセラだった。
その背後には、プルメアとネーヴェさんの姿もある。
数が揃ったのを見て、
男は露骨に顔を歪めた。
「……クソッ」
それだけ吐き捨てると、
男は振り返り、路地の奥へと走り去っていった。
あとに残されたのは、
急に静まり返った路地と――
僕の腕の中で、小さく震える少女だけだった。
「……いったい、何だったのニャ」
突然の出来事に、僕もニアも状況を飲み込めずにいた。
だが、今はそれどころじゃない。
腕の中で震え続ける少女を、どうにかしなければ。
「大丈夫? いったい何が――」
声をかけかけた、その途中で、
胸の奥に、言いようのない違和感が走る。
言葉は自然と、喉の奥で消えていた。
追いついてきたプルメアも、
少女の顔を覗き込み――
次の瞬間、はっと息を呑んだ。
「……その子って……」
「うん。あの時の子だね」
長く垂れた耳に、乳白色の髪。
恐怖に強張っているせいか、耳はぴたりと頭に沿うように垂れ下がっている。
だが、その姿を見間違えるはずがない。
王都へ向かう途中、あの野盗たちに囚われていた――
獣人の少女たちの、ひとりだ。
震える少女の手が、
僕の服をぎゅっと掴んで離さない。
「……助けて……」
絞り出すような、その声に、
胸がきゅっと締めつけられる。
「大丈夫。もう平気だよ」
「助けてあげるから、安心して」
そう言って、そっと頭を撫でると、
少女の指先から、ゆっくりと力が抜けていった。
張りつめていた糸が切れたように――
そのまま、少女は意識を手放したようだ。
「……本当は、何があったのか聞きたかったけど」
小さく息を吐き、腕の中の少女を見下ろす。
「今はそれより、休ませてあげよう。
とりあえず、屋敷に連れて帰るよ」
その言葉に、ネーヴェさんが即座に反応した。
「馬車を回してくる」
ネーヴェさんはそう言い残すと、踵を返して走り出した。
「……いったい、何があったのでしょうか……」
ぽつりと零れたプルメアの声には、
隠しきれない不安と困惑が滲んでいた。
白昼の王都、その中心街からそう離れていない場所で――
いったい、何が起きているのか。
答えのない疑問が、
僕の胸の奥にも、重く沈んでいく。
漠然とした不安だけが、
静かに、確かに広がっていった。




