転生神のおしごと!~“貰う”より“守る”が楽しい、異世界農家奮闘記~
【作者からのご案内】
これは読み切りですが、連載も書いています。そちらも異世界転生ものですが、よかったら読んでもらえると、喜びます!
「……書いてあることが、実にいろいろだな。」
私は、宙に浮いたデスクで転生カルテの山と格闘していた。見た目はただの成人男性だが、これでも転生神を名乗っている。もっとも、神というほど威厳を振りかざすつもりはなく、ただの調整役に近い立場だ。
死者の魂が抱いた“次の人生への想い”は、何らかの神秘的力によって転生カルテに転写される。そこに書かれた希望をもとに、転生HR部が採否やおおまかな振り分けを決め、私のもとへ送ってくる。それを更に精査して、実際にどの世界へ案内し、どんな条件を与えるかを調整するのが私の仕事だ。
転生HR部いわく、「最近は“スローライフ”系の希望が増えていますねえ」ということだったが、本当にそうらしい。以前は「チートで最強に」「世界を支配したい」なんて野心あふれるカルテが多かったが、今や「農業でのんびり暮らしたい」「釣り三昧をして眠りたい」など、ゆるい内容が目立つ。
まぁ、今の時代、競争に疲れた魂が多いのだろう。少しでも安らぎを求めているのかもしれない。
「さて……と、次のカルテは……“浅野健太・27歳・過労死”……。ふむ、『農業してのんびり暮らしたい』という想いが強く残ってる……。」
書類というか、カルテには生前の経歴も簡単に記載されている。若くしてブラック企業に勤め、激務の果てに倒れたらしい。彼の魂は「今度こそゆっくり暮らしたい」と切に願っており、そこに転生HR部が「気の毒だ」と判断して採用したようだ。次の人生で癒されるよう、こちらも万全のフォローをしたいところだが……甘い夢だけじゃすまないのが農業という現実でもある。
「農業か。天候や獣害があるし、生前がいくら激務でも、今度は違う苦労が出るはず……まぁ、そこは彼本人が納得しているかどうか。面談で確認してみよう。」
私はそうつぶやき、カルテを手に立ち上がる。ブースの奥には“魂呼び出し”用の装置があるので、さっそく彼――浅野健太の魂を呼び出し、どんな人柄なのか確かめることにした。
偉そうなことを言っているが、私だって心は未熟だ。神といっても死者の魂を導く管理者的存在に過ぎない。自分の仕事が山ほどあって疲れ気味なのに、人を手助けしている場合なのか……と自嘲する思いもあるが、これが私の役目なのだ。
ブースの奥でクリスタルの端末に触れると、柔らかい光が差し込み、空間の一角がかすかに揺らぐ。そこに淡い人型が形作られ、やがて声が聞こえた。
「ここは……どこだ? 俺は、確か……倒れて……?」
不安そうに辺りを見回すその男性が、書類上の浅野健太だろう。死後の状態でまだ混乱しているようだ。私は落ち着いた口調を心がけ、近づいて声をかける。
「こんにちは。私はツクヨ。転生神をしている。見た目はただの男性だけど、一応こういう仕事なんだ。あなたは“浅野健太”さんでいいかな?」
「あ、はい……俺、会社で……心臓をやられたらしく……それで死んだんですか?」
彼はまだ自分の死を受け入れ切れていない顔をしている。無理もない。二十代で過労死とは、あまりに気の毒だ。だからこそ、転生HR部も「次は安らかな人生を」と採用を決めたのだろう。
私は短く事情を説明する。「あなたは死んでしまったけれど、魂の想いが強かったから、次の世界で生き直す機会がある」と。
「そう……ですか。じゃあ……“農業してのんびり暮らしたい”って、俺、思ってましたよね。全部ぶっちゃけ、もう働くの嫌になってたから……それがカルテとかに転写されたんですか?」
「そのとおり。あのブラック企業で大変な思いをしたみたいだね。――今回は、そういう希望をもとに、私が異世界転生を手伝うことになったんだ。でも……農業というのは、思ったより楽じゃないと理解してる?」
私が念を押すと、彼は苦い笑みを浮かべる。
「いや、よくわかってはいないですけど……少なくとも会社の地獄に比べたらマシかなと思いまして。いくら辛くても、自分のペースでできるなら大丈夫かなと……」
「まぁ、確かに自分のペースで畑を耕すなら、それほどストレスは少ないかもしれない。もっとも、雨や害獣のリスクがゼロってわけじゃないし、ある程度、魔法の力を借りても、土や作物の世話は大変だよ。」
彼がどこかすがるような瞳を向けてくる。死ぬほど追い詰められていたのだろう。だからこそ、次こそはゆったり暮らしたい、という願いを抱いたのか。
「大丈夫、やってみます。どうせもう人生をやり直すなら、今度こそ自分で納得する形で生きたいんです。さっき言ってた魔法があるなら、多少は助かるでしょうし……あまり干渉をお願いする気もありませんが、最初はわからないことだらけなので、フォローがあると助かります。」
彼はそう言って、軽く頭を下げる。――いいだろう、私もできる範囲でサポートしよう。
ただ、私は自分の内心を思い出す。「私も威張れるほど立派じゃないのに、こうして人を導く立場とは……」と、いつもの自嘲がこみ上げる。でも、今は目の前の魂を救うしかない。
「わかった。あなたをローエン村という山あいの開拓地へ案内するつもりだ。魔法がそこそこ発展していて、土壌改良や小規模の害虫除けはできる。大きな戦乱や魔王の脅威もほぼない。ただし、だからといって完全に楽とは限らないよ?」
「はい、それでも構いません。自分のペースで頑張れるなら、それだけでもう……。本当にありがとうございます、ツクヨさん。」
浅野健太が深々とお辞儀をする。その姿には、少しだけ希望の光が宿っているように見えた。――過労死した苦しみを背負ったままでも、次こそは報われたいのだろう。私も少しほっとする。
「それじゃあ、準備をして、近いうちに転生ゲートを開く。私は定期的に見に行くから、何かあったら呼んでね。――あ、でもあんまり過剰に頼られても対応できないから、最小限で頼むよ。」
「了解です。……本当にありがとうございます。」
こうして、彼は晴れて「農業スローライフ」転生の道へ進むことになった。
後日、手続きが整い、健太の魂はローエン村へ送られた。
私は転送ゲートで見送りながら、「これで本当に彼が幸せになるといいけど」と心中で祈る。もし過労死のトラウマを引きずり、今度は畑仕事がうまくいかずに参ってしまったら……考え出すときりがないが、ともかく最初の一歩を踏み出したのだ。
――私だって、全能ではない。神様だからといって偉そうにできるほどの悟りを開いていない。けれど、この仕事は誰かの人生を少し良くする助けになり得ると思うから続けている。「自分だって休みたいが、せめて人を癒す役目なら」といったところだ。
「では、しばらくして落ち着いたころに顔を出してみよう。大きなトラブルがないといいが……。」
私はそうつぶやき、宙に浮いたデスクに戻る。大量のカルテに囲まれながら、今はただ、彼の新生活がうまく回るよう願うばかりだ。
あれから少し時間が経った。私は転生管理局で日々の事務業務に追われていたが、合間を縫ってはローエン村をモニターで覗き、浅野健太の様子を見ていた。
遠目に見るかぎり、彼はそこそこ順調に畑づくりに取り組んでいる。最初こそ慣れない土魔法で失敗したり、農具の扱いに戸惑ったりしていたが、村人のアドバイスを得て少しずつ軌道に乗りつつあるようだ。
「……よかったじゃないか。生前はあんなに過酷な会社に勤めていたのに、今は自分のペースで作業できてる感じだな。」
私は胸をなで下ろす。あの過労死の表情が嘘のように、最近の彼は明るい顔つきになった。外作業でほどよく体力もつき始めたのか、健康状態も良さそうだ。
もっとも、まだ転生してから日は浅い。畑の拡大はこれからだろうし、農業ならではの大変さはこれから一段と出てくる可能性がある。実際、「農業は甘くない」とよく言われる通り、天候や生き物相手の苦労は多い。
とはいえ本人の希望だし、最初のところで挫折しなければ、このままスローライフを謳歌できるかもしれない。戦争や大魔物が出るような世界じゃないし、基本的には平和そのもののはず……少なくとも、そう想定していた。
ところが、私が管理局で別の案件の書類を処理していると、ふと嫌な胸騒ぎがした。――なんとなく、浅野健太のカルテがうっすらと“警告”を発している気がしたのだ。
慌ててモニター越しにローエン村を確認すると、どうやら様子がおかしい。天候不順による大雨が降り続いているようで、畑の一部が水浸しになり、さらに何やら動物の群れが夜な夜な作物を荒らしているらしい。
「しまった……。あの場所は比較的安全だと聞いていたが、まさかこんなに集中豪雨が来るとは……。それに、野生動物も大した脅威じゃないっていう話だったのに。」
私はすぐにブースを出て、直接ローエン村へ向かうことにした。時々の巡回はするつもりだったが、この予期せぬ事態は急いで確認しないと、健太が困っているかもしれない。
同僚の神からは「またサボりか?」と冷やかされそうだが、ここで放っておけない。転生者が大ピンチになっていたら私の責任でもある。
ローエン村に降り立つと、辺りはまだしとしと雨が降っていて、地面がぐちゃぐちゃにぬかるんでいる。畑の一角は水はけが悪いのか、もう湖状態になっていた。これでは苗が根腐れを起こすだろう。
「しまったね……これは大変だ。」私は溜め息をつく。
さらに近くの草地を見ると、イノシシのような生き物が走り回った痕跡があり、畑の作物を食い荒らした形跡も見える。村人が必死に柵を直したようだが、効果が薄いらしい。
「おいおい、これじゃあ農業どころじゃないぞ……浅野さんはどこだ?」
周囲を見回すと、向こうに健太がうなだれた姿で立っているのが見えた。しかも畑の中央で膝をついていて、どうやら絶望感に襲われている様子だ。さっそく駆け寄って声をかける。
「浅野さん! 大丈夫か?」
健太がこちらを振り向くと、その表情には痛ましいほどの落胆が浮かんでいた。
「……あ、ツクヨさん。……全然ダメです。雨で苗がやられちゃって……一部は害獣に食われて……。こんなの、話が違うじゃないですか。のんびり暮らしたかったのに、何ですかこれ……!」
声には明確な不満が滲んでいる。確かに「平和で安全な開拓村」だと紹介したのは私だし、実際に戦乱や魔王の脅威はないけれど、農業にはこんな試練がつきものだ。
健太はかなり参っているようだ。さすがに生前のブラック企業ほどではないだろうが、“理想と現実のギャップ”に苦しんでいるのだろう。
「……すまない、完全に予想外とはいえ、こんな集中豪雨になるなんて私も把握していなかった。害獣被害もここまで酷いとは。」
私が謝ると、健太は項垂れたまま、苦笑ともつかない声を出した。
「……いえ、ツクヨさんのせいじゃない。でも、これじゃあ……俺、何のために来たんだろう。こんな辛い思いするなら、もう……。スローライフって、もっと楽なものだと思ってました。これじゃあ過労死寸前まで追い詰められてた頃と変わらない……。」
彼は目に涙を浮かべているようにも見える。せっかく念願の農業転生だったのに、結果は大雨と害獣に挟まれて全滅しかけ。そりゃあ落ち込むだろう。
私は言葉を選びながら、そっと手を置く。――生前の地獄を思えば「これくらい楽勝」かと思いきや、現実の自然災害や獣害は容赦がないし、ショックも大きい。
「……確かに“話が違う”って言いたくなるよね。私だって、ここまで悲惨になるとは正直想定していなかった。でもさ、もしこれを乗り越えたら、きっと手に入るものも大きいと思うんだ。」
「乗り越えたら……? いや、俺、もう疲れましたよ……こんなの……生前みたいに無理をして、壊れるまで頑張らなきゃいけないんですか……?」
彼は痛々しい声で訴える。私は胸が締めつけられる思いだが、ここで“全部私が解決する”のは違うだろう。というか、私にも限界があるし、過干渉になりすぎるのはルール違反でもある。
だからこそ、私は自分なりの言葉を探し出す。「貰っただけのスローライフより,守ったスローライフのが楽しいのでは?」――それを伝えなければ。
「浅野さん。……確かに予想外だったけどね。こんな雨と害獣なんて、酷いもんだ。でもさ、もし何も苦労せずに“貰っただけのスローライフ”を手に入れたら、君は本当に満足できると思う?」
「……え?」
「この世界で農業したいというのは君自身の想いだったろ? そして、うまくいく限りはそれで幸せを感じられたはず。だけど、こういうトラブルが起きて諦めちゃったら、ただ与えられた楽園に浸るだけと変わらない。いざという時、同じように“話が違う”と投げ出すしかなくなる。」
私はできるだけ優しく語りかける。「貰っただけのスローライフより,守ったスローライフのほうが楽しい」――その言葉を噛み締めるように、健太は黙り込んだ。
私自身、偉そうに言えるほど立派じゃない。神の力があるからこうして調整できるが、心は全然成熟していない。どこか申し訳ない気持ちになる。だが、少なくとも彼に“自力で乗り越える意義”を思い出してほしいのだ。
「生前は会社のノルマに追われて、君は死ぬほど働かされた。それは理不尽だった。でも今度のこの苦労は、自分の意志でやる農業だろ? 同じ辛さでも、意味合いは全然違うはずさ。」
「……でも、雨や動物なんかどう対処したら……?」
「村の人に相談したか? 排水路を一緒に整備すれば大雨による被害は減るかもしれない。害獣対策も結界や罠を使えばある程度防げる。魔法に詳しい人に知恵を借りるとか、できることはいっぱいあるよ。」
健太は唇を噛む。確かに、まだ諦めるには早い。彼はこの世界に馴染み始めていたし、村の優しい人々も手を貸してくれそうだ。完全に詰みではない。
「……そっか。俺、わりと一人でなんとかしようとして、睡眠不足になってました。夜な夜な見張りして、そのせいで疲れが増して……ああ、また同じ過労に陥りかけてたかも。」
「同じ轍を踏むところだったね。村人だって困るはずだよ。仲間と協力して乗り切るほうがいい。生前みたいに孤立する必要はないんだ。」
私は彼の肩を叩く。大雨でしんどいだろうが、まだ希望がないわけじゃない。
健太はしばし沈黙し、土砂降りにさらされた畑を眺めていたが、やがて苦しげながら意を決したようにうなずいた。
「……わかりました。やってみます。村の人にもっと助力を求めて、排水とか動物避けの策をしっかり取って……それでもう一度、ここを守り抜いてみます。」
「うん。それでこそ。偉そうに言ってごめんだけど、貰っただけのスローライフより、守ったスローライフのほうが楽しいんじゃないかと思うよ。少なくとも、乗り越えた先に本当の安らぎがあるはずさ。」
私はそう言って微笑む。彼は少し涙ぐんだ目をしているが、絶望からほんの少し踏み出してくれたようだ。
生前のトラウマが疼くかもしれないが、ここは“ブラック企業の上司”もいなければ“無理やりのノルマ”もない。自分でやめようと思えばやめられるし、ペース配分も村人に相談しながら調整できる。何より、大雨も害獣も“理不尽”ではあるが、本人の工夫次第でいくらでも対処法があるはずだ。
「ありがとう、ツクヨさん……俺、もう一度踏ん張ってみます。生前みたいに体壊すほどじゃないように、周りに助けを求めながら、ね。」
そんな言葉を聞けただけでも嬉しい。私も自分自身が未熟な人間だと思っているが、少なくとも「誰かに背中を押す」くらいはできるのかもしれない。
それから健太は、村長や隣家の若者、さらに魔法に詳しい老人などの力を借りて、夜通し土嚢や簡易の板を設置して排水を強化。害獣対策として柵を頑丈にし、さらに“威嚇用”の魔法具を工夫して仕掛けることになった。
最初は半信半疑だったが、周りを巻き込みだすと、意外とみんな積極的に手を貸してくれるらしい。村の人も大雨で畑が被害を受けて困っていたから、合同で取り組むことで効率が上がったのだ。
私は時々手助けしようかとも思ったが、そこは我慢した。彼自身が村のコミュニティに溶け込んで知恵を出し合うことが、この世界での“自立”につながる。私が神の力で解決してしまっては、彼にとって本当の意味でのスローライフを得たことにはならないだろう。
それに、村人たちも魔法の文化がある程度定着していて、そこまで難しい結界や強力な呪術は使えないとしても、地道な対策をみんなで行えば、雨や害獣をある程度抑え込む方法はあるはずだ。
モニター越しに観察していると、健太は最初のうち自分ひとりで夜警をしようとしたが、村人が「交代制にしよう」と提案してくれたおかげで休みを確保できた。これで過労でぶっ倒れるリスクも激減する。
それでも彼は慣れない作業でクタクタになっているようだが、生前の激務と同じく「徹夜続きで心が折れる」状態ではなさそうだ。むしろ、「自分たちでこの環境を守り抜いて、スローライフを取り戻そう」という一体感があるのか、表情には以前よりも活力が戻ってきていた。
(よしよし。これでなんとか災害を凌げれば、今度こそ“守ったスローライフ”を実感できるはず……。)
私は静かに安堵しながら、陰で見守る。自分も何か役に立てるなら立ちたいが、この程度なら彼と村人が協力すれば十分だろう。私が過度に力を振るって解決してしまうと、彼の成長を奪ってしまう。
そんなもどかしさもあるが、偉そうに言う私も未熟者だ。“人のことを言える立場じゃないが、それでも背中を押してやりたい”――その気持ちだけを胸に、ローエン村の雨上がりを見つめ続けた。
数日が過ぎ、ようやく悪天候が落ち着き始めると、徐々に排水路が機能して畑の浸水が引いていった。害獣も、設置した魔法具の音や光に驚いて深夜の侵入を諦めたようだ。もちろん被害はゼロではないが、壊滅的打撃は免れたらしい。
健太も疲労の色はあるが、完全に落ち込むような様子はなくなっており、むしろ「村のみんなに助けられてるし、自分ももっと頑張りたい」と意欲を見せているという。
彼がピンチを越えられたのは、村の支援も大きかったが、本人の“守り抜こう”という決意が根底にあったからこそだろう。貰っただけのスローライフではなく、自分で対策を講じて維持する暮らし。そこには苦労もあるが、苦労に見合う達成感もあるはずだ。
私が最後に顔を出したとき、彼は畑の真ん中で一つ一つ苗の状態をチェックしていた。大雨で痛んだ部分を補修し、新たに土魔法で畝を作り直しているらしい。額には汗が滲んでいるが、顔つきは落ち着いていた。
「あ、ツクヨさん。おかげさまで、なんとか……。」
そう言って近づいてきた健太の表情は、以前の絶望からは程遠い。私は軽く肩を叩く。
「よく踏ん張ったね。ごめん、最初の話と違う展開だったけど、乗り越えられそう?」
「はい。大変でしたけど、村長さんや他の人が協力してくれて。私一人じゃ無理でしたが、結果的にちゃんと“生活を守る”形になりました。守ったほうが、確かにやりがいもありますね。」
彼は照れくさそうに笑う。そこには「貰っただけのスローライフより,守ったスローライフのほうが楽しい」という実感が宿っているようだ。
私は内心ホッとする。「そうだよね」とうなずき返した。――実際、大雨や害獣が来るなんて事前に言わなかった私にも落ち度はある。偉そうに説得してしまったが、結局救われたのは彼自身の思いと、村の助け合いだったのだ。
「よし、それじゃ私に手伝えることがあれば言ってよ。過干渉はしないよう気をつけるけど……。」
「はい、ありがとうございます。今はもう大丈夫。あとは……この被害を教訓にして、もっと計画的に畑を増やそうかと思ってます。排水路もしっかり整備して、害獣対策もバッチリして……そうすれば、本当に“のんびり”できる余裕が増えるはずです。」
決意に満ちた言葉。その眩しさに、私も思わず目を細める。
彼は生前の記憶を振り返り、いま自分が“必死に守ろうとする暮らし”の意味を知った。元々の希望は「何もしたくないくらいのラクさ」だったかもしれないが、現実はやはり働かなければ維持できない。
でもその働き方が「理不尽に強制される」のではなく、「自分たちの手で守る」という充実感に支えられている。これこそが彼にとってのスローライフの本質なのだろう。
「うん、理解した。じゃ、また落ち着いたころに見に来るよ。無理しすぎないようにな。」
「承知しました。……本当に、ありがとうございます、ツクヨさん。偉そうなこと言われても、まったく嫌な感じがしなかったのは、たぶんツクヨさん自身があまり“神様ぶってない”からですかね?」
健太は冗談めかして言う。私は苦笑する。「いや、私はただの未熟者だから、神様ぶるなんて無理さ。そこは察してほしい。」――そんな思いを抱きながら、ちょっと気まずそうに頭をかく。
ともあれ、彼がこの試練を越えて成長したのは間違いない。彼が“自分なりに守る暮らし”を築いた先に、真の安らぎがあるなら、私としてもこれ以上嬉しいことはない。
こうして私は再び管理局へ戻り、日常業務に復帰した。
それからさらに時間が経ち、ローエン村の天候も安定してきた。イノシシらしき害獣も封じ込めに成功し、村人が交代で夜警を続けるうちに被害は大幅に減った。
私は転生管理局で書類仕事をこなしながら、ときどきモニター越しに健太の暮らしぶりを見守る。どうやら大雨のトラウマは克服され、今度こそ“ほのぼのスローライフ”に向けて順調な日々を送っているらしい。
農作物は順調に育ち、収穫も徐々に始まっている。村全体が少し活気づいていて、若い人も新しく移り住もうかという話が出ているとか。まさか彼がここまで地域に貢献する存在になるとは、まったく想像していなかった。
「いやはや、すごいもんだな。生前は死ぬほど働かされて、何も得られずに倒れた男が……ここではしっかり“働いた分だけ成果が返ってくる”生活を享受してるんだ。」
私はカルテを眺めながらしみじみ思う。これこそが転生神の醍醐味かもしれない――疲れ果てた魂が、新しい世界で自分を取り戻す姿を見られるのだから。
尤も、私はまだまだ未熟。書類仕事に追われてクタクタになるし、自分自身こそ「スローライフが欲しい」と嘆きたくなる日も多い。でも、こうして一人でも報われた魂がいるなら、少しは役に立てた実感があるというものだ。
ある日、ふと思い立って私は再度ローエン村を訪問することにした。今度は事前に“村が収穫祭をやる”と聞き及んだからだ。少し顔を出して、健太の成果を祝福したい。
到着したのは秋晴れの午後。山々が色づき始め、空気が爽やかだ。村の中心に行くと、いくつもの屋台のようなものが並び、住民が集まって何やら楽しそうに賑わっている。
「おお、ツクヨさん、来てくれたんですね!」
声をかけてきたのは、言わずもがな浅野健太だ。あれほど死んだような目をしていた彼が、今や村のイベントを主導するほど積極的に見える。
彼の隣には村長や若者たちがいて、収穫した野菜を使った料理を振る舞っている。パンやスープ、焼いた肉や魚など豊富なメニューが並んでいるが、特に健太が育てた野菜は評判が高いようだ。
「いや、こっちこそ呼ばれてないのに勝手に来ちゃって悪いね。収穫祭って聞いたから、ちょっとお祝いに参加しようかと思って。」
私が笑って言うと、健太は「とんでもない、歓迎ですよ!」と大きく手を振る。村人たちも「あんた、浅野の友達なんだろ? 今日は食べていってくれ」と気軽に声をかけてくる。
すると健太が、スープの鍋を示して「どうぞ召し上がってください。今回もいろいろアレンジしてみました」と勧めてきた。
私はありがたく一杯頂く。香ばしいハーブや野菜の旨味がぎゅっと染み込んでいて、まさに“収穫祭”らしい味だ。
「おいしい! 本当に素材の力が前面に出てるね。魔法を使って育てたのかな?」
「土魔法と、少しだけ収穫補助の魔法を使いました。とはいえ、やっぱり基本は地道な世話です。天候をコントロールする魔法なんて大それたものは持ってませんし、結局は自然と共存するしかないので。」
彼は苦笑する。大雨や害獣の件を思えば、確かに自然を完璧には操れない。それでも今こうして豊かな収穫を祝えるのは、頑張った証だ。
「それにしても……随分、村に溶け込んでるな。最初は“何をどうしたらいいのかわからない”って顔してたのに、ここまで馴染むとは思わなかった。」
私がしみじみ言うと、健太は笑って肩をすくめる。
「村の人たちが本当に優しいし、一緒に努力すれば結果が出るって実感があるから、やりがいがあるんですよ。何より、雨や害獣対策を乗り越えてからは、スローライフを“守る”って気持ちが強まったんです。だからこそ、今この瞬間がすごく楽しい。」
「なるほど。あのとき諦めなかったのが正解だったんだな。私も少しホッとしてる。だって実際、“話が違う!”って怒られても文句言えない状況だったし……。」
「あはは。まぁ確かにそう思ったんですよ、一瞬は。だけど、今はツクヨさんに言われた“自分の力で守ったスローライフが楽しい”って言葉が腹落ちしてます。苦労あっても、ちゃんと形になるなら意外と耐えられるもんだなぁって。」
この言葉を聞けただけで、私も報われる思いがある。彼の魂にとっては、過労死という最悪の経験を経て、ようやく自分の足で立つ生活を掴んだわけだ。
“貰っただけの楽園”ではなく、“苦労しながらも自力で維持する生活”――そのやりがいに気づいたからこそ、彼は笑顔を取り戻したのだろう。
「はい、それじゃあ改めてスープを……。ん、うんまい! これなら村の名物料理になるんじゃない?」
私は満面の笑みでスープをすすり、冗談交じりに感想を言う。健太は照れたように「そこまで大げさな……」と手を振るが、表情には自信が見えている。
周囲では他の村人たちも彼の畑でとれた野菜を使って料理をしており、「浅野の野菜は味が濃い」「あの虫害に負けずに育ったもんだから、なおさら美味い」などと口々に誉めそやしている。
聞けば、魔法の活用や排水の工夫などが奏功して、今年は全体的に収穫量が増えたという。村には珍しく豊作ムードで、お祭り騒ぎも自然と盛り上がるらしい。
(こうして見ると、まるで彼が村を牽引する中心人物のようだな……。)
私は内心感心する。このままいけば彼の畑はますます拡張され、村にも新しい仕組みが生まれるかもしれない。生前の彼が聞いたら信じられないだろう。「あの社畜だった自分が、農業で村を盛り上げるなんて……」と。
でも、現実はこうして動き始めている。転生の力も大きいが、それ以上に当人の意志と努力がなければここまでの発展はなかっただろう。私が未熟でも、彼自身が“守るスローライフ”を選んだからこそ今があるのだ。
その収穫祭の日、私は夕方まで村人たちの輪に加わり、とれたて野菜や果物を堪能した。途中で「トウモロコシに似た穀物の炭焼き」を勧められたり、「山羊の乳を使ったチーズ」を味わったり、異世界ならではの味覚が楽しい。
陽が傾くころには、皆がまったりと落ち着いたムードで会話を楽しんでいた。健太もあちこちのテーブルを回りながら嬉しそうに話している。
それを見守る私の心は、これ以上ないほど穏やかだ。忙しい合間をぬって来た甲斐があった。
「いや、なんか……私のほうが癒されちゃったよ。」
ぽつりと漏らす。下手に神ぶる気はないし、私自身だって救われたいくらいだ。でもこうして実際に笑顔の転生者を見ると、「この仕事をやってて良かった」としみじみ思う。
やがて祭りの片付けが始まり、健太が私のところへ小走りでやってきた。
「ツクヨさん、今日はありがとうございました。大丈夫でしたか? こんな何もない村の祭りに付き合わせてしまって。」
「何もないなんてとんでもない。すごく楽しかったよ。美味しいものいっぱい食べさせてもらったし、あなたの成長も実感できたし。」
私が言うと、彼は照れながら「いやぁ……」と笑う。かつての虚ろな笑顔とは違う、明るい男の表情だ。
「これからもっと余裕が出たら、新しい作物にも挑戦しようと思うんです。村の人と協力して排水路を拡張したり、少しずつ動物避けの結界を強化したり。そしたらきっと、ほんとの意味で“のんびり”できる日も増えると思うんで。」
「うん、期待してる。――けど、無理して体を壊すのはなしだぞ。」
「ええ、わかってます。今はすでに、あの会社にいた頃の自分とは別人みたいですし。何なら、今のほうが忙しいかもしれないけど、気分がまるで違うから大丈夫。」
自信に満ちた言葉を聞きながら、私は心底よかったと思う。もし彼が最初の大雨や害獣トラブルで挫けていたら、こうはならなかっただろう。あのとき私が言った*「守ったスローライフのほうが楽しい」という台詞は、まさに彼が体感したものなのだ。
そして同時に、私自身が未熟ながらも転生神を続けている意義を感じる。書類仕事に追われて睡眠不足でも、こういう形で誰かの“第2の人生”を助けられるなら悪くない、と。
「ありがとう、浅野さん。じゃあ私はそろそろ失礼するよ。こっちも仕事が山積みだから、あまり長居はできないんだ。――次に来るときは、あなたの畑がさらにパワーアップしてることを願ってるね。」
「わかりました。いつでも歓迎です。次はもっと変わった料理でも振る舞いますから、そのときはぜひ! 本当に色々とありがとうございました。」
彼は元気よく手を振る。別れを告げて、私は祭りの余韻が残る村の広場を後にした。夕陽に染まる空を見上げながら、転移の呪文を唱える。体がふわりと浮き上がり、管理局へ意識が戻っていく。
まるで私が休日旅行で癒されてきたような錯覚を覚えるが、まぁそれでいい。私自身の未熟さは変わらないが、彼のように笑顔を取り戻してくれた転生者がいるなら、報われるのだから。
管理局のデスクに再び座り、現実に戻る。机の上には先ほどから山積みのカルテがこちらを睨んでいる。それらにはきっと、「釣り三昧をしたい」「温泉に浸かっていたい」「異世界でペットとまったり暮らしたい」といった想いが転写されているのだろう。
私が書類を一瞥すると、やはりスローライフ系の希望がずらり。世知辛い世の中だし、こういう流行になるのも仕方ないか。それを受け止めるのが転生神の役割……か。
「まったく。私も一度でいいから、あんな収穫祭にどっぷり参加して数日休みたいよ……。」
軽く嘆息するが、すぐにペンを取り直して次のカルテへ目を通す。仕方ない、これが私の仕事。偉そうなことは言えない。私自身が未熟で、神様らしくない神様だけど、誰かがやらなければならないのだ。
もしその先に、また浅野健太のように“守ったスローライフ”で笑顔になれる魂が現れてくれるなら、少しはやりがいがあるというものだろう。
「よし……今日もやるか。――人助けできるなら、それだけで私も救われるかもしれないし。」
そう言って、私は書類と向き合う。筆を走らせながら、心のどこかでローエン村の豊かな風景を思い出す。あの景色こそ、彼が自力で手に入れた“本当のスローライフ”の証だ――もう二度と会社に潰されることなく、自分の意志で動き、そして守っていく日々があるのだろう。
そして、その背後で私もささやかに支えていく。未熟な私の小さな誇りが、そこにある。
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