♯54 亡き母と、自分の本当の想いに気付いた
第54話です。
※今回の語り部はクロエです。
「――あ。ここにいたのね、クロエちゃん」
不意に背中に掛けられたその声に、思わずビクッとしてしまった。
「っ」
船尾甲板の片隅で母との想い出に浸っていたわたしは、弾かれたように振り返りながら、持っていたパピルス紙の束をさりげなく後ろ手に隠す。
「あらっ? イリヤちゃんは一緒じゃないの? どこに行ったのかしら、あのコ。船室を覗いたらいなかったんだけど」
そこにいたのは、焦げ茶色の髪をショートカットにした身長150㎝くらいのクリクリした大きな瞳が愛らしい女の子――もとい女性だった。
確か名前はリオンさんだったか。
この見た目でれっきとした一児の母だというのだから恐れ入る。
その背後には、
「あ、あのっ。お母さんが吃驚させてしまってごめんなさいっ」
リオンさん譲りの焦げ茶色の髪をセミロングにし、長く伸ばした前髪で目を隠している娘さん――シャロンさんの姿もあった。
彼女は彼女でわたしよりも何歳か年下だったはずだが……わたしよりだいぶ発育が良い。特に胸の辺りが。……神様は不公平だ。
「何か御用でしょうか」
「お風呂。次どうぞって言いに来たの」
言われて、リオンさんとシャロンさんの髪が湿っていることに気付く。そうか。彼女たちの次がわたしの番だったっけ。
「こんなトコで何してたの? クロエちゃん」
「……別に。夜の海を眺めていただけです」
「ふーん……」
わたしのような小娘の嘘などお見通しだろうに――しかしリオンさんはそれ以上追及してこなかった。
代わりにトコトコと小走りでわたしの隣まで来ると、夜の海、漆黒の水平線を眺め、
「こうして見ると普通の海と変わらないわね。ここが亜空間だなんて信じられないわっ」
微苦笑を浮かべる。
「旦那様とカグヤちゃんはここを<神域>と呼んでいたけれど。彼らと出逢ってからこっち、常識を覆されることばかりだわ。この先も彼らと一緒にいれば退屈だけはせずに済みそうねっ」
………………。『旦那様』って船長さんのことですよね? このヒトからしたら自分の娘とさして変わらない年頃の男のはずですが。どうして『旦那様』呼びなんでしょう。
まあ、いいです。今はそれよりも気になることがありますから。
「……本当はわたしに何か話があるのでは?」
腹芸は苦手だ。
船体の縁から軽く身を乗り出し夜の海を眺めているリオンさんに、単刀直入に問い掛ける。
「というか、説教しにきたのでしょう? 『なんでそんなに頑なな態度なんだ――ヒトを信じようとしないんだ』、と」
「…………うーん」
振り返ったリオンさんは、複雑そうな――あるいはバツが悪そうな顔をしていた。
「そうね。ホントは大人として、ここであなたを説教できればよかったんでしょうけど。……でも、残念ながら私にその資格は無いのよ」
えっ?
資格が無い……?
「どういうことですか」
「以前の私もね、あなたと似たようなものだったの」
「え……」
「夫や孤児院の仲間たちを殺されて。世界を呪って、神様を恨んで……。この世界に救いなんか無い、娘は私一人の手で必ず守り抜いてみせるって息巻いてたわ」
「………………」
その言葉に、わたしは特段驚いたりはしなかった――彼女だって<魔女>の身内なのだ。どんな不幸を経験していても驚くに値しない。
……けど。
「だから私、旦那様がせっかく手を差し伸べてくれたのに、それを拒絶しちゃったのよね。『自分は<魔女>殺しとは無関係だ』という彼の言葉を信じようとせず、一方的に敵意を燃やして……。助けてもらった恩に仇で返したのよ」
――その結果、一番大切な娘を危険な目に遭わせてしまった……。
そう語るリオンさんの声音に滲むモノ。
それは悔恨だった。
「そんな私に説教する資格なんて無いわ。……我ながら情けないったらありゃしない」
「………………」
「お母さん……」
これまで本当の想いを――後悔を、娘の前で口にすることは無かったのだろう。初めて母親の胸のうちを知ったらしいシャロンさんが息を呑んでいた。
「ただ……助言だけさせてもらえないかしら?」
「助言?」
「そう」
頷いてわたしの目を真っ直ぐ見るリオンさんの微笑みは、なるほど、確かに大人のそれだった。
甘いも酸いも。
誰かの子供も、誰かの親も。
すべてを経験してきた、含蓄を含んだ微笑み。
「誰かを信じるって難しいわよね。――けど、もしもこの先、自分の力ではどうにもならないことが起こったら……大切なヒトになんらかの危機が迫ったら……そのときは躊躇うことなくイサリくんを頼りなさい」
リオンさんは彼を『イサリくん』と呼んだ。『旦那様』ではなく。
「………………でもわたしは、」
「無理に彼を信じる必要は無いの。あなたが彼を信じていようと、信じていまいと、彼は必ずあなたのために戦ってくれるはずだから。――そういう子なのよ」
誰かが傷ついているところを見ていられなくて。
誰かが泣いているところを放っておけなくて。
誰かのためなら自分の痛みはいくらでも耐えられる。
……そんな、不憫なくらい強くて優しい子だから。
「だから……、必ずあなたとあなたの大切なヒトを護ってくれるわ」
そう、リオンさんは言った。
「不憫なくらい強くて……優しい子……?」
「そう。いっそもっと弱く、冷淡に生きられる子だったら、あそこまで傷だらけになることも無かったでしょうにね」
「…………傷だらけに、」
……たぶん。
彼女が言っているのは、肉体の話ではないのだろう。
それは心とか。
あるいは魂魄とか。
そういう、きっと一生癒えることはないモノの話なのだろう。
自分では救うことが出来ず――誰かに救ってもらうしかない。
なのに、未だに救われずにいる。
そういうモノの話なのだろう。
「………………」
考えてみたら、わたしは船長さんのことをほとんど何も知らなかった。
イリヤさんは彼に私の兄的存在になってほしいみたいだけれど……。
けど、わたしは……。
「それともうひとつ」
「?」
「今あなたが背後に隠したの、あなたの観察記録よね? お母さんの遺品の」
「! どうして……!?」
「あ。カマをかけてみただけなんだけど、当たった?」
「そうではなく、どうしてお母さんがわたしを日々観察し記録を取っていたことをご存じなんですか!?」
「普通にロウガさんから聞いたんだけど」
……あのお喋り親父め……。余計なことを……。
罰として明日から三日間、口をきいてあげません。
「でね、その観察記録だけど。イサリくんに頼めば読んでくれると思うわよ? 知りたいでしょ? そこに何が書かれているのか」
「…………そんなことはありません」
だって、書かれている内容を知って、それが「お母さんが子供を作ったのはあくまで研究のためだったのでは?」というわたしの不安を確信へと変えるモノだったら……。
たぶん、わたしの心は耐えられません。
だから、知る必要なんて無いんです。
知らないままなら、お母さんがわたしをちゃんと愛してくれていた可能性も残り続けるのですから……。
「ふーん……。そこに書かれている内容――お母さんの本当の想いを、あなたはちゃんと知るべきだと思うけどなぁ」
「え」
「あなたのお母さんはちゃんとあなたを愛していたに決まってるし」
「! ……どうしてそんなことが断言できるんですか。あなたはわたしのお母さんに会ったことすら無いのに」
わたしはリオンさんが何故そう言い切れるのかわからず訊ねる。
「それともあれですか。『子供が可愛くない親なんていない』とか、そういう甘っちょろいことを仰るつもりですか」
「まさか。そんなセリフを吐けるのは余程恵まれた――かつ世間知らずな人間だけよ」
リオンさんはそう言って肩を竦める。
「親に捨てられたり、親の虐待で死んだり傷ついたりしている子供が世の中にはどれだけいると思ってるの? こっちに流れ着いてから出来た私の家族――孤児院の仲間の中には、母親の暴力が原因で失明した子や物心がついたころには父親から性的虐待を受けていた子もいたわ。生まれた直後に捨てられた子もね」
「っ。だったらなんで……」
「……昼間イリヤちゃんが言ってたでしょう。自分はミズキさんに『何かあったらクロエを護ってやってくれ』と頼まれている、って」
「それがどうしたと、」
「わっかんないかなぁ。ミズキさんにとってあなたは研究の対象でしかなかったのなら、なんで自分が死んだあとのことを心配しないといけないワケ?」
――――――。
「私から言わせれば、暴力を振るわれていたワケでもなければ放置されていたワケでもないのに、なんでそこまでお母さんの愛を疑えるのか、そっちのほうが不思議だわっ」
…………わたし…………わたしは…………。
「ま、無理強いはしないけどね。――私の話はそれだけ」
リオンさんはそう言うと「う~ん」と背伸びをして、
「それじゃあ、私とシャロンは部屋に戻るわね。夜風は身体に毒よ、あなたも早くお風呂に入って、…………」
――そこで急に黙り込む。
「リオンさん?」
「お母さん?」
わたしとシャロンさんが怪訝に思い声を掛けたその瞬間、リオンさんの身体がぐらりと傾いた。
そしてそのまま甲板に力無く崩れ落ちる。
「なっ!?」
「お母さん!? どうしたの!?」
わたしとシャロンさんは慌てて駆け寄り、甲板に片膝をついてリオンさんを抱き起こし――呆気にとられてしまう。
「Zzzzz……」
驚いたことに、リオンさんは眠りこけていた。
だらしなく緩んだ顔で。子供みたいに口の端から涎を垂らして。
ムニャムニャと寝言まで言っていた。
「ダメよぉ、旦那様ぁ。シャロンが見てるわっ」
………………。なんの夢を見てるんですかね……。
「嘘でしょう? あの一瞬で寝落ちするとか。はしゃぎ疲れたチビっ子ですかあなた」
「こんなトコで寝たら風邪を引くよ、お母さん!」
シャロンさんがリオンさんの肩を掴んでガックンガックン揺さぶったそのとき。少し離れた場所、甲板のあちこちで、「う……」という呻きや「ふぁぁぁぁ……」という欠伸、そしてドサッ、ドサッ、ドサッ、とヒトが倒れる音がした。
「今の音は……!?」
「ま……まさか」
甲板で当直に当たっていた者、全員が眠ってしまったのか……!?
いったい何故!?
「! クロエさん、何か聴こえませんか?」
「え?」
シャロンさんに言われて耳を澄ます。
すると、
――チリィィィィィィィン……
――チリィィィィィィィン……
「! 確かに」
聴こえた。鈴のような、鐘のような、澄んだ音が。
美しい――けれどどこか寒々しい音色が……。
でも、いったいどこから……?
「っ」
シャロンさんがやおら立ち上がり、目を閉じる。
「シャロンさん……?」
これは……五感を研ぎ澄ませ周囲の気配を探っているのか?
もしや彼女の<魔女>としてのチカラは――
「! あそこです!」
彼女はすぐに目を開け、遠く、ある一点を指さした。
それはこの船がここまで曳航してきたお父さんの船。この船から20mほど離れた洋上に浮かぶ漁船の甲板で……、
そこには……、
「フヒッ! フヒヒヒヒッ! あ~あ、見つかっちゃったぁ☆ ま、いっかぁ。アイツのせいで負ったダメージもぉ今さっき完全回復したしぃ。邪魔者はみぃんな寝ちゃった頃合いだろうしねぇ☆」
――そこには、怪人がいた。
身長3m近い、腕も、胴も、太腿も、首も、すべてが丸太のように太い、黒いタンクトップと短パン姿の巨漢。病的なまでに青白い肌と、鋭い犬歯が覗く禍々しい口と、腰まで伸ばしたボサボサのどす黒い長髪と、鮫のように虚ろな赤い目を持つ化け物が。
「「あれは……!」」
間違いない。あれは先日、名も無き有人島でわたしたちが遭遇し、船長さんが戦った怪人だ……!
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