♯7 小さなお嬢様たちと、謎の怪人に襲われた
第7話。いよいよ主人公の戦いが始まります。
なんの自慢にもならないけれど、ボクはごく普通の一般人――所謂『凡夫』ってヤツだ。
別に紛争地帯で育ったワケじゃないし、犯罪組織を相手にドンパチした経験があるワケでもない。極道の家に生まれたワケでもなければ、ヤンキー同士の抗争に関わったことがあるワケでもない。比較的平和な現代日本で、ごく普通の漁師の家庭で育ち、ごくごく普通の学生として平穏な日常を送ってきた。
考えてみたら友達と殴り合いの喧嘩をした記憶すら無い。強いて言えば昔、従妹の家にお泊りし、アイツの部屋でプロレスごっこをしていたときに、ジャーマンスープレックスを喰らって失神したことがあるくらいだ(救急車で搬送された)。
小1から中3までの九年間、ほぼ毎日、従妹のご両親、ボクからすれば叔父さんに当たるヒトにナンチャラ闘法・ナントカの拳という胡散臭い格闘術を教わったり、叔母さんに当たるヒトに薙刀の扱いをみっちり叩き込まれたりもしたけれど、でも、それらを実戦で活かす機会はとうとう訪れなかった。いや訪れても困るけども。
今思うとホント地獄の日々だったなぁあれ。幼少期のボクは喘息持ちだったから、強くなるためというより、身体を鍛え体力を付けることを目的に、半ば親に強制されて始めたことだったのだけれど。入り婿である神主さんと、周囲が引くほどの猛攻で彼を落としたらしい神社の娘さんの教示はメチャクチャ厳しかった。普段は菩薩のようなあの二人が、修練のときだけは鬼と化した。
『この程度の実力ではまだまだ娘はやれん!』『ウチに婿入りする以上これくらい出来なきゃね☆』があの二人の口癖だったけれど、まず前提がおかしい。なんでボクが従妹と結婚することになってるのか。怒りで顔を真っ赤にし涙目でプルプル震える従妹に代わって何度そうツッコんだかわからないけれど、あの二人は一切聞く耳を持ってくれず、ボクを扱いて扱いて扱きまくってくれた。いつもそれを観戦していたアルバイトのお姉さんたち(巫女さんたちだ)が『イサリくん頑張れー♪』『格好良いぞー☆』って応援してくれたからかろうじて続けてこられたけれど、逃げ出したいと思ったことは一度や二度ではない。『途中で逃げてお姉さんたちに失望されるのもイヤだし。修練が終わったらお姉さんたちがしてくれるマッサージは最高だしなぁ』という不埒な動機だけが当時のボクを支えてくれた。巫女さんはまっこと偉大である。
いっぽうで、叔父さんと叔母さんの教示が技術としてちゃんと身に付いたかは、正直怪しい。少なくとも薙刀術の実力に関しては従妹のほうがずっと上だし、叔父さんに叩き込まれた空手のパチモンみたいな格闘術に至っては流派の名称すら既にあやふやだ(漫画かよ、ってツッコミたくなるような外連味たっぷりの名称だったことだけは憶えている。まあ、それは叔母さんから教わった薙刀術もなんだけど)。
でも、自画自賛になっちゃうけれど、あの地獄のような修練に九年間耐えただけでも大したものだと思う。
お陰で家業の手伝いと修練がメインの灰色の青春を送ってしまったけれど。
ついでに巫女さんフェチになっちゃったけれど。
……なんの話だったっけ?
ああ、そうだ、ボクは誰もが送っているであろう平穏な日常しか送ってこなかった、ごくごく普通の環境で育った平々凡々な人間に過ぎないという話だった。
うん。こうして振り返ってみても特におかしいところが無い、ごくありふれた日常だ。
とにかく――そういう平々凡々な人間であるボクは、箪笥の角に足をぶつけて悶絶したり紙で指を切って出血したくらいで『絆創膏! 絆創膏!』と騒いじゃうくらい凡庸なボクは、今、自分で自分を意外に思っていた。
あまりにも冷静な自分に。
全くと言っていいほど怯えていない自分に。
「……なんだ、あれ……」
それを一言で表わすなら『半魚人』だった。
衣類は身に付けておらず、全身の肌は銀が混じった黒色で、ギラギラと輝く鱗で覆われている。海中から這い上がるため白鯨の背中を掴んだ手と、這い上がったあとその躰を支えた足の指と指の間には、水掻きがついていた。人間のそれよりも遥かに大きな目は真ん丸で、どこか虚ろであり、あまり知性を感じられない。いかにも本能だけで動く怪物といった印象だ。顔が裂けているように見えるほど大きなタラコ唇からは、無数の鋭い牙が覗いている。背中には鰭があって、猫背なため正確なところはわからないが、身の丈は2mあるかどうかといったところか。
『シーラカンスをリアルタッチで強引に擬人化した感じ』。ボクなら、奴らをそう表現する。
それが全部で五体。いつの間にか海中から出現し、ボクたちを遠巻きに取り囲んでいた。
「着ぐるみ……ってワケじゃないんだろうなぁ……。あれ、お姉さんのお友達?」
ンなワケねーだろ、と内心自分にツッコミつつ、ボクは京美人といった見た目の美女へ確認する。
美女――ツバキは、従えた男衆の一人から白塗りの棍を受け取りつつ(彼だけ元々二本持っていた)、険しい表情でコクリと頷いて、
「ああ。強敵と書いて『とも』と呼ぶノリならば、そう呼べんこともないかもしれんの。もっとも血みどろの殴り合いをすることはあっても和解や共闘は絶対に望めんが」
と言った。
うん、その時点でお友達とは言えないね。
あと、そのノリ、こっちでも通じるんだ。
……こっちにも少年漫画とかあるの?
「ちなみに、対話とか説得とか降伏とか、そういう言語的コミュニケーションは可能な感じ?」
「お主がカグヤに無理矢理食わせられたあの実のチカラをもってしても絶対に不可能な感じじゃ。そもそも奴らにはほとんど知性が無く、人間を見れば無条件に襲わずにはおられん絡繰人形のようなモノじゃなからな。食うワケでも犯すワケでもないのに、それでも奴らは本能で人間を襲い、殺さずにはおられんようでの」
もうそれ強敵っていうか人間の天敵だろ。
「『深きものども』――それが奴らの名前ってことでいいの?」
「うむ。…………お主、妙に落ち着いとるの。奴らが恐ろしくはないのか? 奴らを初めて見た場合、大抵はそこの金髪のちんちくりんみたいな反応をするものなのじゃが」
言われて背後のルーナを見ると、彼女はすっかり青ざめ、ガタガタと震えていた。ボクの服の裾を掴む指先まで小刻みに震えている。
まあ、十歳くらいの女の子だもん。そりゃあこういう反応になるよね。
ああ、こんなに怯えて可哀相に……。
「大丈夫だよ、ルーナ。キミのことは何があってもボクが護るから」
「イサリさま……」
亜麻色に近い金髪の頭をそっと撫でながらボクがそう言うと、ルーナは涙は湛えた瞳でボクを見上げ、ぎゅっ……と縋りついてきた。
「だんなさま。わたしも怖い」
それを見たカグヤがすかさず反対側からボクにしがみつき、美しい黒髪をリボン代わりの月下美人でツーサイドアップにしている頭を『撫でれ』と言わんばかりに差し出してくる。
いやキミさっきまで奴らを睨めつけて『うわ出た。ウザイなー』って舌打ちしてたよね? どう見ても怯えてるふうじゃなかったよ?
……撫でるけど。可愛いから。
「よーしよしよしよし」
「にゃん♪」
頭のついでに頬や顎も(ペット感覚で)ワシャワシャ撫でてやると、カグヤは嬉しそうに目を細めた。
すると今度はルーナがぽすっとボクの胸元に顔を押し付けるように埋め、物欲しそうにこちらを上目遣いで見上げてくる。
同じように彼女にも頬や顎をワシャワシャしてやる。
今度はカグヤが再び頭を突き出してくる。
撫でる。
またルーナが(以下繰り返し)。
「イチャイチャしとる場合か、この痴れ者どもめが! ――来るぞ! お主らはそこを動くなよ!」
「「「ハイすみません!」」」
思わず直立不動で謝るボクたち三人を脇目に、ツバキと彼女の連れである四人の男衆が散開する。相手がちょうど五体なので、一対一の戦いに持ち込む肚のようだ。
ギョィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィッ!
金属同士を擦り合わせたような不快な金切り声を上げた半魚人どもの手がブルブルと震える。『何あれ、アル中の禁断症状?』と呑気なことを考えながら見ていると、連中の指と指の間に付いていた鰭がボロボロと崩れるように剥がれ落ち、代わりに指先から鋭く長い爪がジャキン! と伸びた。
その爪を、知性が感じられない、ほとんどデタラメと言っていい動きで振り回し襲ってくる半魚人どもに、ツバキたち五人はあっという間に接近すると、手にした棍を叩きこむ!
ギョィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィッ!?
おお……! 効いてる効いてる! 半魚人どもが棍の一撃を浴びたところを押さえて、苦しそうに後退ったぞ!
……ん? なんだ? 棍が叩き込まれた箇所から白い煙のようなモノがシュウシュウと上がってる……?
「あの棍はね、特別製なんだ」
訝しむボクを見て、カグヤが説明してくれた。
「さっき、だんなさまが食べた実。あれが生る樹の枝から削り出されたモノなの」
「樹? それじゃあ、あの白塗りは?」
「件の樹じゃら採れた樹液でコーティングされているんだよ。あの帆船や撓艇と同様にね」
「樹液?」
「そう。破邪の効果がある樹液。だから『深きものども』の躰はあの棍に触れただけで火傷を負ったみたいになるんだ」
なんと……。
なんなんだ、その樹は。
凄すぎない?
「いつか見に行きたいなぁ」
「うん。『彼女』もだんなさまが来るのを待ってるよ」
「……え?」
『彼女』?
「ただ……」
「『ただ』?」
なんだ?
なんでそんなに表情を翳らせてるの?
せっかく優勢なのに……。
「ただ――それでも、『深きものども』を斃すことは出来ない。せいぜい追い払えるかどうかといったところなんだけどね。奴らは人間に勝てる相手じゃないんだよ」
「え……」
「だんなさま、ツバキたちが奴らを抑えることが出来ているうちに、わたしたちは奴らの隙を見て、あの撓艇を使って帆船に逃げ込むよ。棍すら持っていないわたしたちは足手纏いだ。ツバキはここから動くなって言ったけれど、わたしたちがここにいたんじゃ、ツバキたちが戦いに集中できない」
「で、でも、」
「でも?」
「……でも――奴らをこのまま、のさばらせるワケにはいかない」
「………………だんなさま?」
息を呑んで目を瞠るカグヤを尻目に、ボクはツバキや男衆と戦いを繰り広げている半魚人どもを順繰りに見遣る。
自分でも険しい面持ち、鋭い眼光になってしまっていることがわかる。
「わかるんだよ。確信できるんだ。自分でも不思議だけれど。あれは――『良くない存在』だって」
さっきツバキは言った――『お主、妙に落ち着いとるの。奴らが恐ろしくはないのか?』と。
もちろん、奴らを恐ろしい、悍ましい、気味悪いと感じている自分もいる。
出来れば関わり合いになりたくない。本音を言えば奴らにはとっととどこかへ行ってほしい。
……けど。
「ボクの中で何かが叫んでるんだ。訴えてるんだよ。それが勘ってヤツなのか、本能ってヤツなのか、あるいは遺伝子や魂魄といったモノの記憶なのか……それはわからないけれど。でも、確かに、ボクの中でグルグル渦巻いてるんだ。沸々と沸き上がってるんだよ」
――奴らの存在を許すな。
――あれをのさばらせてはいけない。
――誰かを護るためにも――戦え!
「奴らは……一匹たりとも生かしておいちゃいけない。人類のために」
……たぶん。
今、ボクたちを襲っているのが、普通のライオンだったり、ヒト食い鮫だったり、あるいはスズメバチの群れだったり、そういう『常識の範囲内の存在』だったなら、ボクは今頃遠慮なくガタガタブルブル震えていたことだろう。
情けない悲鳴を上げて腰を抜かしたり、恐怖で失禁したり、カグヤに言われる前に脱兎のごとくこの場から逃げ出していたかもしれない。
「でも――あれはダメだ」
あれは見逃せない。
あれは放っておけない。
あれは今この場で確実に仕留めなければならない。
これは自分の身の安全を確保すること、自分の命を護ることよりも優先されなければならないことだ。
たとえば『蚊』は、世界中で人間の血を吸い、ときに疫病を感染し命すら奪ってくる憎い奴だし、どうしても生理的嫌悪感を覚えるし、叩き潰すにしても出来れば手ではなく道具を使いたい……そんな存在だけれど。でも、自分や周囲のヒトが血を吸われたりする前に、意地でも退治してやろうって気になるだろう?
これはその究極版とも言える感情――使命感にも似た衝動だ。
怪人に対する戦慄とか、命懸けの戦いへ飛び込む躊躇とか、死への恐怖とか、そういう感情も確かにあるけれど。でも、この衝動の前では擦れてしまう。
「カグヤ。キミはルーナを連れて先に撓艇であの帆船へ逃げてくれ。そして出来れば、ボクのぶんの棍を誰かに届けさせてほしい」
ボクはこの場に残る。
残って、なんとかしてあの半魚人どもをここで殲滅しなければならない。
最終的には、それがルーナを護り、家族のもとへ送り届けることにも繋がる……。
そんな不思議な確信がある。
「……そっか」
ボクの言葉に、カグヤは微笑った。
それはたまらなく嬉しそうな――誇らしげな。それでいてどこか切なそうな、今にも泣き出しそうに見える、そんな笑顔だった。
「やっぱり……あなたがそうなんだね」
……え?
「本当は『これ』は、あなたにすべての説明を終えて、あなたの覚悟を確かめてから渡そうと思っていたのだけれど……」
そう言ってカグヤは、自分の胸元、左右の衿の間に右手を突っ込み、ゴソゴソと弄る。
……いやだから見えちゃうってば! ていうか一瞬見えちゃったってば!
「だんなさま。これを」
そう言ってカグヤが胸の谷間から取り出し、差し出してきたのは、先程のモノとは全く別の実だった。
形は白桃に似ている。サイズも同じく。色はどこか地球を彷彿とさせる深い蒼色で、表皮にはやはり形の崩れた三日月のような模様が浮かんでいた。
うん、例によって見たことない果物だ。
「……これは?」
「これも例の樹の実だよ。だんなさまにしか使えない……『彼女』があなただけのために用意した実。あなたに『深きものども』と渡り合うためのチカラをくれる」
「食べればいいの?」
「ううん。例の樹に生る実は、それぞれ使いかたが違うの。これは頭上に掲げて、握り潰して」
「握り潰す……」
「そう。そしてこう咆えるの」
咆える? と眉を顰めるボクに、カグヤは厳かな口調でそのキーワードを告げた。
まるで神託を告げる巫女のように。
「――『月火憑神』」
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