第2話 魑魅と魑魅処理士
眩しいほどのネオンが輝いている夜間とは打って変わり、静かな午前中の歓楽街。
「なるほど。育ててくれた祖父母が去年急死して、女に金を巻き上げられ、ダチに売られ、大学も辞めて仕事も無い。んで家も携帯も解約してその有様と」
そんな街の隅に所在している、一見するといかがわしい店舗が入っているのではと思ってしまうような雑居ビル。
そこの一室に青年・虹浦和久はいたのだが、部屋の中を見渡すとスチール棚が多く並べられており、書類を収められているファイルがぎゅうぎゅう詰め。奥の方には仏壇のようなものも見える。
こんな場所で薄汚れたジャージ姿の和久はソファーに座り、テーブルを挟んだ対面にいる黒いスーツ姿で目つきの悪い強面男性・晴司ジュンと会話中だ。
「しかも知らない学生のSNSアカウントでも、自分の顔写真と一緒にバカにするようなことを言われまして。だから自殺場所に決めたあのビルに向かうまで他人からバレないようにって、この頭も一昨日1000円カットで坊主にしてもらったんです」
すっかりやせ細っている和久は短く刈った坊主頭を撫で、肩を落とす。
「だからって死ぬ選択肢を選ぶかね?」
落ち込んだ様子の和久と会話をするジュンはテーブルの上に置いていた箱からタバコを取り出し、口に咥え、ライターを使って火をつける。
「まあでも状況は理解した。ただ問題はさっき起きたことだ」
ジュンが言う『さっき起きた』こと。それは和久にとっても信じられないことであった。
人生に絶望した彼は自殺を試みようと古びたビルの屋上にいた。だがいよいよ身を投げ出そうとしたところで中年女性が足元にすがりつき、それを追っていたこのジュンも登場。
その状況に困惑する和久だったが、中年女性は突如として灰色の化物に姿を変え、顔を掴んで彼の血を吸い尽くそうとした瞬間。
『あ・・・熱いぃぃぃ!い、痛いぃぃぃ!』
こう叫びながらのたうち回り、体が徐々に溶け落ちていき。さらに悲鳴を上げ続ける女性の体内から出現した赤色に輝く球体をこのジュンがハサミで切断したのだ。
そのことを思い出した和久は、難しい顔をしてタバコを吸い続けているジュンの顔色を窺う。
「ただここまで来たらこっちとしてはテメエのような逸材を逃したくない。紹介したい仕事があるからな」
「紹介したい仕事・・・?」
これを聞いて怪訝そうな表情を浮かべる和久。
「テメエ、『魑魅』とか『晴司家』とか『雨追家』とか聞いたことあるか?」
「え?い、いえ・・・」
さらにこの問いかけを聞いても、和久は静かに首を横に振るだけ。
それを確認したジュンは灰皿にタバコを押しつけ、「まあこれほどの奴を処理士にさせないわけにもいかないしな。今から全部話すからしっかりと聞けよ」と説明を始めた。
◇
『魑魅』
この名前だけではまるで怪異や妖怪の類かと聞こえるが、実体を持っているれっきとした生物。人間を吸血してその命をも奪う危険な存在だがその出現過程というのは明確に記録されている。
江戸後期の日本。
そこには疫病・飢饉・老化に打ち勝つための進化を望み、天に祈りを捧げる集団が存在していた。そんな彼らはじきに自らを被験者として進化を果たすための人体実験を繰り返すという手段を取っていく。
そして数え切れないほどの失敗と犠牲を積み重ねた末、ある女性が特異な手術技法を奇跡的に生み出し、集団の構成員に身体改造の機会を与えた。
なんとこれを受けた構成員は疫病に負けることなく老化もせず、まさに望んでいた存在となったのだ。
しかしその代償として、肉体は人間とは異なる大きな躯体と灰色の体色に変化。それでも身体を改造された構成員は必要に応じて元々の姿にも戻れる能力と、若い者は現状の顔を永久に保て、老人は若々しい頃の顔を取り戻せるという魅力に取り憑かれた。
次々と構成員たちが驚くようなこの変化を遂げていった集団は、次第に外部の人間にも仲間となるよう勧誘を広く勧め、徐々に個体数を増やす。
だが・・・異形になりながらも一般社会との共存を望んでいたそれら生命体の主食は動物の血液。
当初は野生動物を捕らえ吸血していたが、次第に人間の血液を吸い尽くす層も増加。じきに集団外の人々からは『魑魅』と呼ばれ恐れられ、討伐を行う者まで出現した。
そのような状態の中、もはや社会との共存を諦めて人間と完全に袂を分かつ決断をした魑魅は。
『我々は人間に干渉しない。だから人間も我々に干渉するな』
このようなメッセージを残して日本全国の森の奥へと姿を消していった。
「で、ですけど晴司さん。その魑魅は人間側に干渉しているんですよね?さっき屋上にいたのも・・・」
ジャージ姿の和久は目の前にいるジュンに問う。
「そうだ。あんなこと言いながら結局人間の血を吸いまくってる。自分たちは人間社会に干渉しまくる卑怯者だよ。見たろ?あのグロいヒルみたいな舌を使ってな」
「べー」と言って自身の舌を見せるジュンに対し、屋上のことを思い出した和久にはその時の恐怖心が蘇って思わず縮み上がる。
「しかもほとんどが干からびて死ぬほどの量を吸うんだ。厄介なもんだよ」
ジュンはこのように淡々と答え、自身の顔についている傷をさすりつつ「魑魅の一番面倒なところは、屋上のババアみたいに人間の姿に戻って社会に侵入するところなんだよな」と顔をしかめる。
「ただ魑魅同士で子を成すってのは不可能ではないがかなり確率が低い。しかし繫殖欲もある。だから頻繁に一般人を攫っては洗脳と身体改造を施して仲間にしてる。んで、俺様らはそんな魑魅から人間を守る職業だ」
『魑魅処理士』
それは人間社会に侵入する魑魅の対処を行う職業人。実は国家資格を必要とする士業となるのだが、それを取得するハードルはかなり高い。
そもそも試験の受験資格があるのは、制度が整備される以前から長きにわたり処理に関与してきた『晴司家』と『雨追家』というふたつ家系の出身者、もしくはその幹部による推薦状を用意された者のみ。
ところがこの『魑魅とその処理士』に関する話。民衆や諸外国への影響を念頭に、政府側はできるだけ秘匿しているのが現状。
おまけに雨追家の方は今では目も当てられないほど衰退しているため、実質的に晴司家出身者のみに独占された専門職と言えるのだ。
つまり全く無関係の一般人が受験資格を得ることなど現実的には不可能に近い。
「じゃ、じゃあ・・・。僕に紹介したい仕事っていうのはその・・・」
「そうだ。特定の一族に支配された業界なんて価値観のアップデートも無し。それで俺様なんかは、そろそろ外の人間を必要にしていたところで」
こう話すジュンは新しく取り出したタバコを咥えたまま和久のことを指さす。
「テメエが現れた。これはまさにナイスタイミング、グッドタイミング、神様仏様の思し召しとも言えるだろう。しかも職も縁も無いんだろう?そっちとしても良い話じゃねえか」
言葉を失う和久に対し、ジュンはニヤリと口角を上げてこう告げた。
「魑魅処理士になって俺様と一緒に働け。金払いは良いから安心しろ?」
このエピソードまで『晴司』のルビをふります。