第40話『メイドたちの決意』
「にゃー!? 一週間後に王都へ出発ニャ!?」
部屋に、ニアの絶叫が響き渡った。
その勢いに、プルメアは思わず手を止め、ティーカップが受け皿の上でかすかに揺れる。
セラはこめかみに指を当て、いかにも頭が痛いと言いたげに深いため息をついていた。
「そ、それは……大変そうニャねぇ。気をつけて行くニャ、ご主人様」
そう言いながら、ニアは露骨に視線を逸らす。
まるで最初から自分は数に入っていない、とでも言いたげな態度だ。
どうやら王都へ行くこと自体、まったく乗り気ではないらしい。
理由は察しがつくが――僕の専属メイドである以上、行かないという選択肢が最初から存在しないのだ。
話をここで終わらせようとするその態度が、あまりにも分かりやすくて、思わず小さく笑ってしまう。
僕は声の調子を変えず、微笑みながらそのまま言葉を重ねた。
「何を言ってるのかな? ニアは僕の専属メイドなんだから、当然一緒に行くんだよ」
その一言に、ニアは目に見えて固まり、次の瞬間――
「にゃ、にゃにゃにゃにゃにゃ!? む、無理ニャ! 嫌ニャ! 行きたくないニャ!
王都なんて馬車で一週間はかかるニャ! 尻が無くなるニャ! 腰が砕けるニャぁ!」
まるで駄々をこねる子供のように、半ば叫びながら椅子の上で尻尾を抱え込み、全身で拒否を主張している。
逃げ場を失った小動物そのものだ。
その様子を横目に、セラが呆れたように肩をすくめた。
「落ち着け。王都への道は整備されている。野営も最低限で済むだろう。……だが――」
「だが?」
僕が首をかしげると、セラはわずかに間を置き、こちらを射抜くような視線を向けてきた。
「……お前は本当に、それでいいのか?」
いつになく慎重な口調だった。
普段の毅然とした声音とは違い、どこか言葉を選んでいるような、言いにくさが滲んでいる。
「え? 何か問題が?」
正直なところ、その問いの意図が掴めなかった。
王都へ行くこと自体は決まっているし、段取りも整っている。
だからこそ、セラがここで立ち止まる理由が、僕には見えていなかった。
「まったく……やはり自覚がないのか」
セラは額に手を当て、ひとつ深く息を吐いた。
苛立ちというより、どこから説明すべきかを頭の中で組み立て直している――そんな沈黙だった。
「いいか? まず――この馬鹿猫だが」
「にゃ!? だ、誰が馬鹿猫ニャ!」
反射的に噛みつくような抗議が飛ぶ。
だがセラは、最初から相手にする気もないと言わんばかりに、視線すら向けない。
「……こいつは獣人だ」
淡々とした一言が落とされ、ニアの抗議は完全に置き去りにされた。
「うん。そうだね」
あまりにも今さらな指摘に、僕は思わず首を傾げる。
その反応を見て、セラは目を細め、やや強めの口調で言い放った。
「王都で、いや――この王国でだ。
“獣人をメイドとして雇う貴族”など、普通は存在しないんだぞ!?」
「え……?」
思わず、間の抜けた声が漏れた。
セラの言葉が、すぐには頭に入ってこない。
いや、正確には――理解する前に、受け入れることを拒んでいた。
だって、獣人、とりわけ猫耳メイドといえば、メイドの基本中の基本だ。
可愛い。癒やされる。世話も焼いてくれる。
それ以上に完成された存在があるだろうか。
メイド=猫耳。
猫耳=メイド。
その等式が崩れる世界など、想像したことすらなかった。
まさか、この国の貴族たちは――
猫耳メイドの良さを、知らない?
その考えに至った瞬間、
胸の奥に小さな衝撃と、言いようのない困惑が広がった。
……なるほど。
ニアが、あれほど必死に王都行きを拒んでいた理由が、
ようやく腑に落ちた気がする。
だが――それでもだ。
法律で禁止されているわけでもないはずだし、
単に「知られていない」だけなら、話は別だ。
「みんな、獣人メイドの良さを知らないだけだよ」
思わず、真顔でそう口にしていた。
「良さに気づいてさえくれれば、きっと常識になるはずだよ」
我ながら揺るぎない確信だった。
だが、その言葉を聞いた瞬間、
セラは額に手を当て、深く頭を垂れた。
まるで、
「この子はもう手遅れだ」
とでも言いたげな顔で。
「……お前の、その意味のわからない常識については触れないでおく」
疲れ切った声音でそう言ってから、セラは言葉を続ける。
「だが、仮にそれを良しとしたとしても――」
そう前置きしてから、セラはゆっくりと視線を横へ流した。
その先にいたのは、静かに佇むプルメアと、相変わらず落ち着いた様子のネーヴェさんだった。
「この二人は――スライムと魔族だ。
王都の連中に見られれば、どういう反応をされるか……想像に難くないだろ?」
その言葉に、僕は一瞬だけ言葉に詰まる。
たしかに、理屈としてはセラの言う通りだ。
ただ――実際のところ、プルメアを一目見て「スライムだ」と見抜ける人間が、そう多いとも思えない。
見た目はどう見ても人形だし、本人が名乗らなければ問題にはならないはずだ。
問題があるとすれば……ネーヴェさん、だ。
そこまで考えたところで、ふと、頭の中にひとつの案が浮かんだ。
深く考えたというより、ほとんど反射に近い。
「そうだ! シープ族!」
思いついた瞬間、我ながら名案だと思った。
「ネーヴェさんはシープ族ってことにすれば大丈夫だよ!
ほら、角もあるし……雰囲気も、それっぽいし!」
言い切った僕に対して、室内の空気が一瞬、止まる。
「……シープ族?」
プルメアが小さく言葉を繰り返し、次の瞬間、吹き出しそうになるのを必死にこらえているのが分かった。
口元を押さえ、肩がわずかに震えている。
一方で、ネーヴェさんは紅茶を口に運んだまま、まったく動じる様子がない。
まるで今の会話が、自分とは無関係であるかのように。
肯定も否定もない沈黙。
それが逆に、じわじわと不安を煽ってくる。
……あれ?
もしかして、そんなに的外れな案だっただろうか。
そんな僕の内心を察したのか、セラは目を細め、呆れを隠そうともしない表情でため息をついた。
「シープ族と言えば、ふわふわの体毛に、おっとりした性格、
そして小さく可愛らしい角が特徴だ。
見る者が見れば、一目で違いがわかる」
淡々とした説明が、容赦なく現実を突きつけてくる。
「んー……でもネーヴェさんも、シープ族みたいに十分可愛いと思うんだけどなぁ」
至って真剣な僕の主張に、セラはとうとう頭を抱えた。
プルメアは堪えきれず、くすくすと笑いを漏らし、
ネーヴェさんは相変わらず淡々と紅茶を飲み干している。
「ネーヴェ。お前も黙っていないで何か言え。
このままでは、本当にシープ族にされるぞ」
そう言われて、ネーヴェさんはようやくカップを静かに置いた。
無表情のまま、少しだけ首を傾けて答える。
「……私は、プルメア様と一緒にいられるのであれば、
種族が何であろうと、特に問題はありません」
あまりにもあっさりした返答に、
セラは諦めきったように深く息を吐いた。
「……はぁ。もういい。勝手にしろ」
そう言い捨てるように言いながらも、セラはほんのわずかに視線を伏せ、そのまま小さく付け足す。
「……だが、私は一緒には行けないからな」
「え!? 一緒に行けない!? なんでそんなこと……」
思わず声を上げていた。
今までの話の流れからすれば、セラは人間だし、見た目にも何の問題もないはずだ。
それなのに――。
「忘れたのか? 私は……ノルザーク帝国の元騎士だ」
セラは淡々と続ける。
「王都に行けば、私の顔を知る者がいてもおかしくない。
それに、私を狙う連中だっている。
……お前たちに、これ以上迷惑をかけるわけにはいかない」
少し俯いた横顔に、淡い影が落ちる。
その静けさが、かえって距離を感じさせて――
僕は思わず、苦笑して首を振った。
「なーんだ。そんなことか」
「そんなこと、だと……?」
セラが呆れたように眉をひそめる。
けれど、その声には、さっきまでの硬さがない。
僕はそのまま、視線を逸らさずに言葉を続けた。
「セラはもう、帝国の騎士だったセラフィーナ・アーデルハイトじゃないでしょ。
今は――僕の、可愛くて、美しくて、強くて……
そして、僕の心を満たしてくれる“専属メイドのセラ”だよ」
一瞬、セラの目が見開かれる。
視線が泳ぎ、何か言おうとしては口を閉じる。
ほんの一瞬、頬に朱が差したのが見えた。
「し、しかし……!
名前を変えたところで、顔までは変えられん……!」
震える声で言い返しながらも、その表情からは、先ほどまでの強気が消えていた。
「言ったでしょ? 僕の専属メイドだって。
もし、そんなセラを傷つけようとする人がいたら――
僕は全力で守るよ。絶対にね」
「そうニャ!
あたしもセラの先輩メイドニャから、後輩メイドのために戦ってやるニャ!」
「そういうことでしたら、私も先輩メイドですので、全力で戦いますよ」
プルメアが胸を張ると、すぐ隣でネーヴェが静かに頷いた。
「プルメア様が戦うなら、私も当然、戦う」
「お、お前たち……」
セラはぽかんと口を開け、完全に言葉を失っていた。
その頬には、はっきりと赤みが差している。
やがて、小さく肩をすくめ、諦めたようにため息をひとつ。
「……まったく。
どうしてこうも、揃いも揃って馬鹿なんだ」
そう言いながらも、その声音はどこか柔らかい。
僕たちは顔を見合わせ、自然と笑みを浮かべた。
「セラも一緒についてきてくれるよね?」
短い沈黙。
セラはちらりとこちらを見て、すぐに視線を逸らす。
耳まで真っ赤に染めながら、口の端をわずかに引き結んだ。
「お……お前たちだけでは心配だからな……
し、仕方なく、仕方なくだぞ……っ!」
最後はほとんど蚊の鳴くような声だった。
それでも、僕たちにはしっかり聞こえてしまう。
「でゅふっ……」
「デレたニャ」
「デレましたね」
「デレた」
「う、うるさい!!!」
真っ赤になったセラの怒声が部屋に響き、
ティーカップがかたかたと小さく震えた。
――そして一週間後。
僕たちは全員揃って、王都へ向けて旅立つことになった。
「ちょ、ちょっと待つニャー!
あたし、まだ行くって言ってないニャー!!」




