第44話『王都の闇バルバロス』
ニアの先導で、人目を避けながら進む怪しい荷馬車の一団を見つけた僕たちは、林の陰に身を潜めて作戦会議をしていた。
本来の予定はこうだ。
――仮面をつけたネーヴェさんが先行して注意を引き、その隙に僕たちが檻の中身を確認し、違法な奴隷と分かれば密かに保護する。
争いを避けるための、慎重な作戦だった。
だが――現実はそううまくはいかなかった。
厚い布が風で揺れた、ほんの一瞬。
その隙間からのぞいた鉄格子の奥には、震える小さな影がいくつも見えた。
夜目のきくニアは、それが獣人の子どもだと即座に理解してしまった。
その瞬間――彼女の中で、何かが完全に切れた。
気づけば、ニアは作戦も合図も待たずに、林の影から飛び出していた。
本来なら、作戦を台無しにした行動を咎めるべきなのかもしれない。
けれど――僕には、そんなことは言えなかった。
なぜなら、ニアの故郷は襲撃で滅び、仲間の多くは奴隷として連れていかれた。
あの景色が脳裏に蘇ったのだろう。
抑えられなくなるのも、当然だ。
だけど、いまのニアは危うい。
背中から立ち上る怒気は、まるで獣が飛びかからんとしているようで、このままでは――本当に暴走しかねない。
僕たちは顔を見合わせ、同時に彼女の後を追って林から飛び出していた。
「ニア、……落ち着いて!」
必死に声をかけると、ニアは肩を震わせながら振り返った。
その瞳には怒りと涙が入り混じり、まっすぐに僕の胸を射抜いた。
「……ご主人様、ごめんニャ。
でも、こんなの……見過ごせないニャ」
その声音には、怒りよりもずっと深い“痛み”が滲んでいた。
その時――
「あぁ? なんだてめぇら。貴族の坊っちゃんが英雄気取りか?」
野盗団を仕切る男が、下品に口の端を吊り上げた。
僕たちを値踏みする視線。
貴族の子供と、その従者のメイド。
どう見ても脅威ではない――そう判断したのだろう。
「悪いがな。こっちは仕事で忙しいんだ。
これ以上邪魔するってんなら……分かってんだろうな?」
男は剣を抜き、じりじりと距離を詰めてくる。
鋼の擦れる音が、夜気を切り裂き、緊迫した空気が、肌を刺すように張りつめる。
それでも――引く気なんて、さらさらなかった。
こうなってしまった以上、やることはひとつだ。
むしろ……最初からこうしておけばよかった、とすら思えてくる。
ただし、ひとつだけ言っておく必要がある。
「セラ、ニア……手加減はするんだよ」
僕がそう告げた瞬間、男の背後で野盗たちがどっと笑い声を上げた。
「だはははは、おい、聞いたか? 手加減だってよ!」
さっきまでの張りつめた空気はどこへやら、
好き放題に緩んだ笑いが夜の林へと広がっていく。
「ガルドの頭! あいつら捕まえたら、もちろん遊んでいいんですよねぇ!?」
その声に乗じて、次々と下卑た声が上がる。
「俺はあの金髪がいいな」
「バカ、あれは俺が先に目ぇつけてたんだよ」
「いやいや、あれはオレの獲物だ!」
勝手に盛り上がる部下たちに、男が苛立ちを押し隠すこともなく怒鳴りつけようとした――その瞬間。
「てめぇら、うるせぇ! そんな時間あるわけ――」
――ガキィィンッ。
金属が悲鳴を上げ、空気そのものが震えた。
セラの斬撃は、鉄格子の“中央”を真横一線に走り抜けていた。
一瞬遅れて、切断面が淡く光を帯び――
鉄格子の“上半分”が、ぐらりと傾く。
「ニャッ!」
ニアがすかさず跳び上がり、その上半分に蹴りを叩き込んだ。
バンッッ!!
切断面から上の鉄格子が宙を舞い、林の奥へ吹き飛んでいく。
その光景をみて、さっきまで女をどうこう言っていた連中の顔が、そろって真っ青になった。
……ほんと感情の忙しい奴らである。
ネーヴェさんを見て怯え、ニアを見て驚き、僕を見て舐め腐り、セラの剣を見たら今度は青ざめる。
反応の振れ幅、もはや芸だ。
「どうした? 私と遊びたい奴がいるんだろ? 今日は特別に遊んでやってもいいぞ?」
セラは軽く顎を上げ、剣先をゆらりと野盗たちへ向ける。
その表情は、挑発するような、楽しんでいるような――ほんのわずかに笑みを浮かべていた。
「ま、まて、待ってくれ!」
ガルドが慌てて両手を上げた。
額に汗をにじませ、必死に声を絞り出す姿は、さっきまでの威勢が完全に消えている。
「俺たちゃ、べつに剣を交えたいわけじゃねぇんだ……!」
剣先から逃げるようにじり下がりながら、言葉を続ける。
「だが、そのガキどもを連れてかれちゃ――こっちも困るし、お前らだって面倒なことになるぞ!」
「どういう意味ニャ!」
ニアが飛びかかる直前のように身を低くする。
怒りで耳が伏せられ、尻尾の毛が逆立っていた。
「お、おいおい……落ち着けって……!」
ガルドはさらに下がりながら、急いで続きを吐き出した。
「そいつらは、バルバロスに売る“商品”なんだよ!
それを奪うとなりゃ……お前らがバルバロスに狙われるって話だ!」
「バルバロス?」
思わず首をかしげて周りを見たが、プルメアもセラもニアも、誰ひとり心当たりがなさそうだった。
「それが何だって言うニャ」
ニアの冷たい声に、ガルドは呆れ混じりの息を吐く。
「お前ら……本気で知らねぇのか。どこの田舎者だよまったく……」
肩をすくめたあと、眉を寄せたまま説明を続ける。
「いいか。バルバロスってのは、王都の裏社会を牛耳ってる連中だ。そんな連中に歯向かったら、命がいくつあっても足りねぇ」
脅しのつもりらしいが、こちらの反応が薄いせいで、逆にガルドの顔色ばかりが悪くなる。
「奴らはいちど狙ったら地獄の果てまで追いかけてくるぞ……!
そんな面倒な連中につけ狙われるなんざ、お前らだって本望じゃねぇだろ……?」
懇願とも取れる声色が、夜の空気にじわりと滲むのを、僕は黙って聞いていた。
できれば面倒事に首を突っ込みたくはない。
だけど――獣人の子どもたちを奴隷として売り飛ばそうとしている相手。
それが“バルバロス”という組織。
ニアの故郷の件にも関わっている可能性は、十分にあり得る。
もしそうなのだとすれば――放っておけるはずがない。
「……話は、それだけか?」
セラが一歩前へ踏み出した。
剣先が月光を受けてかすかに光り、その切っ先がガルドの喉元へと向けられる。
刃の冷たさを感じたのか、ガルドは慌てて手を前に突き出した。
「ち、ちょっと待てって! ご主人様とやらに確認を取らなくていいのか!?
な? ボウズ、怖ぇのはイヤだろ? 見逃してくれよな?」
必死すぎて、もはや哀れみすら湧いてくる。
けれど僕の答えは――初めから決まっていた。
「うん、そうだね」
ガルドの顔に一瞬、希望がよぎる。
「セラさん、ニアさん。
遠慮はいらないから――懲らしめてあげて」
僕がにっこり指示を出した瞬間、
ガルドの顔が引きつる音が聞こえるほど青ざめた。
「まっ……ま、待っ――!」
その懇願は、セラとニアが同時に前へ踏み込む音にかき消される。
――そして次の瞬間。
林の奥に、野盗たちの悲鳴が連なるように響き渡った。
夜風すら押し返すようなその声は、しばらくのあいだ林にこだまし続けていた。




