♯3 小さなお嬢様と、おかしな海に流れ着いた
第3話です。あとちょっとであのヒロインたちが登場します。
目の前に、ぴっちぴちのアンモナイトがいた。
……何を言っているのかわからないとは思うが、安心してほしい。正直ボクも今、自分で自分に『何言ってんだこいつ』と思ってる。
何が起こったのか――ボク自身、よくわかっていない。
「……ボク、今日だけで何回驚いただろ……」
海面に浮かぶ白鯨の背中、海に落ちない位置ギリギリにうつ伏せになり、体力も気力もとうに使い果たしたボクはただぼうっと海面を眺めていたのだけれど、ときどき海面スレスレを見たことが無い生き物が通り過ぎていくたび、どうしてもビクッとしてしまう。
……いや、正確に言えばこの生き物たちはボクも見たことがあるのだ。ただし海や水族館、あるいは魚屋などで実物を見たわけじゃなく、図鑑やドキュメンタリー番組などで想像図や復元図を目にしただけなのだけれど。
なので、それらの名前も大雑把になら知っている。
その分類、あるいは愛称のようなモノも。
「……まさに『驚嘆すべき生物』だなぁ……」
「イサリさま。今、あっちのほうでイカさんやトビウオさんのように海面から飛び出して滑空していた生き物はなんでしょう? ヒレや触手がある平べったいエビさんという感じの見た目でしたが」
「あー……あれはたぶん、アノマロカリスの一種じゃないかなぁ……。ボクも実物の体色が緑色だとは思わなかったし、海面から飛び出して滑空する習性があるとは知らなかったけれど……」
「あのまろかりすさんですか。なるほど。イサリさまは優しくて頼もしいだけでなく、博識でもあるのですね。流石です☆」
「……ありがと」
すぐ傍で水色のドレスのスカートを大輪のように広げて座り込み、物珍しそうにキョロキョロと周囲の様子を観察している金髪の女の子のボクに対する過分な称賛に対し、否定する気力すら湧かないや……。
「どこなんだろ、ここ。気が付いたら二人揃って白鯨の背中の上で気を失っていたワケだけれど。ボクたち、あのとき確かに白鯨に食われたはずだよね? 気を失っている間に吐き出されたってこと? それともボクたち、実はもう死んでて、ここは天国とかなのかな?」
疑問を口にしながら、海面にプカプカと浮かんだままピクリとも動かない白鯨の背中の上で起き上がる。
ずっと手に持っていた生き物をまじまじと観察する。
オウムガイに似た渦巻き状の殻からイカやタコのような吸盤がある触手の束が飛び出している、ボクの掌に収まるくらいのサイズの生き物。
「……うん。どこからどう見てもアンモナイトだこれ」
しかも本物。間違いなく生きている。だってピチピチしてるし。触手がウネウネ動いてるし。ロボとかの動きじゃないもんこれ。ハッキリ言って気持ち悪い。あと生臭い。
「……アノマロカリスにしたってそうだけれど、コイツらって大昔に絶滅したんじゃなかったっけ?」
コイツらが生息していたのって、正確なところは憶えていないけれど、シルル紀とかカンブリア紀とか、とにかくその辺りの『古代』と言っていい時代だったと記憶しているのだけれど。
ボクが知らなかっただけで――世間にずっと認知される機会が無かっただけで、実はちょっと前までのシーラカンスみたいに、ヒトの知らないところで種としての命脈を繋いでいたってこと?
「じゃあこれ、世紀の大発見ってヤツ?」
でも、なんか見た感じ、他にも三葉虫とかウミサソリとか、世紀の大発見っぽい生き物がそのへんをウヨウヨしているのだけれど。
世紀の大発見のバーゲンセールって感じ。
有り難みも何も無い。
「あ。でもイサリさま、ほら、トビウオさんとかアジさんとかサンマさんとかイカさんとか、わたくしたちがよく知っている生き物もいっぱい泳いでますよ?」
うん。実にカオスだね。
……あ。今、向こうでトビウオを狙っていたサバが、全長2メートルはあろうかというウミサソリの鋏に捕まってそのまま喰われた。すげえ。マジカオス。
「そもそもさ、ボクたちがこの鯨に呑み込まれたのって夜だったよね? これ、どう見ても真昼間って感じなんだけど。気を失っているうちに日付が変わっちゃったってこと? でも、そんなに長時間気を失ってたとも思えないんだけどなぁ」
あーあ、船室を出るときスマホも持って出れば良かったなぁ。腕時計すら持ってきてないから、正確な現在時刻がサッパリわかんないや。ルーナもどっちも持っていないみたいだし。
物心ついたころにはもう漁師である祖父や父の漁船に同乗するようになっていて、小学生のころにはもう休日なんかは二人の手伝いをするようになっていたボクの、これまで培ってきた知識に則るなら、太陽の位置、高さ的に、今はだいたい正午くらいだと思うんだけれど……。問題は『ここ』でボクの知識がどれだけ通用するかなんだよね。
もう既に知識どころか常識すら通用しなくなってるんですけど……。
「少なくとも日本の近海じゃないよね、ここ。この鯨、ボクたちをどこまで運んでくれたワケ?」
グルリと周囲を見回すと、エーゲ海を彷彿とさせるコバルトブルーの海には、数え切れないほどの大小様々な島嶼が存在しているのが見て取れた。
先端だけが突き出した岩だけの島もあれば、全貌を窺い知ることが出来ないほど大きくて緑に覆われた島もある。他にも、カモメが沢山飛び交っている島もあれば、あれは……なんだろう……デカいトンボっぽいけど……まさかメガネウラ? よし、気付かなかったことにしよう……見慣れない昆虫が飛んでいる島もあった。
どうやらここは、所謂『多島海』というヤツらしい。
見た感じ、人工物、ヒトが住んでいる形跡のようなモノは全く見当たらない。
「多島海といえば、それこそエーゲ海やバルト海って印象だけれど……。まさかそこまで運ばれたとも思えないしなぁ」
ホントどこなんだ、ここ。
「イサリさま……わたくし、思ったのですけれど」
と、ルーナが思いつきを口にする。
「先程の、えっと、あろまりりす?」
「アノマロカリス」
アマリリスみたいに言わないでほしい。あれはそんな飾って愛でられるようなモンじゃない。
「あのまろかりすさんや、あんもないと? さんは、本来すっごい大昔にいなくなってしまったはずの生き物たちなのですよね?」
「うん。そのはずなんだけどね」
「では、わたくしたちは『タイムトラベル』をしてしまったのでは?」
…………………………。
……うん。
実を言うと、ボクもその可能性は考えたんだ。
ただ、
「ボクの考えはちょっと違うんだよね……」
「? どういうことでしょう?」
「単純に時間を遡行しただけとは思えないっていうか、」
ここは過去の地球ってワケでもなさそうだっていうか。
「どういうことでしょう?」
「ボクもそこまで詳しく勉強したワケじゃないからあれなんだけれど……大昔の地球ってさ、環境がボクたちの時代とはいろいろ違ったはずなんだよね。大気ひとつを取っても、成分とか、オゾン層の厚さとかさ。わかりやすいところでは酸素が薄かったりね」
「はあ」
ピンと来ていないようだ。
まあ、まだ十歳くらいだろうしな……。
「でもさ、ボクたち、こうして普通に過ごせてるよね? なんの違和感も無く」
「そうですね。特に息が苦しいとか眩暈がするとか、そういった症状はありません。……ちょっと蒸し暑いですけど」
確かに。やたら蒸し暑いよなここ……。さっきから喉が渇いて仕方ない。
「うん。ここが過去の地球なら、流石にそれはおかしいと思うんだよね」
「つまり……ここはそもそも地球じゃない……?」
「あるいは、ボクたちが知らない――理由まではわからないけれど世間にもまだ認知されていなかった地球のどこかってことになるだろうね」
そんなことがあり得るか? って話だけども。
でも、それを言ったらタイムトラベルだってそうだしなぁ。
「わたくしたち……帰れるのでしょうか……」
「…………………………」
本当は『大丈夫だよ』って太鼓判を捺してあげられたなら良かったんだろうけれど。
でも、『じゃあどうやって帰るんですか?』と訊かれたときにボクには答える術が無かったので、沈黙を返すことしか出来ない。
「くちゅんっ」
不意にルーナがクシャミをした。長いこと海水に浸っていた上、着ている服もまだ生乾きだからなぁ……。頭上ではお日様が燦々と輝いているから、蒸し暑いは蒸し暑いんだけど……。そりゃあクシャミのひとつも出て当然だよね。
ていうか、クシャミすら可愛いのなこのコ。
「おいで、ルーナ」
「イサリさま……」
目の前の幼い女の子が不憫に思えて、少しでも冷えた身体を温める助けになれればと、両腕を広げ「来い来い」する(アンモナイトは海へ帰した)。
ルーナは驚いたように目を瞠ると、くしゃみを見られたのが恥ずかしかったのか頬をちょっとだけ赤らめつつも素直にボクの腕の中に身を寄せてきた。
なるべくこちらの体温がルーナに伝わるよう、小さな身体をぎゅっと抱き締める。余程寒かったのだろう、ルーナも目を閉じ、強く縋りついてきた。
「イサリさま……」
「うん」
こんなに華奢な身体の、こんなに幼い子供が、よくもまああんな過酷な状況であそこまで頑張ったものだ。このコはすごい。たぶん幼少期のボクだったら、あんなには頑張れなかっただろう。
今だってこのコは、本当なら絶望し泣き叫んでもいい状況なのに、泣き言のひとつも言わずに耐えている。絶対辛いはずなのに。
「ホント、よく頑張ったねルーナ。ボクが駆けつけるまでよく諦めなかった。偉い偉い」
「イサリさまぁ……」
ぐすっ……とボクの胸に顔を埋めたルーナが涙ぐむ。
しまった! 励まそうと思って頭を撫でたのだけれど、逆効果だったか!? なんでやることなすことすべて上手くいかないんだボクは! こんなだから今まで女性にモテたことが無いんだよ!
そうだ、空気! 場の空気を変えよう!
「それにしてもさ、この鯨! さっきからピクリとも動かないね! ちゃんと生きてるのかな!? 案外、死んじゃってたりして!」
「寝ているんじゃないでしょうか」
「そっか、そうだよね! 鯨だって生き物なんだし! そりゃあ、寝たり食べたり排泄したりもするか!」
ぴくっ……とルーナの肩が小さく震える。
? なんだ、どうしたんだ? あ、幼いとはいえ女の子の前で『排泄』なんて単語を使うべきじゃなかったか?
デリカシーが無いと思われちゃったかも……。
……とか思っていたら。
「あの……イサリさま……。ちょっとだけ離れてもいいですか?」
と、顔を真っ赤にしたルーナに言われてしまった。
……え。なんで? もしかして、思わず離れたくなるほどデリカシーが無い人間だと思われた?
どうしよう、すごくショック。
このメチャクチャ良いコ(いや、異性としてではなく、あくまで子供として)に嫌われてしまったら、半端ないくらい落ち込む自信があるぞ……。
「その……。オシッコを、したくて……」
…………………………。
そうだよね。人間だって生き物だもんね。寝たり食べたりオシッコしたりするよね。
この鯨の背中の上で目を覚ましてから、そろそろ小一時間くらい経つし。尿意を覚えてもおかしくない頃合いだよね。
……もしかして、さっきのボクの『排泄』という言葉が尿意の引き鉄になっちゃった?
………………ごめんね………………いろいろと………………。
「大丈夫? ドレスを着ているけれど。一人で出来る?」
いや待て。そんなこと訊いてしまって、万が一『出来ません』って答えが返ってきたらどうするつもりなんだボク。
「だ、大丈夫です。一人で出来ます」
良かった……マジで。『手伝ってください』とか言われたらどうしようかと。
「あっちのほうでしてきます。……イサリさまは反対側のほうを向いていていただけますか? 耳も塞いでいていただけると助かります。……恥ずかしいので」
「はい。承知しました」
罪悪感から、小学生の女の子に対して、つい敬語で答えてしまうボク(男子高校生)。
……仕方なくない?
「じゃあ、行ってきます」
「うん。一応目も閉じておくね。……誤って海に落ちてしまわないようにだけ気を付けて」
「わかりました」
頷くルーナに背を向けて、早速目を閉じ耳を塞ぐ。
……そしてしばらくして、
「イサリさま!」
ルーナにポンと強めに肩を叩かれて、ボクは目を開け、耳を塞いでいた手を下ろした。
「あ。終わった?」
「はい。でも、それどころじゃないんです。あれを見てください!」
え?
と、怪訝に思いながら、ルーナの白魚のような指が示したほうへと視線を向ける。
その方角、ここから2㎞ほど離れた場所にあったモノは、先程目にした島嶼のひとつ。
全貌を窺い知ることが出来ないほど大きい、鬱蒼と茂る密林に覆われた島で――
「………………!」
違った。
ルーナが指し示したのは、正確には島ではなかった。
島の陰から、ゆっくりと現れたモノだったのだ。
間違いない。あれは――
「帆船……!?」
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