第32話『蠢く脅威の胎動』
街と森の中間――つい先日まで何もなかったその場所には、すでに幾つものテントが張られ、兵士たちが忙しなく行き交っていた。木々を伐り拓いて急造されたこの空間は、まるで戦場の最前線に築かれた砦のように、張り詰めた緊張に包まれている。
その中心に据えられた大きな指令幕舎へと、僕たちは迷わず足を運んだ。
中へ入ると、父――フレデリックが地図を広げ、数名の将校たちと低い声で言葉を交わしていた。その姿を見た瞬間、胸の奥に張りつめていた緊張が、わずかに和らぐのを感じた。
「戻ったか、クラウス」
「はい。……あの状況でしたので、念のためご報告に」
僕の言葉に、父は短く頷いた。
「無事で何よりだ」
その背後には、すでに帰還していたネーヴェの姿もあった。相変わらず仮面越しに表情は読み取れないが、その静かな視線が、じっと僕たちを見据えている。
「あの瘴気の“爆発”――見たと思うが、森での様子を教えてくれ」
父の問いに、僕は瘴気溜まりで起きた出来事を簡潔に伝える。
「はい。僕たちは第二の瘴気溜まりの近くにいました。突然、森中の瘴気が一点に向かって吸い寄せられ、柱のように立ち昇ったのです」
父の眉がわずかに寄る。
「やはりか。ネーヴェ殿の報告とも一致する……瘴気溜まりの融合と見て間違いないだろうな」
「それだけではありません。柱の発生と同時に、強大な魔力の反応がありました。」
その言葉に、場の空気が静かに沈む。
「……強大な魔物が産み落とされたか」
父の低い声が、指令幕舎の空気を一層張り詰めたものに変えた。
誰もが言葉を飲み込む中、父は重々しく将校たちへ向き直る。
「――もはや、猶予はない。全軍、配置につけ。迎撃態勢を整えろ」
その一声を皮切りに、場が一気に動き出す。
動き始める兵たち、交わされる命令、鳴り響く指示の声。外の空気もまた騒然とするが、それは決して混乱ではなかった。
矢筒を背負った弓兵が柵の背後に並び、槍兵は整然と前列に陣形を組む。魔導兵たちは詠唱の構えを取り、それぞれが自分の任へと向かっていく。
まるで、これこそが彼らの“日常”であるかのように。
そのときだった。
「報告――! 斥候部隊、帰還しました!」
駆け込んできた若い兵が、荒く息を吐きながら声を張り上げた。
「魔物の大群が……森の奥から、こちらへ向かって進軍しています!」
一瞬、場が静まり返る。
父が地図に視線を落とし、瘴気の柱が発生した地点をじっと睨みつける。
「……ついに来たか」
幕舎の外から、ざわめきが広がっていく。
森の地平、視界の果て。そこに広がるのは、砂煙のようでいて、瘴気のようにも見える濁った灰色の波。そしてその奥に――
確かに、蠢く“影”たちがあった。
それは魔物の大群。低く唸る獣の声。木々を薙ぐ音。圧倒的な“数”が、地を鳴らしながらこちらに迫ってくる。
「……な、なんだあれ……」
「数が……多すぎる……」
訓練された兵たちでさえ、初めて対峙する“異常”の光景に、ざわめきと恐怖がじわりと広がっていく。
そのとき――
「全軍、聞け!」
雷鳴のごとく響く一声が、全てを打ち払った。
声の主は、フレデリック・フォン・ヴァイスベルグ。その鋭い眼差しが、兵たちを一人ひとり見据える。
「見よ、あれが敵だ! 我らが故郷を侵そうとする、愚かなる獣どもだ!」
兵たちの視線が、一斉に森の方角へと向けられる。
「だが、怯むな。我らは人である! 盾を構え、剣を抜け。ここに立つすべてが、この地を守る最後の砦だ!」
掲げられた剣が陽光を受け、鋭く閃いた。
「忘れるな! 我らが退けば、街も、家族も、すべてが喰い荒らされる。……ならば取れ、誇りを! 抜け、剣を!」
息を呑むような静寂の後――
「この森を、我らが誇りで染め上げよ!」
次の瞬間、雄叫びがあがった。
兵たちは叫び、武器を掲げ、整然と陣を組む。まるで今この時を待っていたかのように。
――戦の火蓋は、今、切って落とされた。




