第1話 あるビルの屋上で 前編
スタートから1話ずつの連載掲載ですとなかなかペースがつかめない作品でありますので、最初の2日間は6エピソードずつ投下します。
※この物語は異世界転生要素もダンジョン要素もスローライフ要素もハーレム要素もありません。あと言うほど主人公は最強じゃないです。頑張るタイプの子です。
月曜日。朝のビル街。その路地裏。
顔を出してきた太陽の光が少しずつ差し込むこの場所には、長髪の若い女性がゴミ箱を数個倒して仰向けに横たわっていた。
その姿はまるで夜通し遊んだ末に酔いつぶれたように見えるが・・・そうではない。
これは白目を剥いている瞳、青白くげっそりとしている顔、涎が垂れている口元を見れば一目瞭然。
そしてそんな女性の腹部には・・・吸血生物であるヒルのような物体が吸いついているのだ。
この物体はじゅるっ・・・じゅるっ・・・と不快な音を立て、何かを飲み込みながら不気味に蠢き、それに伴い彼女の体はピクピクと微かに動く。
次第に女性のその動きも鈍くなり、いよいよ息絶えようとしたところ。
「見つけたぞ、クソ魑魅。さっさと処理するから覚悟しとけ。人間の血を吸い尽くした罰を与えてやる」
この悍ましい現場に、男性の低く怒りに満ちた声が響いた。
◇
この春に初めてできた恋人。
同じサークルの彼女は、小遣い稼ぎを目的として僕と交際する演技をし、色々な理由をつけて金を巻き上げてはそのエピソードをSNSにアップしていた。
大学で出会った親友。
その彼女がSNSでしていた悪行を僕に教えてくれた彼は、定期試験での不正行為が判明した際、僕から誘われてそれを行ったと学校側に虚偽申告をした。
ずっと憧れだった大学。
苦労して勉強した末に入学できたこの大学は、なぜか親友が放った嘘を鵜呑みにしこちらの言い分は一切聞かず、僕だけに無期限の停学処分を下した。
そしてこの停学の話はすぐに色々な人の耳に届き、さらに恋人と思ってた女性の手によって放たれていた投稿も合わさり、急速に僕の個人情報は拡散されていく。
じきに同じゼミ生からは失望や軽蔑の意が込められたメッセージが送られて縁を切られ、知り合いでもない学生のSNSアカウントを覗いてみても、手元に渡った僕の顔写真と共にバカにするような文言を投稿する始末。
こうして嘲笑の的にされた僕は同じ大学の学生が多く在籍していたアルバイトも辞めざるを得なくなり、挙句の果てに大学も自主退学。この一連の動きは夏休みを含めたわずか半年間の中で起きたことだ。
僕は両親を早くに亡くして親戚づきあいもしていない。ここまで育ててくれた祖父母も昨年末、相次いで病により急死。頼れる者はもういない。すがるものもない。助けてくれる手も見当たらない。ならいっそ・・・。
心地よい10月中旬の朝。廃墟のようになっている古びたビルの屋上。
短く刈り上げた坊主頭に薄手で紺色のジャージだけを着用している、21歳の細身の青年・虹浦和久は、静かに空を見上げる。
赤茶色の瞳を持つこの和久はそのまま大きなため息をするが、空は憎いほど透き通って青く綺麗だ。
しばらくして今度は手前に設置されている錆だらけの柵の向こう側を見下ろす。その眼下に広がるのは車通りの多い道路。
そう。ここから身を投げ出せば、これまでの辛い思い出も忘れ、全てが終わって楽になる。
決意を固めた和久は深呼吸をして震える足に力を込め、一歩踏み出す。
これで、死ねる-
「おいゴラァ!待てコラァ!逃がさねえぞクソ魑魅!!」
「・・・は?」
人生に終止符を打とうと決意した彼の耳に届いたのは、深く響く怒号。暴言。足音。
それに驚いて思わず振り返ると・・・。
「そ、そこの男の子!どうか助けて!」
「・・・え、え!?」
息を荒げてこちらに駆け寄ってきたのは小太りの中年女性。ごく普通の様相をしているパーマ頭の彼女は、和久の足元で座り込み助けを乞うてくる。
和久が今いる位置から階段へと繋がるドアまではそれなりに距離があるのだが、今の今まで彼はこの女性の気配に全く気がつかなかった。
「ちっ!民間人いるのかよ!」
続いて屋上に姿を現したのは・・・30代中盤ほどの、かなり強面な男性。
吊り上がった目、オールバックの頭、大量の傷跡がある顔。加えて顎には無精ひげを伸ばしている。
「おい坊主!早く逃げろ!」
そんな彼は中のシャツまで真っ黒なスーツに身を包み、和久に向かって叫ぶ。
「え、い、いや僕は・・・」
「お、お願い!人助けだと思って!助けて!」
い、いや今から死のうと思ってたのに人助けだなんて・・・。
座り込んだ中年女性が発する懸命な訴えに困惑する和久。ただ、その間にも強面男性がとてつもない威圧感を発しながら近づいてくる。
「絶対に逃がさねえ・・・殺す・・・!」
おまけに尋常じゃないほど目を吊り上げながら。
「す、すごく物騒な人だ・・・!きっと借金取りか何かに違いない・・・!」
と言っても仕方がないので、とりあえずこの場を落ち着かせようと、和久は震える声で勝手に借金取りだと決めつけた強面男性に声をかけた。
「あ、あの!僕は無関係ですけど、ここは一旦落ち着いて弁護士同士での話し合いを・・・」
「バカ野郎!早く逃げろっての!そこにいるババアから血を吸われ尽くされるぞ!」
「え!?」
ちょ、ちょっと待って。ふたりの間に何があったのかは知らないけど・・・。今あの怖い顔の人、この女性が僕の血を吸うって言った?
中年女性を指さして大声を出しながら迫って来る強面男性の言葉を聞き、思わず苦笑いした和久はふと足元に目を向ける。
すると。
「あの魑魅処理士から逃げるためにこの肉体をいただくわよお。逃走中はエネルギーをいっぱい使うから、栄養補給させてねえ」
女性はゴギッゴギッと不気味な音を立てながらその骨格や肉体を変形させていって・・・。
「我々にとって人間の血液はご馳走。穏やかに殺してあげるから安心してねえ」
じきに3メートルほどの高身長になり、体色は一瞬にして灰色に変化。着ていた服は破れ、代わりにくすんだ色の薄汚れた襤褸に体は覆われ。さらに顔も21歳の和久と変わらないほどの若返ったものになり、まさに歪な容貌の怪物になる。
「・・・へ?」
そして彼女は顎が外れるほど口を大きく開き、そこから吸血生物であるヒルのような形状になった舌を伸ばして言葉を失っている和久の顔を掴んだ。
「クソっ!ちんたらしてるから逃げ遅れやがったじゃねえかあの坊主!」
変貌した中年女性に呆然とする和久。突如として怪物と化した彼女の動きは、瞬時に死を覚悟した和久の目にはまるでスローモーションのように映って。
「いただきまあす」
近づいてくる大きく開いた口。口内から伸びてくる、グロテスクに蠢く朱色の舌は涎まみれで、確実にこちらのことを捕食対象として認識している。
ああ。僕はこの化物に殺されるんだ。
本能的に和久はこう察し、動くことができない。
その刹那、彼の脳裏によぎったのはこの半年間で降り注いできた不幸の記憶。
恋人と思っていた女性からも、親友と思っていた男性からも裏切られ。念願だった大学や懸命に働いていたアルバイト先にもいられなくなり。
最期まで僕は不幸だ。こんな形で人生が終わるだなんて。
先ほどまで自死を覚悟していた和久だが命の危機を本当に感じた今・・・。
「・・・どうして。どうして僕にこんな・・・!」
ここまで鳴りを潜めていた強い憤りが、沸々とわいてきていた。
どうして僕がこんな目に。どうして僕にこんな仕打ちが。
騙された僕のことを誰かが笑ってる。
裏切られた僕のことを誰かが笑ってる。
全てを失った僕のことを誰かが笑ってる。
和久に迫る人外と化した中年女性。口を思い切り開いたその顔まで、どこか笑みを浮かべているようにも見え。
怒りに震える和久はそれを睨んでこう呟いた。
「・・・お前まで・・・僕のことを笑うなよ・・・!」
一方、和久を捕食しようとする中年女性の動作を目の当たりにした強面男性は強く唇を噛み、スーツの内側にあるポケットに手を入れる。
「クソ!目の前で死ぬまで吸血されたら、あの魑魅を処理できても報酬減額されんだよ!さっさと逃げろよバカ坊主!」
そしてそこから柄の部分が黒いハサミを取り出して一気に距離を詰めようとしたその時。
「・・・ちょっと待て。何だありゃ」
異変を察知したは強面男性はその動きをピタリと止めた。
「あ・・・。あ・・・。あ、あ、あ、あ、熱いぃぃぃ!い、痛いぃぃぃ!」
中年女性は怒りに震える和久の顔から手を離し、赤く腫れあがった自身の掌を見ながら、大きな悲鳴を上げ始めたのだ。
「な、何!?これはどういうこと!?い、痛い!熱い!」
「へ・・・え!?」
女性が手を離したはずみでその場に尻もちをついてしまった和久だが、のたうち回る彼女の姿を見て困惑の表情を浮かべる。
「ど、どうして・・・?急激に肉体が溶けていく・・・!今の形状を保てないし人間の姿にも戻れない・・・!」
そして彼女の肉体は、まるで高熱で溶けていく飴のようにみるみるうちに崩れ始めていった。
「熱い・・・!痛い・・・!だ、誰か助けて・・・!」
「・・・マジかよ。魑魅の肉体を溶かしやがったのか・・・!?」
この様子を見た強面男性は、腰を抜かして後ずさりをしている和久に目を向けた。
恥ずかしながら自分の他の投稿作品でたまに誤字脱字報告がありますので、この作品もあるかもしれません。
自身でも適宜内容を確認し、見つけ次第すぐに修正します。