第33話『希望を砕く翼』
開戦の号砲は――魔導兵たちによる、極大魔法だった。
全魔導兵が一斉に詠唱を重ね、魔力を束ねる。天空が震え、大気が軋む。やがて雷が轟き、空を裂いた。大地が唸り、炎が奔る。空気を押し潰すような重い衝撃音と共に、爆風が森を薙ぎ払った。
木々は根こそぎ吹き飛び、爆ぜた地面には土煙が立ち上る。最前列にいた魔物たちは、逃げる間もなく肉片と化し、赤黒い地に無惨な痕を残した。
だが――それでも、魔物の波は止まらなかった。倒れた仲間の死骸をものともせず、瘴気に濁った眼をぎらつかせながら、なおも一直線にこちらへと迫ってくる。
「……まるで、何かから逃げているようにも見えますね」
プルメアが、紙袋越しに静かに呟いた。その言葉に、僕ははっとする。たしかに。これまで森の中で見た魔物たちは、瘴気に侵され、互いに殺し合い、貪り合っていたはずだった。だが今は――屍すら顧みず、ただ前へ、前へ。まるで、背後に"それ以上の脅威"が潜んでいるかのように。
「弓兵、構えーっ!」
指揮官の鋭い号令が、戦場に突き刺さる。背後に控えていた弓兵たちが一斉に弓を引き絞った。
「放てッ!」
号令と同時に、無数の矢が空を覆った。唸りを上げた矢の雨が、弧を描いて魔物たちの頭上へと降り注ぐ。濁った断末魔、突き刺さる音、地を打つ振動。次々と魔物の体に矢が突き立ち、赤黒い血飛沫が弾けた。
一方、魔導兵たちは、最初に放った極大魔法で大地を焼き払った後、各々が得意とする術へと切り替えていた。火球が、雷撃が、氷の槍が、次々と敵を貫く。
戦場に、炎と雷光と氷片が交錯する。爆ぜる熱気、砕ける氷。火の粉と血の臭いが、入り混じった。
「すごいニャ! これだけ魔法を連発してたら、余裕で勝てるんじゃニャいか?」
砂煙の向こう、魔法の閃光に目を輝かせながら、ニアが叫ぶ。戦場を照らす魔法の数々、そしてそれに伴う爆風と土煙が、一時的に魔物たちの姿を隠していた。だが――。
「これくらいで倒せるなら、苦労はしないだろうな」
セラが呆れたように肩をすくめた、その直後だった。砂煙を突き破り、一匹の魔物が飛び出してくる。それに続くように、次々と魔物たちが姿を現した。
確実に数は減らしている。だが、それ以上に、森の奥から押し寄せてくる魔物たちの数が、遥かに上回っている。
「先頭だ! 先頭を狙え! 死体の山を作り、足を止めろ!」
別の指揮官が声を張り上げる。矢は確かに魔物たちの勢いを削いでいた。だが――四足歩行の魔物たちは、死体の山など物ともせず、軽やかに屍を飛び越え、なおも前進を続けてくる。
「槍兵、構えー!」
前線指揮官の叫びと同時に、槍兵たちが膝を落とし、盾を押し当てる。いよいよ、魔物たちが人の陣形とぶつかろうとしていた。
「ニア! セラ!」
僕は二人を見据えて声をかける。だが、指示を出すまでもなかった。
「分かっている。行くぞ、バカ猫」
「やってやるニャー! って、バカ猫って言うニャー!」
軽口を交わしながらも、二人はすでに前へと走り出していた。その後ろ姿を追うように、控えていたネーヴェも音もなく戦場へと飛び出していく。
「ご主人様、わたしはどうしましょうか?」
隣に立つプルメアが、紙袋越しに静かに尋ねてくる。
「うん、そうだね。……流石に、この状況で吸収なんてさせられないし。僕の護衛をお願いするよ」
「はい! 承知しました!」
プルメアが嬉しそうに頷き、僕の傍にぴたりと寄り添った。
そして――魔物たちが槍兵の列に迫り、いまにも接敵せんとする刹那、疾風のようにセラが動いた。
「どけ!」
吠えるような一声と共に、前線へと飛び出す。振りかざした剣が風を裂き、魔物たちをまとめてなぎ払った。肉が裂け、骨が砕け、巨大な体躯が薙ぎ倒される。
セラの剣筋には、力だけではない確かな技術が宿っていた。無駄なく、確実に、押し寄せる獣たちの急所を断ち斬る。彼女の一撃で、獣たちの波がぐらりと崩れた。
「あたしも負けないニャ!!」
すかさず、ニアが弾けるように戦線へ飛び込む。短剣が閃き、魔物の喉元を鮮やかに切り裂く。続いて跳躍し、猫のような柔らかな身のこなしで背後に回り込み、後頭部へと鋭く一突き。血飛沫が弧を描き、ニアは獲物を翻弄しながら駆け抜けた。
俊敏な動きと鋭い短剣捌きで、彼女は戦場を自在に舞う猫そのものだった。
だが――圧巻だったのは、ネーヴェだ。
黒衣の仮面の剣士が、音もなく魔物たちの只中へと歩み出る。次の瞬間、斬った。ただそれだけで、魔物が二つに割れた。剣閃は見えなかった。ただ、結果だけがそこに残された。
さらに一体、さらに一体。仮面の剣士は、止まることなく、魔物を切り伏せ続ける。
一体の巨獣が、唸り声を上げてネーヴェに突進してきた。だが――ネーヴェは片手でそれを軽々と受け止めた。伸ばした巨腕を掌で受け、細い指が、ぎり、と巨獣の頭蓋を掴む。そして――握り潰す。骨が砕ける、鈍く濁った音が響き、巨獣は抵抗する間もなく、地に崩れ落ちた。
あまりにも異様だった。あまりにも、圧倒的だった。後方から見ていた僕は、思わず息を呑んだ。
「あれが……Sランク冒険者の力か……」
あの仮面の下にあるものは、本当に人なのか――そんな疑念すら浮かぶほどに。
ネーヴェはなおも歩みを止めない。剣を振るうたび、音もなく魔物が倒れ、黒衣の仮面剣士は沈黙のまま、戦場を切り開いていく。
ふと気づけば、魔物たちの勢いは、明らかに鈍っていた。
押し返せる。
戦場に、確かな希望が芽生え始める。
「押し返せぇぇぇッ!」
将校の怒号が轟き、兵たちは一斉に雄叫びを上げた。槍が突き出され、剣が振り下ろされる。誰もが、今こそ反撃の時だと知っていた。
「うぉぉぉぉ!」
兵たちは雄叫びとともに突き進んだ。折れかけていた士気が、いま再び燃え上がる。
押し寄せる魔物たちを、槍で貫き、剣で斬り倒す。
このままなら、勝てる。
誰もが、そう確信しかけた――そのときだった。
天を裂くような、尋常ならざる咆哮が響いた。
空気が震え、大地が揺れる。
戦場にいたすべての者が、その場に凍りつく。
何かが――空から、降りてくる。
黒い影が、滝のような瘴気を纏って、音もなく降下してきた。
そして。
ズドン、と。
まるで隕石のような衝撃とともに、それは地面に着地した。
巻き起こる暴風に、兵たちの陣形が乱れる。砂埃と瘴気に視界を奪われながらも、僕たちは目を凝らした。
そこにいたのは――
全身を漆黒の鱗に覆われたドラゴン。
瘴気を纏いながら、翼を広げ、鋭い眼光をこちらに向けていた。
「ド、ドラゴン……だと……」
誰かが、呻くように呟いた。
ドラゴンは、咆哮する。
耳をつんざくその咆哮に、地が割れ、心臓が握り潰されるような錯覚を覚える。
さっきまで押し返しかけていた兵たちは、一瞬で立ちすくんだ。
槍を構えた手が震え、剣を握る指がこわばる。
僕自身も、息を呑んだ。
これまでの魔物たちとは、明らかに異なる“格”があった。
あれは、ただの魔物ではない。
あれは――天災だ。
勝利の希望など、ただの幻想だったと。
その黒き竜が、存在そのもので教えてくる。
戦場を覆ったのは、咆哮でも、瘴気でもない。
――絶望だった。




