第43話『仮面のメイド』
夜風が林の奥を抜け、木々の間を縫うように三台の馬車が軋む音を立てて進んでいた。
車輪が地面を叩くたび、荷台のどこかで鎖ががしゃりと鳴り、その金属音は風に紛れず夜気の中へ鋭く響いた。
三台目の荷台には、野盗団の頭――ガルドが腰を下ろしていた。
浅黒い肌に刻まれた古傷、伸び放題の髭、獣のようにぎらついた目。粗野さをまとった巨躯は、ただ座っているだけで荷台の空気を圧迫している。
馬車の車輪が大きな木の根を踏みつけた瞬間、荷台がぐらりと揺れた。
ガルドの体がわずかに跳ね、男は苛立ちを押し隠す気もなく舌打ちすると、前方を鋭くにらみつける。
「おい、このままじゃ取引に遅れちまうだろ! もっと急げねぇのか!」
苛立ちのはけ口を求めるように、悪路を進む御者へ声を浴びせる。
「む、無理ですよ頭! こんな道で速度なんて出したら、馬車が壊れちまいます!」
御者の声には焦りが滲んでいた。馬の足取りはすでに乱れ、車体はぎしぎしと悲鳴を上げている。
ただでさえ獣道みたいな“道なき道”を走らされているというのに、急げと言われてはたまらない。
「だ、だから言ったじゃないですか! 街道を行きましょうって!」
「馬鹿言え! あんな“商品”連れて街道なんか通れるわけねぇだろうが!」
怒鳴り声をあげたガルドは、苛立ちを隠そうともせずに二台目の馬車へと視線を向けた。荷台は厚手の布で覆われており中の様子は窺えないが、それでも布の下で“何か”がもぞりと動く気配が伝わってくる。鎖がこすれる金属音が夜気に溶け、ひやりとした響きを残した。
ちょうどそのとき、一陣の風が吹き抜け、布の端がわずかにめくれた。露わになった隙間から、鉄格子の檻の一部が月光を弾き、鋭く光を返す。それを目にしたガルドは露骨に顔をしかめ、深く息を吐く。
「余計な口叩く暇があるなら、さっさと進め。取引の時間に遅れたら、お前ごと売り飛ばすぞ」
吐き捨てるように言い放つと、彼は苛立ちを抑えきれぬまま舌打ちし、無造作に前方を指差した。
「とにかくだ。前の馬車にも急ぐよう伝えてこい!」
「へいっ!」
短い返事とともに、部下が荷台から音も軽く跳び降り、暗がりの中を前へと駆けていく。その背が揺れるランタンの明かりから外れ、闇に溶けこんだまさにその瞬間――。
ヒヒィィィンッ!!
甲高い嘶きが、林を震わせる勢いで跳ね返ってきた。馬が前脚を大きく持ち上げ、車輪が地面を掻くように軋む。荷台全体がぐらりと揺れ、鎖が不気味に鳴った。
「おい! どうした! なぜ止まる!」
ガルドの怒号に、前方から御者のうろたえた声が返ってくる。
「わ、分かりません! 前の馬車が――急に止まっちまって!」
「チッ……こんな時に何やってやがる!」
苛立ちを隠す気もなく吐き捨てると、ガルドは荷台の縁を蹴るようにして飛び降りた。湿った土が重い靴にぬらりと貼りつき、腐葉土の匂いが鼻を刺す。
地面に落ちた衝撃で、巨躯がわずかに沈む。
ガルドはその勢いのまま、乱暴に前へ歩き出した。暗がりの中、踏みしめた落ち葉や小枝がバキバキと砕け、道なき道を進む足音だけが夜の静けさを押しのけていく。
前方では馬の荒い鼻息と、御者のうろたえた声がかすかに響いていた。
ガルドは眉間に皺を刻み、重い靴をさらに強く地面へ叩きつけるようにして歩幅を広げる。
「おい! 何があった!」
ガルドの怒声が夜気を震わせる。呼ばれた御者はびくりと肩を揺らし、怯えた子どものように震える指で前方を示した。
「か、頭……あれを……」
嫌な予感が背筋を這う。ガルドが視線を向けた瞬間、喉がひゅっと鳴った。
林の奥――そこだけ月の光が切り取られたような静かな一角に、ひとりの女が立っていた。
白い仮面で顔を覆い、仕立てのいいメイド服が夜風に揺れる。闇に浮かび上がるようなその姿は、森の中に突然現れた“異物”そのものだ。
ただ立っているだけなのに、空気がひやりと変わる。 木々のざわめきさえ遠ざかり、周囲が静まり返ったように感じられる。
「……なんだ、ありゃ」
誰かが息を呑んでつぶやいた。
月明かりが彼女の輪郭を淡く照らす。
立ち姿は妙に整っていて、重心の揺れが一切ない。人間と言われればそう見える。だが――どこか“人ではない何か”を思わせる不気味さがあった。
次の瞬間、女がすっと一歩踏み出した。
草を踏みしめる音すらほとんどない。滑るような足取り。
そのわずかな動作だけで、男たちの背筋が粟立つ。
「おい、止まれ! 近づくんじゃねぇ!」
ガルドが怒声とともに剣を抜く。部下たちも慌てて剣を構え、刃が一斉に月光を反射した。
金属の響きが夜の空気を刺す。
女はその声に応じるように、ぴたりと動きを止めた。
あまりに静かで、あまりに無防備。
だからこそ――誰もが判断を誤った。
――こちらの剣を見て怯んだ。
――命令に従った。
そう思い込んだ瞬間、場の緊張がわずかに緩む。
「お前、何者だ? 何しに来やがった」
ガルドは苛立ちを押し隠すように声をかける。だが返ってきたのは、沈黙。仮面の奥で、女はわずかに首を傾けただけだった。
「頭……まさか、バルバロスの奴らじゃ?」
「バカ言うな、そんなわけ――」
否定しかけたガルドだが、もう一度彼女の姿を見て言葉を飲み込む。
仕立てのいいメイド服。
気味の悪い仮面。
そして――頭から伸びる、黒い角。
ひと目見たときは気づきもしなかった“異様な組み合わせ”が、今になって不気味な説得力を持ち始める。
「お前……まさかバルバロスの遣いなのか?」
ガルドの声には、警戒とわずかな焦りが滲んでいた。
取引に遅れそうな自分たちを見かねて、あの組織が“確認役”をよこした――そう思えば、辻褄は合う。
だが――
「……バルバロス?」
女が、ほんのわずかに首を傾げた。
その声音には、感情の欠片もない。
まるで、その名を聞いても――何ひとつ響かないかのように。
「チッ、違ぇのかよ!」
ガルドは苛立ちを露わにし、剣を構え直す。こんな女、ふだんなら軽く脅して黙らせる。だが今は時間が惜しい。
「おい、俺たちは急いでんだ。悪いことは言わねぇ、さっさと消えろ!」
怒鳴りつけるが、女の姿は微動だにしない。
「――それはできない」
その声は、氷のように冷たかった。
「はぁ!? できないって――どういう事だ!」
怒鳴り返したその瞬間。
ドンッ!
背後から突き刺さるような衝撃音。
二台目の馬車の屋根が跳ね、月光の中に猫耳のシルエットがふわりと浮かぶ。
「こういうことニャ!」
ニアが身軽に屋根へ降り立ち、勢いよく布を掴んで引き剥がした。
ばさり、と夜風に舞う布。
露わになったのは、鉄格子の檻。
中には、小さな獣人の子どもたちが怯えたように身を寄せ合い、月光に濡れた瞳で見上げていた。
細い首輪が冷たく光り、その姿が胸を締めつける。
「なっ……!?」
野盗たちの顔が一斉にひきつる。
ニアは檻の前で静かに牙を剥き、怒りに揺れる瞳で野盗たちを睨みつけた。
耳は怒りで震え、尻尾が逆立っている。
「――これこそ、どういうことか。説明してもらおうかニャ」
その声音は低く、いつになく冷たい。
一瞬で場の空気が凍りつき、誰もが動けなくなる。
月明かりに照らされたニアの瞳には、はっきりと“怒り”が宿っていた。
野盗たちは、ごくりと息を呑むことしかできなかった。




