第35話『一撃、すべてを焦がして』
黒き災厄――黒竜を、僕は真正面から見据えていた。
大地を揺るがす咆哮とともに、黒竜が巨躯を沈め、突進の構えを取る。
今にも飛びかかろうとする殺意が、肌を刺すように伝わってきた。
逃げ場など、初めから存在しない。
ならば――迎え撃つしかない。
僕は魔力を練り上げ、詠唱に入った。
「走れ、雷の槍よ――雷閃穿撃!」
雷鳴とともに閃光が走る。雷槍は黒竜の胸部へ向かって一直線に突き進んだ。
だが、黒竜はその巨躯をわずかに傾け、浅く焼け焦がすだけで受け流してみせた。
怒りに満ちた咆哮を上げ、黒竜が距離を詰めてくる。
鉤爪が、空気を裂いて振り下ろされた。
僕は地面を蹴り、滑るように身を翻す。
鉤爪は僕の背後を掠め、巨石のような破壊力で地面を抉った。
砂埃が巻き上がる中、僕はすぐさま次の魔法を紡ぐ。
「凍てつけ、白き牙――氷牙連槍!」
地を突き破る氷の牙が、黒竜の脚へと食らいつこうと伸びる。
しかし、蹄を振るわれた瞬間、脆くも砕け散った。
かすかに鱗へと傷を刻んだものの、黒竜は意に介す様子もない。
「氷の魔法も駄目か……なら!」
間髪入れず、さらに詠唱を続ける。
「燃え盛れ、灼熱の輪――熾炎爆輪!」
回転する炎輪が黒竜の周囲を走り抜け、爆ぜた。
爆風が黒竜の巨体を揺らし、焦げた鱗片が空へと舞う。
だが、やはり傷は浅い。
「これだけやって、その程度か……。まったく、魔力耐性が高すぎる……」
雷も、氷も、炎も――。
たしかに損傷は与えている。
だが、どの魔法も決定打にはなりえない。
黒竜に、属性による明確な弱点は存在しない。
僕は、静かに結論づけた。
ならば、打ち破る手段はただ一つ。
僕が使える最大にして究極の魔法――すべてを焼き尽くす、極大魔法。
だが――
傷ついたがゆえに、黒竜はさらに凶暴さを増していた。
怒りに任せ、大地を抉り、爪で空気を裂き、牙を振るう。
鉤爪が空を切り裂くたび、爆風のような圧が押し寄せる。
巨躯が跳ねるたびに、大地が震えた。
その一撃一撃が、まるで生きた殺意そのものだった。
僕は、懸命に足捌きと魔力操作でかわす。
一つでも判断を誤れば、即座に押し潰されるだろう。
「クソッ……! 躱すので精一杯だ……!」
とてもじゃないが、極大魔法の詠唱など始められない。
黒竜の牙が閃く。
巨大な鉤爪が、空を引き裂きながら振り下ろされる。
「しまっ――!」
今度ばかりは、躱しきれない。
そう確信した、その瞬間――。
「まったく、世話のやけるご主人様だ」
低く鋭い声とともに、セラが前へ躍り出た。
剣を両手に構え、黒竜の鉤爪を受け止める。
火花が散り、地面が軋んだ。
「ニア!」
「わかってるニャ!獣王迅閃!!」
ニアが目にも留まらぬ速度で駆ける。
短剣の切っ先が閃き、黒竜の脇腹を鋭く抉った。
斬黒竜の鱗の隙間から鮮血が噴き出す。
確かなダメージ。しかし――
「やっぱり、短剣だと浅いニャ!」
「今はそれでいい! 注意を引きつけろ!」 「了解ニャ!」
二人の攻撃は、着実に黒竜の意識を向けさせている。
――今だ。いましかない。
僕は魔力をさらに練り上げ、深く息を吸い込む。
詠唱を開始する。
「震えよ、大地。哭けよ、天上。
怒れる炎よ、永劫の夜を裂きて目覚めよ。」
空気が震え、周囲の魔力が渦を巻く。
すべてが僕のもとへと集まり始めた。
「古き誓いを破りし我が意志よ、
すべての法を蹂躙し、
破壊と滅びを、この地にもたらせ。」
詠唱に呼応するように、黒竜を取り囲むようにして、複数の魔法陣が宙に浮かび上がる。
異変に気づいた黒竜が、獰猛な眼差しでこちらを睨んだ。
だが、セラとニアの必死の猛攻に、黒竜は対処を強いられる。
「黒より生まれ、赤に燃え、
白き灰へと還る運命よ。
我が命脈、我が魔力、今ここに捧げん。」
魔力が暴風のごとくうねり、地を叩きつける。
黒竜の足元にも、巨大な魔法陣が浮かび上がった。
黒竜も本能で危機を悟ったのか、翼をはためかせ、その場から逃れようとする。
だが――。
「逃がすかぁっ!」
セラが雄叫びを上げ、黒竜の脚へと剣を振り下ろす。
「閃光断裂ッ!!」
眩い剣閃が黒竜の脚を切り裂き、血飛沫が宙を舞う。
苦悶の咆哮を上げ、黒竜はその巨体を支えきれずに片膝をついた。
もはや、逃れることはできない。
だが、黒竜はなおも諦めていなかった。
喉奥に黒き光を集め、僕を狙いすましてブレスの予備動作を始める。
――まずい。
今、魔法を中断すれば、練り上げた魔力は霧散し、
再び極大魔法を放つことはできない。
だが、このまま受ければ、間違いなく死ぬ。
そのときだった。
「私にお任せください、ご主人様!」
澄んだ声とともに、僕の前に飛び出したのは――
信じられないほど巨大に膨れ上がった、プルメアだった。
「プルメア……!?」
驚愕する僕の視線の先で、黒竜が咆哮を上げる。
喉奥から溢れ出した黒き光が、破滅の奔流となって吐き出された。
先ほどのものとは比べものにならない。
怒りと殺意を凝縮した、まさに黒き災厄そのものだ。
その破壊の奔流を、
ぷるぷると身体を震わせながら、プルメアは真正面から受け止めた。
轟音が森を揺さぶり、大地を震わせる。
黒炎は空気を焦がし、地を灼き、あらゆるものを飲み込もうとする。
だが、プルメアは怯まなかった。
その大きな身体を揺らしながら、ブレスの直撃に耐え続ける。
その間にも、セラとニアが黒竜から距離を取り、こちらへと駆け寄ってくる。
――今だ。いましかない!
僕は全身に残る魔力をさらに高め、
胸の奥から、確かな決意とともに詠唱を紡ぎ直した。
「滅びよ、大地。沈め、星々。
すべてを呑み尽くす究極の爆炎よ、ここに――!」
黒竜の頭上に、圧倒的な威容の魔法陣が浮かび上がる。
空を覆い、地を封じ、四方を縛るように、幾重にも魔法陣が展開されていく。
「|究極轟爆《アルティメット・グランドエクスプロージョン》ッ!!」
叫びと同時に、紅蓮の爆炎が天を突き抜けた。
瞬間、爆裂。
凄まじい衝撃波が森を薙ぎ払い、地平線すら呑み込まんばかりに爆発は膨れ上がる。
黒竜の巨躯が、爆炎の渦の中に飲み込まれた。
閃光、轟音、熱風――
すべてが、ただ白と紅に塗り潰されていく。
やがて、紅蓮の奔流が収まったとき、
そこに残っていたのは――
焼け爛れ、巨躯を横たえた黒竜の亡骸だった。
地を抉り、森を焼き、空すら焦がすような戦いの果てに、
黒竜は、ついにその命脈を絶たれたのだ。
焼け爛れた黒竜の亡骸を見下ろし、僕はゆっくりと息を吐いた。
終わった――。
そのとき、足音が近づいてきた。
「まったく……」
低く呟きながら、セラが僕の前に歩み寄る。
剣を肩に担ぎ、呆れたように吐き捨てた。
「なんて魔法だ。巻き込まれていたら、私たちまで消え失せていたぞ」
その声には、容赦も遠慮もない。
だが、その奥に隠されたものが、単なる怒りだけではないことを、僕は知っていた。
「……まあ、勝ったから許してやる。……今回はな」
小さく鼻を鳴らし、セラは剣を腰に戻した。
「倒せたのはあたしのおかげニャ!」
続いて、ニアが胸を張ってにゃはっと笑い、尻尾を誇らしげに揺らす。
「……ありがとね、二人とも。それに――」
僕はふと、視線を横に向けた。
そこには、縮みながら、元の小さな人形サイズへと戻ったプルメアの姿があった。
先ほどまでの巨大な身体は消え、
いつもの小さな、愛らしい姿が、僕のそばに寄り添っている。
「プルメアも、本当によく頑張ったね」
僕がそっと声をかけると、プルメアは小さく笑って、
いつもの調子で言った。
「意外と余裕でしたよ? ふふ」
あのブレスを受けて、なんともない様子。
……もしかして、多数の魔物を取り込んだせいで、
とんでもないスライムになったのでは?
笑っているプルメアを見つめながら、
僕は内心でじっと冷や汗をかいていた。
……まあ、何はともあれ――勝ったのだ。
僕達は静かな勝利の余韻に包まれていた。
だが、その静けさを破るように、背後から冷たい気配が忍び寄る。
振り返ると、そこには、静かに佇むネーヴェの姿があった。
仮面には、黒竜の一撃で刻まれたヒビが、今も深々と走ったままだ。
無言のまま、ただじっと、こちらを見据えている。
感情は見えない。けれど、だからこそ余計に、底知れない。
――まずい。
プルメアのスライム姿を、見られてしまった……!?
あれだけ目立っていたのだ。近くに居たなら、見ていないはずがない。
今の僕たちに、もう戦える余力は残されていない。
動揺を悟られまいと、思わず呼吸を整える。
そして――
緊張が、再び、場を支配した。




