手記 ある<漂流者>の願い
これにて3章は実質完結です(まだ閑話等がありますが)。
※今回は丸々クロエの母親の手記となっています。
【〇〇の月 ××の日 晴れ】
この水で満たされた蒼い月に流れ着いてから、結構な月日が経ってしまった。
こっちの言語を完全に習得してしまうほどの月日が、だ。
そして気が付いたら、この胎にロウガとの子が宿っていた。
Oh……。
まさか地球人とこの月の住人のカップルで本当に子を生せるとは。
話には聞いていたものの他の<漂流者>と会ったことが無いため半信半疑だったのだが。どうやら真実だったらしい。
やはり地球人も、この月の人間も、生き物としては全く同じ種と考えるべきか。
興味深い。
あと酸っぱいものが食べたい。
【〇△の月 ×〇の日 曇り】
だいぶ腹が出てきた。順調にいけば生まれるまであと三ヶ月くらいか? 最近は動くのが億劫になってきて、こっちの植生の研究も中々進まない。困ったものだ。いや、当時はまだ結婚もしていなかったロウガと酔った勢いでやっちゃった自分が悪いんだけど。まさか一発で出来るとは……。ちょっとあの日に戻って自分を叱りたい。早まるな、おまえにとって何よりも大事なのは『研究』だろう、それでなくても遅々として『研究』が進んでないのに、子供なんぞこさえている場合かと。
………………。
子供、か。
あの子はその後どうなっただろう……。
結果的に私が地球に置き去りにしてきてしまった、一人目の娘は……。
親に政略結婚させられた相手と嫌々作った子供で、地球にいたころは『研究』にばかりかまけ育児は乳母に任せっぱなしにしていたワケだが……。よく考えたら、こっちに流れ着いてから今日まで、あの子のことを思い出さなかった日は一日も無かった気がする。
私は自分のことを『研究』にしか興味が無い人間だと思っていたが、意外とそうでもなかったらしい。
……今頃気付いても遅いワケだが。
【〇×の月 □〇の日 晴れ】
無事ロウガとの子が生まれた。き、キツカッタ……。難産というヤツだ。正直死ぬかと思った……。ロウガがどこぞから連れてきてくれた助産師の助けが無かったら本気でヤバかったかもしれん……。
こっちじゃあ生まれてくる子の性別を出産前に確かめる術が無いので、生まれて初めてわかったのだが、二人目の子も女児だった。……どっちかと言うと女児が欲しかったので嬉しい。地球に置き去りにしてしまったあの子が自分のもとにもう一度生まれてきてくれたのかもしれない――柄にもなくそんなロマンチストみたいなことを考えてしまった。……ふふっ、二度の出産を経て、私にも多少は人間味というヤツが出てきたようだ。
……とか思ってたら、助産師の老婆が「噂じゃあ<漂流者>が産む子は女児って決まってるらしいよ」と教えてくれた。なるほど興味深い。でも私の感傷を返せ。
【〇×の月 □△の日 晴れ】
娘にはクロエと名付けた。私はクロエを生んだ日から、故郷への未練を断ち切るため本名を捨て別の名前を名乗っている。で、今の名前は本名に似ている地球の落葉樹の名前なので、娘にも植物関連の名前を……と思いクロエと名付けた。確かクロエはギリシア語で『新緑』とか『若草』とか『開花』とか『豊穣』とかそんな感じの意味だった気がする。我ながら良い名前だと思う。
ちなみにロウガは『ホォヅキ』と名付けたかったようだが却下した。ホォヅキて。確かそれ地球でいうところの鬼灯のことだろ。我が夫ながら酷いネーミングセンスだ。
……でもよく考えたら、私が地球に置き去りにしてしまった娘は語感だけで名付けてしまったのだけれど、あとで調べたらアレ、男性名っぽかったんだよな……。私もロウガのことを責められん……。
すまない、我が娘よ……。
【〇□の月 △×の日 メッチャ雨】
最近クロエの夜泣きがひどい。今夜は珍しくまとまった雨が降っているからか、輪をかけてひどい。お陰で寝不足だ。赤子はみんなこんなものなのか? まさか変な病気とか、どこか痛いところがあるとかじゃないよな?
私が地球に置き去りにしてしまったあの子の面倒は乳母に任せっぱなしにしていたこともあってわからない……。
ちゃんとあの子の面倒も見ておけばよかった……。
いや、見てあげるべきだった。
見てあげられるうちに。
【〇△の月 □〇の日 晴れ】
クロエは はいはい を覚えた!
【〇△の月 □×の日 晴れ】
なんだ、この昨日の日記は。初めて『はいはい』したクロエを見たからってテンションがおかしくなりすぎだろ。
そんなだから今日ちょっと目を離した先にクロエが机の脚の角に頭をぶつけて怪我をしてしまうんだ。
もっと冷静な目で娘を見守らねば。
【□×の月 〇〇の日 曇り】
立った……クロエが立った!
【△〇の月 ××の日 晴れ】
ここ『ヤポネシア』の某所で内乱が起こった。このままだと大きな争乱に発展するのはほぼ確実とのこと。ここも近々、戦火に呑み込まれそうだ。
なので、ロウガの友人が昔住んでいたという『グローブ』に、件の友人一家とともに引っ越すことにした。
まだ生まれて一年にも満たないクロエを連れての長旅は不安もあるが、争いに巻き込まれるワケにはいかないし、次に『グローブ』からの交易船が来るのがいつになるかはわからないし、他に行くアテも無いし、仕方ない。
【△〇の月 ×〇の日 晴れ】
一昨日からクロエの発熱が収まらない。マズい……。この幼い時分に、この長期に及ぶ高熱は非常にマズい……。でも、船の中では私がこの子にしてやれることはあまりに少ない……。
神様……。お願いだ、クロエを助けてくれ……。
クロエが助かるのなら、私の命を代わりに差し出しても構わない……。だからどうか……。
【△〇の月 ×△の日 晴れ】
クロエの高熱がやっと引いてくれた。よかった……。今のところは変な後遺症のようなモノも無さそうだ。
………………。
昨日の夜中、クロエの全身をほんの一瞬包んだあの温かい紫の燐光はいったいなんだったんだろう?
あの燐光が収まった途端、クロエが徐々に快方へと向かっていったのはただの偶然か?
それとも本当に神様がクロエを助けてくれたのか?
…………まさか、な。
でも、これからは毎晩神様に感謝の祈りを捧げることにしよう。
【△〇の月 ×□の日 晴れ】
『グローブ』に無事到着。ロウガの友人の伝手で、住む場所を確保することが出来た。それにロウガが使う漁船も安く手に入った。持つべきは友人だな。
なお、今日からクロエの記録を取ることにした。身長や体重、肌艶を始めとしたありとあらゆるデータを、だ。
クロエがもう重い病気にかからないように。そして万が一かかってしまっても、すぐに気付いたり、治療に役立てたり出来るように。
【△〇の月 〇△の日 晴れ】
そろそろクロエの教育を始めようと思い、まずはパピルス紙の作りかたと、足し算を教えた。
……で、後者、足し算についてだが。
1足す1は2からまず教えて、1足す99は100までを教えたところで、悪戯心から「それじゃあクロエ、100足す15足す23足す4足す77足す99は?」と訊ねたら、二秒で――つまり暗算で、「100がみっつと18!」と即答された。
愕然とした。
もしかして、ウチの娘は私に似て天才なのか?
それとも――クロエを取り上げてくれた助産師が言っていた「<漂流者>の子供はみんな神様から不思議な能力を授かって生まれる」という話は本当で、クロエの場合はそれが人並外れた計算能力ということなのだろうか……?
【△〇の月 〇×の日 晴れ】
今日は掛け算を教えた。クロエは最後に私が出した「3284567掛ける945673は?」という問題にも暗算で即答し、正解してみせた。
1足す1の足し算を教えてから、今日でまだ三日目である。
………………。
確かに地球にも、超人めいた計算能力を持つ人間は沢山いた。いたが……。
タイミングよく飛んできたハエに完全に気を取られながらも答えられるのは流石におかしくないか?
問題に集中しているのならまだわかるぞ?
……信じ難いことではあるが、これはやはり……。
【×〇の月 □〇の日 晴れ】
今日でクロエは九歳になった。最近は生意気な口を叩くことも多くなってきた。
まったく……何が「どうせお母さんはわたしのことなんか可愛くないんでしょう」だ。誕生日にリクエストされた料理を用意できなかったくらいで拗ねやがって。
材料が手に入らなかったんだから仕方ないだろ。
毎日三食ご飯を用意してもらってるんだからちゃんと感謝しろ。ありがとうの一言も無いくせに。
……私が地球に置き去りにしてしまったあの子にも、いつか料理を作ってやりたい。
それが叶わぬ願いだということはわかっているけれど。
【×△の月 〇〇の日 小雨】
なんだろう、最近、一家で買い物のため街へ出掛けたときなどに奇異の目で見られることが増えた気がする……。私が<漂流者>だからか? だが、そんなことはみんなとっくの昔に知っているはずだし、現にこれまであんな目で見られることは無かったのだが……。
何かおかしい……。胸騒ぎのようなモノがする……。
ロウガは「気のせいだろ」とあっけらかんとしているが……。
それとも、ロウガの言うとおり私の気のせいなのだろうか?
それならいい。それに越したことはない……。
【×□の月 △×の日 晴れ】
なんということだ。まさか知らぬ間に、<魔女>などというふざけた概念が世間で広まっていたとは。
お陰でクロエが危うく怪我をするところだった。
複数の人間に石をぶつけられそうになったクロエは今も部屋で泣いている。
ダメだ。もうここに住み続けることは出来ない。
今日は投石だけで済んだが、あの様子だと明日もそれだけで済むとはとても思えない。
私には多少薙刀の心得があるが、今手元に得物は無いし、一対多となった場合などにクロエを護り切れる自信は無い。
別の場所に引っ越さねば。
幸い『グローブ』は大きく、離れた場所にいくつもの集落がある。そして昔の他愛ない諍いが原因で、集落間の交流はほとんど無いらしい。私たちがまだ行ったことのない集落へこっそり移り住めばまず大丈夫だろう。
今後は私が<漂流者>だということを隠さねば。
クロエが安心して暮らせるように……。
【〇□の月 〇□の日 晴れ】
今日、ターニャ一家と出逢った。おや? と思ってカマをかけたら、案の定ターニャも<漂流者>だった。彼女はイタリア出身らしい。で、彼女たち一家も以前住んでいた『ビトルビウス』でいろいろあってここへ逃げてきたそうだ。
また、ターニャにはオリガという娘がいた。クロエの良き友人となってくれそうだ。有り難い。
【〇〇の月 △×の日 曇り】
今日、海岸で気を失っている一人の少女を発見した。黒髪の少女だ。『グローブ』で黒髪は珍しいが皆無ではない。現に私たちもそうだ。なので、最初は普通の行き倒れ、もしくは漂流者だと思った。
……抱え起こした彼女の顔立ちを見て、ちょっとだけ「あれ?」と引っ掛かるモノはあったけれど。
私は自分たちが抱えている事情が事情なだけにちょっと悩んだものの、結局ロウガと協力して少女を家へ連れて帰ることにした。そして目を覚ますまで介抱を続けた。
幸い彼女はすぐに目を覚まし、そして私たちに助けられたことを察したのか礼を述べた。
……懐かしき日本語で、だ。
どうやら彼女は私と同じく日本を出自とする<漂流者>らしい。
彼女はイリヤと名乗った。
私はその名に、ハンマーで殴られたような衝撃を受けてしまった。
何故ならば、その名は……。
………………。
そういうことなのだろうか。
だとしたら、まさに運命の悪戯としか言えないが……。
……確かめるべきだろうか?
いくつかの質問で確かめることは可能だと思うが……。
だが、確かめたところで……、もし私の予想が正しかったら……。
…………やはりやめておこう。
確かめるのが、怖い。
【〇〇の月 △〇の日 曇り】
数日かけて、イリヤへこの水で満たされた蒼い月のことを説明した。
最初は私の話を冗談だと思ったらしいイリヤも、『グローブ』の街並みやここの生活様式、住人の様子、アンモナイトといった食材、その他諸々を目の当たりにしたことで、ようやく私の話が冗談ではないことを理解・実感したようだ。
しばらく部屋に籠もり、泣き続けていた。
……無理も無い。
見知らぬ場所、知己のいない異世界に単身放り出されたのだ。しかも帰れる見込みは全く無い。
絶望しないほうがおかしい。
私のように初日から目にするモノすべてに興奮し、「興味深い!」とか言って鼻息荒く観察しまくるほうがおかしいのだ。自分で言うのもなんだが。
イリヤが籠ってしまった部屋を、クロエは今も心配そうに見つめている。
……イリヤ……。
私は彼女に何をしてあげられるのだろう……。
【〇〇の月 ×〇の日 晴れ】
二日ほど部屋に籠もり泣き続けたイリヤがようやく部屋から出てきた。
自分からだ。
そして「こっちの言語を教えてほしい」と私に言ってきた。
……強い子だ。
私は彼女を抱き締めてあげたい衝動に駆られたが、かろうじて堪えた。
私には彼女を抱き締める資格など無いのかもしれないから……。
その代わり、彼女の力になれるのなら私はなんでもしよう。
【〇×の月 △□の日 晴れ】
イリヤが私たちの『家族』になって、もうすぐ半年になろうとしている。
クロエはすっかりイリヤに懐いている。
今も「結婚するならどんな男性がいいか」とか、そんな他愛のない話で盛り上がっていた。
まるで姉妹のようだ。
そう、本当の……。
この半年は、私にとってとても満ち足りた日々だった。
ずっと欠けていた何かをようやく取り戻せたような――そんな気分だった。
そう、私にとってもイリヤはもう……。
……けど。
悪い噂を耳にする機会が、最近ますます増えた。
どこぞでまた<魔女>が見つかったとか、処刑されたとか、そういう噂だ。
以前のような胸騒ぎを、私はまた覚えるようになってしまった。
……神様。
どうか私たちをお守りください。
最悪、私はどうなっても構いませんから。
ですからどうか、クロエとイリヤ、そしてロウガだけでも……。
クロエ。
イリヤ。
私の愛する娘たち。
どうかあなたたちの未来が明るいモノでありますように。
そしてあなたたちが、あなたたちのことを理解してくれる、そんな素敵な誰かと巡り会えますように……。
3章 了
4章へつづく
※評価、ブックマーク、感想等よろしくお願いします!




