♯34 大切な娘と、この世界で救いを見つけた
第34話です。なお、一区切りはつきましたがバトルはまだ続きます(次話は閑話ですが)。
※今回の語り部はリオンです。
私がそのことに気付いたのは、砂浜の片隅に張った天幕の下で夕食の準備を終えた直後のことだった。
「シャロン……? シャロン、どこにいるの!?」
娘の姿がどこにも見当たらない。いつも私の背後でオドオドしている最愛の一人娘、夫が遺してくれた唯一の忘れ形見の姿が。
トイレかな? とも思ったけれど、だとしたら私に一言声を掛けていきそうなものだ。母親だからわかる。こういうときあの子は、何か私に知られたくない――知られたら気まずいことをしているのだ。他の孤児たちと一緒に捨て猫を拾って、こっそり裏庭で飼っていたときみたいに。もしくは、街で買い物をしていたら顔見知りの店員の男の子から恋文を貰って、どう断ったものか悩んでいたときみたいに。
でも……こんな孤島で何を?
いったいどこに行ってしまったの?
どこにどんな危険が潜んでいるかわからないのに……!
いや……本当にあの子が自らの意思で何かをしているのなら、まだいい。
だが、そうではなく、あの子の身に何かあったのだとしたら――
「シャロン……!」
どうしよう。万が一にもあの子を喪うようなことがあったら……!
あの子は私の生きる意味そのものなのに。
もう夫が――あのヒトがいないこの世界で、私がまだ死なずにいるたったひとつの理由なのに。
今の私のすべてなのに。
「っ」
私は用意した干し肉やパン(いずれもあの優し……得体の知れない少年から分けてもらったモノだ)を放り出し、立ち上がる。
そして娘を捜しにいこうと、島の内側に広がる密林のほうへ駆け出そうとしたそのときだった。
「うわぁぁぁぁぁぁぁっ!」
私と一緒に『秩序管理教団』の帆船から救出された<魔女>の父親の一人――あのちょっぴり可愛……怪しい少年に貝殻をぶつけて怪我をさせた男が、波打ち際のほうを指さして悲鳴を上げる。
その尋常ではない様子に何事かとそちらを見遣り、私もまた「ひっ」と小さな悲鳴を漏らしてしまった。
ズチャッ……ズチャッ……
海の中から何かが次々と姿を現し、上陸してくる。
全身を覆う銀混じりの黒い鱗と、真ん丸な灰色の目、タラコ唇から覗く鋭い牙……。そして額のチョウチンアンコウのような大きな触角が、否応なしにこちらの生理的嫌悪感を掻き立ててくる不気味な半魚人。
あれは、
「『深きものども』……!」
間違いない。実際にこの目で見るのは初めてだけれど、あれは漁師や船乗りたちの間で特に恐れられている人間の天敵だ……!
噂によれば、とてもヒトの手で斃せるような存在ではなく、出遭ってしまったら諦めるしかないとか。
奴らに滅ぼされた集落、漁村の数は、ひとつやふたつではないとも聞く。
……それはつまり。
私たちはみんな――ここで最期だということだ。
「そ……んな……」
絶望し、砂浜に膝をつく。
私……ここで死ぬの?
こんな見ず知らずの孤島で?
娘の身に何があったのかもわからないまま?
この世界はどこまで残酷なの……?
ギョィィィィィィィッ!
そうこうしているうちに、金属同士を擦り合わせたような不快な金切り声を上げて、半魚人どもが襲い掛かって来る。幸いその動きはそこまで俊敏じゃなかったけれど、恐怖で身が竦んでろくに足を動かせず、また、バラバラに散らばって密林に逃げるべきだと判断する余裕すら失っていた私や他の面々は、あっという間に砂浜の隅に追い立てられ、取り囲まれてしまった。
そして私が真っ先に狙われ、その水掻きのついた手で首根っこを掴まれて、地面に組み伏せられる。
そのままギリギリと絞めつけられる。
「かはっ……」
息が出来ない。苦しい。視界が霞む。涙が溢れる。――死ぬ。
…………シャロン…………。
……死ぬ前に、……もう一度あの子に会いたい。……あの子の笑顔が、……見たかったな……。
最後にあの子の心からの笑顔を見たのって、……いつだったっけ……。
微笑んだり、苦笑したりすることはあっても、……心からの笑顔は、あのヒトが死んでから、一度も見ていない気がする……。
………………仕方ないか。だって私自身、心から笑うことなんて一度も無かったもんね……。
なんで今まで気付かなかったんだろう……。
私……あの子のお母さんだったのに……。
私があの子を笑顔にしてあげなくちゃいけなかったのに……。
あのヒトを喪った悲しみ、淋しさで胸がいっぱいで……。この世界……神様への憎しみと恨みで、頭の中がいっぱいで……。そんな大事なことすら……見落としてしまっていた……。
「っ」
……神様……。
ねえ……神様。
あの日、あのヒトや……他の孤児たちを誰一人救ってくれなかった神様……。
もしもあなたが……本当に存在するのなら……。
本当は、私たち人間に対する慈悲を、ちゃんと持っているのなら……。
あの日は、『動きたくても動けない理由』みたいなのがあったのならば……。
どうか……今だけは。
シャロンだけは。
この化け物どもから護って……救ってはもらえませんか……?
私はこのまま死んでしまっても構いませんから。
あの子の存在、幸せだけが、今の私の救いなのだから。
どうか……どうかあの子だけは、幸せに……。
――私たちにも、救いをください。
「――このっ!」
……不意に。
聞き覚えのある声がして、私を組み伏せていた半魚人を誰かが羽交い絞めにし、強引に引き剥がした。
その『誰か』は、私から引き剥がした半魚人を蹴り飛ばすと、次いで『破ァ!』と裂帛の気合を籠めて撲り飛ばす。
ギョィィィィィィィッ!
踏鞴を踏みつつ10mほど後退った半魚人は、撲られた場所を押さえ、全身を怒りで震わせて、夜天を仰ぎ絶叫した。
「っ。かはっ、げほっ……」
私はズキズキと痛む喉を押さえ、空気を貪りつつ、上半身を起こす。
そしてたった今、私を助けてくれた『誰か』の姿、こちらに向けられた背中を確かめ、息を呑んだ。
「あなた……は……」
そこには、予想したとおりの姿があった。
端々に施された黄金色の金属彫刻と、所々に浮かび上がる白鯨を模った純白の光芒が神々しい、美しい留紺の衣装でその身を包んだ姿が。
その全身のあちこちでは、熄のような蒼白い残り火が……まるで人魂のようなモノが、チラチラと燃えている。
そしてその背中に浮かぶのは、大海原を翔ける白鳥の気高い勇姿を描いた純白の光芒……。
あの恐ろしい『<魔女>殺し』を彷彿とさせる――けれど何故だろう、今はちっとも不気味に見えない……むしろヒーローみたいな、頼もしい後ろ姿。
他の面々もまた私の背後で「なんで彼がここに……」「あの帆船に帰ったはずじゃ」「助けにきてくれたというの……? あんな目に遭ったのに?」と戸惑い、呆然としながら、呟いているのが聴こえた。
そんな私たちを背中に庇い、彼は……確かイサリとか呼ばれていた少年は、こちらを取り囲む半魚人どもを順繰りに見回し告げる。
……握り拳を作った右手を脇の横に引き絞り、代わりに左の掌をまっすぐ前に突き出した構えを取りながら。
「……来い、異形ども。ボクは世界平和なんて曖昧なモノや見ず知らずの人間の安寧のために、命を賭けて戦うつもりはさらさら無いけれど。でも、この魂魄が、おまえたちのような存在を――この宇宙、人類にとって『良くないモノ』を、決して赦すなと叫んでいる。一匹たりとも逃がしはしない」
ギョィィィィィィィッ!
そんな彼……イサリくんを、半魚人どももまた『自分たちにとって良くないモノ』だと感じたのだろう――七匹すべてが、一斉に彼へと襲い掛かる。
どうやらイサリくんは、格闘術か何かを体得しているらしい。私から見たらとても精練された、いっそ美しいと言ってもいいほどの流れるような体捌きで、半魚人どもの猛攻を捌き、受け流し、ときに反撃へと転じていた。
「お母さん!」
私がイサリくんの勇姿に思わず見惚れていると、近く、密林の奥から聞き慣れた声がして、そこからシャロンが飛び出してきた。
その後ろには、イサリくんの連れ……確かカグヤちゃんと呼ばれていた黒髪の女の子と、アリシアちゃんと呼ばれていた赤髪の女の子の姿もある。
「お母さん! 大丈夫!?」
「シャロン……! 良かった、無事だったのね!」
「カグヤ! アリシア! シャロン! なんで来た!? ボクはあの場から動くなと言ったはずだぞ!」
噛みつこうとしてきた敵を手刀で叩き落として、背後から飛び掛かってきた奴は後ろ回し蹴りで撃退しつつ、イサリくんが叫ぶ。――すごい。よくもまあ、あんな激闘の最中にこっちのことを気にかけられるものだ。
「ご、ごめんなさい、イサリさん! でも、どうしてもお母さんが心配で……!」
「ったく……。あとでお説教だ!」
「は、はいっ! よろしくお願いします!」
っ。
今のやり取り……もしかしてイサリくんたちは、私たちのことを案じて、帆船に戻るフリをしつつその実どこかで待機してくれていた?
シャロンはそれを察して、おそらくはチカラを使ってこっそり会いに行っていたから、姿が無かったの?
……いや、それよりも。
娘がこんなに大きな声を出すところを、初めて見た。
男のヒトと、こんなに堂々と言葉を交わすところも。
……てか、なんで「あとでお説教だ」って言われて嬉しそうなの、この子?
顔、赤いし。
実はマゾだったの?
ひょっとしてお母さん、娘の知らない一面を発見しちゃった?
だとしたら、そんな一面は一生知らないままでいたかったのだけれど……。
でもこれ……その表情、どちらかというと、どんな形であれ彼とお話し出来ることが嬉しい、みたいな……。
………………。
えっ? あれ? もしかして?
ちょっ、シャロン!? あなたまさか、
「カグヤ! コイツら、何か妙だ!」
私の思考を遮るように、イサリくんが叫ぶ。敵の猛攻をいなしながら。
「これまで戦ってきた『深きものども』は、御業を使用しない普通の攻撃でも斃すことが出来た! この全身防護服から燃え移る蒼白い残り火でたちまち炎上、燃え尽きていたはずなんだ! でも、コイツらは何故か斃せない! せっかく燃え移った残り火も、すぐに掻き消えてしまう! その原因、キミならわからないか!?」
「気を付けて、だんなさま! ソイツらをこれまでの奴らと一緒にしちゃダメ!」
イサリくんの問い掛けに答えるカグヤちゃん。
「仮にこれまでの奴らを『標準型』と呼ぶなら、ソイツらは『再生特化型』なの! だんなさまの攻撃で負った傷を即座に再生しているんだよ! だから、不浄な存在の躰に傷口から這入って内側から灼き尽くす浄化の焔が無効化されちゃってるんだ!」
「! コイツらにもいろいろなタイプがいるってこと!? 道理で! 爪を伸ばして攻撃してこないし、額のところにチョウチンアンコウみたいな触角が生えているから、妙だなぁとは思ったけれど……。聞いてないぞ、そんなこと!」
「ごめんね、言い忘れてたよ」
「言い忘れるなよそんな重要なこと!」
「てへ☆」
「あーもう可愛いなぁ! キミもあとでシャロンと一緒にお説教だ!」
あ。今シャロンが「あっ……」ってちょっぴり残念そうな顔をした。
まるで、邪魔者が現れた、みたいな……。
これってやっぱり……。
「――それで!? どうしたらいい!?」
「決まってるよ! 要は再生が追い付かないほどの強力な一撃を叩き込めばいいんだ!」
「やっぱそうなるかぁ……セオリーといえばセオリーだしな。――仕方ない。赦せ、カグヤ! やっぱベロチュウだ!」
べ、ベロチュウ? この鉄火場でいったい何を……。
「神威体現闘法<漁火の拳>――」
困惑する私を余所に、留紺のコートを翻し、イサリくんが跳びかかってきた半魚人を迎撃する。
「――『以水滅火』!」
敵の左肩から右腋へ、袈裟斬りにするように振り下ろされる手刀。それだけでは終わらない。イサリくんは勢いそのままにその場で一回転し、今度は左腋から右肩へ、流れるように逆袈裟斬りを叩き込む。時間にしてほんの二、三秒、跳びかかった敵が着地するまでの僅かな時間で放たれた連撃は、
ギョィィィィィィィッ!?
着地した敵の胴体をX状に斬り裂き――次の瞬間そのX状の刀傷から発火。半魚人の全身を蒼白い焔が包み込んだ。
そしてそのまま、塵ひとつ残さず灼き尽くす。
「す、すごい……!」
「斃した……? あの化け物を……」
「人間が勝てる相手じゃないはずなのに……」
私の後ろで、私と同じく、息を呑む面々。
だけど。
彼らのその口調、声音からは、もはやイサリくんに対する畏怖、嫌悪や敵愾心といったモノは感じられなかった。
むしろ――
「あと六匹……一気に決める! ――換装! 攻撃特化形態!」
イサリくんが吼えると同時、彼の頭部を覆っていたテンガロンハット風の帽子と、両手を包んでいた長手袋が蒼白い焔と化して燃え尽き、消失する。
……夜気に晒された彼の素顔、敵を鋭く見据えるその凛々しい横顔に。……私は年甲斐もなく、ドキリと、少しだけ胸を高鳴らせてしまった。
「彼は……何者なの? 何故ここにいるの? どうして私たちのために戦ってくれるの? 私たち、とても酷いことをしたのに……」
無意識のうちに呟いていたその疑問に答えてくれたのは、アリシアちゃんだった。
「彼はイサリ。私たちの船長よ。知ってるでしょ」
「船長……」
「そう。普段は『なんも船長』だけど……でも、『深きものども』とか、『秩序管理教団』とか、そういった邪悪な奴らに理不尽に苦しめられているヒトがいたら、放っておけない優しい男の子。正義の『幽霊船長』――といったところかしら」
……正義の……『幽霊船長』……。
「もっとも、アイツがこれを聞いたら、こう言うんでしょうけどね――『ボクを正義の味方みたいに言うな。ボクは正義なんて曖昧なモノのために戦ったりはしない』って」
「だったら……彼はなんのために……。どうして私たちを護ってくれるの……?」
「『後悔したくないからだ』『あくまで自分自身のためだ』ってアイツは言っていたし、アイツにとってそれは嘘偽りの無い本心なんでしょうけれど。少なくとも今回は、それだけじゃないと私は踏んでる」
そう語るアリシアちゃんの横顔は、どこか歯痒そうで……もどかしそうで。彼の救いになれない自分への無力感に打ちのめされているように見えた。
「上手く言えないけれど。きっと……アイツ自身の魂魄が、アイツへと訴えかけるのよ」
「魂魄が……訴えかける?」
「そう、」
――昔、自分が無念の中で死なせてしまったお母さんと。
――それからずっと、自分の中で泣きじゃくり続けている幼子のぶんまで。
――今この瞬間、寄り添いあい、懸命に生きている母娘を護れと……。
「アイツからしてみれば……自分の過ち……自ら手放してしまったモノを見せつけられているようなものでしょうに……。ホントお人好しで……不器用な奴」
そう言ってアリシアちゃんは僅かに俯き、目に浮かんだ涙をゴシゴシと乱暴に拭う。
いっぽうのカグヤちゃんはイサリくんの戦いから一瞬たりとも目を逸らさず、無言で見守り続け――けれどその口元は何かに耐えるように固く引き結ばれていた。
シャロンは言葉を失い、立ち尽くしている。アリシアちゃんはイサリくんの詳しい事情まで話してくれたワケじゃないけれど、でも、『自分が無念の中で死なせてしまったお母さん』というその言葉だけでも、イサリくんが何らかの辛い過去を背負っていることは窺い知れたから。
それは――私もだった。
「私……私は……」
世界を呪った。
神様を恨んだ。
救いなんて、どこにもありはしないと決めつけた。
だけど……違ったんだ。
救いはあった。
私たち母娘を……世界中の人々に忌み嫌われている<魔女>とその母親を、命を賭して護ってくれるヒトがここにいた。
「イサリくんは最初からずっと『自分は「<魔女>殺し」とは関係無い』って言っていたのに……救いの手を差し伸べてくれていたのに……。私はそれを信じず……この世界に救いは無いと嘆きながら、その手を払い除けていた……」
……馬鹿だ、私は。
これじゃあ神様を恨む資格なんて無いじゃない……。
「……お母さん、わたしね、救いを見つけたよ。お父さんやお母さん、それに家族だった孤児たち……みんな以外で初めて、<魔女>のわたしに『淋しい思いはさせない』って言ってくれたヒトがいるんだ。生きていてもいいんだって……幸せになってもいいんだって。そう、示してくれたヒトがいるんだよ」
そう言って、シャロンは笑った。
それは家族を失ったあの日から、一度も浮かべることが無かった心からの笑顔。
五年ぶりに見る――
「……うん」
気付けば私も――笑い返していた。
シャロンと同じように……瞳からポロポロと涙を零しつつ。
心から。
「お母さんも見つけたわ。救いを」
そしてもう一度、イサリくんの背中を見つめる。
「神威体現闘法<漁火の拳>――『電光石火』!」
半魚人たちを次々と蹴散らし、最後の一匹を正拳突きで屠った救世主の眩しい背中を見つめ、私は『ある決意』をするのだった……。
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